保健委員会
放課後、陽一は保健委員が集まる教室に残り、委員長の話をぼんやりと聞いていた。
隣には森口七海が座っている。森口は真面目にノートを取っていた。
話の内容は、冬休みの前にトイレットペーパー、手洗いせっけん、アルコール消毒などの在庫確認について。そして、この季節インフルエンザも増えるし、体調の悪い人たちをできるだけ早く気付いて、保健室へ誘導するよう気を配るなどの内容だった。
「笹岡くん」
「え?」
声をかけられて横を見ると、森口が憮然とした顔でこちらを見ていた。
「委員会、終わったよ。倉庫に行きましょう」
早く赤猪子に会って話が聞きたいと思っていた陽一は、ぼんやりとしていて森口の話を聞いていなかった。
「もっかい言って」
森口は大きく息を吐いた。
「在庫の確認。すぐに済むから、早く行こう」
言われた通り、森口に従いトイレの横にある倉庫に入って在庫確認をした。終えた時、外はだいぶ薄暗くなっていたので補充は明日することにした。
「森口、一人で帰るんだろ? 暗いから途中まで一緒に行こうか」
陽一が提案すると、森口は驚いた顔で口を開けた。
「あ、迷惑だったらやめるけど」
焦って言うと、森口は大きく首を振った。
「ううん、すごく助かる。怖いと思ってたから」
と、素直に言った。それから少しはにかんだ笑みを返した。
「ありがとう」
「いいよ」
外へ出ると、朝よりももっと寒い気がした。
「寒いな」
「そうだね」
森口はマフラーに顔をうずめるようにして、静かに隣を歩いている。
「背、少し伸びたね」
突然、森口が言った。
「え?」
小声ではっきりとは聞き取れなかったが、見ると、森口はちらちらと自分を見ていた。
「背が伸びたねって言ったの」
「ああ、うん。俺も朝、思ったんだよ」
陽一は嬉しそうに答えると、森口がくすっと笑った。
「私も今朝、思ったの」
そう言って二人で笑った。
辺りはすっかり真っ暗で、陽一は家の近くまで森口を送ってあげた。どうせ、自分は瞬間移動もできるし、急ぐ理由もない。
森口はありがとうとお礼を言って家に入った。
これから社に行くには、だいぶ遅くなってしまった。佐野が待っているかもしれない。けれど、明日は在庫の補充もしなきゃいけないし。
陽一は仕方なく辺りを見渡すと、誰もいないのを確認して赤猪子の社へと瞬間移動した。
鳥居の前に姿を現すと手を合わせた。一礼して鳥居をくぐり、社へと続く道を歩いて行くと、真っ暗闇の中に黒い影が見えた。
ぎくりとして足を止めると、影が走って近寄ってくる。
「陽一くんっ」
やはり佐野だった。
佐野は、飛びつかんばかりに陽一の両腕をつかんだ。
「待っていたんだよっ」
じっとりと見つめてくるが、陽一は、自分も忙しかったのだ、と言いたいのを我慢した。
「ごめん、ごめん」
謝って社の方へ向かう。しかし、赤猪子の姿がない。
「ばあちゃんは?」
「赤猪子さんは留守だ。今朝から姿を見ていない」
「そんな…」
せっかく来たのに。
晶のことが聞けずじまいだ。
がっくりすると、佐野が恨めしそうに見つめてきた。
「君は、俺のことは心配じゃなかったのか」
「あのね、俺だって晶の事でいっぱいなんです」
すると、佐野ががっしりと陽一の腕をつかんだ。
「いいかい、陽一くん、俺は命を狙われているんだよ。君が晶のことで頭がいっぱいなのは知っているけど、俺は明日殺されるかもしれないんだよ」
「えー?」
陽一は胡散臭そうに佐野を見た。明日殺されるようには思えない。
佐野はよく休めたのか、顔の艶はいいし、元気いっぱいの姿だ。しかし、話を聞いてあげないと永遠に泣き付かれる気がしたので、仕方なく耳を傾けた。
「じゃあ、話してくださいよ。聞くから」
その時、佐野の腹の虫が鳴った。ついでに陽一もお腹が減ったなと思った。
「腹ごしらえはどうする?」
「は?」
陽一が口をぽかんと開けると、佐野は眉根を寄せて、朝から何も食ってないんだよ、とみじめな声で言った。
「うちに来る?」
仕方なく言うと、佐野が大きく頷いた。まるで、大型犬が尻尾をぶるんぶるんと振っているかに見えた。
家に戻り、佐野には母親に見つからないようにこっそりと部屋に入ってもらった。
居間に入ると、ちょうど母親が食事を用意しているところだった。
「あら、お帰り」
食器を並べながら、手伝ってと頼まれる。陽一は何も言わずに食事の用意を手伝っていたのだが、すぐに部屋に戻らなければ、あの佐野なら下へ降りてきてご飯を食わせろと言いだすだろうと思った。
「母さん、あのさ、部屋で食べてもいいかなあ。友達が来てて」
「え?」
母親が手を止めて顔をしかめた。
「部屋まで持っていかなくていいじゃない。下で食べなさいよ」
「いや、恥ずかしがりやでさ、顔を合わせるのが嫌なんだって」
「もしかして彼女?」
母親がぎょっとした顔をする。陽一も同じようにびっくりして大慌てで手を振った。
「ち、違うっ。それだけは絶対に違う」
「あら、そう…」
激しく拒否をしたため信じてもらえたのだろう。母親は夕食のシチューとサラダを二人分用意してくれた。安堵しながらトレーに乗せた食事を自分の部屋に持っていくと、突然ドアが開いて佐野が手を伸ばした。あっという間にトレーを奪われる。
「いい匂いがすると思ったら、シチューだな」
鼻を近づけてひくひくさせた。母親に見つからないようにすぐさまドアを閉めた。
「もう、見つかったらどうするんですか」
「その時はその時さ」
佐野がにやりとする。陽一はため息をついた。
佐野はあっという間に食べてしまうと、おかわりが欲しいと言ったが、大盛りにしておいたのでもう無理と断った。
「まあ、仕方ない」
佐野はそう言ってお茶をぐびりと飲みほした。食器を片づけるため下りてから部屋に戻ると、佐野がごろりと床に寝ころんでいた。
「寝ないで下さいよ」
「大丈夫だって」
佐野はそう言ったが、陽一には信じられなかった。
「寝るんなら社に帰ってからにしてください」
何しに来たのか分からなくなる。すると、佐野はのそりと体を起こした。
「いや、話すまでは帰らないよ」
佐野は顔を引き締めると、陽一の方へ体を寄せた。そして、突然、語りだした。
「日にちは忘れたが、俺は居酒屋で酒を飲んでいた。いつの間にか、隣に女が一緒にいて、それはもう美しい女でね」
「はあ…」
どうでもいいんだけど…と思いながらも、我慢して話を聞いた。
「顔は美しいとだけしか覚えていないんだが、気がつくと俺は眠っていた。店の男に勘定を払えと言われて目を覚ますと、財布はあったが力を奪われていた」
佐野が悔しそうに手を握りしめる。
「この俺の力を奪うなんて、そんな事ができる女は人間じゃない。きっと、その女は俺を眠らせて力を奪っていったのだ。頼む、陽一くん、女を探してくれ」
「へ?」
陽一はびっくりして佐野を見た。
「ま、まさか、無理ですよ。そんな話だけで分かるわけないでしょ」
佐野はぐっと身を乗り出すと陽一の手を握りしめた。
「いいや、君ならできる。何せ、晶の恋人なんだから。この世界で唯一力を持っている人間は君しかいないんだから」
「無理ですって。だって、あなたの力を奪った女でしょ。それにどうしてその女の人が力を奪ったって分かるんですか?」
「む?」
佐野が引きつった顔をした。
「何かあるんだ」
「いや…その…」
佐野が目を逸らす。
「教えてくれないと手伝いませんよ」
「うーん」
佐野は低く唸ってから目を閉じた。
「俺の命を狙っている男がいる。名前はイカワだ」
「イカワ。誰ですか? それ」
「この土地に昔からいる男だ。俺が神として地上へ下りた為、逆恨みして俺を追い出そうとしている」
「えっ」
陽一は口を開けた。
「それってものすごく強い人なんじゃないですか?」
「いや、俺には及ばんさ」
ハハハと笑ったが、その力を女が奪ったのではないのか。今、イカワに狙われたら佐野はどうなるのだろう。
不安がよぎった。
「イカワって人はどこにいるんですか?」
「あいつはどこにでもいる」
どこにでもってどういうことだろう。
「じゃあ、常に狙われているの?」
陽一はぞっとして思わず窓の外を見た。
「大丈夫、君なら結界ぐらい張れるだろ」
「張れるわけないでしょ」
思わず怒ってから、どうやったら結界なんて張れるのか、そもそも陽一は知らなかった。
「大丈夫、君は守られている。だから、頼む、陽一くんにしかできないんだ」
佐野は手を突いて頭を下げた。
「そんな…」
陽一は思わず顔を押さえた。




