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月の生活




×××××




「晶さま、御用がありましたら、いつでもおそばにおりますので、この湖葉久こはくにお申し付けくださいませ」


 月へ還ってから幾日。


 晶は自分の付き人(内侍司ないしのかみは複数いて、数えると十二名いた)である湖葉久の言葉を耳にタコができるくらい聞いていた。


 湖葉久は二つか三つ年上で、晶を妹のように守ってくれようとしているのが痛いほど分かった。少し上がり気味の一重の目と薄い唇で冷たい印象を与えるが、根はとてもしっかりして心優しい面もある。仕事中は、晶からひと時も離れず絶えず周囲に目を光らせ、内侍司の中で一番権力が強かった。


 落ち着いた衣服を好み、自分の白い肌によく似合う色合いを知っていて、どこを取っても完ぺきな女性であった。


「晶さま、御髪おぐしが絡まっておりまする。わたくしめが…」


 もう一人、晶の付き人、和記わきがさっと鼈甲べっこうで作らせた櫛を取り出して、絡まってもいない髪の毛を梳いてくれた。

 こちらは和記わきという名で年は晶よりも若く、内侍司まで伸し上がって来た女である。

 赤猪子に引けを取らぬ美しさで、恋文は数え切れぬほどもらうらしい。湖葉久に次ぐ権力を維持している。


 月へ還ってから初めのうちは、しきたりやらひっきりなしにやってくる客人の挨拶、祝いやらで大わらわだったが、この頃はだいぶ落ち着いて、退屈な日々を過ごしていた。


 舞は休養を取るという名目で引き離され、瑠稚阿るちあは神職に戻り、赤猪子がたまに晶の元へ訪れた。その赤猪子も近頃姿が見えない。


 今、月では水面下であるが女の自由を勝ち取る運動が始まっていた。男社会である月では女はかよわい生き物で、男を拒むということは許されなかった。しかし、帝の娘である晶が貴族の男たちからの求愛をことごとく断っていることにいたく感銘を受けた女たちが、今こそ我ら女の力を発揮する時が来たと、和記を中心としたごく一部の女たちが、自由を勝ち取ろうと決起していた。当然、晶はこのことを知らない。


 何も知らない晶は、今日もまたどこぞの貴族が送ってきた金の椿を横目で見やり、大きくため息をついた。


「赤猪子が参られたら、この椿を神殿に飾っておくれと伝えてくだされ」


 湖葉久と和記に頼むと、二人は承知したとばかりに同時に手を伸ばした。サッと素早く和記が椿を手に取る。恭しく金の椿を持ち上げて、自分の付き人であるあおいに託した。葵もまた美しい女で(月には美人しかいないのか?)透き通るような肌をしており、金の椿を見つめてほうっとため息をついた。


「何と、美しい椿でございましょう」


 それを聞いた晶がにこりと笑った。


「ならば、主の屋敷で飾るとよい。赤猪子はいつ参るか分からぬゆえ、枯らしてしまうのはかわいそうじゃ。ほれ、貸しなされ」


 晶が言って椿を受け取る。椿に手をかざすと、花びらに力が宿った。周りの女たちから小さい吐息が漏れる。


「これで数日は元気に咲くであろう。我は、椿が嫌いなわけではない」

「晶さま」


 すすすと和記が近寄って来て手を突く。


「どうした?」


 晶が聞くと、和記は頬を赤く染めた。


「いいえ、わたくし、晶さまに仕えることができまして本当に幸せでございまする」


 目を潤ませ今にも泣きそうな様子に晶は困ったように笑うしかなかった。


「帝の御成りでございます」


 侍女の声に女たちは晶に挨拶をすると、さらさらと静かに下がっていく。

 晶が顔を上げると、兄の慶之介が現れた。兄は、晶が月へ還ってすぐに帝に即位した。

 慶之介が上座につくと、晶も移動した。


「本日はお日柄もよく、兄上様の御顔色も優れて何よりでございまする」

「月での生活は慣れたか?」

「はい」


 言いたい事がたくさんあったが、ぐっと我慢して兄を見上げた。慶之介は晶と目が合うと、苦笑した。


「そう、睨むな」


 晶は姿勢をただすと兄と向き合った。


「我が睨んでいるとお思いになられる理由が分かってらっしゃるのですね」


 慶之介は大きくため息をつく。


「そなたが戻って来て月の者たちは大変喜んでおる。このままこの地で暮らして欲しい」

「兄上」


 晶は首を振った。


「我はもう無茶なわがままは言いませぬ。しかし、今一度、陽一と話がしたい」

「まあ、そう急くこともあるまい」


 兄は目を細めると、話題を変えた。


「男たちから文がよく届いておると聞いたが」

「見ておりませぬ」

「ほう」


 慶之介は眉を吊り上げた。


「薄情な者と取られると、この先住みにくくなるぞ」

「兄上」


 晶はもう一度兄を見た。慶之介は小さく首を振ると、さっと立ち上がった。


「そなたの顔を見て安堵いたした。たまには、俺の屋敷にも足を運んでくれよ」


 砕けた言葉をかけて、慶之介は去って行った。

 晶は唇を噛みしめた。

 一秒でもいいから陽一の顔を見たいのに。月には写真も何もなく、陽一との思い出だけで過ごすしかない。その気持ちをどうして兄は理解してくれないのだろう。

 晶は肩を落とした。


 頼みの綱は赤猪子である。晶は、地上との繋がりを赤猪子に託していた。陽一について、赤猪子からの報告を首を長くして待っているのだが、赤猪子はなかなか現れなかった。






 その頃、和気わきは、葵と共に下がり、帝がお帰りになるのを待っている間、晶によって力を与えられた金の椿に見とれていた。和記にとって、晶は尊いものであり、自分の人生を揺るがす人物だと思っている。


「姫さま、本当に晶さまがお好きなのですね」


 葵が苦笑している。和記はぷいと顔を背けた。


「わたくし、そんなにおかしいかしら」

「いいえ、ちっとも。むしろ、お可愛いですわ」


 小声で話しているところへ、赤い袴姿の巫女が現れ、二人ははっと口をつぐんだ。さきの帝の妻でもある赤猪子だ。中宮ちゅうぐうの身分ではあるが、彼女は地上で暮らす道を選んだ。

 赤猪子には、皇后には及ばないが、晶に次ぐ強い力を持っていた。月では高貴な人ほど、ずば抜けた力を得て産まれる事が多い。湖葉久や和記、葵もそれぞれ特殊な力を持っていたが、赤猪子の力はまだ見たことがなかった。

 別名、三輪守みわのかみともいわれるほどだから、地上と月とを行き来することはたやすいのだろう。自分たちよりずっと年上のはずだが、肌には張りがあり輝いている。結いあげた髪の毛も黒々として、白い肌と赤い唇に誰もが引きつけられる魅力にあふれていた。


「姫はおられるか?」


 赤猪子は二人を見て言った。


「赤猪子さま、このお花を晶さまがあなた様に渡すようにと」


 葵がおずおずと差し出すと、赤猪子の顔に笑みが差した。


「そうか、なんて綺麗な花であろう」


 しゃがんで椿を受け取り、腕に抱きとめる。


「姫にお礼を言わねばな」

「お供いたしまする」


 和記が赤猪子の後を追った。葵はその後ろをしずしずと追いかけた。赤猪子は渡り廊下を急ぎ足に進むと、すれ違う女房達がすぐに頭を伏せた。


「姫」


 帝は帰られていたらしく、晶のそばにはすでに湖葉久が構えていた。遅れを取った和記は歯がゆい気持ちになったが、すぐに気を取り直して、晶のそばに座った。 


「赤猪子、待っていたぞ」


 晶がうれしそうに駆け寄って手を取った。晶にとっては、赤猪子は血のつながらない母親ともいえる。二人はうれしそうに笑いあった。

 晶が地上にいた時、赤猪子を救ったという話を聞いていた。心の広いお方だ、と改めて晶を尊敬してしまう。


「陽一の様子はどうじゃ? 会えたのであろう」


 和記は、ハッとして耳を傾けた。

 陽一とは地球にいる男、晶の想い人だ。赤猪子はこくりと頷いた。


「元気そうじゃった。姫に会いたいと、強く願っておりまする」

「そうか…」


 晶の顔に影がさす。和記は心が痛んだ。陽一という男の存在が疎ましく思う。人間の分際で、晶にこんな悲しそうな顔をさせるなんて。和記が唇をかむと、湖葉久がちらりとこちらを見ていた。目があって慌てて逸らした。


「晶さま、陽一殿とはどんな殿方でございますか?」


 湖葉久が優しい声音で尋ねた。晶は少し恥ずかしそうな顔をしてほほ笑んだ。


「ドジな男じゃ。最初、舞をうぐいす姫と勘違いしてな」


 くすくす笑っているが、少し切ない顔をしている。


「舞殿と晶さまを間違えるなんて、なんてけしからぬ男でございましょう」


 思わず和記が憤慨すると、


「和記さま」


 と、湖葉久がたしなめるようにこちらを見た。


「晶さまの想い人でござりますよ、悪く言うなどもってのほかです」

「よいのだ。和記の言うとおりじゃ。我もけしからぬ男だと思ったが、単純で素直な所もあり、なかなか面白い奴ぞ」


 陽一という男の話をする晶の顔は見たこともないほど愛らしかった。和記は、陽一に嫉妬した。


「姫」


 赤猪子が、ちらと女房たちに目配せした。


「お人払いをしてくださらぬか」

「皆、少し赤猪子と二人にしてくれ」

「承知いたしました」


 湖葉久が真っ先に言うと、音もたてず下がっていく。和記も出て行かないわけにいかなかった。後ろ髪を引かれるようにそっと振り返ると、赤猪子が晶に近寄るのが見えた。

 自分もあのように信頼されるようになりたい、和記はそう思い、下がった。



 人払いをすると、晶は赤猪子に詰め寄った。


「陽一の事じゃな」


 晶の目がきらきら輝きだす。赤猪子は、その様子を見てほほえましく思えた。しかし、伝える内容は容易ではない。


「困ったことになりました。佐之尊さのみことが、陽一殿に近寄り、何やら企んでいる様子」

「佐之尊…。伯父上か!」


 母の兄である。


 佐之尊。地上を支配している神だ。姿を見たことはないが、話によると乱暴者で月を壊す力を持っていて、母に匹敵する力を持っているという。昔、母はそれを恐れて兄を地上へ追放したと聞いた。


「伯父上が何故?」


 晶にはさっぱり理解できない。赤猪子はきっぱりと言った。


「女です」

「は?」

「早い話が女に騙されて自分の持っていた力を全て奪われたとのこと。そこで、陽一殿に女の居場所を探して欲しいと近寄って来たのです」

「陽一にそんな力があるのか?」


 晶はびっくりしてしまう。赤猪子は頷いた。


「ええ。姫と会うために、陽一殿は日々、鍛練を続けております」

「そうか…」


 晶はうれしさのあまり胸が熱くなった。


「我もはよう会いたい。兄上に頼んでいるがなかなか届かぬ」

「焦ってはなりませぬ。しかし…」

「しかし、なんじゃ?」

「いえ」


 赤猪子は首を振って、言葉を押しとめた。


「佐之尊については様子を窺っていくつもりです」

「かたじけない」


 晶が赤猪子の手を握りしめた。


「陽一を守ってくれ」

「もちろんですとも」

「赤猪子」

「はい」


 晶はじっと赤猪子を見つめた。

 赤猪子は晶の言葉を待った。しかし、晶は首を振っただけで言葉を呑んだ。


「我も会いたがっていたと、陽一に伝えてくれるか?」

「この花を持っていきましょう」


 晶はしばし考えた。どこぞの男が送って来た花だ。陽一が喜ぶとは思えない。


「その花は地上では生きてはいけまい。帰る前に瑠稚阿るちあにでも渡してくれ」

「そう致しましょう」


 赤猪子は素直に頷いた。

 今度、来る時には陽一の写真でも持って来てあげようと思った。




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