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神現れる




「はー」


 女々しいと分かっていても、あきらの事を考えるとどうしてもため息が出てしまう。


 晶と分かれて三カ月。すでに三カ月。

 いや、たったの三カ月か、よく分からない。


 しかし、夜琥弥やくやの暮らす黄泉の国から地球へ戻されて三ヶ月経つが、ハンターがどうなったのか、晶とこの先どうなるか、誰からも音沙汰がなく不安な毎日を過ごしていた。


 唯一確かなのは、スマートフォンに残った晶の写真。ぎこちない笑顔で、白いシャツにデニムのスカートをはいた少女は、紛れもなく存在していた。


「晶…」


 写真を見ると、ついついしまりのない顔になってしまう。ため息か写真、それの繰り返し。


 笹岡ささおか陽一よういちは、ベッドに寝転んでスマホを眺めていたが、体を起こした。


 立ち上がって窓の外を眺める。今は月を見ても胸がざわざわしたり締め付けられたりするような感じはない。空っぽの気持ちを実感すると、再びもやもやと心が塞ぐ。

 ため息をついて窓を閉めようとした時、電柱の明りに照らされて何かが動いた。


「ん?」


 電柱の影に何かいる。陽一はもっとよく見ようと目を凝らした。電柱に隠れた何かは小さくて灰色をしており、ずっと睨みつけていると真っ白の長い尾が見えた。


 猫だった。


 陽一は訝しげに思いつつ窓を閉めてから、部屋の明かりをつけたまま、そっと部屋を出て玄関へ向かった。音をたてないように靴を履いてからドアを開ける。抜き足差し足と猫に近づこうとすると、なんと電信柱の陰で見えなかったが、大柄な男が猫の傍らに立っていた。ものすごく険しい顔つきで猫と会話をしている。


 陽一は、何だか見てはならないものを見てしまった気まずさにその場を離れようとした。ところが、


「あっ!」


 と、大柄な男が気づいて声を上げた。陽一はびくんっと飛び上がった。


「ま、待ってくれ、陽一くんっ」


 男が自分の名前を呼ぶ。どっかでこのパターンあったぞと思ったが、ついに晶に関する何かが起ころうとしているのだろうかと、一瞬、期待した。


 立ち止って相手をちらっと見る。いや、見上げるが正しい。大柄な男は身長が二メートル近くあった。


「だ、誰、あんた」


 思わず身構える。

 髪はぼさぼさ、顏全体を覆う口髭。若いのか年輩なのか、年齢不詳だった。

 こんな男が晶の知り合いのはずがない。

 立ち止らなきゃよかった、と思ったが、男は意外と優しい声で丸い目をしていた。足元では灰色の猫がごろごろ喉を鳴らしてまとわりついている。

 悪い奴ではなさそうだ。


 男は、陽一が逃げないのを見て、ほっとしたようだった。


「あ、お、俺は、佐野さのみことと申す者だ。佐野と呼んでくれて構わない」

「佐野さんですか」

「うん」


 佐野は礼儀正しくお辞儀をした。


「突然、話しかけて申し訳ない。実を云うと、数日前から陽一くんとお知り合いになりたいと思っていて、このかわいい猫ちゃんにお願いしていた所だったんだ」

「はあ…」


 要点がさっぱりだが、頭がおかしい方にプラス一票入った。


「あのー、俺、急いでいるんで…」


 相手をしない方がよさそうだ。くるりと振り向いたとき、猫が目の前に立ち塞がった。はっとして陽一は足を止めた。仕方なく佐野の方へ顔を向ける。


「すまない、猫ちゃん」


 佐野が真顔で感謝した。


「俺はこう見えて、まあ、その…地上の神なんだが、わけあって地上から追いやられそうになっている。人間は信用できない。俺が信用できるのは動物たちだ」


 やっぱり、おかしい。地上の神ってなんだ?


 陽一の頭の中はクエスチョンマークで一杯だ。男は手をもじもじさせると、


「君は、晶の恋人だろう?」


 と、びっくりすることを言った。


「なんでそれを…」


 知ってるんだ、と改めて大男佐野を見つめる。佐野はぽりぽりと頭を描いた。


「ほら、俺、神だから」


 と肩をすくめて見せた。

 神だから何でも分かっているとは思えないが、佐野は住む家がなく困っていると言った。


 そこで、陽一は、神には全然見えない大男を連れて三輪山に連れていくことにした。

 公園や空き家を転々としていると聞いて、すぐに赤猪子の暮らしていた社を思いついた。


「でも、いいのかな……」


 山へ向かう途中、佐野が呟いた。身体のわりに小心者らしい。陽一は苦笑して、心配しなくていいよと伝えた。

 以前は、毎日のように通った三輪山だったが、最近は、月に一度、掃除をしに来るだけだった。


 古ぼけた鳥居の前で一礼してから手を合わせた時、


 ――陽一殿。


 と突然、女の声がした。


「ばあちゃんっ!」


 赤猪子の声だとすぐに分かって思わず叫んだ。

 やっぱりここは月と繋がっていたのだ。


 ――陽一殿、その男が何者か知っていて、連れて参られたのか。


 なんだか、怒ってる?


 後ろを見ると佐野が小さくなっている。


 ――その男は月から追放された荒神。そなたの力で抑えることはできませんぞ。


 どっかで聞いたことのあるような…。


 陽一は佐野を窺った。佐野は赤猪子の声が聞こえているのだろうか。悲しそうな顔だ。


「陽一くん、ここは神聖な場所、やはり俺には無理だ。野宿するから」


 言う割に、背中が丸くおどおどしている。陽一は顔を上げた。


「ばあちゃん。佐野さんは困っているんだ。とにかく入れてくれよ」


 そう言うと、ぴんっと何かが外れた。陽一はほっとして中に入った。


「佐野さんも入ってくれよ」


 促して社へ向かう。不思議な事に、陽一は心が穏やかになっていく気がした。風がなびき、森の奥でかさこそ音がする。気になって森の方を見ていると佐野が言った。


「俺の事を歓迎してくれている…」


 大きな男の目は潤んでいた。社につくと、白っぽい影がえんに立っている。陽一は息が止まりそうになった。白装束に赤袴。


「晶…っ」


 叫んで駆け寄った。


「あ…」


 人影は赤猪子だった。腰に手を当ててこちらを睨んでいる。灰色の髪にしわだらけの姿だ。


「ばあちゃん…」


 がっかりした声を出すと、赤猪子の肩がピクリと動いた。


「久しぶりに会ったというのに、つれないのぉ」


 顔が笑っていない。目は佐野ばかり見ている。


「この度は俺を中へ入れてくださり感謝いたす」


 佐野がお辞儀をすると、赤猪子は顔の筋肉を少し緩めた。


「陛下もお変わりになられましたな」


 それを聞いてギョッとする。


「陛下?」


 赤猪子は膝を突いて恭しく頭を下げた。何が何だかさっぱりだ。佐野は力なく微笑み、陽一を見た。


「赤猪子さんの言うとおりだ。俺は月を追放された。しかし、その償いはした。今は地上の神として崇められていた、と思ったんだがなあ」


 ぽりぽりと頭をかく。


「何があったんですか?」

「簡単に云えばなあ、戦だ。戦を仕掛けられた」

「戦…」

「俺は力がない。本当はすごい神なのに。そこでだ陽一くん、君の力が欲しい」

「はあ?」

「陛下」


 赤猪子が口を挟んだ。佐野ははっと口を閉じた。


「うん…」

「陽一殿、今日はもう遅い。そなたはご自宅へ帰りなされ、陛下の面倒はわしがお世話致すゆえ」

「まことか!」


 佐野の目がきらっと輝いた。


「あー、よかった。今夜は板間で寝なくてはならんのかと案じておった」


 赤猪子は、佐野の言葉に目をぐるーりとまわして呆れた顔をする。

 陽一は、晶のことをいろいろ聞きたかったのに、と不満はあったが、佐野は疲れているようだったし、明日は学校があった。


 現在、陽一は高校一年生である。来月は冬休みだ。それまでに晶と会いたい。

 陽一は仕方なくため息をついた。


「じゃあ、俺、帰るよ。また、様子を見に来るから」


 そう言って自分の部屋に思考を飛ばす。

 エネルギー体を感じない。誰もいない。


 母は、陽一が寝入ったと思っている。

 陽一は、一瞬で真っ暗な自分の部屋へと瞬間移動した。


「かたじけない、陽一くん」


 と、佐野の声が頭に響いた。


 部屋へ戻った陽一はパジャマに着替えてベッドに入った。体がすっかり冷え切っている。来月には十二月で、月日がたつのはあっという間である。


 あの男、佐野は一体何者だったのだろう。

 自分のことを猫に見張らせていたというし、何よりも自分と晶のことを知っていた。

 そして、赤猪子あかいこ。赤猪子が言っていたことも気になる。


「ああ、もう、わけわかんね…」


 息をついてから、寝る前にもう一度、晶の顔を見たいと思い、スマホを出した。


「晶、俺、諦めていないから」


 陽一は眠りについた。



 ×××××



 翌日、目覚ましで目を覚ましてから、部屋が暖房で暖まるまで布団の中で丸まっていた。すると、コツコツと窓の外を叩く音がする。不審に思ってカーテンを開けてみると、スズメが窓をコツコツと叩いていた。思わず、窓を開けるとスズメが飛び込んできた。


「わあっ」


 思わずのけぞると、スズメは机の上に何かを置いてサッと飛び去って行った。


「な、なんだ?」


 おそるおそる机に近づき、スズメが置いて行った物を見ると白い紙切れだった。何か書いてある。


『放課後、やしろに来られたし』


 達筆過ぎて上手いとはいえない文字を見て、すぐに佐野だと分かった。陽一は、顔をしかめた。

 なんとなく嫌な予感がする。自分の目的は晶との再会だが、佐野に振り回されそうな気がしてきた。

 陽一はメモを屑かごへ捨てて制服に着替えた。朝食を食べて準備をして外へ出ると、冷たい空気に思わず寒さに体が震えた。


 高校までは徒歩で行ける距離だった。体を丸めてマフラーでしっかりと首を巻いて歩き始めると、同じ学校の生徒たちがちらほらと見えてきた。同級生たちと挨拶を交わしていると、後ろからポンと肩を叩かれた。振り向くとクラスメートの女子で森口もりぐち七海ななみが立っていた。


「おはよう笹岡くん」

「おはよう」


 陽一は小柄でほっそりとした同級生を見て、この子、こんなに小さかったっけ、と感じた。自分の身長が少し伸びたのかもしれない。じっと見つめていると、森口は眉を少しひそめたが、話しだした。


「今日、委員会があるから放課後残ってね」

「え? 委員会?」

「保健委員よ、私たち」


 森口は肩で小さく息をついた。


「冬休みを前にすることがたくさんあるから、今日はちゃんと参加してね」


 少女はそう言うと、早足に行ってしまった。陽一は、自分が保健委員だったことをすっかり忘れていた。

 社に行くのは少し遅くなりそうだな、と小さく息を吐いた時、バサッと羽音がしてスズメが目の端を飛び去った。どきりとして電線に止まっているスズメを軽く睨んだ。


 今朝の手紙といい、動物に見張られている気がしてならない。もしかしたら今の会話をスズメが聞いて、佐野に報告するかもしれないと考えたが、それより人間の言葉を理解しているのか? とも思う。


「おはよう、陽一」


 同級生の渡瀬わたせ朋樹ともきの声にハッとした。朋樹は、今年の夏に晶たちと一緒にかき氷をしたことをしっかりと覚えていて晶に会いたがっていた。

 しかし、朋樹には、晶は自分の恋人だから手を出すな、と念を押している。


「今日も寒いね」


 朋樹は、マフラーをしっかりと首に巻いて、温かそうな手袋もはめていた。


「さっきのは森口さんだよね」

「うん」

「何話してたの?」


 朋樹がさぐりを入れてくる。陽一はなんでもない風に答えた。


「今日は保健委員があるんだってさ。だから、放課後残ってくれって」

「ああ、委員会か。そっか」


 納得したように何度も頷いている。


「なんだよ」 


 気になって聞き返すと、朋樹はにやにやしながら言った。


「いやー、女子が陽一に声をかけるなんて珍しいから、何かあるのかなって思ってさ」


 陽一は呆れて首を振ると歩きだした。


「なんだよ、ノリが悪いな」


 陽一の頭の中は常に晶のことばかりだ。そんなこと思いもしなかった。


「あーあ、晶ちゃん、元気かな」


 朋樹の呟きを聞いて、ジロリと睨んだ。朋樹は肩をすくめた。


「冗談だよ、陽一の心を代弁してあげたの」

「もう行くぞ」


 見透かされている。


 自分はそんなに単純だろうかと情けなくなってくる。少しは成長したつもりだったのにな、と小さいため息をついた。




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