還る
気がつくと、晶を胸に抱き締めていた。
晶の顔は涙で濡れていた。
陽一はいっそう強く抱きしめると、晶はずるずるとしゃがんで頭を垂れた。
手をついて地面に頭をこすりつけた。
「叔父上、我は、陽一を忘れたくはありませぬ。一緒にいたい。最後のわがままでございまする。せめて、記憶だけは残してくだされ」
「晶…」
「陽一、我はお主が好きじゃ。これまでの陽一郎の誰よりも一番好きじゃ。お主を好きになって幸せじゃった。会えなくても月からずっと見ているから」
「俺も月へ行きたい。ダメか?」
「我はこれまでわがままを通して生きてきた。我にはどうしていいか分からぬ」
「婀姫羅…」
不意に、男の声がして二人はハッと顔を上げた。見ると、慶之介がいた。
「兄上…」
晶がおびえたように、陽一にすがりついた。
「迎えに来たよ」
慶之介が言った。晶は首を振った。
「兄上、今までの身勝手な振る舞いお許しくださいませ。我は、陽一と離れたくありませぬ」
慶之介が困った顔で、夜琥弥を見た。
「慶之介、二人を離せば、晶はきっと涙にくれる毎日を過ごすだろうね」
「叔父上…」
慶之介が呆れたように言って、晶を見た。
「婀姫羅、わたしがお前を苦しめると思うか?」
「え?」
慶之介は静かに近寄り、晶を起こした。
陽一も一緒に立ち上がる。
「陽一、そなたは一旦地球へ還るのだ」
「い、いやだっ」
「話を最後まで聞け」
慶之介に睨まれて、陽一は首をすくめた。
「婀姫羅には一度、月へ還ってもらわねばならぬ。しかし、そなたが婀姫羅を覚えておるのであれば、地球へ行くことを許そう」
「え?」
陽一が目を丸くして口を開けた。
「それってどういうこと? いつ? 明日? それとも明後日?」
「近日ではないのは確かじゃ。そなたが大人になった頃か」
晶が心配そうな顔で陽一を見た。
「陽一、我を待っていてくれるか?」
「当たり前だっ」
陽一は、晶の手を握りしめた。
「俺はお前を忘れない。絶対、何があっても何年でもお前を探し続けるよ。だって、俺のうぐいす姫はお前しかいねえもん」
「陽一…」
晶が涙ぐんだ。
「笑ってくれよ。な、晶」
「分かった」
晶がにこりと笑う。陽一はその笑顔を脳裏に焼き付けた。
「待っているから。俺、生きている限り、お前のことずっと忘れないから」
二人はお互いを見つめると、ほほ笑みあった。
「これで終わりじゃないよ。晶」
「必ず会いに行くから、待っていてくれ、陽一」
晶が云って体をそっと寄せた。
陽一は震える手で晶の細い背中を抱き締めた。
晶はいい匂いがした。柔らかく温かい。
ずっと、抱きしめていたかった。
「さあ、婀姫羅、皆、お前の還りを待っている」
慶之介が晶の肩を抱いて引き寄せた。
「陽一」
晶が見つめている。
陽一が手を振ると手を振り返した。それから、晶は消えた。
一人ぽつんと残った陽一は肩を落とした。
いつ会えるんだろう。けれど、晶は約束した。また、会えるって。
それに、俺…。
自分の気持ちを伝えていなかった。
俺、晶のこと大好きだから。
陽一は心で言った。言ってからひどく照れて頭を掻いた。
この照れくさい告白が届いたかどうか分からないけれど、たぶん、分かってもらえている。
「ねえ、夜琥弥」
鬼が、夜琥弥の袖を引いた。
「早く陽一を地球へ送り届けようよ」
「了解」
夜琥弥が言って、陽一の肩に手を置いた。
「さあ、還ろう、陽一くん」
陽一は、鬼に別れを告げた。
「お前も幸せになれよ、な」
鬼は手を振って、ニッと笑った。
「バイバイ、陽一」
夜琥弥と陽一が消えて、黄泉の国に残った鬼は一人ほくそ笑んだ。
×××××
地上へ戻った陽一は空を見上げた。
月は見えない。新月だからだ。
「じゃあね、陽一くん」
夜琥弥が手を振る。
「あ、待ってください」
「ん?」
夜琥弥が振り向く。
「どうしたの?」
「助けてくれて、ありがとうございました」
深々と頭を下げた。夜琥弥はにこにこして答えた。
「よかった」
それだけ言うと、夜琥弥は消えてしまった。
陽一は家までの道を歩いて帰った。
晶…。
名前を呼ぶ。けれど、彼女はいない。
立ち止ってもう一度、空を見る。
あの空の向こうに晶はいるんだ。
「晶…」
呟いてから何だか恥ずかしくなった。再び、歩きだす。けれど、頭の中から晶が消えることはなかった。
陽一は何度も彼女の名前を呼んだ。
俺は絶対に忘れない。忘れたりしない。忘れるものか、と、晶の名前を呼んだ。
きっと、この声が届いていると信じていた。
俺、必ず会いに行くから。
第1章 終わり




