急
陽一は何も見えないことに不安を感じた。
「真っ暗じゃねえか…。何だよ、ここ」
壁伝いに歩こうとしたが、壁がないので手をつくこともできない。
仕方なく歩きはじめる。
目の前が見えないために、進む速度はかなり遅く、不安で一杯になる。
陽一は息が苦しくなり、大きく深呼吸をした。
「大丈夫だ、絶対に見つけてやる…」
自分を励まして再び前に進む。
ここがどこだか本当は分からない。けれど、望んだのは晶のいる場所だから、きっとここが黄泉の国に違いない。
陽一はとにかく足を進めた。
砂利道だろうか、小石を踏んでいるような感じがするが何も見えないため、つい、ため息が出てしまう。
それからもひたすら歩いた。足がだいぶ痛くなってきたが、陽一は立ち止ることなく歩いた。
「晶っ」
一度、どこかに向かって叫んで見たが、声はすぐに消えた。
再び、ため息が漏れた。
黄泉の国など知らない。
悔しくて口を噛んだ。
その時、目の前の暗闇から、微かな音がした。びっくりして立ち止る。
「誰だ?」
「遅いよ、君は」
夜琥弥の声だった。
「夜琥弥さん…」
陽一がほっとして声の方へ顔を向けると、ぽうっとわずかな明かりで夜琥弥の姿が見えた。その足元に晶がうずくまっていた。
「晶っ」
陽一が叫んで駆け寄ったが、晶は動かない。
夜琥弥が呆れたように笑った。
「君は何を言っているの。この子は晶じゃない、鬼だよ」
「え?」
「晶はここにはいない」
夜琥弥が冷たく言った。
「そんな…」
「晶は知らなかったんだ。自分がどこへ行くかなんて。この子は、姉上が僕にくれた鬼だ。君には渡さない」
夜琥弥はそう言ってしゃがむと晶の肩を優しく撫でた。
晶が顔を上げる。
その頭には小さな角が生えていた。
陽一はアッと声を上げた。
鬼の姿をした晶は、夜琥弥を不思議そうに見上げた。
夜琥弥はにっこりと笑うと、陽一の方に顔を向けて話し始めた。
「僕は生まれたと同時に、黄泉の国を統治するよう定められた。しかし、黄泉の国には誰もいない。姉上は不憫に思ったんだろうね。自分の娘に取り憑いた鬼を僕にやろう、と約束してくれたんだ。でも、晶は、鬼と一緒に死ぬ運命を選んだ。なかなか解放してくれないものだから、僕は、それまでずっと一人で生きてきた。まあ、いろんな世界を自由に動けるから、そんなに寂しいわけじゃなかったけど。でも、鬼がいたら、僕はもっと楽しい人生を過ごせるようになる」
陽一は話を聞きながらも、夜琥弥の話を信じられなかった。
「ま、待てよ、晶の母ちゃんは言ったんだ。俺に、連れて帰って来いって」
「姉上に会ったの。ふうん…」
夜琥弥が意味深に笑った。
「だったら、可能性があるのかもね。僕が欲しいのは鬼だけなんだ。晶だけなら連れて帰ってもいい」
「俺は晶を探しに来たんだ。だから、返してもらう」
陽一が力強く言うと、夜琥弥は肩をすくめた。
「いいよ。けれど、僕も知らないんだ。晶がどこにいるのか」
陽一は戸惑いながら、鬼の方を見た。
「そこにいるのは? 晶じゃないの?」
夜琥弥は首を振った。
「この子は鬼だって、僕、言ったよね」
「そんな…」
陽一は信じられず、首を振る。
「晶はどこに行ったんだよ」
「あたし、知ってるよ」
ふいに鬼が口を開いて、二人はぎょっとした。
「あれ、君、話せるんだね」
夜琥弥が笑う。
鬼は頷いて立ち上がった。
晶にそっくりだったが、体はずいぶん小さく見えた。
人間で言うと、五、六歳くらいに見える。
「連れてってあげるよ」
鬼がにたりと笑った。
鬼の様子を見ていた夜琥弥が尋ねた。
「鬼では呼びにくい。君、名前はなんて言うの?」
「あたし? あたしに名前なんてないよ」
「……名前は後で決めよう。晶を探す方が先だね。いいよ。君たち二人で探しておいで。もし、見つけたら僕を呼んで。そうしたら、すぐに君と晶を月へ還してあげる」
夜琥弥の言葉に陽一は目を潤ませた。
「ありがとう。夜琥弥さん」
夜琥弥は薄く笑った。
「君、少し落ちついて人の話を聞いた方がいいね。それと頭も使わないと、ちゃんと考えて行動するんだ」
夜琥弥の忠告に、陽一は恥ずかしくなった。
「すみません…」
珍しく謝ると、夜琥弥はにこっと笑った。
「さあ、時間がないから」
夜琥弥の姿が消える。
再び、辺りは真っ暗になった。その時、ひんやりとした小さい手が陽一の手をつかんだ。
「お兄ちゃん、さ、行こう」
鬼が引っ張って歩きはじめる。
陽一は、鬼の隣をゆっくりと歩いた。
「ねえ、晶はどこにいるんだ?」
「もう少し先だよ」
「こんなに暗いのに、見えるのか?」
「見えるよ。あたしの目は何でも見えるんだ」
鬼が言った。
陽一は手のひらに食い込む爪に顔をしかめた。
「ねえ、手の爪が痛いんだけど」
「ごめんね」
鬼が言ったが、緩めてはくれなかった。
鬼と陽一は、その後何も言わずに歩き続けた。
だいぶ足が疲れてきた。しかし、小さい鬼は裸足で歩いているのに、何ひとつ文句を言わない。
どれくらい時間が過ぎたのか分からないが、ふいに鬼が立ち止った。
「お腹空いた」
「えっ?」
陽一はぎょっとする。
お腹が空いたと言われても何もない。
「弱ったな、俺、喰いもんなんか持っていないよ」
「お前の指を喰ってもいいか?」
鬼が言った。
「は?」
陽一は聞き間違えたのかと思った。
「今、何て言った?」
「お兄ちゃんの指を食べてもいいか、と聞いたんだよ」
「い、いいわけないだろっ」
陽一は手を離して叫んだ。思わず自分の指先を守る。
「これは喰いもんじゃねえんだ」
「じゃあ、髪の毛でもいい」
陽一の髪の毛は短く切っているので、鬼にあげるほどない。
「これもダメだ。ていうか、俺の体は喰いもんじゃねえの」
陽一が叱ると、鬼は唇を尖らせて泣き出した。
「お腹空いたもん」
陽一はだんだん腹が立ってきた。
「それよりも晶はどこにいるんだよ。そっちの方が先だ」
鬼はあらぬ方を見てツーンとする。
「何だよ、その態度」
「お前、意地悪だ。あたしは子どもだよ。お腹が空いたのに何もれくないんだね」
そう言って、しゃがみ込んで足をバタバタさせた。
「もう、動けないっ」
鬼は駄々をこねた。
陽一は、いらいらとして辺りを見渡した。
真っ暗で何もない。あるはずがない。
「何が欲しいんだよ」
「お前の爪でも髪の毛でも、何でもいい。ちょっとでいいんだよっ」
「俺は痛いのは嫌なんだよっ」
陽一が言い返す。
鬼は顔をしかめた。
「痛いのは当たり前だろうっ」
「だったら、お前が我慢しろっ」
二人は睨み合った。




