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眩暈




 うぐいす姫は、眩暈がして軽く目を閉じた。

 新太郎がすぐに気付く。


「どうした? もう、しまいか」

「まだじゃ…」


 これほどたくさん人間の穢れを吸ったのは初めてである。

 昔は、鬼に心を奪われたが、うぐいす姫は理性を保っていた。

 しかし、すでに体は鬼へと変化している。


 艶やかな髪は干からびて灰色になり、目の色は完全に金色になっていた。角は当然のことだが牙が伸びて、もうおさめる事はできないだろう。


 しかし、うぐいす姫……、晶はこらえていた。


 晶のそばには、ハンターたちが覆いかぶさるように倒れていた。晶が穢れを吸ったおかげで、深い眠りについた者たちばかりだ。


「新太郎殿、この者たちを里へと連れて行ってやるのじゃ。我の力は自分を抑えるのに精一杯で、そこまで及ばぬ。月の使者たちに頼むのもよいが、彼らが心してやってくれるか疑問じゃからの」


 晶の冗談に新太郎は笑わなかった。

 彼は、残った一人のハンターに命じた。


「お前、この眠っている奴らを車に押し込んどけ」

「待てよ、俺はどうなるんだ。俺の穢れもこの鬼に吸い込んでもらいたい」


 若い男が怒鳴った。


「我は逃げぬ。ほれ、こうやって縛られておるからの」

「鬼の言う事は信用できんっ」


 ハンターは噛みつくように言うと、晶の髪をつかんで引っ張った。


「お前を見ていると、胸が悪くなる。本当はこうやってじわじわと殺してやりたい。しかし、この憎しみを生涯背負っていくのは嫌だから、お前の言い分を聞いてやるんだ」


 ハンターは目をぎらぎらさせて勝手な事を言った。

 晶は、鬼が今にも飛びだしそうになるのをぐっと抑えた。


「お主、挑発するでない。我にも限界がある」


 新太郎がそのハンターを睨みつけ、手をどけさせた。


「いい加減にしろ、これほどの穢れをこの女は一人で背負っているんだぞ」


 若い男は唾を吐くと、


「車を取ってくる」


 と、言って外へと出て行った。


 新太郎と二人だけになり、晶はため息をついた。

 まわりは屍のようにハンターたちが床に転がっている。これを見たら、誰でも誤解するだろう。

 晶は苦笑した。

 陽一が見たら、何を言っても信じてもらえまい。


「鬼よ」


 新太郎が晶の顔をのぞき込んだ。

 晶は、鋭く相手を見返した。


「我に近づくな」

「まあ、そんなつれない事を言うなよ」


 にたにたと笑う新太郎を見て、胸が悪くなってくる。


「その顔を我に近づけるな」


 晶が言うと、新太郎が手を上げて、晶の頬を殴った。ハンターが触れるとその皮膚は焼けただれる。


 しかし、晶の体は鬼になりかけており、すぐに皮膚は再生された。


「お前は鬼だ。もう、姿形は鬼そのものじゃないか」

「先ほども申したように、お主、それ以上、我を挑発すると痛い目を見るぞ」


 晶の声がしわがれて、別の声になる。

 新太郎はぞっとして、後ずさりした。しかし、晶の手足が縛られていることを思い出して、近づいて来て囁いた。


「あの巫女はどうした?」

「何?」

石女うまずめだ」


 晶が目をかっと見開く。

 のどが唸る。


「お主、この期に及んで何を云う」

「あの女は美しかった。極上の女。あの女が忘れられない」


 昔、新太郎が、赤猪子に襲いかかる姿を見て、晶の中の鬼が暴れ出した。


「それ以上云うと、お主を殺さねばならぬ」

「その前に俺に殺されろ」


 新太郎の手に握られた刀が晶の肩に落ちた。しかし、鬼の体となっているため、少しの傷しか付けられず、刀はぽきっと折れた。

 新太郎は、倒れているハンターの腰に帯びた短刀をつかみ、再び襲いかかった。


 晶は、無意識のうちに手を動かし、顔をかばった。  そして、いつの間にか紐を引きちぎり、新太郎へと襲いかかった。


 新太郎の悲鳴が耳に届く。

 いけない。これ以上、怒りに我を忘れると、鬼になる。


 晶は手を震わせながら、新太郎から体を引いた。自分の利き手を握りしめ膝をつく。新太郎から目を逸らし、意識を集中させた。


「早う、早う逃げるのじゃ」


 晶は叫んだが、興奮している新太郎には届かなかった。

 彼は刀を持ちかえると、晶へと飛びかかった。


 晶は、できるだけ相手を傷つけまいと体を丸めるた。


 新太郎は、晶の髪をつかみ、短刀を肩へと突きつけた。肩に亀裂が入り血が噴き出した。しかし、再生が早く鬼の体に傷をつけることはできない。


 晶は手を振り払い、新太郎の体を弾き飛ばすと、背後で悲鳴が上がった。


「新太郎さんっ」


 ハンターの女が駆け付けてくる。後ろには陽一が立っていた。晶は目を見開いた。


 なぜ、ここに――。


 女の手には三輪守が握られており、女はすらりと刀身を抜いた。女の体よりもはるかに大きな大太刀を振り上げる。


「許さないっ」


 晶は避けるつもりはなかった。鬼の体を傷つけられるものは、三輪守以外にないと思っていた。振り下ろした三輪守は晶の腕を切りつけた。


「うぐいす姫っ」


 陽一が叫ぶ。

 晶は一瞬、陽一が目覚めたのだろうかと思った。

 記憶は消去されたはず。しかし、晶の体が再生を始めたのを見て、陽一が驚いて後ずさりした。


「ば、化け物…」


 呟いた言葉が胸を突き刺した。


 晶は、三輪守の力を持っても自分を傷つけることができないと知り、愕然とした。


「皆、早う、この場を立ち去るのじゃ。今なら、我が鬼を抑えることができるゆえ」

「何を言っているのっ」


 女は諦めることもせず、晶に挑みかかった。


 晶は――。

 次第に心まで鬼に支配されてゆくのを感じ始めた。

 無意識に体が動く。

 逃げようとする女の手をつかみ、爪が食い込むと血が流れ出した。


 女の顔が痛みに歪んだ。その顔を見て我に返ると、歯を食いしばり女を突き飛ばした。


「沙耶ちゃんっ」


 陽一が女をかばった。


「うぐいす姫、やめるんだっ」

「陽一くん、これを使って」


 女が三輪守を差し出した。

 陽一が受け取ろうとしたが、すぐに手を止めた。


「陽一くんっ」


 女が叫ぶ。


「このままでは皆、鬼に殺されるわ」

「でも…」


 陽一がためらっている。


 晶は、一瞬、意識を失いかけて両手をついた。次に顔を上げた時、鋭い目を向けて四つん這いになると、後ろ足で大きく蹴って二人に襲いかかった。


 陽一の体が吹き飛び、彼は倒れざま頭を抱えた。

 女は弾き飛ばされ、その時、手から三輪守が離れた。

 三輪守は陽一のそばへ落ちた。


「取って…」


 女は頭から血を流し、絞り出すように言った。


「陽一くん、仇を取って、そこに倒れているのはあなたのお兄さんよ、鬼に殺されたあなたのお兄様よ」

「俺の兄き…?」


 陽一はくらくらする頭を押さえて、倒れている男を見た。

 見たこともない、自分とは似ても似つかぬ男だった。





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