破壊
陽一と出会った時から、うぐいす姫は決めていた。
これで終わりにする。ハンターとの諍いも陽一郎との関係も。
そして、自分は――。
どこへ行くのだろう。
うぐいす姫は一瞬だが遠い目をした。
これから我はどこへ行くのか。
魂は永遠に彷徨い、二度と兄や舞にも会えないかもしれない。けれど、それでもよかった。
我は間違ってはいない。
うぐいす姫は御簾の向こうへ陽一を寝かせるとすぐに踵を返し、赤猪子の元へ走った。
まだ、結界は破られてはいない。
うぐいす姫は安堵した。
「おばば」
赤猪子はまだ結界を見据えたままだ。
破られてはいないが、ハンターたちの姿がはっきりと見えた。
暗闇に潜む男、女たちは皆、真っ黒のサングラスをしている。なぜか、あのサングラスは暗闇の中でもこちらがはっきりと見えているらしい。
ハンターからすると、うぐいす姫の姿は月のように明るく見えているようなのだ。
サングラスをつけたハンターたちは、いつでも襲いかかれるように腰を低くして睨んでいる。
「これほどまでにハンターが集結しているのは初めて見る」
うぐいす姫が小さく吐息をつくと、赤猪子がにやりと笑った。
「腕が鳴りますわ」
「おばば、我はハンターを一人も殺すつもりはない。奴らの穢れを吸うつもりじゃ」
赤猪子はこくりと頷いた。
「そうおっしゃると思っていました」
「手助けしてくれるのであろう」
「そのお体、鬼に譲るおつもりで?」
赤猪子が尋ねたが、うぐいす姫は答えなかった。
「わしを呼ばれた理由はよく分かっております。ですが、わしにも意思はありますぞ。姫を消すような真似は絶対にさせませぬ」
うぐいす姫は、赤猪子のそばに寄ると、そっと彼女の肩に手を乗せた。
「姫?」
赤猪子が振り向いて目を見開く。
「我が命じる。三輪守、陽一を守れ」
うぐいす姫の命令に赤猪子の体は硬直すると、大太刀へと変化した。
がたん、と音を立てて床へと落ちた。
うぐいす姫は、大太刀を宙に浮かせ、陽一の眠る神殿へと見送った。
大太刀の姿がなくなると、結界の方へ顔を向けた。手を上げて振り下ろし、結界の糸を解く。
遮る壁が消えて信じられないという顔のハンターたちが後ずさりした。しかし、一人だけ、前へ出てくる男がいた。
「鬼め、容赦せんぞ」
暗闇に浮かぶ白い肌、黒いサングラスをして、鼻筋の通った端正な顔の男、薄情そうな唇の端を上げてにやりと笑い、うぐいす姫に近づく。
声に聞き覚えがあった。
陽一郎の兄の生まれ変わり、新太郎であった。
新太郎の姿を見たうぐいす姫は、目を大きく見開いて納得したように頷いた。
「そうか、お主も生まれ変わっていたのだな」
息を吐いて顔を上げた時、うぐいす姫の顔は笑っていなかった。
「おのれら…」
一同を見渡す。
「ずいぶん、早くこの場所が分かったの。それは如何にして知ったのか」
「知る必要はない」
新太郎はゆっくりと社の方へ近づいて来る。
うぐいす姫は顔をしかめた。
これから、この男と話をしなくてはならない。
うぐいす姫は膝をつくと端坐した。
新太郎が足を止めて眉をひそめる。
「鬼、何をするつもりだ」
うぐいす姫は体を動かさず目線だけを上げた。
「我と取引をせぬか?」
「取引?」
新太郎が目配せをすると、ハンターたちがうぐいす姫の周りを取り囲んだ。
それでも、うぐいす姫は新太郎だけを見つめた。
「我を殺しても、お主らの憎しみは消えることなく、行き場のない怒りを抱いたままであろう。我は、誰ひとり殺したくない。取引というのは、お主らの穢れを全て呑みこんでやろうというものじゃ」
新太郎は驚きで声が出なかった。しかし、すぐに顔を引き締めると、腰に帯びていた刀を抜いて、うぐいす姫の首筋に当てた。
「お前は何を望んでいるのだ」
「我の望みは鬼を消すこと」
「何?」
新太郎がぎょっとする。
「我はまだ鬼と人との境目におる。今なら人として死ぬことができる。鬼に魂を奪われて死ぬのは嫌なのじゃ」
新太郎は少し考えて刀を引いた。
ハンターたちからざわめきが起こった。新太郎が手を上げると、皆が静かになる。
「いいだろう。鬼の望み、叶えてやる」
「かたじけない」
うぐいす姫は、ほっと息をついた。
「さあ、我が暴れぬように手足を縛ってくれ」
両手を差し出すと、新太郎は周りのハンターに目配せした。
ハンターたちはうぐいす姫を縛るつもりでいたのだろう。紐を用意しており、手のひらだけは自由にし、両手首を縛り正座のまま膝を縛った。
「よい」
うぐいす姫は、ほほ笑みを浮かべた。
「さあ、誰から始めよう」
ハンターたちは、笑みを浮かべるうぐいす姫を見て昔を思い出した。
よろよろと年老いた男が近づいた。
「姫さま…」
ハンターは村人だった自分を思い出し、ひざまずいた。
山に住む巫女が穢れを取り除いてくれる。そう言って山から下りて来て下さった。
男は一心で手を伸ばした。
「わしからお願いします。この苦しみを全て取り除いてくだされ」
「主の手を貸しなされ」
うぐいす姫が手を差し出すと、男が皺だらけの手を乗せた。手のひらから穢れを吸収していく。
男の顔が安らかになると、ふわっと体が傾いだ。
「あっ」
新太郎が慌てて駆け寄ると、男は眠っていた。
「案ずるな、この者はもうハンターにはなるまい。我のことも覚えておらぬ」
ハンターたちのざわめきが起こると同時、彼らは一斉にうぐいす姫に手を差し出した。
うぐいす姫の瞳がほんの少し光った。




