発動
目を開けた時、一瞬、ここがどこだか分からなかった。
陽一は目をこすって、幼かった自分の残酷さを思いだした。
「俺、会ってんじゃねえか。うぐいす姫に…」
一人ごちて立ち上がって辺りを窺った。
誰もいない。
とにかく、ここを出て帰らなきゃ。
陽一は体を起こして外を見た。辺りは真っ暗で何も見えない。
ふと、ポケットを探ると、サングラスが出てきた。
「いつの間に…」
沙耶からもらったサングラスは時々、ポケットから出てくるから不思議だ。サングラスの他にスマホもあり、内心、ほっとする。
もしかしたら、うぐいす姫に奪われたかもしれないと思っていた。
陽一は、サングラスをちょっとかけて見た。以前、かけた時、赤い月が見えた事を思い出した。
サングラスをかけると、真っ暗だった世界がくっきりと見える。
生い茂った草木の奥に森が続いており、獣道が見えた。
ドキドキしながら空を見上げると、星のない黒い空に赤い月だけが浮いている。
満月とまではいかないが、満月に近い。
陽一はサングラスを外した。
これがあれば、夜でも自由に動ける。
逃げ出せるかもしれない、と思った時、背後に気配を感じた。さっとポケットにサングラスをしまいこむ。
振り向くと、赤猪子が立っていた。
「起きたか」
陽気に言って、盆に乗せた食べ物を持ってきてくれた。
「まだ、宵の口じゃ。空き腹に酒はきつかったようじゃな」
にやりと笑って、お汁と麦飯を床に置いた。
「何もないよりはましじゃろう」
陽一はお腹がすくのを感じた。
「い、頂きます」
手を合わせて箸を取る。お汁に口をつけた。冷えていたが、優しい味噌の味がした。
「うまい…」
よほどお腹が空いていたのか、陽一は一気に飲み干した。麦飯もおいしい。
がつがつと食べてしまうと、ほっとした。
「若いのお」
ほほほと赤猪子が笑う。
「ごちそうさまでした。あの…」
「なんじゃ?」
「うぐいす姫はどこにいるんですか?」
「姫は、奥で休んでおる」
「あの…」
陽一は、もじもじと体をゆすった。すると、赤猪子が笑う。
「厠かえ?」
「へ?」
厠とはトイレのことだと理解する。陽一はぶるぶると首を振った。
「ち、違いますっ」
「厠なら社の外じゃ」
「だから、違いますって。あの、俺、家に帰りたいんですけど」
「せっかく来たばかりなのに、帰ってしまうのか?」
赤猪子が悲しそうな顔で言った。
陽一は、なんとなく申し訳ない気持ちになってしまう。
「お、俺は陽一郎の生まれ変わりじゃないんですよ、勘違いです」
「陽一郎殿ではないと?」
「ええ」
晶がそう言ったのだから。
「けれど、記憶があるのでは?」
「ないっすよ、俺、何にも覚えていませんから」
「はあ…」
赤猪子が大きなため息をつく。
「そうやって逃げるのか、ずるい男よ」
「えっ?」
赤猪子の険しい顔がぐっと近づいた。
「陽一郎殿」
「近いっすよ、ばあちゃん」
たじたじと陽一は後ろに体を引いた。
「そなた、自分の過去の記憶を他の者の口から聞きたいか」
「は?」
「真実を知りたければ、そなた自身で記憶をたどるのが筋。他の者の言うことをどこまで信じられる」
「それって沙耶ちゃんのことを言ってんの?」
陽一は目を吊り上げると、赤猪子は大きくため息をついた。
「ハンターも真実を告げたであろうが、どこかで曲解しておるはずじゃ、わしはそう思う」
「ばあちゃんは知っているんでしょ?」
「ぬ?」
赤猪子が目をぎょろりとさせて陽一を睨んだ。
「何だと?」
赤猪子の迫力に、陽一は体をすくめた。
これ以上何か言うと、相手を怒らせるような気がしたが、口が滑る。
「思い出したいけど、できないんですっ」
「思い出したくないのだな」
赤猪子は鼻をフンと鳴らした。
「そうか、陽一郎殿は後ろめたいのじゃな」
「何がですか」
つい、むきになってしまう。
赤猪子はじろりと陽一を睨んだ。
「そなた、過去に犯した罪を償うつもりがないのじゃ」
「俺は、そんなひどい事をしたんですか?」
「自分の胸に聞いてみろ」
陽一は自分の胸に手を当ててみたが、変化はない。
赤猪子は、空になった容器を盆に乗せて、手に持つと立ち上がった。
「とにかく、ここなら静かに考えごとができるはずじゃ。限りある時間を大事にして、少しはその空っぽの頭で考えてみなされ」
ひどい言葉を投げつけると、赤猪子は出て行ってしまった。
「何だあれ、空っぽの頭って…」
当たってるけど…。
陽一は自分がアホであることを重々承知していた。
ごろりと仰向けになって天井を見る。
木目を数えているうちに、だんだんと眠くなってくる。
「やべえっ」
言ったそばから頭が空っぽなのを証明しているようなものだ。
陽一は起き上がった。
今度は膝を抱えて考える。
どうして、俺たちは出会ったんだろう。
どうして、俺はうぐいす姫の元へ行かなきゃって思ったのかな。
口に出して考えて見た。
今の自分なりに考えてみようと真剣に思った。




