三輪の巫女
「見えて来た」
うぐいす姫がうきうきと言う。
先ほどから腕に爪が食い込んで痛いのだが、陽一は言えずに薄ら笑いを浮かべた。
「あ、は、はい」
晶は、陽一を人違いだと言ったのに、どういうわけか鬼にさらわれたようだ。
山の奥にぽつんと立つ社の中へ入った時、恐ろしくて体が震えた。暗闇の中に建てられた社は今にも崩れそうだ。
「すぐに祝いじゃ」
黒髪をなびかせ、うぐいす姫がかけ足でどこかへ行ってしまう。
今のうちに逃げ出さなくては。
陽一はあたふたとポケットからスマホを取り出した。
「それは何じゃ?」
突然、ぬうっと横から声がして、陽一は、どたっと尻もちをついた。
「な、ななな…」
声が出ない。
どこから湧いて出たのか、巫女装束の小さいおばあさんがそばに立っている。
腰まである長い髪は真っ白で、皺の数も相当ある。小さい唇をすぼめて、じっとスマホを見つめていた。
「だ、だだだ、誰っ?」
おばあさんはしゃがみ込み、さっとスマホを手に取ると、かざしたり裏返したりとじっくり眺め始めた。
「赤猪子? ここにおったのか」
うぐいす姫の声がして、暗い方から戻ってきた。手には銚子と盃を持っていた。
陽一は眉をひそめた。
何をするつもりだ?
「祝いの酒じゃ、陽一郎が戻ったぞ」
うぐいす姫が陽気に笑っている。おばあさんは大きなため息をついた。
「姫、わしを陽一郎殿に紹介して下され」
「おお、そうであったの」
うぐいす姫は鋭い牙を見せてにっこりとほほ笑むと、
「陽一郎、お主、おばばを覚えておるか? 三輪の巫女、赤猪子じゃ」
と、紹介した。
「アカイコ?」
「赤い猪の子と書きますじゃ」
赤猪子がお辞儀をする。
陽一はつられて頭を下げた。
「陽一です」
「さあ、祝いじゃ。座れ」
うぐいす姫が叫ぶ。
陽一は、うぐいす姫の浮かれぶりにぎょっとした。
すでに酒に酔っているのではないか、というくらいにこにこしている。
赤猪子も胡坐をかいて座りこんだ。
うぐいす姫が、二人の盃に酒を注いだ。
有無を言わさず、呑めと云われた。
「甘い…」
「陽一郎殿は男ぞ、もっと堂々と飲みなされ」
赤猪子がどんどん酒をつぐ。
「あ、あの、ちょっと…」
陽一は困ってしまった。
まだ、自分は十六歳なのに…と思いながらも抵抗できなかった。
すぐに、酒がまわって来て陽一は額を押さえた。
「いかがした? 陽一郎殿」
赤猪子が顔を覗き込む。陽一は頭がぐるぐる回り、何も答えずにそのままひっくり返った。
「あれま」
赤猪子の声がしたが、陽一はもう夢の中だった。




