真実
祖父の家から飛び出し、やみくもに走って、いつの間にか公園に来ていた。
陽一の顔は険しく、晶に言われた言葉に傷ついていた。
どうして晶は自分を嫌うのだろう。
名前が違うから? いや、それだけじゃない気がする。
なぜ自分だけ拒まれるのか理解できずに、苛々しながら砂場の方へ歩いて行った。
辺りはだいぶ暗くなっている。
その時、ベンチに誰かが座っているのが見えて陽一は身構えた。
人がいるなんて思わなかった。
引き返そうと思ったが、ベンチの人間の様子がおかしい。陽一はそっと近寄り、その人物が女の子であることに気づいて慌てて駆け寄った。
「大丈夫? 何かあった?」
話しかけてから、あっと声を上げた。沙耶だった。
「沙耶ちゃん、どうしたのっ? そのケガっ」
腕を切られて血が出ている。
陽一は何か止血できるものはないか探したが、ハンカチひとつ持っていなかった。
「これで腕を縛って」
沙耶が手に持っていた刀で自分のスカートすそを切って差し出した。
陽一はびっくりした。
護身用だろうか? 陽一はぞっとしながらもその布で腕を縛った。
「ありがとう、助かったわ」
沙耶の顔は青白く、たくさん出血しているようだった。
「大丈夫? 救急車呼ぶよ」
「大丈夫よ、応援を呼んだからすぐに誰か来てくれるわ」
沙耶はほっと息をついて、陽一の腕をつかんだ。
「見たでしょ、これはあの鬼にやられたのよ」
「え…?」
陽一は耳を疑った。
「まさか…」
「うぐいす姫に殺されかけたのよ。あなたも見たでしょ? あの鬼を」
「晶はそんな事しないよ…」
陽一は小さく言ったが自信はなかった。
「それに俺、運命の相手じゃなかったし…」
「え?」
沙耶が眉をひそめる。陽一はしょぼんと答えた。
「もういらないって、俺は陽一郎の生まれ変わりじゃないから、会いたくないって言われたんだ」
「嘘…」
沙耶が信じられないという顔をした。陽一はいっそうみじめな気持ちになった。
「あなたはまだ思い出さないのね?」
「だって、俺は生まれ変わりじゃないし…」
「ここに座って」
沙耶が優しく言った。陽一は言われた通り隣に座った。彼女からは血の臭いがした。
「怪我、大丈夫?」
「大丈夫。それより、わたしが知っている事をあなたに話すわ。あなたは間違いなく陽一郎さんの生まれ変わり。うぐいす姫の生贄となった男性よ」
「生贄?」
「聞いて…」
沙耶が囁くように話しだした。
空はだんだん薄暗くなっていったが、陽一は気にしなかった。
うぐいす姫の真実に近づける。
どんなにそれを知りたかったか。
今、沙耶が話そうとしている内容を早く聞きたかった。
「これから話す内容はずっとずっと昔の話よ」
沙耶が体を寄せて、囁くように話し始めた。
「あなたは昔、わたしの婚約者の弟だったの」
陽一は驚いて沙耶を見つめた。
「俺に兄貴がいたの?」
沙耶がこくりと頷く。
「いたわ。彼はうぐいす姫の最初の犠牲者だった。鬼は、見境なく村人を殺して食べ始めた。あの日はわたしが彼の家へ嫁ぐ前日だったわ。月明かりがまぶしい夜だった」
沙耶は遠くを見つめて呟いたが、急に顔を険しくさせた。
「その夜よ。鬼は村へ降りてきて彼を殺したの」
「そんな…」
うぐいす姫が人間を食べたなんて信じられない。
「なぜ? なぜ晶は人間を食べようなんて、そんな恐ろしいことをしたんだ」
「理由なんかないわ。あれは鬼だもの」
沙耶が冷たく言い捨てる。
「あなたは兄を殺された上に、村の人たちを救おうと、一人でうぐいす姫の元へと行った。そして、自分を差し出すから他の村人を殺さないでくれと頼んだの」
「俺が?」
陽一はそのおとぎ話のような話を聞いても信じられなかった。
「鬼はあなたの話を聞き入れたわ。右手を出して」
陽一は言われた通り、右手を差し出した。
沙耶が触れると右手に鋭い痛みを感じて、目をぎゅっと閉じた。
「見て」
次に目を開けると腕の半分が指先にかけて紫色に変色し、腐りかけた右手に変わっていた。
「うわあっ」
陽一は悲鳴を上げた。
「な、何だこれっ」
「それがあなたの右手よ。うぐいす姫は毎夜、あなたの腕だけを切り取って残した後、あなたを殺して食べる毎日を繰り返した。わたしたちがうぐいす姫を退治するまで、それは繰り返されたの」
陽一は吐きそうになり、地面に手をついた。いつの間にか涙があふれていた。
「どうして晶は俺を選んだんだ?」
「あなたは村人のために自分を差し出したの。生贄よ。運命の相手だなんて、そんなロマンチックな話じゃないの」
沙耶が立ち上がり、陽一の右手にそっと触れると手は元に戻った。
「陽一くん、わたしたちがどれほどあの鬼を憎んでいるか分かった? あれは、わたしたちの肉親を殺したの。人殺しが誰にも裁かれずに今もこの現代で、いいマンションで暮らし、のうのうと生きているのよ。働かなくてもいい、おいしいものを食べて悩みもなく苦しみも感じない。そんなの、わたしは絶対に許さない。あの鬼を退治するのがわたしたちハンターの役目なの」
沙耶の怒りは最もだった。
陽一は立ち上がった。
目つきは変わり、今までの陽一ではなかった。
「俺は何をしたらいい? どうやったら晶を殺せる?」
沙耶はその一言を聞いて目を潤ませた。
「やっと、本来のあなたが戻って来てくれた」
――ありがとう。
か細い声が陽一に届いた。
沙耶は、陽一の体をそっと抱きしめた。
「あなたが目覚めるのを待っていたの。ずっとずっと待っていたの」
肩口に頬を寄せると、陽一のシャツが涙で濡れた。陽一は、沙耶を抱き返した。
「俺も手伝う」
「陽一くん…」
沙耶が泣きながら、背中にまわした腕に力を込めた。
「鬼は死ぬ間際にこう言った。わたしたちを絶対に許さない。自分は生まれ変わって、一人残らずわたしたちを皆殺しにする。わたしたちの戦いはまだ終わっていないの」
「あいつ…」
陽一の心は憎しみでいっぱいだった。
あの少女に騙されていた。
あどけない顔で、何も知らないと言う顔で近づいてきて、本当は自分たちを、自分の兄を殺したなんて。
――人殺しを許してはおけない。
「あなたは選ばれし者よ」
沙耶の言葉が甘く囁く。
「俺が?」
できそこないの俺が?
声に出たのか、沙耶は首を振った。
「あなたは出来損ないじゃない。あなたにしかあの鬼を殺せない」
「でも、俺には力なんてないよ」
「あるわ」
沙耶がきっぱりと答えた。
「あなたはあの鬼の居場所を探すことができる。その上、殺すこともたやすい」
――あれを使うのよ。
耳元で囁く言葉。
――あれって?
あなたの中に埋め込んだ黒水晶は本当の力を引き出してくれる。まずは記憶を。そして、持っている力を。
その時、
「どちらが鬼なんだか」
と、静寂を破るように男の声がして、陽一ははっと目を開けた。
「誰っ?」
沙耶が驚いて振り向く。
見ると、暗い木の陰から夜琥弥が現れた。
沙耶は怪訝な顔で夜琥弥を睨んだ。
「誰なの?」
陽一はとっさに沙耶の前に立った。沙耶が陽一の背中にしがみついた。
「誰?」
「晶の叔父だ。気をつけて」
夜琥弥はゆったりと二人に近づき、沙耶を見た。
「ハンターは早く消えた方がいい。僕は今、無性に何かを傷つけたいと思っているから」
沙耶がいっそう強くしがみついた。陽一は、おびえている沙耶を自分へと抱き寄せた。
「そうはさせない」
陽一が言うと、夜琥弥が鋭い目で睨んでくる。
「君は僕の言った事を理解してくれたと思っていたが」
「あんたは晶の叔父だ。ということは、俺たちにとって敵だということだ」
「君はいつから晶の敵になったんだ。目を覚ませ」
「いやだ、もう、あんたらの言うことは聞かない」
陽一が、夜琥弥に目がけて両手を広げた。弱い力だったが、夜琥弥は衝撃波を受けて、後ずさりした。
「やめるんだ」
「いやだ」
陽一はもう一度、夜琥弥に向けて自分の中に流れる力を放出した。
体が自然に攻撃態勢に移る。夜琥弥の動きをじっと見据えながら、暗闇でも目がよく見えた。その時、
「陽一くん、また、会えるわ」
と言って沙耶が消えた。




