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覚醒




 一人で庭へ出た晶は縁側に座ってじっと遠くを見つめた。



 皆に気を遣わせてしまった。しかし、自分が鬼と呼ばれるようになったいきさつは誰も知らない。

 瑠稚婀ですら知らない事実なのだ。

 今ここで、なぜ鬼と呼ばれるようになったのか説明をしろと言われても、できるかどうか自信がなかった。


 ――鬼。


 そう、自分は鬼なのだ。

 今は人の姿をしているが、間違いなく晶は人を喰らう鬼である。


「うぐいす姫さま…」


 突然、庭の方から男のしゃがれ声に、晶は全身が総毛だった。

 目の前に陽一の祖父が立っている。

 先ほど、玄関で出会った時とは違う顔付きだ。


 晶は、息を吸い込んだ。

 祖父の見開かれた目には恐怖が宿っていた。


「お主は…」


 晶は口を小さく開けて目を瞬かせた後、小さく頷いた。


「そうか、翁、お主、覚醒したのだな」

「先ほど、あなた様をお見かけしてから、徐々に思いだしました」

「そうであったか」


 晶は優しい声を出した。


「元気そうだの」


 祖父は、晶の言葉に目を潤ませた。


「うぐいす姫さま、お会いしとうございました」

「うむ」


 晶は頷いた。

 陽一の祖父の姿をした翁は、頭を下げてから力が抜けたようにがくりと膝をついた。

 晶はその一連の動作を黙って見ていた。


「いつか、云わなくてはと思っておりました」


 翁は静かに云った。

 周りの音が何も聞こえなくなる。

 晶は自分がきちんと呼吸できているか、恐ろしさのあまり分からなくなっていた。


「姫さまを鬼にしたのは、このわたくしめでございます。あの日、村の若者の憎しみをなんとかしてほしいと頼んだ事が、あなた様を鬼の姿へと変えてしまいました。いつか、許して欲しいと……。わたくしめの罪を許して下さいませ、と申し上げたかった」


 翁の目からほろほろと熱い涙が流れだす。

 晶は唇を噛みしめ、はるか昔を思い出した。



 彼は、うぐいす姫を育ててくれた養父であった。


 当時、村人たちは翁の元へ相談に来ていた。

 うぐいす姫をただの姫ではないと知っていた翁は、村人の諍いをうぐいす姫に治めてほしいと頼んできた。

 うぐいす姫は快く承知し、力を使って村人の若者に取りついた憎しみを自分の中へ取り込んだ。


 諍いはなくなり平和が戻ったが、それだけでは終わらなかった。

 村人は諍いが起きるたびに翁に助けを求め、うぐいす姫はそれを叶えた。

 一人、また一人と村人から憎しみを取り込むうちに、彼女は穢れに心を奪われ、鬼となり、村人を喰うようになってしまった。


 悪を取りこむたびに、体の中の鬼が暴れた。

 鬼はもっと欲しいと、人間の悲しみを求めた。

 鬼がなぜそれを求めるのか。それが分かればいいのだが、分からなかった。

 鬼に負けてはいけない。

 しかし、鬼は、晶の中に確かにいた。


 晶はゆるゆると首を振った。


「翁よ、お主は何も悪くないぞ。我が全て望んだ事。人々の憎しみは我にとって美味な食事であった。それを押さえることができなんだわ、我の責任」

「いいえ」


 翁は力強く首を振った。


「いいえ、うぐいす姫さま、そんなはずはありませぬ」

「もうよいのだ、翁、お主を長い間、苦しめて申し訳ない。我はとうの昔にお主を許しておる。許しを請うのは我の方じゃ」

「うぐいす姫さま…」


 翁ははらはらと涙をこぼし、喉から声を振り絞って叫んだ。


「ならば、ならば陽一郎を、わたくしの陽一郎を解放して下さりませ」


 それを聞いた晶はうつろに目を上げた。


「あの子が不憫でならんのです。わたくしめのせいで、あの子を巻き込んでしまいました。喰われるべきは、わたくしめでございます。どうか、陽一郎を解放し、わたくしをあの世へ連れて行って下され」


 晶は手をぎゅっと握りしめた。

 陽一郎を喰らうつもりなどない。


 自分たちが生まれ変わるのはそれが理由ではない。

 そう云いたかったが、晶は言葉を呑んだ。


「承知いたした」

「うぐいす姫さま…」


 翁が驚いて顔を上げた。


「我はこれより姿を消す。我にかかわった全ての者の記憶を消すと約束しよう」


 そう云うなり、晶は翁に向かって手を振り上げた。

 翁の身体がふわりと傾ぎ、地面に横たわった。

 晶はそっとそばに寄り、横になる彼の顔に手を当てて呟いた。


「翁よ、我が涙を流さぬとお思いか?」


 小さい呟きは、ほとんど聞こえなかった。





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