5. 自覚する
†
すっかり遅くなってしまった晩御飯。育ち盛りの俺としてはハラペコもいいところなのだが、今夜に限っては俺以上のハラペコが同席していた。
目の前でガツガツとメシをかっ込む人体模型である。
『……! …………!』
器用に箸を操り肉を頬張り味噌汁を飲み干し、茶碗ごとかみ砕きそうな勢いで白米を口の中に押し込んでは、咀嚼したのかしないのかあっという間に呑み込んでまた大皿の料理に箸を伸ばす。
食卓の上から料理が消えて行く様は、圧巻と言うか見ている俺もいっそ気持ち良くなるくらいだった。
「ご飯のおかわり、いるかしら?」
『ふぁい!』
ズビシと突き出された茶碗を受け取った母さんが苦笑する。モケ子の奴、これで四杯目なのだが。どんだけ食う気だ、コイツ。
「…よく食べるのう。見ているだけで胸焼けしそうだわい」
俺の隣に座る、銀髪の少女が呟いた。先ほど飛び出ていた尻尾と狐耳は今は見えない――彼女にとって、この程度の変化の術は朝飯前なのだ。
この銀髪幼女の名前は、銀という。ぱっと見た目は小学校高学年くらいだが、実際は齢一千にも届こうかという妖狐が化けているのである。あの狐耳と尻尾は自前なのだ。
「ごちそうさま」
そう言って俺が箸を置くと、母さんが首を傾げた。
「あら剣斗、今日は小食なのねぇ。体調でも悪いのかしら」
「……いや、充分食ったよ」
「あら、そう?」
小食に見えるのは、眼の前にいる比較対象が鬼のように食べているからだと思う。
「これじゃあ足りなさそうねぇ。結構作っておいたんだけど……何か残ってるかしら」
そう言いながら、母さんは冷蔵庫を覗く。
「モケちゃん、余り物とか冷凍食品ならあるけど、食べる?」
『ヘイホーホクヒン? ハンヘフカホヘ』
モケ子が疑問符を浮かべた顔で俺を見た。つーか口いっぱいに食いもん詰め込んだまま喋んなよ。
「あー、要は食いもんだ。まだ食い足りないか?」
コクコクと勢い良く頷くモケ子。苦笑する母さんが、冷蔵庫から大量の食材を取り出して――結局モケ子は、目をキラキラ輝かせながらその全てを胃に納めやがった。
俺とお銀さんは呆れ顔を見合わせた。数百年の空腹、恐るべし。
†
「……というわけで、連れて来た」
食後。母さんが入れてくれたアイスコーヒーを飲みながらモケ子についてざっと説明を済ませると、ソファに座る狐耳の少女はううんと唸ってモケ子を見た。その当のモケ子はといいうと、グラスの中に浮かんでいる氷に興味津々で、ストローで突いたり矯めつ眇めつしていたのだが、ようやくアイスコーヒーに口を付けた。ストローを使わなかったのは、その使い方が判らなかっただけだと思うんだが。
しかしどうでもいい話だが、こいつ、表情筋が動かせない人体模型のくせに、えらく表情豊かだよな。硝子の目玉をキラキラさせて、全身で感情を表現するからかな。
今もこうしてアイスコーヒー一杯で大騒ぎだ。
『つ、冷たい!?』
驚愕の一言を発したモケ子がこちらを見た。目で語ってくる。冷たいなんて、ありえない。今の季節は夏ではないのか。なのにどうして氷がある?
ハッと何かに思い至ったらしい彼女が、ぽろりと呟く。
『これは――奇跡?』
奇跡ちゃいます。
「いや、お前の驚きはもっともかも知れんが、今はそんなことはどうでもいいんだよ」
モケ子の言葉が本当で、コイツを封印したのがご先祖様だというのだったら、数百年ぶりの世の中はさぞかし豹変して見えたことだろう。モケ子にとってそれはそれで一大事に思えるだろうが、俺ら古部家にとって、そこは重要じゃないんだ。
『しかし、鬼――で、ござるか』
お銀さんの隣に座る、落ち武者姿の首無し幽霊が腕組みしながら尋ねる。
この落ち武者、名前を首無し仁衛門という。見た目の通り戦国時代の侍で、それなりに名の通った若手剣術家であったそうだ。
だが時代の流れは非情なもので、ある時張り切って参加した合戦で、刀を振りまわしていたら火縄銃撃たれて敢え無く死亡。以来の無念を晴らすため、死んで尚剣術修行として日本各地を回っていたそうだ。ちなみに首が無いのは、文字通り首級を奪われたからだとか。こえーな、戦国時代。
なんでそんなのが我が家に居着いているのかは、俺も知らない。物心がついた時には既に居たからな。
親父が深く関わっているはずなのだが、事情を知っているはずの母さんもお銀さんも言葉を濁すばかりで教えてくれないのだ。
その仁衛門が、モケ子の方を見ながら、腕組みして何か考える仕草をしている。
「何か気になることがあるのか?」
『うむ。先ほど玄関ではあまりの“いんぱくと”につい人形姿の方にばかり目が行ってしまっておったが……』
お前、目とか無いじゃんというツッコミは無しの方向で。空気は読まないとね。
仁衛門が語尾を濁したのは、お銀さんが口をへの字にして彼の方を睨んでいたからである。余計なことは喋るな、ということだ。
「今はまだモケ子に、余計な刺激を与えない方が良いからの」
俺は頷いた。全員が暗黙の了解で、我が古部家が布留部剣典の子孫であることは黙っている。それがバレた時、変に記憶が戻ったりして恨み骨髄、暴れ出してもらっては困るからな。
「けど、母さん思うんだけど、モケ子ちゃんが今後人間を襲うことって無いんじゃないかしら。そこのところは心配しなくていいんじゃない」
そう呟くのは、テーブルに着いた母さんである。
母さんの前には無表情を顔に張り付けた市松人形のエリザベート・フォン・マリアンヌ・イチマツがいて、その髪をブラシで梳かして貰っていた。市松人形なのに名前が洋風なのは以前の持ち主の趣味である。愛称はエリィだ。
彼女もまた仁衛門同様、事情があって我が家にやってきた。以来三年ほど経ち、当時は警戒心丸出しだった彼女も今では我が家に打ち解けている。
そのエリィは話に全く興味が無いらしく、その艶やかな黒髪を母さんにポニーテールにしてもらっていた。彼女はその時の気分によっておかっぱ以外の髪形にもするし、和服以外の装いもする世にも奇妙な動く市松人形である。当然髪だって伸びる。
ガングロ金髪女子高生姿になっていた時には文字通り茶を吹いたものだ。
『えーっと、話がよく判りませんが……一応私、人食い鬼のハズなんですが』
と、モケ子。一応ってなんだ、一応って。
すると母さんは、逆に極めて不思議そうな顔をしてみせた。
「だってモケ子ちゃん、あなた、散々食べてたじゃない。それとも今、まだ人間を食べたい?」
『……おお』
ぽむ、と手を打つモケ子。
「おお、じゃねーよ。実は雑食かよテメェ」
俺は今日十回目だかの溜め息をつく。
布留部の子孫として連れて帰ってみたものの、こいつの食人衝動をどうやって押さえればいいのかと思案していたところなのだが、なんてこたない。エサやればいいだけか。
俺の脳裏には、小学校の時遠足で行った動物園が思い出されていた。檻の向こうでは立派な縦髪を持つライオンが大あくびをしてゴロリと横になる姿。幼い俺は落胆したものだ。百獣の王とて野性を失えば、近所で飼われているドラ猫の同類になるのか、と。
鬼もそういう方向で考えればいいのかね。よく判らんが……とりあえずメシさえちゃんと食わせれば、人を襲うという心配だけはしなくて良いようだ。
「母さん、こいつしばらウチにおくけど、いいかな」
『ほえ?』
突然の言葉にモケ子が驚く。しかし人体模型が言葉を紡ぐより先に、母さんは苦笑交じりに頷いた。
「まぁ事情が事情だしね。放り出すワケにもいかないし」
見た目からしてな。人体模型なんかが街中を自動で歩きまわれば、五分で大騒動だ。そう考えるとモケ子が封印の塚とやらから飛びだして俺に会うまでに騒動にならなかったのは奇跡に近い。
いや。改めて考えるとちょっとおかしくないか、それ。
「ところでモケ子、お前、俺と出くわすまでに、他の人間とは遭遇しなかったのかよ」
俺の問い掛けに、モケ子はうーむと唸った。
『それがですね、変なのですよ剣斗さん。封印されていた間に世の中がどう変わったのか判らないので、できるだけ人気の無い場所を選んで歩いていたのですが――三人ほど、でしょうか』
「――会ってしまった奴がいるのか!?」
『ええ』と肯定するモケ子に、俺は内心で舌打ちする。現代社会はネット社会。玉石混交とは言え、しっかりしたソースがあるなら噂が広まるのはあっという間だ。
それは拙いのう、とお銀さんが呟くのが聞えた。
『しかし不思議なことにですねぇ、その人たち全員、私の姿を見ると一様に硬直してしまいまして』
ん?
『私が勇気を出して声をかけてみようとしたところ、突然倒れてしまっちゃったのです』
心底不思議そうに頭を振る人体模型。
『医術の心得の無い私では、倒れた人たちをそっと壁にもたれさせることしかできませんでしたが――みなさん、何か変な持病をもっていたりするのでしょうか』
……んーと。
俺はお銀さんと、顔を見合わせた。母さんも困った顔をしているし、仁衛門の方を見れば、頭も無いくせにそっぽ向きやがった。器用な奴め。
っていうかさ、自分の今の姿に自覚無いんかこのモケ公。
そういや人体模型がなんなのかよくわかっていない感じだったしな。モケ子が生きていた時代に、人体模型なんてあるはずもなし。
コトリ、という音が手元で起きた。一体いつの間にやらそこに居たエリィが、どこから持ってきたのか手鏡を置いた音だ。表情を変えること無き市松人形は、無言で雄弁に語る。実物見せるのが一番手っ取り早いよね、と。
俺もまた無言で同意した。ですよねー。
一つ頷いて感謝の意を示しつつ、俺はその手鏡をモケ子に差し出した。
「何も言わずに自分の顔を見てみろ」
手鏡を受け取るモケ子さん。
無造作に手鏡を覗きこみ。そこに映る物体を理解できないという感じで小首を傾げる。鏡をひっくり返してみたり上下逆にしてみたり鏡の中に向かって手を振ってみたり、顔を近づけたり遠ざけたり、ごしごしと両眼をこすってみたりして、ようやくそこに映っているのが自分の顔だと認識し――
『なんじゃらほーーーーーーーい!?』
素っ頓狂な絶叫を放った。
つか、なんだその驚き方は。斬新だな。