3. 名付ける
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『ほ、本当にお邪魔してもよいのでしょうか剣斗さん……』
と、俺の後ろでおどおどとしている人体模型を振りかえり、俺は声をかけた。
「だから大丈夫だって。ったく、一体何回目だよこのやり取り」
『ええっと、九回目です』
「数えてるんかい」
俺が突っ込むと、人体模型な彼女はエヘンと胸を張った。
『記憶力にはいささか自信がございまして』
この世で最も信用できないもの。
記憶喪失者の記憶力。
「……あー、うん」
サックリ無視して我が古部家の扉を開いた。
『うわぁ、広いお庭ですね』
「それだけしかないけどな」
門の向こうにはちょっとした庭園が広がっていた。実はこれも、ご先祖さまが残してくれた財産の一つだったりする。
近代になって古部と名乗るようになるまで、代々布留部家はこのあたりを治めていた有力貴族に仕える陰陽師だった。
お陰で、それなりの土地を拝領していたということだ。隣接する先ほどの公園も市に貸し出して活用してもらっているだけで、古部名義だったりする。
その公園で出会った人体模型、その出自にご先祖が関わっていると知った俺はさすがに見捨てて行くわけにもいかず、こうして自宅に連れ帰って来てしまったというわけだ。
ちなみに屋敷自体は曾々祖父ちゃんの代で建て替えたものだそうだ。大正時代のものだから、純日本家屋に一部洋風建築となっている。内部はいくらかリフォームされているんだが、外見は当時の流行が色濃く反映されてて、建築の世界では結構有名なんだとか。
「はぁ……」
ガキの頃を思い出すな。園児の頃の俺は、辺りを漂う幽霊を不憫に思って連れて帰ってきたことが何回かあった。ポチとか名前とか付けちゃったりしてさ。んで、親にはこっぴどく怒られるわけだ。
「たまには犬とか猫とか、もっと子どもらしいものをひろってきなさい!」ってさ。
今考えればなんかズレた怒られ方だな。
連れてこられた幽霊連中は感謝しているのやらしていないのやらよくわからない表情で庭の片隅に佇み、ゆらゆらと揺れていたり意味もなく整列して体操座りしていたり超スローモーなフォークダンスを踊っていたりしていたり……というか、以来そういうスポットになってしまったらしく、一部メンツが入れ換わりながらも今でも庭の片隅、古い蔵の陰に幽霊の集団が佇んでいたりするんだけどな。ここからでは見えないんだけど、あっちのほうに。
けど、あいつらも結構かわいいところあるんだよな、呼べばすぐに飛んできたりして。番犬代りに泥棒とか悪霊とか追い払ってくれたりな。
ま、お陰で逮捕された泥棒の証言から、公園横の和風邸宅には出る、という噂が立ってしまい、近隣の住民から我が家は≪お化け屋敷≫という実に正鵠を得た呼び方をされているわけである。
事実だからな、強く否定できないんだよ。
しかしいくら昔の俺でも、さすがにリビング人体模型を拾ってきたことはなかった。
親になんて言われることか、気が滅入るぜ。
「っと、そうだ。忘れてた」
『はい、どうしました?』
おっかなびっくりへっぴり腰で俺の後ろを歩いている人体模型に問いかける。
「お前、名前は?」
う、という感じに人体模型が硬直する。表情が動かないのに、仕草や雰囲気だけで表情が読めるってのは不思議な感覚だな。
ちなみに、俺は彼女を連れてくるに当たって既に自己紹介を済ませている。布留部剣典の縁者というのは伏せておいたが、彼女は深くは考えていない様だった。オツムが作り物だからだろうか?
数秒経って人体模型は降参した。
『……すみません、思い出せません』
「ああ、別に謝ることじゃない。単に確認したかっただけだ」
『確認?』
「呼び名が無いと不便だろ、色々と。だから名前をつけようと思ったんだけどな」
記憶喪失という時点で、自分の名前まで忘れているっていうのは予想できたことだった。今のはその確認だ。それ以上の意味はない。
しかし――自分の名前は忘れているのに、自分を封じ込めた人物の名前は覚えているんだな。それだけに恨みの根は深いと見るべきか。
『名前? 私に?』
顎に人差し指を当てて、カクンと首を傾げる人体模型。
だからいちいちそういうあざとい仕草を見せるなと。
「そうだよお前だよ。昔の名前を覚えているならそれに越したことはないんだけどさ」
さて、名前ね。俺は腕を組んで考えた。コイツはどうやら女らしい。
直ぐにピンと閃いた。さっきビビらされた仕返しにからかってやろう。
「じゃあ、お前、人体模型のモケ子な」
ビシッと指さして宣言してやった。
なんてな。流石に我ながら、モケ子は無い。
ははは冗談だ冗談、女の子なんだし花の名前から取って椿とか桔梗とかどうだ?と続ける前に、うわぁと喜色ばんだ声が上がった。
『モケ子……なんて不思議な響きでしょう……!』
「ははは冗だ――え、あー、え?」
ぎゅっと両手を胸に抱え込んで、表情は変わらないのに瞳には喜びの感情が溢れている。非常に遺憾ながら、その呼び名はどうやら琴線に触れるものがあったらしい。
『モケ子、ああ、モケ子……! 今にもこう、とても素敵なことが起こりそうな、幸福が降り注ぐような、天から祝福されているような、そんな名前です!』
え、ウソ。モケ子、アリなの?
受け入れちゃうとか。
喜色満面の全身で喜びを表現する人体模型から目を逸す俺。素敵な事はきっと起こらないとは思います。だって超テキトーに考えた名前だしね。
こんな飛び跳ねんばかりに喜ばれては今更撤回することもできず、コイツの名前は暫定的にモケ子となってしまったのである。
『ありがとうございます、剣斗さん!!』
俺はモケ子の感謝の視線から目を逸らした。
その、なんだ。
正直スマンかった。