38. 鬼退治 5
†
『な、何とかして環貴さんを救いだすことはできないんですか!?』
そうお銀さんに食ってかかるように叫んだのはモケ子だった。
『私には良くわかりませんが……剣斗さんがあの人のことを助けたいんだって言うことはよくわかります。だったら、あの人は助け出さなきゃ……!』
「モケ子……?」
『あのす、スライム……ですか? あれは、私たちを襲った鬼のなれの果てで、私が封印から解かれてしまったからこんなことになっているんですよね? だったら私は、これ以上誰かがあの鬼の犠牲になることなんて許せないんです! 私、そのためだったらどんなことでも協力します!』
それに、と人体模型に宿る少女は続ける。
『け、剣斗さんは、夜の公園で、私のことを助けてくれました。布留部家の事情があるにせよ、それで私が救われたのは事実なんです! だ、だから私も、剣斗さんや他の誰かを助けてあげたいんです!』
ぼけっと、剣斗はモケ子のことを見上げた。
位置関係から、まるでモケ子の背中に後光が差しているように見える――ツラが酷過ぎるので神々しさは皆無だったが。
モケ子がこんなことを言い出すとは思いもよらなかった。
確かに――モケ子を拾ったのは偶然の出会いがきっかけで、しかもその出自にご先祖様が関わっていると知った上での行動だった。それ以上の他意はなかったし、モケ子に対して何かを求めるつもりも無かった。
自分でも、姉さんを助けることが難しい――というか、お銀さんの知識でもっても不可能なのではないかとすら、心の片隅では思っていた。
けどまさか、モケ子が、真先に環貴のことを助けようと言い出すなんて、全く思ってもいなかった。
もちろんモケ子はきっと何も考えていない。
助けたいと思ったから、無邪気にそう言っただけだ。
海を見たことない人間が海の大きさを想像できないように、この中で最もオカルトの知識に乏しいモケ子には分かっていないのだ。環貴の置かれている現状から彼女を救いだすことが、奇跡を起こすのと等しいとは。
人体模型が一人、駄々を捏ねたところでどうにかなる願いではない。
だがそれでも、昏い絶望に沈んでいく剣斗の心に、ちょっとだけ力を与えるくらいの効果はあった。
どうせ無駄かも知れない。
いや、万に一度の可能性すらないかも知れない。
そしてきっと救助には失敗して、剣斗は環貴をその手に掛けることになる。
そうだ、と剣斗は思った。
間違っても、今の環貴を放置することはできない。
救助できないのであれば、布留部の人間としても、環貴の家族としても、彼女をどうにかしなければならないという決断が下されることになる。それが今すぐか、それとも仕切り直してのことなのかは分からないが――
そうなった時、剣斗は自ら手を下すことを選ぶだろう。
自分が殺してしまった姉を。
自分を助けるためにスライムの核にされてしまった姉の魂を。
そのとどめを、他の誰かに譲るのか?
冗談ではない。
父さんにも母さんにも、お銀さんでも、勿論他の誰かにもその罪業を譲るなど有り得ない。
そして剣斗は、その罪の重さに耐えられず今度こそ潰れてしまうかもしれない。
だが、罪を背負うことなく生きることもまた永遠の後悔に苛まれる道だと、彼は気付いている。
どうせ行き着く場所が同じだったら、一度くらい足掻いてもいいじゃないか。
そのために力を貸してくれるのだったら願ってもない話だ。
だから剣斗は、屹然と立つモケ子に向かって、手を差し出した。
ポカンとして剣斗の手を見るモケ子に、言う。
「頼むモケ子。助けてくれ」
『……はい!!』
人体模型の表情は変わることはない。そのくせに嬉しそうだな。
剣斗は心の片隅で、そんなことを思った。
「頼む由良。手伝ってほしい」
「あら、言われなくても環貴姉さんを助ける手伝いだったら、喜んでやるわよ」
蛍からは澄ました顔で答えられた。
「頼むカナ姉。手を貸してくれ」
「私の手はそんなに役に立たないけど、目だったら役に立つかもね」
差し出された要の手、その甲に開いた目がウインクする。
苦笑しながら剣斗はお銀さんの方を見た。
「頼むお銀さん。姉さんを助けたいんだ」
「……失敗の時は速やかに当初の予定に移る。殲滅じゃ。約束できるか?」
「布留部の魂に誓うよ」
「なれば仕方ないの。布留部の銀狐が、知恵と力を貸してやろう」
「みんな、ありがとう」
心からの感謝の言葉は自然と口を突いて出た。剣斗はただ、頭が下がる思いだ。
さあ、そうと決まればモタモタしている暇はない。
スライムと環貴は、さきほどから殆ど移動していない。ただ何を考えているのかわからない顔でこちらをじっと見つめているのみである。
しかし、いつまでも動かないでいるとも限らない。
環貴を救うと決めた以上、速やかに行動を起こさねばならないのだ。
そのためになら剣斗は、どんなことでもやり遂げる覚悟である。
だから、まずは。
「モケ子、早速頼みがある!」
『はい!』
剣斗がその名を呼び、モケ子は応えた。
「吐いてくれ!」
『はい! ……はい?』
何を言われたのかわからないモケ子が、きょとんとして訊ね返した。
「だから、吐いてくれ。アレを、早く!」
『は、はく、アレ? ……ああ!』
ピンときたモケ子が、腰のポーチに手を伸ばした。そこには、≪純粋熱量≫が小瓶に詰められたものが数本入っている。いざという時の回復薬扱いで事前に用意しておいたものだ。瓶が濃い茶色なので、見た目はまるっきり栄養ドリンクである。
剣斗は≪純粋熱量≫を服用して、消耗したエネルギーを補填したいと言っているのだ。
しかし、
「いや、それ一本程度じゃ全然足りない。手っ取り早く、吐いて直接ぶっかけてくれ!」
『え、ええ~』
「頼む、この通りだ!!」
モケ子が心底嫌がるのを見て、見上げる剣斗は頭を下げた。
まさかの土下座である。
「時間が……早く姉さんを助けたいんだ!」
『で、でも』
「何でもするって言ってくれたじゃないか。頼む!!」
狼狽セシ人体模型ニ土下座スル少年ノ図。
最悪の画である。
ドン引きする周囲を余所に、剣斗はなおも縋り、その必死さにモケ子は折れた。
『し、仕方ないですね……』
「ありがとう!」
そしてモケ子は大きくため息をついた後、自らの口の中に手を突っ込んだ。
『……をえーっぷ』
手を引き抜けばモケ子の中より生じる激流を、剣斗は謹んで頭から浴びる。
マーライオンと化した人体模型と、その口から吐き出される白く淡い輝きを湛えた液体を両手を広げて全身で浴びる少年。
とても酷いものを見た、後に由良と要は口を揃えて証言した。
†
「ふふふ、ははは、あーっはっはっは、ひぃ、あははははは!!」
「いくらなんでも笑いすぎだろ、てめぇ」
いつか夢の中で来た、屋敷の縁側。
並んで座る銀髪で狐耳を生やした男は、心底堪らないと腹を抱えて笑いやがった。
「ひー、お腹痛い。いや、これは笑うだろ誰だって。いくら体力と妖力を回復するためだからって普通頼むか? ≪ゲロぶっかけて下さい≫とか、どんなコアなプレイだって話だよ? 剣斗は童貞だろ? そういうのに興味あるって将来有望すぎないか? 姉さんも姉さんだ、そこは全力で断ろうよ……!」
また笑いが込み上げて来たらしい剣林である。俺は憮然と胡坐に頬杖をついた。
しかし――姉さん、ね。
この場合彼がいう姉さんとは、古部環貴のことではなくてモケ子のことなんだろうな。モケ子やお銀さんの話を聞く限り、二人に面識はないはずだが。
「まったく。俺がわざわざ土下座までして、直接ぶっかけて貰ったのは何のためだと思ってる」
「そりゃ勿論、俺のためだろ」
目の端に浮かんだ涙を拭いながら剣林は答える。つかこいつ、泣くほどツボだったのか。
「剣斗一人分の体力と霊力を回復するだけだったら、小瓶に分けたのを二本も飲めば十分だっただろうな。けども、さっきの暴走で俺の妖力まで使い果たしたからな。でもって、俺の妖力総量は、お前の霊力総量をはるかに上回る」
「悔しいことにな」
さらに言えば、さっきの暴走状態(とその直後のOSHIOKI)のせいで身体ダメージもかなりのものだった。妖力による身体強化の反動で、体中の筋肉や腱にムリが来ていたのだ。
そういった消耗のアレコレを回復するには、モケ子の持っていた小瓶を全部使っても完全回復には届かなかっただろうし、補充の手間を考えれば直接浴びるというのは、まぁ、その、なんだ。良いアイディアだったと我ながら断言できないのは、なんでだろうな。
「まぁいいさ。姉さんを助けるためだったら、泥でもゲロでも被ってやるって決めたから」
「言ってることは勇ましいが、少し情けないな」
「うるせぇ、いいから黙って力を貸しやがれ。でもってさっきみたいな暴走はすンなよ」
「それこそこっちのセリフだ。勢いで覚醒して、調子こいて妖力使って。あそこで力尽きずにダラダラ暴走状態が続いていたら、妖力になじむ前に汚染されて、妖怪化する危険だってあったんだぞ。布留部は確かに半妖の一族だが、間違えるな。お前はあくまで人間で、人間が妖力を扱うのは非常に危険で繊細な作業なんだ」
剣林が、俺を指さした。
「布留部剣斗、お前が主。そして布留部剣林、俺が従だ」
「……おう」
俺を指す指が引っ込められ、代わりに突き出された拳に、俺も拳をぶつける。
「では、力も回復したし行こうか主殿。大切な家族を救いに。安心しろ、妖力を全開にしても、今度はちゃんと制御するから暴走はしないさ」
「おう……ん?」
その言い方だと、さっきは全く制御して無かったように聞こえるんだが……。
俺が疑問の眼差しを向けると、剣林は誤魔化し笑いで答えた。
「いや、すまん。ほら俺、お前の親父の中にいる剣林のコピーだからさ。お前の中にコピーされて以来、妖力使うの久し振り過ぎて……つい楽しくなっちゃってな?」
「な? じゃねーよ!! やっぱ暴走したのって、お前のせいじゃねぇか!!」
「半分くらいはな」
「テヘペロじゃねぇよ、野郎がやっても可愛くねぇんだよ! くそ、あとで絶対説教してやるからな!」
「断固拒否する!!」
そんな縁側で繰り広げられるやりとりを見て、クスクス笑う奴らがいる。
座敷の奥の方は相変わらず陰に入っているため見えないのだが――そこに、誰か数人がいて笑っていやがるのだ。
俺は隠れている奴らに向かって叫んだ。
「テメーらも見てるだけでないで手伝え!」
「はっはっは。まぁ、その時が来たら、いずれな」
「……ったく」
そんな剣林の声を聞きながら、俺の意識は魂の奥底から現実へと帰還した。
†
「……さて、と」
「何が、さて、じゃ」
俺が立ち上がると、ジト目でお銀さんが絡んできた。
その背後には口の端から輝く滴を垂らした人体模型が茫然と座り込んでいる。体育座りだ。
『汚されました。なんかこう、モケちゃん穢れてしまいました。やっぱりやらなきゃ良かった。もうお嫁に行けない……』
俺からはよく聞こえないのだが、なんかブツブツ呟いている。傍目から見て、とても怖い。
「確かにモケ子は何でもすると言いはしたがの、もうちょっと、こう……何とかならんかったのかお主は」
「つってもなぁ。まだまだこれからも闘いは続くんだから、瓶詰の方は使いたくないし」
モケ子はさておき、姉さんだ。
身体の調子を確認しながら、俺は姉さんを睨む。
姉さんは――姉さんを取り込んだスライムは、まだ少し離れた場所からこちらを窺っているだけだ。
「それで、姉さんを助けるためにはどうすればいい?」
「どうもこうもこんな事態は初めてじゃから、何をどうすれば絶対助けられるなんてことは言えぬ。しかし、助けるためには、どう考えてもあの周りのブヨブヨ、邪魔じゃの……要」
お銀さんに呼ばれて、カナ姉が口を開く。
この人だってただ黙って突っ立っていた訳じゃない。ちゃんとその目で、姉さんのことを≪観測≫していたのだ。
「タマちゃんの魂がスライムの核として組み込まれたというのは伝えた通りですが、その内部深くまではまだ妖気に浸食されていないように見えます」
つまりそれは、
「タマちゃん自身の霊核自体はまだ無事かも知れません」
しかし、とカナ姉は続ける。
妖気の浸食自体が姉さんの核まで及べば、もう手遅れだ。姉さんそのものがスライムの本体となり、手遅れになってしまうだろう。
「銀狐さまの仰るように、確実なことは言えませんが。タマちゃんの核を確保し、妖気ではなく霊気で霊体を培養することができれば、あるいは」
「……オーケー、十分だ」
もしかしたら、あるいは、かもしれない。仮定だらけだ。
そこまでやってもうまくいく保証は誰もしてくれない。
でも、話はシンプルだ。
今まで通りスライムの体を削って削って削りまくって、体積を減らしてやる。
その上で姉さんの霊魂を、さらにはその奥にある核を保護する。
どちらにせよ途中までは事前の作戦と変わらない。数回に分けてやる予定だったことを、一度に済ませることになっただけだ。
「よし、行くぜお銀さん」
「応、剣斗こそ遅れるなよ」
俺が一歩を踏み出すと、再び全身に妖力が漲る。魂の奥底から溢れ出す妖気は気脈を駆け巡って、細胞の一つ一つに染み込んで行く。先ほどのような視野狭窄は起こらない。何もかもを巻き込んで爆発するような焦燥もない。しかし、マグマの様な怒りは依然として心の奥底で煮え滾っている。
隣では、お銀さんもまた銀色を帯びた妖気を纏っていた。三本の尾が生え、獣の耳が生え、隠されていた本性が顕わになる。
きっと傍から見たら、今の俺たちは親子――ではなく兄妹のように見えるのかも知れない。
そんな益体も無いことを考えながら、俺は妖気を通わせた刀を振りかぶり、お銀さんはその手にしていた数枚の符を構える。
「さあ、第二ラウンドといこうか」
妖気の斬撃と、破壊の符が放たれた。




