34. 鬼退治 1
†
一夜明けて、朝。
庭で柔軟していると、朝もやの向こうにチラチラと瞬く青白い輝きが二つ。
「おはよう」
『うむ、早いでござるな』
仁衛門である。
瞬いていたのは、彼の傍に浮遊する人魂だ。
『今日は大事な用事が控えているから、稽古はしないかと思っていたでござるよ』
「それも考えはしたんだけどさ、いつも通りの時間に目が覚めて、じっとしているっていう違和感の方が勝っちゃったからなぁ」
もう何年も続けていることだから、完全に習慣となっている。ここまでくれば、サボッたら逆に調子崩すことになりかねない。
一通りの型をやって、身体の動きを確認。調子は悪くない。
愛用の刀を構えて、仁衛門と向き合う。
「…………」
この手にしている刀も、四代目が打った刀なんだよな。
ふとそんな考えが頭を過ぎった次の瞬間、大きく踏み込んだ仁衛門が目の前に、居た。振り被った刀が迫る。
†
シャワーを浴びてリビングに顔を出せば、一続きになっているキッチンのテーブルには母さんが朝ごはんを用意していてくれた。席について味噌汁を啜っていると、よたよたと危な気な足取りでモケ子が入って来た。
見るからに意識が覚醒していない。どちらかと言えば起きたというより夢遊病に近いようにすら見えるんだが。一応挨拶はしてみようか。
「モケ子、おはよう」
『……う~、……あ~』
ダメだこいつ。言語中枢がまだ起動していない。
というかやっぱりまだ眠っているだろ。どうやって起きて動いているのかが気になる。モケ子以外の何かが身体を操作しているってこた無いだろな。
シャケの切り身を解しながらモケ子のことを観察していると、母さんがモケ子の分の朝飯を配膳してた。お椀の中から立ち昇る味噌汁の香りが、湯気と共にモケ子の顔を撫でる――と、モケ子の瞳に光が点った。先ほどのキョンシーもどきではない、意志の輝きである。擬音を当てるなら勿論「キュピィィィン!」という感じだ。
『あら、おはだきます剣斗さん』
箸に手を伸ばしつつ俺に挨拶するモケ子。
「あのなぁ……食いしんぼうのお前にゃ目が覚めた瞬間眼前に朝飯があるのは嬉しかろうが、せめておはようといただきますを一つにまとめて新しい挨拶を造るのは止めれよ」
『んあ? もぐもぐごっくん』
食うのに夢中で聞いちゃいねぇし。
『食事を目の前にしたモケ子どのに、何を言っても無駄でござるよ。それだったら暖簾を押していた方がナンボか生産性が高いのではなかろうかと』
テレビを見ていた仁衛門が皮肉交じりにそう言って来た。まったくだ、と俺も苦笑する。テレビの方に向き直った仁衛門の背中を、俺はチラリと横目で盗み見た。
先ほどの朝稽古――こてんぱんに熨されるのはいつものことだが、今日はちょっとばかり意味が違っていた。
俺が、全く集中できていなかったのだ。
一番最初に、持っていた刀のことを意識したのが拙かった。
そこで見せた隙を突かれたのは、もう言い訳もきかない。だけど、そこから全く立て直しが出来なかったことの方が俺は堪えた。
二戦目、三戦目と回を重ねても動きは一向に良くならない。
むしろ今まで意識せず当たり前にできていたことを意識してしまったせいで、却って動きがぎこちなくなってしまった。そのリカバリーに焦って……その繰り返し。
ドツボに嵌る、その見本の様な嵌りかただったと我ながら思える。
原因ははっきりしている。
四代目の刀、というキーワードから、昨晩のことを思い出した。僅かに揺れるお銀さんの不満そうな瞳。消化不良になって腹の底に溜まっている何か。それらを意識してしまって、心の重心が傾いてしまったのだ。
原因がわかったからと言って、即取り除くことが出来ない類の問題であるってのはやっかいだ。しかも困ったことに、時間は停止してくれない。
こんなことで、今日の戦いは大丈夫なのだろうか。
そんな不安が鎌首をもたげてくる。
『どうかされましたか、剣斗さん?』
「ん? い、いや何も無い」
気がつけば、向かいに座る人体模型に心配までされている始末だ。
……いや、大丈夫だ。別に俺は独りで戦いに挑む訳じゃない。
そんなことを自分に言い聞かせながら、腹の底に沈んでいるモノを無視しようと食事を再開した時、大あくびを噛み殺しながらお銀さんがやって来た。
「おはよう、お銀さん」
『おはようございますー』
「うむ、おはようじゃ……ふぁ」
椅子に座りながら、口元に手を当ててあくびを一つ。
『どうやらお銀さんは寝不足のご様子でございますねぇ』
「そうじゃのう。今日の準備をアレコレしておったら、気がつけば夜も遅くなっておった。正味二時間程しか寝ておらぬでの。正直きついわい。二時間だけじゃしなぁ」
ちらちらコッチ見るなウザイから。
「夜更かしはお肌が荒れる原因だぞ。控えた方が良いんじゃないのか、年齢的に」
俺がそう皮肉を投げかけると、フフンと鼻で銀髪幼女が笑った。
「肌荒れなど、儂の敵では有り得ぬの。先月測った儂の肌年齢、教えてやろうか」
「変幻自在の数百歳児が何をほざくか……」
肌荒れどころか気合い一発狐変身で肌の色まで変えられるくせに。
お銀さんが本気を出せば、年齢だって性別だって人種だって思いのままだ。肌年齢を測って、それが一体何の意味を持つと?
「そうは言うがの、剣斗よ。こんなナリではあるが儂だって女じゃ。ロリババァに限らず女ならばいつまでも美しく若々しくと願うのは古今東西の常じゃぞ」
「つまり?」
「儂が開発した布留部銀狐流美容術にかかれば、肌荒れやシミそばかすなど!」
どんな美容術だ。
あとお銀さん気付いてないけど、キッチンに立っている母さんが聞き耳立ててるのね。チラチラこちらを見て話を聞くように目線で促している。
「……一応聞いておくが、その銀狐流美容術とやらではどう肌荒れ対策するのさ」
「よくぞ聞いてくれた!」
別に好きで聞いたわけじゃない。というか、母さんとお銀さん別に仲が悪いわけでもないんだから、後から自分で聞けばいいのに。
「ではまず、キツネ美顔パックについて説明をせねばなるまいな」
「…………」
なんか符術使うとかそんなかと思っていたら、出ましたよ≪キツネ美顔パック≫。はい、ヤな予感しかしませんね。ちらりと母さんの方を伺うと、メモとペンを手に構えているのに酷く微妙な表情をしてる。
「美白効果のあるキツネ美顔パックはだな、最高級国産大豆だけで作られた薄揚げを、これまた最高級の醤油と出汁で煮込んだものを……」
「わかった、もういい」
「む? やはり男の剣斗では、美白効果の重要性は理解できぬか。しかたないのう。キツネ美顔バックならば絹ごし豆腐もかくやと言われる白さが思いのままだというのに」
いや、煮しめた薄揚げ顔に乗っけることで、どうして肌の染色じゃなくて美白効果が期待できるのかは不思議だが、別に男の俺じゃなくてもその美顔パックの効果は理解してもらい辛いと思うぞ。
だってお銀さんの後ろで、母さんが何も聞かなかったの如く無表情でキッチンに戻っていったもんな。
『ほへぇ……モケちゃん良くわかりませんが、なんだかお銀さんはすごいのですねぇ』
「うむ、そうなのじゃ」
『それで、えーっと。肌年齢でしたっけ? それは測定では一体何歳だったのでしょうか?』
余計なところ突っつくなよ。せっかく話題が流れてくれたのに。
お銀さんは薄い胸を反らして、自慢げに言った。
「聞いて驚け、なんと儂、肌年齢は一歳児と互角だそうじゃぞ! ……どうした剣斗、その微妙そうな顔は?」
「いや別に」
一歳児並とか、逆になくね? つーかガチ過ぎて引くわ。
なんで抜けちゃダメな側に突き抜けてるのさこの残念幼女。
そんな普段とあまり変わらない朝を過ごしているうちに、時間は過ぎていく。間もなく十時という頃になって、玄関のチャイムを鳴らす人たちがいた。
雲璃さんとカナ姉、そして由良だ。
「古部くん、おはよう。来たわよ」
「ああ、ちょっと待ってくれ。丁度今、準備していたところだ」
シルバーカンパニィから支給された、対妖怪戦闘用の装備を整える。ジーンズ、Tシャツと軽装に見えるが、お銀さんと布留部家があれこれ術を仕込んでいるので、これだけで防刃防弾チョッキ並の防御力を誇る。さらに耐衝撃性能と霊的な攻撃に対しても高い耐性を有しているジャケットを着込む。
ウエストポーチには各種道具類。お銀さんから受け取った符も取り出し易い位置に入れてある。愛用の霊刀も差して、準備完了である。由良の方もほとんど同じ格好で、差しているのが刀か畳んだ鉄扇かくらいの違いしかない。
雲璃さんもほぼ同じ格好で、俺の後ろから玄関に出てきたモケ子は、ジャケットはないものの同じくシルバーカンパニィ謹製のTシャツとハーフパンツを纏ってる。若干サイズが合っていないため、キャップを横被りでもすればラッパーみたいだ。
カナ姉は擦れるのが嫌だということで、ジャケットは羽織っておらずポーチも持っていない。どころかジーンズはホットパンツで、生足にスポーツサンダルだ。
大丈夫なのかなぁ、なんて思っていたら、由良が不機嫌そうに
「なにジロジロ要さんの足を見ていらっしゃるのかしら?」
などと言ってきた。
アレで防御力は大丈夫なのかと思っていた、と正直に話したというのに由良からは無表情に「フーン、まぁそういうことにしといてあげる」と言われた。
「ん~、剣ちゃんは脚フェチだったわけかい? だったらここは私と剣ちゃんの仲だ。ジックリとみるがいいさぁ~!」
「カナ姉。ひとンちの玄関先で、脚をスラリと伸ばしてポーズ取らんで下さい。あとお銀さんとエリィ、真似してんじゃねーよ」
いつの間にかカナ姉の横に並んで脚を伸ばすいつもと同じワンピース姿の銀髪幼女と、ミニスカチャイナ服が異常な雰囲気を醸し出している無表情市松人形がいた。体型も服装も雰囲気も表情も全く異なる三人が同じポーズをとっているのだから、不気味なことこの上ない。
『えっと……』
やるかなぁ、と思っていたら、本当にモケ子が並んでしまった。
「あら、ずいぶん楽しそうなことしているわねぇ。私も混ぜてもらっていいかしら?」
「涼子さん!?」
玄関先まで見送りに来てくれた母さんまで並んだ。手にお玉を持って、一体何をしてんだか。
「えっと、古部くん。これは私も並ばないといけないのかしら……?」
「俺に聞くな」
見れば、少し離れた場所で戸惑っている人がいる。雲璃さんだ。
雲璃さんと、お銀さんの視線がぶつかった。
お銀さんが力強く頷く。観念したかのように雲璃さんが応える。ついでに由良の腕も掴んで引っ張っていった。
「えっ、ちょっ、雲璃さん!?」
「許せ蛍。ここは一蓮托生という奴だ」
「だったら古部くんも!」
すかさず俺の事も巻き込もうとしていたので、咄嗟に逃げる。
「いや、ここは女子だけでキめるのがカッコイイと思うんだ」
「ひ、卑怯者ぉ!!」
何とでも言えばいい。
巻き込まれるのはごめんだ。
そんなことをしていたら、庭の方から仁衛門がやってきた。
『見送りに来たでござるよ皆……?』
ポーズを取る七人を見て、仁衛門が固まった。そしてどこからともなくデジカメを取り出し、
「いやそのデジカメ、マジでどこから出したんだよ!?」
『備えあれば憂いなし、という奴でござろう』
「流された!?」
そこにお銀さんが気合いをこめた声で叫ぶ。
「行くぞ皆の者!! いざ、鬼退治じゃ!!」
「『「「「いざ、鬼退治!!!!」」」』」
ピッ カシャッ。
『うむ、良い写真が撮れたでござる』
……なんだこれ。
威勢だけはいいけどさ、なんか俺一人取り残されちゃってる感が半端無い。混ざればよかったかな。
こうして、あらゆる物語を含め、史上かつて無い緩さで俺たちの鬼退治は出発の時を迎えたのである。
まぁ、退治するのはスライムなんだが。
さて、ようやく第五章です。
モケ子の物語これが第一話なのですが、次回更新分で、この第一話で二番目に書きたかった場面にようやく差し掛かります。ええ、ようやくですとも……。
さぁて次回のモケ子さんは……
四国89番目の霊場にてモケ子たち一同を待ち構えていたのは、
メイド服のを纏う四人の少女だった。
今時メイドの恰好でアイドルを目指すという若干手遅れ感漂う彼女たちの目的は、
同じアイドルを目指すモケ子の排除だった!?
メイド「モケ子……あなたたちはここで消えて貰う!」
窮地に陥るモケ子を庇うように立つのは、アイドルユニット「ざ・すけすけ」の片割れであり、姉のモケ乃だった。
モケ乃「モケ子……あなたにはやるべきことがあるはず!ここは私に任せて行きなさい!」
モケ子「モケ乃姉さん……存在をすっかり忘れてたなんて、とても言い出せる雰囲気ではありませんね……」
モケ乃「本音がダダ漏れてる!?」
メイド「酷過ぎる!?」
次回嘘予告 34.モケ乃、咲く前に散る!
乞うご期待。
次回嘘予告。




