表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ベネ・メレンティに祝福を  作者: 美浜忠吉
初めての村の外
4/21

騙される方が悪い

 しばらく村の入り口で苦しみ悶えていたプロクスが回復して立ち上がると、地面に置いていた鞘と腰掛袋を拾って装着し、村の外へと出て、いったん村の方に振り返ってから、小さく頭を下げる。

「それじゃあ行ってきます!」

 プロクスは頭を上げると、再度アブソルトジャスティアの方角を目指して歩き始めた。



 生い茂った緑あふれる平原は見晴らしがとても良く、地平線の彼方がプロクスの目に焼き付いて楽しい思い出の記憶へと還元されてゆく。

 たまに見えるそよ風に揺れる草葉が生い茂る木々も、何も無い平原のアクセントとしてほど良い。


 時には晴天の青空に広がる無数に流れる白い雲を眺め、この世界の広さを実感させられる。

 彼にとって、それはもう楽しい冒険の毎日の始まりでもあるかのようだ。



 そんな自然溢れる光景が続く道を二十分程歩いた先で、麻のドレスを着た娘が五人もの男達に道を塞がれている場面を発見してしまう。


「どうか命だけでも助けてください……なんでもしてあげますから……」

「ダメだ、金も持っとらん奴に用はない。たたっ斬るだけだ!」

「そうだよ、なあ兄貴ー?」

「ああ、間違いねえ」

 夢のような光景を汚い絵の具で塗り潰すかの如く、五人の男は下賤な行為をプロクスの目の前でし続ける。


「あれは……山賊か!? 急いで助けないとあの人が危ない!」

 プロクスが山賊と呼ぶ五人の男が娘を脅す声を聞いたプロクスは、即座に背中の鞘から伝説の剣を抜いて山賊達の元へと駆け出し、真ん中にいる一人の山賊を背中から斬り掛かった。


「やあっ!」

「うげあっ!!」

 斬り掛かられた一人の山賊は力なく地面へと俯せに倒れ、絶命してしまう。


「うわあっ! 五鬼(いつき)がガキに()られたぞ!」

「おい……もしかしてこいつ、遊撃団の一人じゃねえのか……!?」

 突然仲間の一人を斬り殺されたことで焦る山賊達のその言葉に、プロクスは疑問を抱く。


「なんだよ、その遊撃団ってのは……」

「ん? こいつ遊撃団のやつじゃねえのか?」

 筋肉質で背の高い男が、何も知らなそうなプロクスを前にハテナを頭に浮かべていた。


「だったら話は早いよ三鬼(みつき)兄貴、こんなやつやっちまいましょうぜ?」

「そうだな四鬼(しき)よ」


 男達は、自分の呼名に数字と(オーガ)の文字を付けて名前を呼び合っていた。


 一番上の筋肉質で背の高い男は一鬼(かずき)

 二番目に眼光鋭い強面の男は二鬼(ふたき)

 三番目に狡賢い白痴(たわけ)た男は三鬼(みつき)

 四番目に人任せな顔をした男は四鬼(しき)

 五番目に斬り捨てられた男は五鬼(いつき)

 これだけの荒くれ者共が、たった一人の娘の前を立ち塞がっていた。


「なに、全員で一斉に掛かりゃ怖い相手じゃねえはずだ、準備いいかお前ら」

 一鬼のその言葉で他の三人はプロクスの方に向き直り、刃こぼれしたショートソードの剣先を彼に向ける。


「あはは……兵団に入る前のいい特訓相手になりそうだなあ」

 プロクスは特に斬った五鬼を除く四人を前にしても怯えることなく、寧ろ楽しそうで仕方が無い様子であった。


「なんだと?」

「ふざけてんのか、てめえ!」

「お前なんて怖くねーんだよ!」

「罪も無い人を脅かす山賊がぐだぐだと……うるさい!」

 あまりにうるさく吠える四人を前に怒りを覚えたプロクスは容赦なく、四人の荒くれ者達の真ん中に飛び込んで右端にいる三鬼を斬り付けた。


「うげっ、あぶねえ!」

「まずっ、切り込みが甘かったか!」

 だがプロクスの握る伝説の剣は、三鬼のショートソードをガギっと弾いただけで終わり、ショートソードを弾いた反動で手が痺れ、少しの間伝説の剣を握れなくなってしまう。


「くうっ、痺れる……」

「クソが、この野郎!」

 そんな中、左端に居た四鬼が激昂してプロクスの元へ駆け出し、力任せにショートソードをプロクスの左肩目掛けて斬りかかる。


「……はっ!」

「おうっ!?」

 だがプロクスは斬りかかる四鬼の攻撃を咄嗟に右手側にかわし、その山賊の脇腹を蹴り付ける。


「うげえっ!?」

「……てやぁ!」

 それから両手の痺れが大分無くなったプロクスは、力を込めて伝説の剣の柄を握りしめ、脇腹を蹴って怯んでいた四鬼を、頭から真っ二つに斬り裂いた。


「あばばばっ……」

「ひえええ!?」

「ふ、二人も()られただと!?」

「やべえよ兄貴……ここは逃げようよお!」

「そ、そうだな……おまえら引くぞー!」

「てめえの顔なんて二度と見たくねえよコラ!」

 荒くれ者達は妙な捨てゼリフを吐き、どこかへと走り去ってしまった。


「あ、待てよ! 遊撃団のこともっと詳しく……行ってしまったか……まあいいや」

 とにかく逃げる者を追っても仕方が無いと考えたプロクスは、荒くれ者達に襲われた恐怖によって体を小刻みに震わせていた娘の元に近付いていく。


 プロクスは娘に、何も警戒することはなかった。


「あの、大丈夫ですか?」


 プロクスが娘の心配をしていると、唐突に娘が抱き付いてくる。

 娘にいきなり抱き付かれたことで、プロクスは恥ずかしさのあまりに慌てふためいた。


「怖かった……怖かったよお……!」

「ちょ、落ち着いてください! もう終わりましたから!」


 とつぜんの出来事に、プロクスの頭はぐちゃぐちゃに掻きまわされた。

 まるで旅の情景の思い出を、桃色の絵の具で全て塗りつぶされてしまうかのように。


「このまましばらく……いさせてください……」

「えっと……まあいいです……けど。ところでー……あなたは一体どこから来たんです?」


 どうにかぐちゃぐちゃに掻きまわされた頭の中を整理し、プロクスは平静を装ってそう言った。


「はい……もともとワタクシはアウクトル村からやって来たのですが、帰りの道中であの荒くれ者に襲われてしまったもので……うう……怖いっ!」

「ああそうでしたか! ところで……あなたの顔を初めて見た様な気がするんですけど……俺の気のせいでしょうか……あたっ?」


 ふと疑問に思ったプロクスが娘に問いかけた瞬間、彼の背中に針が刺さった様な痛みを覚える。


「そうですね……この際言っておきますけど、別にワタクシはあんなクソど田舎とは一切関係ありませんのでっ!」

 顔を上げた娘は人が変わったかのように怯えるのをやめ、愉悦に浸る表情を浮かべていた。


 それから娘は立ち上がって、地面にへたり込むプロクスを可哀想な物でも見る様な目で見下ろす。


「なっ、お前いったい……あれ、体が痺れて……動かない……」


 プロクスはびりびりと体が痺れ、その場に無様な姿で這いつくばってしまう。


「うふふっ、ワタクシ特製痺れ毒を含んだ針のお味はいかがかしらあ?」

「お前……騙したな……うがっ!」


 痺れながら悔しがるプロクスの頬を蹴っ飛ばして地面に倒し、足で彼の頭を踏み付けてしまう。


「ふふ……残念だけどボウヤ……騙される方が悪いんだよねえ、バーカっ! あはははは!」

「お……お前……!」


 しかも先ほど逃げてしまった三人の荒くれ者達が、人がぽっかり入る大きな荷車を引きながら、この場所へと戻ってきている事に気付いたプロクスに嫌な予感が頭を()ぎる。


 プロクスの元へと戻ってきた三人は、娘に顔を踏まれて倒れている彼を見て、ニヤニヤと嫌見たらしい笑顔を浮かべていた。


「よおう少年、女に顔踏まれて情けない姿してんね。恥ずかしくないの?」

「舐めるなよ屑共が……うが!?」


 悪態をついたプロクスの脇腹に、三鬼は容赦なく蹴りを入れた。


「おっと口の聞き方に気を付けろよおいクソガキ。今のてめえなんて、すぐに殺せるんだからなあおい」

「はあ……はあ……クソ……ついてねえ……」

「おいあんたら、あんま勝手な事してもらっちゃ困るんだよお。あんま傷物にすると価値が下がっちゃうだろう?」

「しかし姉御、こいつオレ達の仲間を二人も殺したんですぜ! 許せねえよオレ!」


 口答えする二鬼の声を聞いた娘の顔が、みるみる内に醜く歪んでいく。


「ほう……この斬鬼ロセウム様に口答えすんのかい……ええコラっ!?」


 娘――ロセウムの鋭い眼光が、荒くれ者達三人の肝をゾッと冷やす。


「と、とんでもねえですぜ姉御! そりゃこんな奴に斬られた二人が悪い! なあ二鬼(ふたき)?」

「そうだよ、四鬼(しき)五鬼(いつき)も弱過ぎんだよ単純に」

「違いねえな、俺も一鬼(かずき)を名乗るギルドの端くれだ。こんな小僧にやられるとは思えねえ」

「あんたら、余計な事言わなくていいからボウヤを縛って荷車に積みな?」

「へい姉御! おい三鬼い、お前初めに荷車引けよおい!」

「はあ? めんどくせえなあ、お前が運べよ二鬼!」

「口答えすんじゃねーよ、おら!」


 ――こいつら、随分と仲が悪いじゃないか。

 舌まで痺れて完全に喋れなくなったプロクスは心の中で、仲違いする山賊達を小馬鹿にしていた。



「おい、早くあんたら二人で運びな! じゃねえと姉御に殺されんぞおい!」


 恐る恐るロセウムの方を振り向いた二鬼と三鬼は、そのあまりにも殺意のある視線を目の当たりにして更に肝を冷やす。


「おし、一緒に運ぼうか三鬼」

「おおそうだな、それがいいな!」


 それから二人が意気投合させて荷車を引こうとしたその時、ロセウムが吠える。


「おいあんたら、肝心の荷物を積んでねえだろうよ!」

「す、すんません姉御!」

「今すぐ積みますんで許してください!」


「おう早くしろ屑どもが!!」

 ロセウムに便乗するかのように叫んだ一鬼の声を聞いて二人はてきぱきとプロクスを縄で縛り、その他の道具と一緒に積み込んだ。それが終わるとロセウムは何食わぬ顔で荷車の中へ入って縄で腕を縛られたプロクスの隣にどさりと座り込んだ。


「ここからアジトまで四時間ぐらい掛かるんだ、あんま姉御を切れさせんなよな、お前らよお」

「あいよ一鬼兄貴!」

「分かってますって!」

 二鬼と三鬼の二人がしぶしぶ引いている荷車の後ろを一鬼は付いていった。



 プロクスは荷車の中で揺られながら脳内を巡らせた。これからどうなってしまうのだろうか、いったいこの先にはどんな地獄が待ち構えているのだろうか、そう何度も何度もぐるぐると。


 そんな過酷な状況を充分すぎる程味わって早一時間、唐突にロセウムがプロクスに話しかけてくる。


「ボウヤ、今の気分はどう?」

「……最悪だね」


 大分体の痺れが無くなってきたプロクスは一言そう吐き捨てる。


「ふふ、だろうね」

「あんたら……ギルドとか言っていたが……何者なんだよ?」


 初めは山賊かと思っていたプロクスであったが、ギルドという単語を一鬼の口から聞いてから、ロセウム達が山賊でない事を確信する。


「あらあんたあ、このワタクシ達の事を知らないの?」

「知らないよ……村には外の情報自体が全然入ってこないし……」

「そう、可哀相にねえ」

「別に……悪者に同情なんかされたくない……」

「まああれよお、ワタクシにも生きる(かて)を稼ぐ必要があるわけだしね?」


 ロセウムは不敵に笑みを浮かべていた。


「それで真面目に生きるやつの邪魔をするのかよ……最悪じゃないか」


 今すぐ殺されてもおかしくない状況の筈なのに、プロクスの信念――正義感が揺るぐ事は無かった。


「ふふっ、その生き生きとした瞳ゾクゾクする……気に入ったわあ……」

「うるさい……」

「ねえボウヤ、折角だからあんたもワタクシ達の仲間にならない? そうすれば、あなたを売り払わなくても済むんだけどお?」

「悪人になるぐらいなら……死んだ方がマシだ……」

「本当に強情な子だねえ……いいわ、そのあなたの無謀な勇気に敬意を表して、ワタクシ達の所属するギルド“アニマ・ケルサス”の事を教えてあげる」

「アニマ・ケルサス……だと……?」


 プロクスはギルドのことが分からずに、頭を捻る。


「そう、ワタクシ達が行うのは人売り――いわゆる奴隷を売るのよねえ。しかも上質なのを」

「なんでそんなこと……」

「ふふっ、上質な奴隷は貴族に高く売れるのよお。それが少女でも少年でもね?」

「嘘だろう……そんなの……あんまりじゃないか……」

「ええ、あんたが憤るのも分かる話だわあ……奴隷達の実情を知らなければね?」

「実情って……なんだよ?」


 ロセウムが何を言いたいのか分からずに、プロクスは鬱憤を溜めてしまう。 

 そんなプロクスの耳元に唇を近付けたロセウムは、こそこそと話し出す。


「あんたにだけ教えてあげるけれどお……上質な奴隷は今もこうして気楽に生きているわあ……」

「はっ、お前まさか……」


 ロセウムの身上を察したプロクスは、怒りよりも先に驚きの方が上回っていた。


「そう、ワタクシもその奴隷の一人だからねえ」

「信じられない……!」


 驚くプロクスを面白がる様に、ロセウムはこそこそと話を続ける。


「あら……ワタクシだって攫われた時点では酷く怯えていたものよ……だって真っ暗な洞窟に放り込まれるんだもの。ただそんな場所でも良かったところは……洞窟内に広がる蛍火が幻想的で綺麗だったという事ぐらいかしらねえ」

「真っ暗な洞窟……か、犯罪者集団らしいアジトじゃないか……」

「うふふっ……まあそれは置いとくとして、もう大分昔の事なのだけど……そうねえ、もう二十年も前になるかしらねえ、あなたはアウクトルを出て行った一家が行方不明になったって話を聞いた事なかったかしら?」


 プロクスは必死に頭の中を巡らせたが、何も思い当たる節は無かった。


「聞いたことないな……」

「そう、まあ二十年も前の話だからねえ。記憶から抜け落ちてても仕方ないわあ」

「いったい……何があったんだよ?」

「あまり面白い話でも無いのだけどね、その一家は田舎に暮らすのが嫌だからって理由で商業盛んで誰でも受け入れてくれる“リーベルタース”まで向かったのよ」

「そうだったのか……」

「ええ、でもその道中でギルドの奴らに両親は殺され、その娘は連れ去られちゃいましたとさ……というワケね」


 その話を聞いたプロクスは、アニマ・ケルサスのやり方と、それをなんとも思ってない様に振舞うロセウムに対して憤った。


「そんなことされて……お前は悔しく……ないのかよ……!」

「……悔しくなんて無いわ、こうやって不自由なく過ごせてるわけだしい」

「そうかよ……。それにしたって……あんたが生き生きとしてるからって理由だけで人を攫うのは……やっぱり間違ってると俺は思う」


 体の痺れがほとんど無くなったプロクスは、ロセウムの顔を汚物でも見るかの様に睨みつける。


「ふふっ! まあ考え方は人それぞれ、ここで分かったのはあなたの信念とワタクシの信念が絶対に絡み合う事はないという事実だけね……寂しいわ、ボウヤ」

 少し寂しそうにしているロセウムの顔を見て、プロクスはなんとも言えない気分を味わってしまう。

「やばいぞ、魔物がでたぞー!!!」


 そんな時、かなり焦る三鬼の声を聞いてプロクスとロセウムは驚愕していた。

 荷車から顔を出さずにロセウムはそのまま三人を問い詰める。


「ちっ、まずいね……おいあんたら! 奴はどんな形してる!?」


 言われて三鬼は、遠くにいる魔物の姿を分析し始めた。


「……なんか粘っこそうにドロドロしてて、透けている感じだ!」


 その姿は全身が水晶の様に半透明で、真ん中に赤く丸い核――赤核が一個あり、かつ粘土のようにうねうねと粘っこく蠢いていた。


「へえ、|泥水晶かあ……これはますますワタクシ、運がいいじゃないの……」


 ロセウムは自信満々に、スカートの中に隠してあったナイフを一本取り出して右手で握り締める。


「おいこの縄を解け、俺も戦うから!」

「バカね。その縄を解いたら、あなた逃げちゃうじゃない?」

「そんな事言ってる場合か! あの魔物はお前一人じゃ手に負えないんだって!」


 泥水晶の話を聞いたプロクスは相当焦っていたが、それを無視してロセウムは荷車から降りた。


「安心なさいボウヤ、こっちは四人もいるんだから楽勝だってえ! おら、怯えてないでさっさと行くよあんたら!」

「おう!」

「姉御の為なら死んでもいい!」

「そうだよ!」


 それから四人は勢いよくスライムの元へと駆けていった。



 四人の気配に気付いた泥水晶が赤核をぐるりと一周させ、ギロリと三鬼を睨みつけるかの如くど真ん中で固定する。


 その瞬間、泥水晶は物凄い速度で三鬼の方へ弾丸の様に跳んだ。


「なにいっ!?」

「くそ早いぞおい!」


 突然の事で避けられなかった三鬼は、泥水晶に体全体を包みこまれてしまう。


「うぐっ、がばごぼごぼっ……!」


 じゅくじゅくと、ものすごい勢いで三鬼の全身がどろどろと溶け出してしまう。

 全身が泥水晶の強酸で焼け爛れ、そこから赤黒い血も噴き出す。だが泥水晶はそれを全て零す事なく受け止め、完全に白骨と化したその後も骨ごと溶かして全てを無かった物にするかの如く吸収する。


 その様子を見ていた他の三人から、魔物に対する言いようの無い恐怖を植え付けられてしまう。


「な、なんじゃこりゃあ!」

「……駄目ね、もう三鬼は助からないわ」


 二鬼はその凄惨な光景を目の当たりにして気分が悪くなり、その場に屈んで吐しゃ物を吐き出してしまう。


「うえええぇぇぇっ!」

「バカ! こんな時に怯んでんじゃな……」


 完全に三鬼が溶けてなくなって透明なゼリー状に戻ったその途端、次は二鬼に向かって飛び掛かり、包み込んでしまう。


「うぇえ……がばごばっ!」


 それによって、三鬼の時の様な悪夢の光景が再現されてしまう。


「二鬼いぃぃぃ!」

「……でやあ!」


 とにかくロセウムは怯む事無く、冷静に捕食中の二鬼ごと泥水晶へと素早く斬りかかった。


「ピギャアアアア!」


 斬りかかった事で泥水晶のゼリーは裂け、その間から服が溶けきってなくなり、全身の肌が爛れて溶けかけた二鬼の残骸がでろりと出てくる。


「おえっ……く、臭え……けど、なんとか効いてるみたいすね姉御……」

「あんたもボサッとしてないで、その剣で攻撃しなさい!」

「あいよ、姉御……!」


 一鬼は臭いを我慢して刃こぼれしたショートソードを両手で握り締め、斬られて怯む泥水晶に向かって力任せに振り下ろした。


「ギャアアム!」

「や、やったぜ……!」


 その一撃は泥水晶を真っ二つに斬り裂き、なんとか倒した――かのように思えた次の瞬間、二つに裂かれた泥水晶はそれぞれ意思を持って、一鬼の頭と右足を包み込んだ。


「むうう!? むううううう!?」

「な、なんだって……!」


 一鬼は頭を包む泥水晶を躍起になって両手で取っ払おうとしたが、逆に両手も飲み込まれて溶かされてしまう。


「むああああああ!!!」


 ロセウムの目の前で泥水晶が包んでいた頭の部分がパチュンと弾け、ゼリー状の物質が紫の脳漿と赤黒い液体で気味悪く染まり、両手の溶けて無くなった腕はだらりと地面に向かって垂れてしまう。


 おまけに右足も溶かされて無くなったせいでバランスを崩してどさりと倒れ、それはもう見るも無残な状態であった。

 そんな悪夢そのものの状況を目の当たりにして、流石のロセウムでも吐き気を催してしまう。


「うぇ……っ! でも……ワタクシだって……あんたみたいな化け物に負ける気はさらさらないんだよ!!!」


 それでもロセウムは血眼になって捕食に夢中になっている二つの泥水晶へ斬りかかった。


 だが泥水晶は更に四つに分かれるだけである。


 そそれからロセウムを囲み、まるで彼女を嘲笑うかの様にポンポンと地面を跳ね始めていた。


「ああ……ワタクシもここでお終いみたいねえ……これも自己満足だけで人攫いをした罰なのかしら……でももう……どうでもいいわあ……疲れちゃった……」


 全てを諦めたロセウムは体の力を抜いて目を瞑り、持っていたナイフを地面に落として座り込み、神に祈るために手を重ねた。



 四人が泥水晶と戦っている間、プロクスは縛られた腕の縄を強引に解き続けていた。


「くそっ、解けろよこの! このやろう! ……よし、緩んできた!」


 必死にもがいて緩んだ縄をプロクスはするりと解き、荷車の中に積んでいた伝説の剣を両手で力強く握りしめ、急いでロセウムの元へと駆け付けた。



 プロクスがその場に立った頃には時すでに遅し、戦意喪失して座り込んで両手を重ねて祈っていたロセウムは、小さくなって四つに分裂した泥水晶にあちこち溶かされながら捕食され、それはもう見るも無残な残骸へと変貌していた。


 その姿を直視するのは到底、プロクスには出来なかった。


「くそ……間に合わなかったか……」

「ギョロ!?」

「ギギギギロ!」


 プロクスの存在に気付いた泥水晶は、そそくさとロセウムの残骸を溶かし始め、即座に食べ尽くしてしまった。

 すると分裂した筈の泥水晶が見る見るうちに集まっていき、あげく合体して元の大きさに戻ってしまったのだ。


「やばっ……!」


 合体した泥水晶は瞬く間にプロクス目掛けて飛び掛かってくる。

 あまりの速さに驚きながらも、彼はなんとか体を反らして避けていた。


「とりゃあ!」

「ギャギャム!?」


 そこをすかさずプロクスは伝説の剣を薙いで、泥水晶を真っ二つに裂いた。

 それでもやはり、泥水晶は真っ二つに分裂するだけで終わり、数が増えるだけで厄介になるだけであった。


「おいおい、こんな奴どうやって倒すんだよ……」


 どうにかして泥水晶を倒す方法を考えたプロクスであったが、どうあがいても思い浮かばなかった。


「だとしたら……切り刻むしかないよなあ!」


 それからプロクスは、泥水晶の攻撃を巧みにかわしながら、正確に泥水晶達を斬り続ける。

 だが、それは彼の体力を消耗するだけで終わり、泥水晶は元の大きな一つの塊に戻ってしまう。


「はあ……はあ……本当に……はあ……やべえな……」

「あいつの弱点は赤い核よ。ちゃんと狙いなさいよバカ」

「だ、誰だ!?」


 その時、どこからともなく聞こえてきた甲高い声の主を一目見ようと、プロクスは泥水晶から目を離してしまう。


「ちょっとあんた、魔物から目を離さないでよ!」

「やば、しまったっ!」


 プロクスがよそ見をした事を良しと思ったのか、泥水晶は凄まじい速度で彼の頭目掛けて飛び掛かっていく。


「ギギギギ!」

「よ、避けられな……」


「はっ!」

「ピギャギャーム!?」


 だが飛び掛かってきた泥水晶はプロクスを包み込むことはなかった。

 何故ならそれは、彼の目の前にボサボサの長い金髪を後頭部の左右に結わうぶっきらぼうな釣り目の少女が、両手に握っていたダガーで斬り裂いていたから。


「ちっ……核は壊せなかったか」

「お、お前誰だよ!」

「今はそんな事気にしてる場合じゃないでしょうが! 死にたくなかったら立ちなさい!」

「あ……ああ」


 すごく不機嫌そうに荒げた少女の声を聞いたプロクスは、急いで体勢を立て直す。


「いい? 本体はあの赤い核よ、あれさえ壊せばこの魔物は死ぬわ!」

「わ、分かった! で、俺はどうすればいいんだ!?」

「とにかく他のかけらの攻撃に気を付けながら赤い核を狙うの、あんたのその身のこなしならできるでしょ?」

「まあ、そうだけど……」


 どうしてそのことをこの少女は知っているのか、それがプロクスにとって気掛かりになって仕方が無かった。


 ――くそ、でも考えていても仕方ない! まずはこの魔物をなんとかしないと!

 そう思ってプロクスは自分の感情を押さえつけ、ただ目の前の泥水晶を倒す事のみに集中した。


「よし……やってやるよ!」

「精々、死なないよう頑張んなさい!」


 その言葉に既視感を覚えたプロクスだが、今はとにかく気にも留めずに泥水晶の赤い核に狙いを定めて斬り掛かった。


「でやあっ!」

「ギャ!?」


 だが赤い核の入った泥水晶は、斬り掛かったプロクスの一閃を素早く避けた。


「ちっ、なんて素早い魔物だ!」

「バカね、ゲンマ・リームス(泥水晶)にそんな大振りの攻撃が当たるわけ無いでしょ……でやぁ!」


 少女は悪態を付きながらも、目にも留まらぬ速さで逃げる赤い核に何度も何度も斬り掛かった。


「ピギャっ!?」

「でりゃりゃりゃりゃ!」


 その中の一閃が赤い核を斬り裂き、その後も核が粉々になるまで少女は執拗なまでに斬り続ける。

 すると泥水晶も他のかけらも動かなくなり、徐々に大地に吸い込まれるかのように溶けて消えてゆく。


「つ、強い……」


 プロクスはその華麗な二刀流のダガー捌きにジッと見惚れていた。


「ふう……」

「あ、あの……お前はいったい誰……いいっ!?」


 突然片方のダガーを顔面に突き付けられたプロクスは、驚きのあまりに妙な声を上げてしまう。


「一言だけ答えて……あんたはギルドの仲間?」

「い、いや違う!」


 キッと睨みつける少女の目を、プロクスは冷や汗を掻きながらも真っ直ぐな瞳でじっと見つめた。

 すると少女の瞳も徐々に落ち着きを取り戻していく。


「はあ……荷車から突然出てきたのを見たからつい疑っちゃったけど、その間抜けな顔の感じだと、あんたは被害者だったみたいね……」


 少女は面倒くさそうにそう言いながら、背中にある数多の|喰い残し(残骸)を親指でくいっと指していた。


「おい……その指し方はやめろよ……死者を冒涜してるみたいだろ!?」


 その態度が気に入らなかったプロクスは、激しく憤る。


「あらっ、あんたまさか偽善者なわけ?」

「そうじゃねえよ! だけどな……そいつらだって一応生きる上では仕方なく……」

「バカじゃないのあんた、よくそんな生半可な気持ちでこんなところにいられるわね?」


 プロクスが話を言い終える前に、少女はその言葉を一蹴した。


「な、何が悪いんだよ!」

「あんたのそのあちこちに付いてる傷痕は誰がやったと思う?」

「それは……」

「間違いなく、そこの人攫い共でしょうが!」


 そこでプロクスは引っ掛かった、どうしてこの少女はこいつらが人攫いだと言う事を知っているのかという事を。


「待て……お前なんで、こいつらが人攫いって知ってんだよ!」

「あんた、つくづくバカね。町や王国じゃ有名な話じゃないの、最近人攫いがこの近辺で出没しまくってるってね? これだから田舎者は困るわ」

「な、なんだと!? お前、村をバカにしてんのか!」

「いえ、バカにしたのはあなたみたいな世間知らずよ」

「言わせておけばこの野郎……例え女だとしてももう容赦はしないぞ!」


 言いたいことを言われ過ぎて遂に堪忍袋の緒が切れたプロクスは、伝説の剣を構えなおして少女に剣先を向けた。


「あら、未開の生き物はちょっと痛いところを突かれただけで剣を振りかざす程に野蛮なのかしら?」

「貴様……その破廉恥極まりない薄着を全部はぎ取ってやる!」


 どうにかしてこの女を懲らしめてやろうと躍起になったプロクスは、ヘソをだした闇の様に黒い黒曜石色の布製ブレストガードと、太ももを隠しただけの露出度高めの白いヒラヒラが付いた黄色い生地のパレオを見て、ついそんな言葉を口にしてしまう。


「あははっ、やれるものならやってみなさいよ変態。まああんたには、あたしに触れる事すら叶わないしょうけど……ね!」

「なに!?」


 少女は泥水晶と戦っている時よりもずっと素早い速度で、プロクスの周りを囲むように回り始めた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ