第二章「特訓」
ある日の放課後、生徒会室にて。
「――はい、はい。……はい。分かりました。失礼します」
携帯電話を耳から離し、深雪は意気消沈した様子でため息をつく。
「――はい。……はい、分かりました。失礼します」
ついで、真希も同じような様子で携帯電話を耳から離し、深雪を見る。
「聞く前から何となく分かるけど、そっちはどう?」
「駄目でした。大会までのスケジュールが完成しているから、と」
「そっちも、か……。ま、当然と言えば当然よね……」
二人は少しでも勝率を上げるための実力を得るべく、近くにある学校に片っ端から練習試合を申し込んでいた。しかし、状況は芳しくない。
報告し合った後、二人は揃って困った様にため息をつく。
「完璧に想定外ね。かつての栄光も錆付くと虚しいものねー」
「仕方ありません。私達が活躍していたのはもう三年も前の事ですから」
実はこの二人、中学時代にはかなり有名な選手だったのだ。全国大会出場は当たり前であり、県内において花札をやっている者ならば知らない者はいなかったほど。それを考慮しての申し込みだったが、現実はそう甘くなかった。
「世間は冷たいわねー。――ま、考えようではラッキーではあるけどね」
一転、気落ちは何処へやら。真希は不敵な笑みを浮かべて言った。
「凛々花さんの事ですか?」
「ええ。あの子の実力を世間が知ったら、放っておかないでしょうからね」
「あの強さで容姿端麗ですからね。マスコミはまず注目するでしょう。それを考慮に入れると、確かに全て破談になったのは幸運と考えられますね」
「でしょ? で、入部してから早いもので一週間になるけど、凛々花はどう?」
真希は会長職と兼業しているため、部活の方にあまり顔を出せていない。故に部員の様子、特に入部したばかりの凛々花の様子は深雪や他の部員から聞かせてもらう以外に知りようがない。実力は申し分無いのだが、心にちょっとした問題を抱えているため、仲間として、先輩として、一人の札士として心配なのだ。
しかし、真希の杞憂を跳ね除けるように深雪は微笑して見せた。
「意識的に禁じていたからか、主観的には意欲的に参加してくれているように見えますね。オカルトじみている事に関しても、皆して現在も揉んでいる事により、耐性が付き始めたようですから、大会では大いに活躍してくれると思います」
「苛め過ぎてないでしょうね? 主に深雪が」
「ご安心を。一線は越えないように心がけているつもりですよ?」
「ほどほどに。でも……末恐ろしいわよね」
真希は凛々花の事を頭に思い浮かべながら言った。
早々に見切りをつけてしまうだけの事はあり、その強さは『次元が違う』の一言に尽きる。入部して早一週間が経過しているが、今のところ負け無しだ。
「だからこそ、自らで禁ずるという結論に至ってしまったのでしょう。幼少期というのは良くも悪くも純粋ですから、深い傷を負えば一生の物となりますし」
「あれだけ露骨だと尚更よね。人格形成にも関わるだろうし――と、それはさておいて。ちょっと面白い話を聞いたのだけれど、聞いてくれないかしら?」
真希は意図的に話題を変える。それを受け、深雪は若干眉を動かした。
「奇遇ですね。私も少しお話したい事があるのですよ」
「そうなの? じゃ、言いだしっぺって事であたしから。――深雪なら紫藤高校の事は知っているわよね? インハイ常連のあそこよ」
「知っていますよ。スカウトの話が来ましたから」
「あ、深雪のところにも?」
「となると、真希のところにも?」
「ええ。ま、丁重にお断りしたけれどね」
「つくづく一緒ですね。して、紫藤がどうかしたのですか?」
「去年の話らしいけど、紫藤の全国大会連続出場を桐生高校が阻止して全国へと駒を進め、全国でもベスト8に輝いたって話よ」
「桐生というと永遠の序列二位と言われていた?」
「そこよ。でね、この話はここからがテンション上がるのよ」
「魔物がいるのでしょう?」
そう言われた真希は一瞬きょとんとした後、若干気落ちした表情で、
「その口振りからして、深雪の話も『桐生の魔物』に関して?」
「ええ。梅原高校の顧問の方が親切に警告してくれました。桐生にだけは練習試合を申し込まないようにしろ、と。あそこには魔物がいるから、とも」
「あたしも似たような事を言われたわ。で――どう思う?」
「真実、そうと呼べるほどの強者だと見ています」
「穏やかじゃないわよね?」
「それほどの事だったのでしょう。実際問題、気になって少し調べたのですが、昨年のスタメンは当時一年生だった五人が在校生達に挑戦状を叩きつけ、見事下克上を果たし、当時のスタメンからその座を奪ってしまったそうですから」
「へえ……。――ふふ。少し離れている間に面白い事になっているみたいね」
真希は楽しげに言った。
深雪も嬉しそうな微笑みを湛え、
「腕がなりますよね。その上、そんな強豪を抑えて全国に行く――ああ……。想像しただけで天に昇れてしまいそうなほどに気持ちが昂ぶってきます」
本当にうっとりした様子で言った。
二人の反応は当然だった。どうせなら派手に活躍しようと思い、始めた事。それがより一層派手になろうとしている。テンションが上がるのは最早必然。
「――でも、こうなると少しでもレベルアップしておきたいところね」
真希は真顔に戻って話を戻した。
「全くです。でないと、私達は高校三年間をふいにしたのも同然ですからね」
深雪もうっとり顔を正し、その話題に乗っかる。
しかし、変えた張本人は肩を竦め、
「ま、そうなったら全力で自業自得だけれどね」
「それは言わないお約束です」
ピシャリと嗜める深雪。
「はいはい。でさ、深雪にある事に関して意見を聞かせて欲しいのよ」
「と言いますと?」
「凛々花のご両親の事よ。あたしは凛々花の実力からして蛙の子は蛙だと思っているのだけれど、どうかしら? 候補にはもちろん浮かんでいるわよね?」
「浮かんではいますが、問題が一つあります。つかぬ事をお聞きしますが、真希は「高嶺」という姓のプロに心当たりがありますか?」
「詰まるところは一緒か……。この件に関してはワンチャン無かったか……」
はあ、と真希はため息をつき、頭を困ったように掻いた。
「そう決め付けるのは少し早いですよ」
だが、納得した真希に深雪はそんな事を言い、こう続ける。
「お忘れですか? 凛々花さんには超個人的な事情で花札に触れまいとしていた事を。そんな事をする子の親です。故に私はある可能性に賭けています」
「ある可能性……?」
「凛々花さん同様、理由があって高嶺姓を名乗っていない、という事です。これに関しては花札界でかなりの力を持っている事が必要になりますが、それに関しては凛々花さんの実力が遺伝的なものだと仮定すればクリア出来ます」
それを聞いた真希は目を丸くし、合点したと指を勢い良く弾いた。
「なるほど。その可能性はありそうね。何せ凛々花の親御さんだものね」
「まあ、鳶が鷹を産んだ、という可能性も当然残っていますけどね」
「うぐ……。もう……何でそういう事言うのよ?」
「この方が期待外れだった時に良いかと思いまして」
「だからって……。……まあいいわ。何にせよ、思い立ったが吉日よ」
「この勝負も勝ちたいものですね」
「全くね」
そして二人は生徒会室を後にし、部室へと向かった。
「――簡単に勝てる方法?」
部室に向かう道中、凛々花は加奈にそんな事を聞かれていた。
「そうっす。何かあれば教えて欲しいんすけど、何かあるっすかね?」
「あるよ」
「ああ、やっぱり無い――って、あるんすか!?」
加奈は本気で驚いた。加奈自身、あるとは全く思っていなかった。
「そんなに驚く事かな?」
「そりゃそうっすよ……。内心駄目元だったっすから。――あ、ひょっとして凛々花みたいにオカルト的ってオチだったりするっすか?」
「その辺は大丈夫だよ。でも、あんまりオススメ出来ない方法って事は先に言っておくね。で、それでも良いなら教えるけど、どうする?」
「うーん……。とりあえず、聞いてから判断するっす」
加奈は少し考え、そう答えた。やるかどうかはさておき、そして実践出来るかどうかはさておき、知っておいてデメリットは無いはずである。
「分かった。極端な話になるんだけど、欲張らずに勝負出来る時はさっさと勝負し、後はそれを50文稼ぐまで繰り返すだけ。ま、結局のところ運に左右されるのは変わらないんだけど、幾らか勝率は上がるはずだよ」
「お、おお……。意外にも超まともな戦法っすね……」
加奈は心底驚いた。何だかんだ言いつつもオカルトチックだろうと思っていただけに、本当に常識的であり、確かに運に左右されてしまうが、それでも初心者にでも十分に実践可能な戦法である事に驚きを隠せなかった。
そう思いかけ、加奈はふとある事に気が付いた。
「でも、それってこいこいの醍醐味を否定するって事っすよね?」
花札のこいこいにおいて、ゲームの続行を宣言するこいこい宣言。それをするかどうかを自分の手札、場札の状態、相手の表情――それらの情報から勝負するか、続行するかを見極めるのが面白いのである。でも、凛々花が言った方法はそれを絶対に行わない戦法である。面白味に欠ける事この上ない。
「そ。だからあんまりオススメしたくないんだよね」
「ま、その戦法じゃそうなるっすよね……。他には何か無いっすかね?」
「他? そうなると後は先輩達に言われているように無闇にこいこい宣言をしない事かな。気持ちは分かるけど、正直言って無謀にし過ぎだもん」
「うぐ……」
痛いところを突かれ、加奈は言葉を詰まらせた。慣れてきて以来、耳にタコが出来てしまいそうなほど言われているが、してはいけないと頭では分かっていても、周りが気持ち良く決めているのでついついしてしまうのだ。
「やっぱりそうなるっすよね……」
「こればっかりはね。私から言えるのはそのくらいかな」
「そうっすか。相談に乗ってくれてありがとうっす」
「どういたしまして」
そこで二人は部室に到着し、加奈が扉を開けた。
「遅い」
入室するや、先に来ていた静香の注意が二人の耳をついた。
「す、すみません!」
「言い飽きたっすけど、静香お姉ちゃんが早過ぎるだけっすよ?」
二者二様の反応を返し、二人は上履きを脱いで畳みにあがり、静香に近づく。
卓袱台に近づき、凛々花が上に乗っている物に気付いた。
「一人こいこいをしていたのですか?」
「五十点」
「じゃあ、残りの半分は?」
「凛々花の真似をしていた」
「常勝って事っすか?」
加奈が座りながら訊ねた。その隣に凛々花は座った。
「そちらではなく、引き分けにする方」
「そっちは無理じゃないっすか? 完全にファンタジーの領域っすよ?」
「相思相愛が成せる技、と言って欲しいね」
「お、ナイス切り返しっす」
「見事」
「言われてばかりじゃいられませんから」
「その意気。――そうそう。二人に言う事がある」
広げていた花札をまとめつつ、静香は言った。
「言う事?」
「何すか?」
「部長と真希さんは用事があるから少し遅れる」
「部長も? って事は裏でコソコソやってるんすかねー」
「そうなの?」
入部して一週間な凛々花が興味本位で訊ねた。
「そうっすよ。凛々花の時も凛々花を入部させるために静香お姉ちゃんを煽って追いかけさせたって、堂々と肯定されたっすから」
「そ、そんな事があったんだ……」
聞かなければ良かった、と凛々花は内心後悔した。
「仕方ない。自分勝手な人達だから」
サラッと毒を吐く静香。
その時、部室の扉が外側から開かれ、
「皆、お待たせ」
「お待たせして済みませんでした」
噂をすれば影というべきか。真希と深雪が揃ってやってくる。
「お二人ともお疲れ様です」
入室してくる二人に凛々花が挨拶した。
律儀だな、と思いつつも加奈もそれに習った。
「お疲れ様っす。時に、お二方。今回は裏で何をやってたんすか?」
「大した事はしていないわ。色んな学校に練習試合を申し込んでいたのよ」
「全部断られてしまいましたけどね」
「レベルアップのためっすか?」
「ええ。で、凛々花さん。その事で少しお聞きしたい事があるのです」
対面に座る凛々花に深雪は話を振った。
いきなり話を振られ、凛々花は面食らう。
「え? 私にですか?」
「ええ。よろしいですか?」
「どうぞ」
「では――あの、こちらの身勝手な想像を押し付ける事になってしまうのですが、凛々花さんのご両親は凛々花さんのようにお強いのですか?」
そう言えばどうなのだろう、と加奈は思い、隣に座る凛々花の言葉を待った。
「強いですよ。二人ともプロで活躍していますから」
サラッと投じられた爆弾発言に凛々花以外の四人はぎょっとした。
「プロって……って事は、凛々花ってサラブレッドって事っすか!?」
「まあそうなるかな。あんまり実感無いけどね」
「凄いっすね!」
「でも、高嶺という苗字のプロなんて聞いた事無い」
静香が話題を進めた。
「あたしと深雪も同じ意見なのよ。で、凛々花。疑う形になってしまうのだけれど、それって本当なの? 本当にご両親はプロで活躍しているの?」
皆の注目が凛々花一人に集まる。まだ一週間と日は浅いが、凛々花がそのような嘘をつくような人間ではない事は、その短い期間でも把握する事が出来た。それ故の疑問。嘘を付いていないならどうして有名でないのか、という事になる。
四人の心境が一体となっている中、凛々花は平然とこう答えた。
「知らないのも無理無いですよ。お父さんもお母さんも「より札士って感じがするから」なんて理由でお母さんの方の苗字を使っていますから」
「なるほど。それでピンと来なかったわけですか」
「なら、ご両親は何て名乗っているのよ?」
「花咲ですよ」
「「「「!?」」」」
その瞬間、四人は電流が走ったような感覚が襲った。
無理も無い。
その名は、加奈のような始めたばかりの初心者は愚か、花札に触れない人でも名前くらいは聞き覚えがあるほどの有名人である。
「り、凛々花……花咲って、あの花咲っすか?」
だから、加奈は再度確認した。
驚かずにはいられない。他の三人も同じ気持ちだった。
驚き冷めぬまま、加奈は言葉を続ける。
「元世界ランキング一位の花咲道風さんと花咲菊花さんなんすか!?」
その二人は花札界において、生ける伝説と言われている。
海外勢が上位を占めるようになって久しかったある時、ぽっと現れた無名の日本人男女が破竹の勢いで勝ち進み、男子花札と女子花札の王者を颯爽と掻っ攫った事で一躍有名になり、今はランキングに関わるような大会には参加していないが、その逸話は伝説となって今尚語り継がれる偉業を成し遂げた二人である。
そんな全ての札士にとっての憧れの的である二人の娘――。
そんな事を告白されて度肝を抜かれるな、という方がかなり無理な話だ。
「うん。私の自慢の両親」
臆面も無い即答に四人は開いた口を閉じられなかった。
信じろ、という方が無理な話である。
あの両親の娘が自分達の目の前にいるなど、到底信じられる事ではない。
しかし、その一方で四人は同時にある事に納得していた。
そんな二人が親ならば、異常的な強さにも一応納得する事が出来た。一度だけとはいえ、無名ながらに世界を制し、震撼させた時の人。その才能をしっかりと受け継ぎ、尚且つそんな人を日常的に相手にしていたならば、それほどの強さを獲得出来るのは何かの手違いが無い限り、当然の結果とさえ言えてしまう必然。
「――いやはや。二度ある事は三度あるとは、まさにこの事ですね」
我に返った深雪がしみじみと率直な感想を吐露する。
他の三人にはそれが何を言っているのかが理解出来た。故に口は挟まない。ここで横槍を入れてしまうと貴重な時間を少しばかり失ってしまう。少しではあるが、大会参加に向けてレベルアップを図らないといけない現状においては、例え僅かだとしても時間の浪費は避けなければならない。
「というわけで、凛々花さん。そんな貴女にお願いしたい事があります」
「お父さんとお母さんに教官役をお願いする、ってところですか?」
「話が早くて助かります。どうでしょうか?」
「可能な事は可能です。大会も近いから忙しいとは思うんですけど、私にやる気にさせてくれた花札部の皆さんに会わせて欲しいと頼まれているので」
「それは重畳――と言いたいところですが、問題があるのですね?」
「そうです。そこで聞きたいんですけど、皆さんは精神面が強い方ですか?」
「精神面ですか……。まあそれなりだと自負はしています」
「あたしもそんな感じね。鉄くらいまでなら言える感じよ」
「私も割と平気。程度によるけど」
「ウチは先輩達に鍛えられて強くなったって自信があるっす!」
「――その言葉、信じて良いんですね?」
最後通牒――誰もがその確認をそう受け取った。
「……敢えて聞きますが、どうしてその確認を?」
「私の両親が絶望的に強過ぎるが故に、皆さんが花札への熱意を失う可能性があるからです。精神面が強いかどうかを聞いたのはそういうわけです」
なるほど、と四人は凛々花の意図を察した。
現時点において凛々花は花札部の中で誰よりも強い。その凛々花が真顔で実の両親に対してそれほどまでの事を言う。それ即ち、間違いなくそれ相応なのだ。
「……参考までにお聞かせ願いたいのですが、凛々花さんの勝率は?」
「最近ようやく一勝する事が出来ました」
「い、一勝って、凛々花がっすか!?」
「どんだけ強いのよ、凛々花の親御さんって……」
「生ける伝説は伊達ではない……」
「――でも、この好機を逃す手はありません」
三人が驚く中、深雪はきっぱりと方針を告げ、皆を見渡し、言葉を続ける。
「身内である凛々花さんがここまで言うのでしたら、その言葉は間違いなく真実であり、生半可な気持ちで挑んだならば、凛々花さんが危惧している事が起こってしまうでしょう。何せ相手は一度とは言え、世界を制した覇者です」
しかし、と深雪は一度区切り、力強く尚も言葉を続ける。
「私達はきっかけこそ夢見がちな妄言でしたが、今は一心同体となって同じ目標に向かって歩いています。この気持ちがあれば、私達は誰一人として欠けず、この試練を乗り越えられると私は思います」
「もちろんよ。そもそも断る理由が無いって話よ」
「うん。断る理由が無い」
「何せ、何かを掴めたらレベルアップ間違い無しっすからね!」
深雪の後に真希、静香、そして加奈と前向きな答えを言った。
皆の意思を受け取り、凛々花は嬉しそうに笑う。
「――皆さんならそう言ってくれると思いました」
「という事は、教官役を頼んでもよろしい、という事でしょうか?」
「そのつもりです。ただ、ここまで空気が温まってきたところでこういう事を言いたくは無いんですが、お父さんもお母さんも多忙を極めているんで、都合が付かない場合がある事を予めご了承ください」
「重々承知しています。大会も近くなってきた事ですしね」
「急な話だものね。でも、なるべく早い回答を頼むわ。出来れば、週末までに」
「それは今日の夜くらいに出来ると思います」
「だったら嬉しいけれど、そんなに急がなくてもいいわ」
「その辺は宛てがあるのでご心配無く」
「そ。じゃ、教官役の件、よろしく頼むわ」
「では、話も決まった事なので部活動を始めましょうか」
そんな鶴の一声で部活動は再開された。
その日の夜、高嶺宅にて。
「――というわけなんだけど、どうかな? お父さん、お母さん?」
凛々花は皆によろしく頼まれた事を両親に報告していた。
報告の仕方はインターネット電話を利用したテレビ電話である。凛々花の両親は仕事で多忙を極めているが、夜の二十二時くらいには例え仕事中でもそれを中断し、凛々花の近況を聞くために連絡を取るようにしているのである。
『もちろん引き受けるよ。なあ、母さん?』
『ええ。他ならぬ凛々花の恩人の頼みだもの。何を置いても引き受けるわ』
予想通り、画面向こうの両親はあっさりと了承してくれた。
「ありがとう。じゃ、細かいところを決めていこうと思うけど、何時なら平気かな? こっちとしては大会前に出来ればお願いしたいんだけど」
『なら、今週末だね』
『ええ。今週末ね』
「…………」
凛々花は驚きのあまり、思わず黙り込んでしまった。
優先してくれるのはありがたい限りだが、両親には両親の都合がある事を重々承知している。それにも関わらず、そんな急で大丈夫なのだろうか。
『心配は要らないよ。なあ、母さん?』
『ええ。だから、凛々花。安心して皆さんにそう伝えて頂戴』
「ほ、本当なの? 本当に大丈夫なの?」
『ああ。実は僕も母さんも『折角娘さんがやる気になったのだから休みを取って親子水入らずで休日を過ごしたら良い』と言われていてね。とまあ、そういうわけだから、その気になればまとまった休暇は何時でも取れるからね』
「そ、そうなんだ……。何か物凄くアットホームなんだね、花札界って」
『ま、花札バカの集まりだからね』
「また身も蓋も無い事を……」
『でも、残念。それが真実なのよ。――ところで、凛々花。その件についてちょっと思いついた事があるのだけれど、聞いてくれるかしら?』
その時、凛々花の脳裏に果てしなく嫌な予感が過ぎった。
自分の母だから知っている。こういう前置きをする時の母は、決まってとんでもない事を言い出す事を。それはもうこれまで幾度と無く、誕生日が来る時にサプライズとして仕掛けられているので骨身に染みている。
「良いけど、いつもみたいなドッキリは止めてよね?」
『サプライズと言いなさい。で、話を戻すけれど、大した事ではないわよ。単に土日を利用して短期の合宿を開いてみるのはどうかな、と思ったのよ。全国を狙うなら少しでも長く私達と戦う事は良い経験になると思うし。どうかしら?』
「あ、いいね。それ」
そこまで頼めないな、と思っていた凛々花としては、両親からそういう提案をしてくれた事は渡りに船だった。それにそういう事ならば、最悪両親に急な用事が入ってしまったとしても自分が教官役を変われば、しっかりと腕を磨ける事に変わりは無い。つまるところ、却下する理由が無かった。
「んじゃ、その旨も含めて皆に報告するけど、他にはまだある?」
『私からは時に無いわね。あなたからは何かある?』
『無いよ』
「そう? じゃ、皆に連絡するね」
凛々花はそれを受け、皆にその事を報告するためにメールを作り、送信する。
少し待つと四人からほぼ同時に返事が来た。
そこには各々の言葉で「是非お願いします」という旨が書かれている。
「皆から返事が来たよ。皆、問題無くOKだってさ」
『それはありがたい』
『話が早い子達で助かったわ』
「だね。じゃ、そんな感じでお願い」
『了解だ。じゃあ、お休み』
『あんまり夜更かししないようにね』
それを最後に両親の方から通信が切られた。
凛々花もインターネット電話を終了させ、途中だった課題に戻った。
(合宿か……。ちょっと楽しみかも)
そして土曜日。強化合宿が行われる当日。
「お父さん、お母さん。皆を連れてきたよー」
玄関を入ったところで、凛々花は室内にいる両親を呼んだ。
すると、奥の方から足音が聞こえ、二人の男女がやってきた。
「いらっしゃい。よく来てくれたね」
「歓迎するわ。さ、中へどうぞ」
気さくに挨拶する二人。
それに対し、雲の上の人を目の前にした四人はというと、
「み、深雪! マジよ! マジで花咲夫婦よ!?」
「ゆ、夢ではないですよね!? 真希、頬をつねってください!」
「よし来た!」
「! いひゃい、いひゃいへぇす!」
「理解出来た?」
「ええ。ありがとうございます」
「さ、サイン……お、お願い……します」
「う、ウチにもお願いします!」
真希と深雪の漫才を他所に、静香はおずおずと、加奈は堂々と色紙を二人に出した。それを見て夢か現かを確認していた深雪と真希は我に返り、
「あ、わ、私も!」
「あたしにもお願いします!」
「いいとも。お安い御用だ」
「ちゃんとしてあげるから、順番は守って頂戴ね」
そして始まるサイン会。
凛々花はそれを横で見て、何も玄関入ってすぐのところでしなくても、とは思うものの、空気を読んでサイン会が終わるのを黙って待つ。それに凛々花としても「自分の両親」ではなく「元世界一の札士」としての両親を客観的に見るのは、何気にこれが始めてであり、その上で自分の両親がそのような人である事にようやく実感が得られ、改めて偉大な人だな、と再認識した。
「「「「ありがとうございました!」」」」
しばらくして、サイン会は無事終了する。
「どういたしまして」
「そんなに喜んでくれると、こちらも嬉しいわ」
二人はそう返事をしてから凛々花に視線を向ける。
「では、凛々花。皆さんを部屋の方へ案内してあげなさい」
「私達は居間にいるから、何か用があれば遠慮せずに言ってね」
「OK。じゃ、また後でね」
凛々花の返答に二人は首肯して居間へと戻っていく。
両親を見送りつつ、凛々花は皆を家の中に通す。
「では、皆さん。部屋に案内しますので私に付いてきてください」
そう言い残し、凛々花は案内するために先頭を歩き始める。
他の四人は各々の言葉で「お世話になります」と言い、凛々花の後を追った。
所変わり、二階にある凛々花の自室。
「凛々花。荷物はどうすればいいかしら?」
「適当な場所にどうぞ」
「私達が寝る場所は寝る少し前で良いですよね?」
深雪の確認に、凛々花を除いた全員が「異議無し」と答えた。
その後、一同は駄弁りつつもそれぞれ適当な場所に荷物を置き、
「じゃ、先に行っているわね!」
我先にと真希が電光石火の勢いで部屋から出て行く。
「あ、ずるい」
「抜け駆けは許さないっすよ!」
その後を静香と加奈がすぐさま追いかけた。
「皆、行動的だなー」
「当然ですよ。何せ元とは言え世界一に相手してもらえるのですから」
「ま、それもそうですね」
凛々花はそう答えて皆の後を追おうとした。
「凛々花さん、ちょっといいですか?」
が、一歩踏み出したところで深雪に呼び止められ、半身を深雪に向ける。
「何でしょうか?」
「合宿を始めるという事なので、お話しますが、僭越ながら凛々花さんには私と真希で別メニューを考えてあるのです。それを聞いてもらえますか?」
「別メニュー?」
凛々花はその単語に興味を引かれた。深雪と真希の観察眼が確かな事は、これまで部活で一緒に活動して分かっている。そんな二人が自分のために考えてくれた別メニュー。ブランクを取り戻したい凛々花にはありがたい話だった。
「――興味深いですね。是非聞かせてください」
聞くために凛々花は全身を深雪に向けた。
「では、お言葉に甘えまして。――入部してから今までの間、何度も凛々花さんの対戦を見させて頂きましたが、凛々花さんは特に札そのものから得られる情報の他に場の流れや場の雰囲気、さらには相手の心理状態を読み取って戦いに望み、有利に進めていると思いました。如何でしょうか?」
「特に、という感覚はありませんが、確かにそういう事をやっていますね。でも、個々で程度の違いはあるでしょうが、それは誰もがやっている事なのでは?」
「ごもっともです。ですが、世間には考えを読ませまいとポーカーフェイスが得意な方や意図的に考えを読ませないようにさせる事が出来る札士がいます。今回、凛々花さんにご用意した別メニューは、そういう札士とぶつかっても平気なようにするために考えたものです。どうでしょうか?」
「私のためにそこまで……。部長、ありがとうございます」
凛々花はありがた過ぎる親切に堪らず感謝した。
深雪の不安はもっともな事だった。
部活でも、そして大会でも普段通りに戦うようにしようとは心がけているが、そういう札士がいるならその普段通りは通じない。他からも情報を得ている凛々花はその時点で分が一気に悪くなる。実際問題、それを得る事が出来ない両親や機械を介しての対戦での勝率は、とてつもないほどに芳しくない。
「で、部長。その別メニューとは?」
「機械との対戦です。要は携帯の花札アプリやネット花札でCPUを相手にひたすら続けるのです。機械なので擬似的の領域を出ませんが、それでもそういう事を意識してやるとまた違ってくるはずですから」
「うわ、機械ですか……」
凛々花は堪らず呻いた。幼少期に何度かやった事があるのだが、相手が機械なので配られた札の状態しか情報を得る事が出来ず、その上欲張ってこいこいを宣言する時もあれば、的確に勝負する事もあるのでやり難い事この上なかったので、それ以来、復帰した今でも触れていないほど苦手意識がついている。
と、そこで前を歩く深雪が愉快そうに笑った。
「ふふふ。その様子だと、やはり苦手のようですね?」
「ええ、まあ……。両親の次に苦手ですね。子供の頃、結構負けてしまい、あんまりにも腹が立ったんで早上がりを徹底してしまったほどです」
「まあ。凛々花さんの支配も機械には通じないようですね」
「支配って……私は人より花札の事が好きなだけですよ?」
「凛々花さんのような人は大体そういう事を言うのですよ」
「深雪! 凛々花! 油売っていないで早く来なさいよー!」
そこで真希の声が聞こえた。
二人は会話を終わらせ、皆がいる方に向かった。
凛々花は特別メニューで、他の四人は凛々花の両親が面倒を見る事になった合宿一日目が半日を過ぎようとしていた。
(あらら、お昼から結構過ぎちゃっているね……)
集中するためにヘッドホン着用でネット花札をひたすらプレイしていた凛々花は、ふと画面右端にある時計を見て、ぼんやりとそんな事を思った。時刻は十二時四十二分。かなり集中していたので今の今まで全く気付かなかった。
(皆も同じなのかな?)
そう思って皆がいる方を見て、凛々花は居た堪れない気持ちになった。
食事スペースとなる場所で凛々花を除いた四人と凛々花の両親がいるのだが、双方の様子は完璧に真逆である。
「強過ぎます……」
「こんなの、どうやって倒すのよ……」
「レベルが違い過ぎる…………」
「無理ゲーにもほどがあるっす……」
凛々花の両親は涼しい顔をしているのに対し、こってりと絞られただろう花札部の面々は、魂が抜けてしまったと言えるほどの放心状態に陥っている。
「……ひょっとしなくても真面目にやったの?」
凛々花はヘッドホンを外しながら、涼しい顔をしている両親に聞いた。
「安心しなさい。加減はしているよ」
「その上で真面目にやっちゃったけどね」
「ああ、道理で……」
ご愁傷様、と凛々花はぐったりとしている四人に内心で唱えた。凛々花は回数をこなして慣れるだの、飽きるだの言えない次元に達しているが、案の定と言うべきか。世界を制した男女に揉まれた少女達は、凛々花が危惧した通りにレベルの違いを見せ付けられた上でフルボッコにされたのだろう。
「凛々花の方はどうだい?」
「まずまずかな。リアルと比べると勝率ガタガタだけど」
「さっさと勝負して50文稼いじゃいなさいよ。そうすれば安定するわよ?」
「それは切り札として取っておくよ。あれは私の流儀に反するし」
「あー、凛々花は嫌いだものね。早上がり」
「そうそう。そういや、皆はどう?」
凛々花は相変わらず放心状態な皆を見ながら聞いた。世界の広さを知らない自分とは違い、両親はそれを知っている。また大会の解説などにも呼ばれているらしいので学生のレベルに関しても詳しいはずであり、単純に興味が湧いた。
「それは高校生レベルで、という事だよね?」
「当たり前じゃん。私達は高校生なんだよ?」
「あら。高校生でもプロで通じそうな子は何人かいるわよ。もっとも、そういう子はほんの一握りだから例外として扱ってもいいのかもしれないけどね」
「へー、例えば?」
「そうね……。この辺だと紫藤高校の紫藤葉月さんに桐生高校の高峰麗華ちゃん、そして――同じく桐生高校の桐生辰美さんよ」
最後に挙げられた人物の名を聞いた時、凛々花の古い心の傷が少し痛んだ。
「……凛々花さんのお母さん」
その時、深雪がか細い声で割って入った。
「何かしら、松鶴さん」
「あの……桐生高校の高峰選手というのは、魔物と呼ばれていませんか?」
「魔物?」
凛々花は駄目元で深雪に聞いた。答える気力は無いだろうが、それほどまでに大層な呼び方をされている事に一人の札士として興味を持った。
「……練習試合を申し込んだ時に「桐生には魔物がいるから申し込むのはやめておけ」と言われたのよ……。どれだけ強いのかは知らないけどね……」
その質問には遅れて復活した真希が答えてくれた。後の二人もようやく回復出来たのか、興味深い話題だからか。ぐったりするのを止め、聞く体勢を取る。
「実際かなり強いよ。桐生は他の子も強いけれど、その中でもあの子は郡を抜いて実力者だ。今からプロに行ったとしても余裕で通じるだろうからね」
「で、桐生さんは確かに魔物と言われているけれど、それがどうかしたの?」
凛々花の母は改めて深雪に話を振った。
「いえ……。強いと耳に挟んだのでどれほどなのかな、と気になったもので」
「そう。なら、旦那の言葉で答えは得られたかしら?」
「はい……。後は実物を拝んで判断する事にします……」
「……私からもいいですか?」
よろよろと挙手したのは、静香だ。
「何でも聞いて頂戴。答えられる事には答えるわ」
「では……。……桐生辰美という選手の名を強調したのは、どうして……?」
「あー、それはウチも気になったっす……」
「まあ、聞くまでも無く想像出来ますけどね……」
「……そいつなんでしょ? 凛々花にトラウマ背負わせたのって」
「トラウマって……私のはそんなに重いものじゃないですよ」
トーンを低くして言った真希に反し、当人の凛々花の口調は実に軽い。
「何を言っているのよ。どう考えても重いじゃない。だって凛々花はその一件で自分に花札に触れる事を禁じたわけでしょ? だったら――」
「確かにそうですが、私は一言も「その人のせい」と言った覚えはありませんよ。話を聞いてもらった時も「悟った」と言ったと思うんですけど」
「ん……? ふむ……。あー、確かにそう言われてみれば、そうだったわね」
「でも、それならどうして、凛々花のお母さんは強調したんすか?」
「凛々花がどれくらいあの子を意識しているか見たかったからよ。皆さんの前なら凛々花も嘘を付かないと思ってね。変に邪推させてごめんなさいね」
「なるほど。そういう事でしたか」
「納得」
「心配してくれてありがとうございます」
「やり手っすねー、凛々花のお母さん」
「ふふ。褒めてもこってり扱く事しか出来ないわよ?」
凛々花の母は照れ臭そうな顔をしているが、内容が恐ろしいほどに不一致である。現にそれを聞いた四人は途端にげんなりとした顔になる。
「で、どうだったんですか?」
静香が強引に話題を戻した。
「私が見る限りは平気そうよ。ま、そこまで心配してないのだけれどね」
「そこは心配して欲しいなー」
「しないわよ。だって貴女は私達の自慢の娘だもの。ね、あなた?」
「ああ。僕達には勿体無いくらい出来た子だからね、凛々花は」
「もう……。皆の前で止めてよ。超照れるじゃん……」
両親に素直に信頼され、凛々花は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「ところで、込み入った事を失礼と無礼を承知でお聞きしますが、過去の一件に関しては決着を見ているように思えるのですが、実際のところは?」
室内が変に暖まった中、深雪が真面目な様子で凛々花の両親に聞いた。
「表向きには決着しているよ。問題があるとすれば、桐生の娘さんの事だね」
「桐生夫妻の話では「辰美には良い薬になった」って話だけれど、ちょっと心配よね……。あの子、大会が終わった後には試合中の憤りが嘘だったように誠心誠意謝ってくれたものね。変に思い詰めてないと――」
「ちょっと待って。何それ? 私、初耳なんだけど?」
凛々花は自分の耳を疑った。そんな話、今の今まで聞いた事が無かった。
「当然じゃない。今話したもの」
「当然って……何で黙ってたの!? そうだと知っていれば――」
「そういう態度を取るだろうから、黙っていたんだよ」
ピシャリと凛々花の父が、凛々花の言葉を遮り、言葉を重ねる。
「凛々花の怒りは正しい。それは認めるよ。でもね、凛々花。あの時の凛々花が桐生の娘さんをフォローした場合、桐生の娘さんは凛々花に対してずっと罪の意識に苛まれて生きる事になってしまう。その逆も同じだ。僕達と桐生夫妻はそれを避けたかった。親として我が子にそんな生き方をさせたくなかった。今の今まで黙っていたのはそういうわけだ。凛々花風に言うなら、僕達も桐生夫妻も娘を愛するが故に敢えて沈黙を守り、最悪を回避した、という感じになるかな」
「……その言い方はずるくない?」
そんな言い方をされては、子である凛々花は許す以外の選択肢を選べない。
「当然さ。大人というのは往々にして狡賢いものだからね」
「はいはい……。でさ、あの子はこの事を知っているの?」
「良い方向に働いてくれた、と向こうの親御さんからは聞いているけれど、知っているかどうかまでは知らないわ」
だから心配なのよ、と凛々花の母は不安げに言葉を締め括る。
凛々花も同じ心境だった。あの時の選択は自分で決めた事だからその事に関しては自業自得。でも、凛々花は別にあの対戦相手――桐生辰美にあの事を罪に感じさせるつもりはなく、むしろそうだと知っていれば全力で阻止した。
でも、双方の両親の危惧はもっともだった。凛々花はそういう事をしてあの一件に罪の意識に感じてしまう。向こうもきっと間違いなくそうしてしまう。平謝りしてきた時の当時の桐生辰美は、別人と思うほど礼儀正しく、優しく、凛々花と同じく花札の事が大好きな少女だった。そんな二人の少女が罪の意識に苛まれないように――そうするには双方の両親の決定が妥当だったのだろう。
現実問題、そのおかげで凛々花はこうして曲がりなりにも健全に生きているし、桐生夫妻の言葉を信じるならば、桐生辰美も同じように生きているはずだ。それ即ち、当時の双方の両親が決定した方針の正しかったと証明している。
凛々花はそこまで考え、重いため息をつき、両親をジト目で睨む。
「事情は分かったけど……。ただでさえ顔合わせ辛いのに、会場で顔合わせちゃったらどうしろって言うの? どんな顔すれば分からないってのにさ」
「そこは臨機応変に頑張ってくれ」
「気合いでどうにかしなさい。凛々花はアドリブ得意な方でしょう?」
「……分かった。出たところ勝負でやってみるよ」
両親の言う事はもっともだった。そもそもにして自分が変に自己完結してしまったのがいけないのだ。そのツケがここに来て回ってきた。それだけの話だ。
話が一段落したところで、凛々花は話をガラリと変える。
「でさ、お父さんとお母さんから見て、皆はどうだったの?」
それを受け、凛々花の両親はポン、と手を叩く。
「ああ、そう言えばそんな話だったね」
「じゃ、あなた。お願いして良いかしら? 私はお昼を用意してくるわ」
そう言って凛々花の母は席を立ち、キッチンの方に向かった。
「任されたよ」
「手伝おうか?」
去り行く母の背中に凛々花は聞いた。
「平気よ。凛々花だって興味があるから私達に聞いたのでしょう?」
「あ、バレた?」
「バレバレよ。というわけで、一緒に聞いていていいわ」
そう言い残し、凛々花の母はキッチンに行くために部屋から出て行く。
それを見送った後、凛々花の父は咳払いを一つし、
「では、こちらも始めよう。まずは――部長の松鶴さんからかな」
「は、はい! お、お手柔らかにお願いします……」
名前を呼ばれた深雪は背筋を伸ばし、言葉を聞く体勢を取った。
「こちらこそ。では、早速。松鶴さんは小松原さんと二人で『二松』という異名で呼ばれていただけの事はあり、小松原さん共々かなりのレベルだよ。攻めの姿勢が強いのも申し分無い。でも、その一方で君は相手を軽んじる癖がある。実際問題、僕との初戦の時、加減してくれている、と決め付けていた気持ちが花札を通して伝わってきた。癖になってしまっているから仕方ないとは言え、これは結構まずい。その癖は相手を見誤ると手痛いしっぺ返しをする事になるからね」
「ありがとうございます……。でも、ついやってしまうのですよ……」
「そう気落ちする事は無いよ。それは攻めの姿勢が強過ぎる弊害だからね。でも、慢心していると手痛いしっぺ返しを食らうから、その辺は注意するように」
「わ、分かりました。ためになるお言葉、ありがとうございます」
「どういたしまして。じゃ、次は小松原さん」
凛々花の父が真希の名を呼ぶと、真希はすんなりと先を促した。
「いつでもいいですよ」
「では。小松原さんは松鶴さんとは完全に真逆だ。君は逆に状況を見極め過ぎている。僕との三回目の対戦で僕の上がりを阻止した観察眼は見事だったけどね。つまるところ、君は慎重過ぎる。しかし、だからと言って大胆になり過ぎないように。それでは折角の観察眼を殺してしまいかねないからね」
「もう少し大胆に、ですか……。分かりました。やってみます」
「そうしてみて。で、鶴ヶ谷さん」
凛々花の父が静香の名を呼ぶと、静香は首肯で先を促す。
凛々花の父は麦茶を一口飲み、喉を潤してから口を開く。
「君は状況がよく見えているし、柔軟性もある。その上冷静だ。流石は元インターミドル覇者といったところだね」
「あ、ありがとう、ございます……」
照れ臭そうにする静香。
「どういたしまして。でも、そんな君にも当然穴はある」
「それは?」
「遊び心が乏しい事だよ。君の向き合い方にケチを付ける事になるけれど、君は些か結果にこだわり過ぎている。そしてそれは敢えて悪い言い方をするけど、仲間を信頼も信用もしていないとも言える。その真剣さは見事なものだけど、心にゆとりを持たないと結果を求めるがあまり、そこを相手に付かれてしまうよ。後、挑発や煽りにも弱い。僕の安い挑発にも乗ってきたからね。これもよろしくない。まとめると、少し肩の力を抜いた方が良い。そうすれば、まだまだ強くなれる」
「……理屈は分かりますが、それは相手に失礼では?」
「そういう見方もあるね。でも、敢えて問わせてもらうけど、君は勝ちたいから強くなりたいのかい? それとも好きだから強くなりたいのかい?」
「後者です」
「なら、しっかりと楽しまないと。そうだね……言うなれば、本気で全力かつ真剣に遊ぶ、と言っておくよ。これなら相手に対して失礼に値しない。そもそも結果だけを強く求めるのは、非常に勿体無い。それを気に留めて置いて」
「――貴重なご意見、ありがとうございます」
静香は深く頭を下げた。
「どういたしまして。では、最後に鶴ヶ崎さんだね」
「よ、よろしくお願いするっす!」
背筋をびっと伸ばす加奈。
「こちらこそ。――さて、鶴ヶ崎さん。君は始めて数ヶ月かそこらだからか、他の三人と比べて何もかもが荒削りだ。でも、それを補ってもお釣りが来る不屈の精神を持っている。正直、僕はその精神力に敬服しているよ。身内贔屓も含むけど、この四人――特に凛々花を相手にして未だに辞めていない事が、精神力の強さを裏付けている。それを持ち続けて今後も精進すれば、全国の強豪達に比肩出来る札士になれると僕が保障するから、自信を持って今後も励んでね」
「ほ、ホントっすか!?」
「ああ。でも、あくまでも未来の話。これからどうなるかは、君の頑張り次第だという事を忘れずにね。才能を生かすも殺すも当人の考え次第だからね」
「りょ、了解したっす! 頑張るっす!」
「その意気だ」
「皆。ご飯出来たわよー」
そこで凛々花の母の声が聞こえ、一同は食卓に向かった。
翌日の日曜日。
「ここに来るのも三年振りねー」
「たった三年。されど三年。知らない場所に来た感じがします」
真希と深雪は、合宿を抜け出して大会参加の申し込みと抽選会が行われる会場へと足を運んでいた。中学三年の頃が最後なので実に三年振りだ。その会場の前には『高校生花札栃木県予選大会抽選会場』という看板が立てかけられている。
「しかし、妙な感じですね?」
「妙? 何が?」
二人は会場に向かいながら雑談を続ける。
「私達が二人揃い、同じ学校の生徒としてここに立っている事が、ですよ。二年前は本当に驚きました。まさか真希が同じ考えだったとは思わなかったので」
「あー、その話? ふふ。確かにそうね。その通りだわ」
話は二人が一年生だった頃に遡る。
中学時代、二人は各々所属していた学校で優秀な成績を納めていた。しかし、それはあくまでも個人戦である。二人が当時所属していた中学校は、光陵高校と同じく花札に力を入れている場所ではなく、部活を作るまでに有志が集まらず、故に二人は個人戦のみ参加していた。『個人』で有名なのはそのためだ。
そんな二人は奇遇にも中学三年の大会を最後に、全く同じ事を思いついた。
――『高校は団体戦に挑戦してみたい』と。
同時期に同じ事を奇遇にも考えた二人は、その後の思考も同じだった。折角だからダークホース的存在になり、大会を盛り上げつつ、自分の思い描いた野望を実現させようと。折角やるならばより派手に行こうと。
そして二人は光陵高校で出会った。その時二人はお互いに相手の顔は大会で何度も見たので覚えていたが、同じ目的を持っている事までは当然知りようもなく、二人が相手の目的を知ったのは、職員室に『花札部を作らせてください』というお願いをするために訪問した時だった。
以降、二人はある種の運命を感じ、意気投合し、今日という日を迎えた。
「これはあれね。神様も悪乗りしてくれたのよ」
「確かに。そのおかげで見事なまでにお膳立ては整いましたからね」
「見事過ぎて怖いくらいよ。深雪はそう思っていないのかしら?」
「同じ気持ちです。はっきり言って出来過ぎています」
「やっぱりそうよね。ま、一層やりがいはあるけど」
「ふふ。やはり私達、本当に馬が合いますね?」
「という事は、深雪も同じ気持ちなのかしら?」
「でなければ、こういう事を言いませんよ」
「ふふ。それもそうね」
雑談をしつつ、二人は受付に到着した。
「済みません。参加を申し込みたいのですが」
「分かりました。では、ここに校名と代表者の名前を書いてください」
そう言って受付嬢は一枚の紙が挟まったバインダーを差し出してきた。そこには参加する校名と代表者の名前が既にいくつか書かれている。深雪は受付嬢からボールペンを借り、空欄になっているところに校名と自分の名前を書いた。
「これでよろしいでしょうか?」
「窺います。――確かに。では、抽選結果が出るまでしばしお待ちください」
「分かりました」
一礼し、深雪は真希の方に振り返る。
「お疲れさん」
短いやり取りを行い、二人は一緒に受付から離れる。
「抽選会が終わるまでどうしましょうか?」
「そうね……お! フードコートがあるじゃない」
真希の視線にはフードコート行きの看板が目に留まった。
深雪は呆れた顔をする。
「電車の中であれだけ食べたのに、まだ食べるのですか?」
「まだってもうお昼時よ?」
「まだ一時間以上もありますよ?」
「混む前に食べるのよ」
言うが早く、真希はフードコートに足を向けた。
深雪はやれやれと呆れ、真希の事を追う。
「――そこの貴女達、ちょっといいかしら?」
その時、二人は背後から女性に声をかけられた。
二人は振り返り、揃って内心のみで呻く。
そこにいたのは、如何にも記者をしているような女性と如何にも撮影係を担当しているだろう男性の二人組みだった。質さなくても二人にはこの二人がマスコミである事を瞬時に察した。
「やっぱり松鶴さんと小松原さんね。三年振り。元気にしていたかしら?」
声をかけてきた女性は、二人の顔を見るや、そう言った。
そう言われ、二人も男女二人組みに見覚えがあるのを思い出していた。二年前の大会の後、何故大会に顔を出さなかったのかをしつこく聞いてきたライターだ。あまり良い思い出ではないが、しつこかったので記憶には残っていた。
「貴女は……ええと、どちら様でしたでしょうか?」
「深雪も心当たりあるの?」
「真希もですか?」
「まあね。二年くらい前にしつこく話を聞かせてって迫られた気がするのよ」
「奇遇ですね。私も似たような記憶があるのですが、名前が出てこなくて……」
「当然でしょう? 当時、貴女達は花形札士だったのよ? そんな二人が全国は愚か、予選にも顔を出さないのだもの。驚くなというのが無理な話よ」
女性はそうため息混じりで言った後、二人に近づき、懐から名刺入れを取り出し、一枚ずつ自分の名刺を二人に配った。その名刺には『週刊花札 鈴木智恵理』と印字されている。
その名刺を見て、二人は目の前にいる人物の名前と顔が一致した。
「ああ……思い出しました。鈴木さんでしたね」
「出来れば思い出したくなかったわねー。今回もしつこそうだし」
「その辺は目を瞑って頂戴。こっちも仕事なのよ」
朗らかに言った後、鈴木はメモ帳を取り出して構えた。
「というわけで、早速始めさせてもらうけれど、二人はどうして光陵に?」
「団体戦に挑戦してみたくなったからです」
その質問には深雪が答えた。鈴木はメモに書き込んでいく。
「挑戦、ね……。でも、それなら紫藤や桐生を始め、盛んに行われている学校の方が良かったと思うのよ。貴女達のレベルならスカウトの声もあったはず。それを断ってまで光陵に行ったのは、当然貴女達なりの理由があるのよね?」
「私達はこう見えて派手好きなのです。ね、真希?」
「そうそう。どうせやるならいっその事って感じよ」
「それはつまり、挑戦するなら折角だからダークホース的な存在になろう、そういう考えを思いついたから、という事でいいのかしら?」
「まさにそれよ」
「ご明察です」
あっさりと肯定した二人を見て、鈴木は楽しげに笑った。
「大した野心じゃない。でも、確かにそういう考えなら、強豪からのスカウトは蹴って然るべきね。こういう言い方は立場上駄目ではあるけれど、強豪に入ってそれを成し遂げても悪い話「強豪だから」で済んでしまうものね」
「そういう事です」
「でも、現実は甘くなかった」
鈴木が眼鏡を掛け直して言葉を続ける。
「その目的の下、光陵に入ったのは良かったものの、当然というか、案の定というか。貴女達のような物好きは他におらず、だから今日まで顔を出せなかった――そういう事でいいのよね?」
「その見解で正しいわ。恥ずかしい話だけれどね」
「出鼻を挫かれましたからね。分かっていたとはいえ、結構堪えました」
「心中察するわ。――でも、貴女達がここにいるという事は、つまりそういう事なのかしら? それとも高校生活最後の思い出作りとして個人戦に出るため?」
「無論、前者です。でなければ、私達はここにいません」
「でも、とりあえず出られるだけだから、過度な期待はしないで欲しいわ」
「そう」
鈴木はそこでメモ帳を下げた。
「――二人ともインタビューさせてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「じゃ、あたし達はこれで」
深雪と真希はそれぞれそう言い、一礼してからフードコートに向かった。
その姿を見送りながら、鈴木は同僚に聞いた。
「――さっきの言葉、貴方はどう聞こえた?」
「やり遂げるだけの準備が整っているに一票」
「そう思いたいわね。そうなったら今年の大会は盛り上がるもの」
「お前はやり遂げられないと思うのか? 光陵には鶴ヶ谷静香もいるはずだ。それにあの自信からして結構仕上げて来ているはずだぞ?」
「そうなったら立場的には嬉しいけれど……」
鈴木は眼鏡を外し、布巾で拭いてからまた掛け直し、同僚を見る。
「貴方も知っての通り、ここ栃木でそれを成し遂げるには古豪の紫藤、そして『札に愛された子』の一人である高峰麗華を擁する桐生を越える必要があるのよ? 個人的に応援はするけれど、常識的に考えて目的達成はかなり厳しいわ」
「その辺はあの二人の自信満々さに期待しようじゃないか。以前、花咲プロも言っていただろう? 勝利を目指す事を諦めない者に花札は微笑むと」
「全く以ってオカルトよね」
「別にいいさ。花札界も無理を通せば道理が引っ込むからな」
「ともあれ、何にせよ、今年の大会は荒れそうね」
鈴木は楽しげに言った。
「どう思う、深雪?」
「上々ですね。真希は?」
「同じくよ」
発表されたトーナメント表を見ながら、二人は感想を言い合っていた。
ズラリと表示されたトーナメント表。光陵高校はAブロックに配置されている。
「――それにしてもあたし達が順調に勝ち抜く事が出来れば、紫藤とは準決勝、桐生とは決勝で当たる事になるとはね。神様、空気読み過ぎじゃないかしら?」
「楽観視はいけませんよ、真希。私達は意図的にダークホースを演じようとは思っていますが、本当のダークホースがいないとも限りませんし」
「分かっているわよ。じゃ、帰りましょうか。長居は無用だものね」
「そうですね」
大会の事を思いつつ、二人は帰路についた。