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万花繚乱  作者: 紫陽花
2/7

第一章「開花」

 ある日の放課後、高嶺凛々花はいつものように教室にて読書をしていた。

 でも、この日はいつもとは違った事が起きた。

 突如、扉が外側から開かれた。音に反応し、凛々花はそちらを見て、少しだけ驚いた。扉を開けたのは、青色のスカーフをした二年生女子だったためだ。寡黙そうだが、不思議を冷たい印象を受けない、そんな少女。

 その二年生女子は教室をざっと見渡し、改めて凛々花の事を見て、

「――貴女が高嶺凛々花?」

 と、印象通りの落ち着いた声で聞いてきた。

 いきなりな問いかけに凛々花は驚き、即座に記憶を探った。でも、思考してすぐに思い至る。誰かから自分の事を聞き、確認のためだろう、と。

 そこまで考え、凛々花は訪問者の二年生女子に応対する。

「ええ。私が高嶺凛々花です」

「そう。良かった」

 二年生女子はホッとすると、教室に入って凛々花に歩み寄り、

「私は鶴ヶ谷静香。貴女に用があって来た」

 手が届く距離まで近づいたところで、自己紹介と用件を簡潔に述べた。

「私に、ですか?」

「そう。花札部と言えば察してくれるはず、と聞いている」

「花札部……。となると、鶴ヶ崎さん経由で私の事をお知りに?」

 凛々花の確認に、静香は首肯した。

 その人物、鶴ヶ崎加奈は、凛々花の右隣、訪問者の鶴ヶ谷静香が建っている席に座る女子生徒だ。その彼女と部活仲間なら、何かの話の流れで聞いていても不思議ではない。ちょうど凛々花の方にも知るきっかけとなる心当たりがある。

 何時だったか。凛々花は加奈に「花札出来る?」と聞かれ、迂闊にも「出来るけど、嫌いだからしない」と変に印象付ける返答をしてしまった。それで印象に残り、何かの流れで静香に話したのだろう。部員が少ないという事は前々から愚痴られて聞き及んでいるので、それも恐らく関係しているに違いない。

「という事は、ご用件は私を勧誘しに来た、というところでしょうか?」

「それは早計。今回は対戦を申し込みに来た」

「実力を見てから、という事でしょうか?」

「違う。単純に相手がいないから」

「なるほど」

 邪推し過ぎたか、と凛々花は考えを改めつつ、どうするかを考える。

 心情を優先するなら嫌いなので断りたくはあった。が、相手は一つしか学年が違わないとは言え、先輩である。加えて話を聞いて教室にやってくる辺り、行動力もかなりのものだろう。さらに加奈から話を聞いているならば、こちらがやる事を嫌いである事を知った上での申し込み。そんな図々しい性格をしているならば、ここで断っても今後付き纏われる可能性は十二分に有り得る話だ。

 ならば、と凛々花は不本意ながらも心を決める。

「――分かりました。その話、お引き受けします」

「感謝。では、早速」

 言うが早く、静香は踵を返して教室を出て行く。

 本当に行動的な人だな、と思いつつ、凛々花はその後を追った。

 その後、二人は終始無言で道中を行き、やがて『花札部活動中につき、入室注意!』という張り紙が扉に貼られている宿直室に到着した。


「あ、お帰り――って、ホントに連れて来たんすかー!?」

「あらあら。相変わらず見かけによらず行動的ですね、静香さんは」

 静香と凛々花が入室すると、二人の女子生徒の声が二人を出迎えた。

 一人は、緑色のスカーフをしている活発そうな女子生徒。凛々花と同じクラスの鶴ケ崎加奈だ。凛々花と目が合うや、申し訳無さそうに苦い顔をした。

 もう一人は、赤色のスカーフをしている落ち着きのある女子生徒。三年生だ。目が合い、凛々花は会釈する。向こうも会釈を返してきた。

「さ、入って」

「あ、はい」

 静香に促され、凛々花は宿直室の奥へと進む。入ってすぐ、静香が上履きを脱いで奥へと進んだので、凛々花もそれに習って静香についていく。

 室内は教員達が仮眠や小休憩を取る場所というだけあり、学校らしからぬ雰囲気であり、相応の設備が整っている。一番に気が付いたのは煙草の匂いだ。その一方で花札部の部室としても使っているためか、そちらに関しても必要な備品が揃っている。目立つのはこいこいのルールが書かれたホワイトボード。

「荷物は適当に置き、空いているところに座って」

 静香はそう言い置き、流し台に向かった。

「あ、お構いなく」

 凛々花は静香にそう言った後、少し悩んで卓袱台に着いている二人から一歩半ほど離れたところに腰を下ろす。同じ卓に着くのは場違いな気がしたためだ。

「何でそこなんすか? もっとこっちに来るっすよ」

 ちょいちょい、と加奈が手招きしてきた。

「そうですね。遠慮なさらないでこちらに来てください」

 ついで、三年生女子が言葉を添えてきた。

 二人から言われ、凛々花は荷物を持ち、空いている席に着席した。

 凛々花が着席すると、

「まずは謝らせてください。部員がご迷惑をおかけして済みませんでした」

 三年生女子が頭を下げてきた。

 凛々花は手を左右に振る。

「謝罪は不要です。同行する事を決めたのは私の意思ですから」

「そう言ってくださると助かります」

 部長は顔を上げた後、少し卓袱台から離れ、

「では――私は花札部部長を務めている三年二組所属、松鶴深雪と申します。植物の松に鳥類の鶴で松鶴と書き、深海の深に天候の雪で深雪と書きます」

 言い終えてから見本のように三つ指揃えて頭を下げた。

 それがあまりにも見事だったので、一般的な挨拶をしようと思っていた凛々花は、急遽考えを改め、深雪がやったように丁寧に返事をする。

「ご丁寧にありがとうございます。私の事は既に鶴ヶ崎さんからお聞きになっているとは思いますが、改めて名乗らせて頂きます。私は鶴ヶ崎さんと同じく一年二組に所属している高嶺凛々花と言います。姓の方は高嶺の花という諺の高嶺と書き、凛々花は凛々しい花と書きます」

「ご丁寧にありがとうございます」

「――はい」

 そこで凛々花の目の前にコップが置かれた。中に入っているのは、氷の入った冷たい麦茶かウーロン茶。やや薄い色合いからして麦茶だろうか。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 その後、静香は深雪と加奈の前にも結露が付いているコップを置き、最後に自分が座る場所の前に起き、お盆を下にしてボトルを床に置いた。

「では、早速――」

「――静香さん。その前にお話があります」

 静香の言葉を深雪が冷たく鋭い口調で遮り、厳しい目で静香を見据える。

「高嶺さんはあのように仰っていますが、それは事実ですか?」

「部長の逆鱗に触れるバカはやらない」

 静香はきっぱりと即答した。

 一瞬の沈黙。

「――そうですか。それは何よりです」

 やがて、深雪は朗らかにそう言って沈黙を破った。

 それで室内の空気が和み、静香は麦茶を一気飲みした。

 そんな中、深雪が手を一度叩き、皆に気持ちの切り替えを促した。

「――さて、身内事はこのくらいにしまして、部活動を再開しましょう。というわけで、加奈さん。教練は一旦止めにしようと思うのですが、構いませんか?」

「それでいいっすよ。ウチも高嶺さんの実力気になるんで」

「では、加奈さんは観戦に回ってください。で、静香さん、高嶺さん。私が進行役を勤めますが、それでも構いませんか?」

 深雪は皆の顔を見渡し、静香と加奈は頷く。

「進行役?」

 聞き慣れない単語に凛々花は皆に聞いた。

「字の如く、準備をする人の事ですよ。知りませんか?」

「初耳です。何時からそんな事が導入されているのですか?」

 花札のこいこいは、その性質上、二人いれば準備も人数も事足りる。その気になれば一人でも可能だ。反対に三人以上だと交代しながら行う必要性が出てしまい、わざわざ進行役としてもう一人を集めるか揃える必要性は全く無い。

「結構昔からですね。八年位前に導入されたそうですよ」

 深雪は答えた後、卓袱台の上に置いてある花札をシャッフルし始めた。

「で、今に至るわけですか。でも、何でまた? 不便なだけですよね、それ」

「何でも、不正を未然に防ぐ事や不満を言わせないためらしいっすよ」

 今度は加奈が答えてくれた。

「なるほど。ところで、部活ではいつもあのルールで?」

 知りたい事も知れたので、凛々花はホワイトボードに視線を移して聞いた。

 そこには次のように書かれている。

『■1チーム最低5人で行い、先に3勝した方を勝ちとする。

 ■先に50文を獲得した方を勝ちとする。

■有り:こいこいで倍、7文以上で倍、連勝特典(1、5倍)

 ■無し:2役、雨流れ、霧流れ

 ■役一覧

  五光:15文

  四光:10文(11月の光札以外の光札4枚による役)

 雨四光:8文

  三光:6文(11月の光札以外の光札3枚による役)

 花見酒:3文

 月見酒:3文

 猪鹿蝶:5文

  赤短:5文(文字が書いてある赤い短冊3種類)

  青短:5文

  タネ:1文(種札5枚で役となる。種札の追加で1文追加)

  タン:1文(短札5枚で役となる。短札の追加で1文追加)

  カス:1文(カス札10枚で役。カス札の追加で1文追加)

  手四:7文(同月の札が初手の手札に全て揃っている状態)

くっつき:7文(同月の札が各2枚ずつ揃って初手の手札に揃っている状態)』

「ええ。ちなみに大会もあのルールですよ」

「変更したいところがあれば、遠慮無く言って」

 静香の提案に、凛々花は首を横に振る。

「いえ。特に希望は無いです」

「親はどうします?」

 シャッフルの手を止め、深雪が凛々花と静香の二人に聞いた。

「高嶺さんが好きな方を選んで」

 それを受けて静香がそう言った。

 凛々花は特にこだわりが無かったが、厚意を無下にするのも憚られたので、

「では、親をもらいます」

「分かりました。では、準備しますので少しの間、お待ちください」

 深雪はゲームを始める準備をし始めた。

 その様子を見つつ、凛々花はふとある事を思った。

 ――他人とこいこいをするのなんて何年振りかな……。

 凛々花は、ある事がきっかけで今日まで花札に触れないようにしていたし、今日のような事が無ければ、死ぬまで触れる気は無かった。

 それが何の因果か。こうして触れる事になっている。

 事実は小説よりも奇なりとはこの事かな、とぼんやりと思う。

「ところで、高嶺さん。ウチの時は断ったのに、何で静香お姉ちゃんの誘いは断らなかったんすか? そこのところ、今の内に聞かせて欲しいっす」

 そこで加奈が凛々花に質問を投じた。

 凛々花は正直に言うべきか、オブラートに包むべきか悩み、

「鶴ヶ谷先輩の足労を無駄にしないためだよ」

 後者を選んだ。

「なるほど。でも、かなり嫌ってた感じだったのに大丈夫なんすか?」

「あ」

 凛々花は思わず声に出した。

「ん? どうしたんすか?」

 聞かれた凛々花は、準備をしている深雪の様子を窺った。

 深雪の様子に変化は無い。手馴れた手付きで準備を進めている。

「ああ、そういう事っすか」

 その時、加奈が合点したように言い、そのまま言葉を重ねる。

「部長が怒らないのは、静香お姉ちゃんがウチの話を最後まで聞かずに飛び出したからっすよ。流石の静香お姉ちゃんも、高嶺さんが花札を嫌ってるって事を知っていれば、誘いには行かなかっただろうっすから」

「ああ、それで」

 凛々花もそれでようやく合点した。おかしいとは思っていたのだ。加奈から話を聞いたにも関わらず、静香が自分に対戦を申し込んで来た事が。その辺を聞き及んでいるならば、他人の都合を気にしないくらい図々しい性格をしていなければ、赤の他人にあそこまで強くは出られないはずだが、知らなかったとなれば、あの有無を言わせない感じだったのにも説明がつく。

「あの話に続きが?」

 初耳だ、という様子で静香は加奈に聞いた。

「そうっすよ。ちなみにそんな静香お姉ちゃんのためにもう一回話すっすけど、高嶺さんは花札の事がかなり嫌いな感じなんすよ。まあ「かなり」というのはウチの主観っすけど、何にせよ高嶺さんが花札を嫌いな事は間違い無いっすよ?」

「そう。――ごめん、高嶺さん」

 申し訳無さそうに謝る静香。

 凛々花は首を横に振り、

「謝罪は不要です。知らなかったのですから、どうしようもなかったですよ」

 安心させるべく、微笑して言った。

「……ありがとう」

 静香は許されたような声で言った。

「準備出来ました」

 そんな話をしている内に深雪が準備を完了させていた。

 それを受けて静香と凛々花は互いに見つめ合い、

「「よろしくお願いします」」

 同時に一礼して対戦を始めた。


 花札のこいこいとは、絵柄事に1月から12月という分類分けがなされている各4枚、計48枚の花札を使用し、予め決められている役をいち早く作り上げるゲームである。少ない枚数で作れる役、同一種で揃える役と様々な役がある。

 このゲームの特徴は、役が出来た際に続行するかどうかを選べる事だ。

 次のゲームへと移る【勝負】宣言をすれば、その時点で点数計算を行い、次のゲームの準備を行う。その一方、続行である【こいこい】を宣言すれば、役の追加によって獲得点数を増やす事が出来るが、続行するために高い得点を持った役を作り上げても相手に上がられてしまい、それまでの過程が無駄になるというリスクもある。この見極めが花札のこいこいの醍醐味である。

 第一戦目。

 静香が43文、凛々花が29文の親番で仕切り直した際、それは起こった。

「手四」

「くっつきです」

 両者とも特殊な役が成立したのである。この二つの役が一方に揃う事は回数を重ねれば割と見かけるが、二人同時に揃うというのはかなりの低確率である。

「部長、こういう場合ってどう処理するんすか?」

 加奈が興味津々で聞いた。

「両方行う決まりとなっています」

「あ、そうなんすか。となると――」

「両者とも50文になりますので、引き分けという事になりますね」

 深雪はさっと答え、シャッフルし始めた。

 加奈が意外そうな顔をする。

「あ、引き分けになるんすね。でも、こういう事ってあるんすね?」

「滅多に起こりませんけどね」

「そうっすよね」

 そこで深雪が準備を整えた。

「では、二戦目を始めましょう」

「分かりました」

「よろしく」


 第二戦目。

「くっつき」

「手四です」

 二人は手札を公開する。手札を見ると、確かに静香の手札にはくっつきが、凛々花の手札の中には手四が見事に揃っていた。

 各々の役こそ違うが、第一ゲームの現象が再現されたのだ。

 ちなみにこの時の獲得点数は第一ゲームの時と同じである。

 即ち、またしても引き分けで戦いが終わったのだ。

「……部長、ちゃんとシャッフルしてるっすか?」

 加奈はジト目で深雪の事を見た。

「もちろん。気になるのでしたら、次は加奈さんがやってみますか?」

 深雪はそう言い、花札を加奈に差し出す。

 加奈は差し出されたそれを見ながら考え。

「うーん……。じゃ、ちょっとやってみるっす」

 深雪から花札を受け取り、シャッフルしてから準備を行った。

「これでよし。――ごめんっす、二人とも。難癖つけて」

「平気」

「別にいいよ」

 加奈の謝罪に、二人は各々のコメントを言い、次のゲームを始めた。


 第三戦目。

「皆、今日も元気に花札やっているかしらー?」

 意気揚々とした挨拶をしつつ、女子生徒が入室してきた。

 手札を確認していた凛々花は、反射的にそちらを向いて、少し驚いた。

「せ、生徒会長?」

 入ってきたのは、光陵高校の生徒会長を勤める三年生、小松原真希。凛々しい面立ちと有能さを鼻に掛けない性格から、学年性別問わず人気である。

「如何にも。そういう貴女は今日のゲスト?」

 入室しながら真希は話を進めた。

「そうっすよ。ウチの同級生っす」

 それには加奈が答えた。

 紹介を受け、凛々花は隣に立った真希に会釈する。

「初めまして。高嶺凛々花です」

「初めまして。どれどれ……って、珍しいわね。手四なんて」

 真希は凛々花の手札を見ながら言った。

「ま、マジっすか!? マジでまたっすか!?」

 加奈が目をぱちくりさせながら言った。

「また? またってどういう――」

「――あの。面子も揃った事ですし、私は失礼してもよろしいでしょうか?」

 真希は加奈に聞いたが、凛々花はそれを遮りつつ、立ち上がった。

「随分と急ね? もう少し――」

「――構いません。今日は貴重な時間を割いて頂き、ありがとうございました」

 真希の言葉を遮り、深雪が許可を出した。

 凛々花は一礼し、部室を後にした。

 部屋を出てすぐ、凛々花は一息つき、自分の浅慮さを呪った。

(やっちゃった……。あれじゃ気取られるのも時間の問題だよね……)

 咄嗟にやってしまった事だが、それにしたって迂闊この上ない。

 どうするべきか――これからの事を考えつつ、凛々花は帰路につく。


「何だか慌てて帰ったわね……。あたし、何か悪い事したかしら?」

 凛々花が去った後を見つつ、真希は一人ごちた。

 深雪がフォローに入る。

「貴女のせいではありませんよ。ですから、安心してください」

 その言い方には何処か含みがあり、真希はそれを見逃さなかった。

「――訳有りって感じね。詳しく聞かせて」

 そう言って凛々花が座っていた場所に腰を下ろす。

「もちろんです。実は――」

 深雪は凛々花がここに来る事になった経緯から、ここを出るまでの経緯を包み隠さずに話した。彼女が花札を嫌いだという事、彼女と静香が対戦した事、そしてこのゲーム以外の2ゲーム全て引き分けで終わった事――。

 話を聞き終えた真希は、ほっと胸を撫で下ろす。

「――良かった。あたしのせいで気分を害したわけではないようね」

 しかし真希は、でも、と言葉を一度区切り、

「なら、何であんなに慌てて帰ったのかしらね?」

 皆に意見を求めた。

「それだけ嫌いって事じゃないっすか? ウチの主観っすけど、花札の話を振った時の高嶺さんは、いつもと違って余裕無さそうな感じだったっすから」

「余裕が無さそうって事は、基本的には余裕そうなの?」

「そうっすね。――あ、でも、焦げ臭い事なら一つあるっす」

「それを言うならきな臭いよ。それで?」

「対戦の途中で帰ろうと思ったって事っす。面子が揃ったから問題無いと言えば問題無いと思うんすけど、部長流の挨拶にすぐに対応出来た感じからして、そういう無礼な事はしない人だと思うんすよ。よく知らないっすけど」

 それを聞いて真希が若干目を見開く。

「深雪流の挨拶に? なら、相当躾けられているわね」

「私は考え過ぎだと思う」

 そこで静香が口を開いた。

「確かに三連続引き分けは異常な結果。でも、そこに至るまでに五、六回ゲームを行っている。それに確かに超低確率ではあるが、ゼロではない以上、飛び出す可能性があり、それが出たと考える方が自然」

「――いえ。今回の場合はそう考える方が不自然ですよ、静香さん」

 そこで沈黙を守っていた深雪が口を開いた。

 真希が目ざとくその変化を見つける。

「その顔は何か分かっている顔ね?」

 問いに対し、深雪は微笑して見せた。

「そういう真希も大凡の見当は付いているのでしょう?」

 そんな確認に真希もまた微笑して見せた。

「まあね。でも、静香の言うとおり、偶々って事も考えられるのよねー」

「ですが、状況が異常である以上、それについて考えるならば非常識ないし非現実な答えも視野に入れて考えるべきです。そして、そういう考え方をすると、一つの可能性が当然のように浮上してきます」

「あ、あの、部長も真希先輩も何の話をしてるんすか?」

 そこで加奈が戸惑いながら割って入った。

「ん? ああ、ごめん。それは――」

「――恐らくこの三回勝負の結果は、偶然ではなく高嶺さんが意図的に作り出した結果である事を言っているのだと思う。どう?」

 真希が答えようとしたのを静香が遮り、深雪と真希に確認した。

「意図的って……こ、故意って事っすか!? 有り得ないっすよ!?」

 二人が答えるより早く、加奈の驚きの声が室内に響き渡った。

「私もそう思う。でも、二人はそう思っていないみたい」

 静香は同意して見せた後、深雪と真希に確認した。

 深雪と真希は申し合わせたようにアイコンタクトを交わし、深雪が頷き、

「そうでも考えない限り、三回連続引き分けという結果は不可能です」

「そ、それって……?」

 加奈は恐る恐る先を促す。

 深雪はすぐに答えず、麦茶を一口飲み、一息つく。

「――加奈さんは高嶺さんが途中退場した事を不思議に思っていましたよね?」

「え? ええ……そうっすね。でも、それが――」

「関係していますよ。私と真希の仮説が正しいならば、あの行動はこの仮説が真実である事を証明してくれていると言えますから」

「しょ、証明……? ど、どういう事すか……?」

「確かにあの行動は無礼と言えます。でも、ある条件を高嶺さんが満たしていたならば、あの状況でああいう行動を取るのは不思議では無くなります」

「その条件って……?」

「強過ぎる事です。あのような事を意図的に実現出来るほどに。それを気取られ、奇異の目で見られないようにするため――そうすれば、辻褄は合います」

 その時、雷鳴が轟いた。

 何時の間にか、雨が降り出していた。

 雨が窓を叩く音が、沈黙が訪れた部室に妙に大きく響き渡る。

「そんな事って……」

 動揺している事がはっきりと分かる様子で呟く加奈。

 しかし、それは無理からぬ事だ。初心者の加奈でも分かるほどに。

 花札の世界では、運の要素もその人の実力として評価される。

 そして、初心者の加奈でも先ほどの三戦で起きた事が意図的に起こった事ならば、神か悪魔の如き強運を持っていないと不可能である事が分かる。

 そんな人物が身近にいた――この事実に驚くな、という方が無理な話である。

「――ッ!」

 その時、静香が鋭く息をつき、出入り口へと駆け出した。ハッとした加奈が呼び止めたが、聞こえていないのか、無視したのか。静香はそのまま出て行った。

 静香が出て行った後、部室には沈黙が訪れた。

「……少しばかり煽り過ぎましたかね」

 それから少しして、深雪が出入り口の方を見て、申し訳無さそうにぼやく。

 加奈はそれを聞いてハッとし、深雪に呆れた目を向ける。

「……趣味が悪いっすね、部長」

 加奈は気付いたのだ。深雪が故意に静香をたきつけた事に。

 そんな加奈の言い分に、深雪は苦笑して見せた。

「大目に見てください。私と真希は今年がラストチャンスなのですから」

「気持ちは分かるっすけど……。この賭け、かなり分が悪いっすよ?」

 事情を知っている加奈は、だからこそ現実的意見を言った。

 仮に深雪と真希の仮説が当たっていたとして、もしもそうだとしたら、凛々花はのっぴきならない――「嫌い」という一言ではとても片付けられない事情があり、花札に触れていない事になる。単に「嫌い」というだけでも勧誘には骨が折れそうではあるが、事情があると一層厳しい事になる。

「安心してください。その辺りは百も承知しています」

 ですが、と深雪は言葉を切り、

「この勝負、勝てれば高嶺さんを入れて五人――。そうすれば、私達は団体戦に挑戦する事が出来るようになります。だから、勝負したまでです」

 毅然とした態度で言い切り、花札をまとめ、手に持ったそれを加奈に見せる。

「――さて。静香さんの帰りをただ待つというのも落ち着きませんから、部活を再開します。といわけで、加奈さん。気持ちを切り替えてください」

「そうね。ただ待つのも退屈だものね」

 真希がその提案に即座に乗った。

 気持ちを切り替えている二人に加奈は面食らったが、

「了解っす! 次こそは勝ってみせるっすよ!」

 二人の勝負勘を信じ、二人の意向に従う事にした。

 そうして三人は何事も無かったかのように、部活動を再開する。


「――高嶺さん!」

 静香はスロープを下っている女子生徒に声をかけた。

 その人物が高嶺凛々花なのかどうかは分からなかったが、今の中途半端な時間帯に下校しようとする生徒はあまりいない。まして、さっきの今である。

 静香の予想は正しく、その女子生徒は高嶺凛々花だった。

 凛々花は振り向くと、驚いた顔をし、駆け寄ってきて静香を傘に入れた。

 アドリブの強さに内心驚きつつ、その気配りに静香は礼を言う。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 その後、凛々花は「中に入りましょう」と言ってきた。静香は後輩に気を使わせてしまって申し訳無いな、と思いつつもその提案に従い、校舎の中に入る。

 校舎の中に入ると、凛々花は傘を下ろし、水滴を飛ばして傘を閉じ、

「――今度のご用件は、先ほどの対戦の事ですね?」

 まるで、こうなる事が分かっていたような落ち着きようでそう言った。

「…………」

 でも、静香はすぐに言葉を返せなかった。

 凛々花を見つけられて冷静になった思考が、ある事を至らせた。

 ――自分は個人のデリケートな部分に触れようとしている、と。

 先ほどまでは、手加減をされた事やああいう事が出来るのにどうしてあんな戦い方をするのか、という怒りに苛まれていたが、今は違う。冷静になった思考回路で「そうならざるを得なかった」という答えが浮かんでいる。何か事情があって爪を隠す鷹にならざるを得なかった――そんな事が過去にあったのだろう。

 そんなトラウマとも言える部分に知り合ったばかりの自分が触れて良いものかどうか――そう思ってしまうと、聞こうと思っていた事が聞けなかった。

 だが、この状況下では止まるに止まれない。

 意を決し、静香は用件を言う。

「三回連続の引き分けは――故意でやった事なの?」

「やはりその事でしたか」

 やはり、と凛々花は言った。

 なら、それが意味するところは――。

「……何でそんな事を?」

「勝ちたくも無く、負けたくも無かったからです」

「……どういう事?」

「勝ってしまうと鶴ヶ崎さんの時のように変に強い印象を持たれてしまい、かつ先輩の面目も潰してしまいます。でも、大好きな花札で負けるのは絶対に嫌でした。引き分けにしたのは、その二律背反をクリアするためです」

 変に印象付けてしまったので本末転倒ですけどね、と凛々花は付け足した。

 静香は驚いて二の句が告げなかった。

 でもそれは、そういう気持ちで望んでいた事が分かったからではなく、

「――大好きなら何で「嫌い」と言ったの?」

 嫌っているように見えたのに、実際はその真逆だった事だ。

 理解出来ず、想像出来なかった。

 大好きなのにそういう事をしようとする、その思考回路が。

「だからこそ、です。――鶴ヶ谷先輩、今時間に余裕はありますか?」

 唐突に凛々花はそう言った。

「平気」

 聞かなければならない――そう思い、静香は即答した。

「では、ちょっと話をしますので。適当に耳を傾けてください」

 そう前置きし、凛々花は語り出した。


 あるところに一人の女の子がいました。

 そんな女の子の趣味は花札でした。きっかけは両親です。両親が笑い合いながら楽しそうにやっていたので、女の子も興味を持ち、遊び方を教えてもらい、両親と同じように好きになり、何時の間にか大好きになっていました。

 そんな女の子は、ある時友達に言われました。

――『何でそんなに強いんだ?』

 それからというもの、女の子はその事ばかりを考えるようになりました。

 確かに女の子は強かったのです。運の要素が強いはずなのに、女の子は一度も負けた事がありませんでした。何でだろう。どうしてだろう。女の子は幼いなりに一生懸命考え、やがてある事に至りました。

 ――自分は他の子とは違うのかもしれない……。

 それを確かめるべく、女の子はある大会に参加してみました。両親や友達同士ではなく全く知らない人とやれば、分かるかもしれないと思ったからです。

 結果、女の子は答えを得ました。

 両親から「強い人がいるから存分に楽しんできなさい」と言われて望んだ大会でしたが、女の子は特に苦労する事なく、あっさりと優勝したのです。

 でも、女の子が得たのはそれだけではありませんでした。

 女の子は、決勝で戦った相手の子にこう言われてしまいました。

『インチキして勝って嬉しいのですか』と。

 女の子はインチキをしていません。でも、そう言われても仕方ないな、と女の子は思いました。無理もありません。そう言われるほど強かったのです。

 それで女の子は悟りました。自分は疑いようもなく異質である事を。

 その日以来、女の子は一人になりました。あまりに強過ぎる事で気味悪がられ、仲良しだった友達に一人、また一人と女の子から離れていった事によって。

 そして女の子は、花札に触れなくなりました。

 自分を相手にしたり、機械を相手にしたりしてはいたのですが、最初こそ良かったものの、触れている限りは誰かを傷つけてしまうかもしれないのにと思い、こんな触れ方では他の人にも、そして何より花札にも失礼だと考え、ならばいっその事、と触れない事を心に決めたからです。

 大好きだからこその決断でした。


「――話はこれで終わりです。ご静聴、ありがとうございました」

 凛々花はクルリを静香の方を向き、芝居がかった感じで一礼した。

「……その女の子は今でも花札が大好きなの?」

 静香は色々知った上で、一番知りたい事を聞いた。

 話の中の『女の子』が凛々花であり、彼女が語った話は間違いなく彼女が過去に経験した事だというのは、一々質さずとも分かった。そして想像するしかないものの、そういう経験をすれば、こんな人間が出来上がるというのも分かった。

 だからこそ静香はそこがちゃんと知りたかった。

 その答え次第では、彼女を日向に連れ出す事も出来るかもしれない――。

 そしてそれは自分達、引いては彼女のために成り得るはず。

 ここが正念場だ、と静香は自分で自分を奮い立たせる。

「愚問です」

 返答は軽い。が、すぐさま「それなのに」と凛々花は震えた声で言って俯き、

「今日、久々に触れて……誰かとやって……その女の子はこう思いました……。……思ってしまいました! 誰かとやるのはやっぱり楽しいって! 異物扱いされたとしてもちゃんと遊びたいって、思っちゃったんです!」

 不意に胸の内を吐露し始めた。そこに先ほどまでの落ち着いた雰囲気はまるでなく、そこには年齢相応の、ただ花札が大好きな少女がいる。

 少なくとも、静香には今の凛々花の姿がそう映った。

 そんな凛々花が顔を上げる。その表情は怒りと悲しみに満ちていた。

「何で……どうして、そっとしておいてくれなかったの!? 折角……折角今日まで平気だったのに……ようやく平気になれたのに! 何で……何でぇ……」

 凛々花はその場に泣き崩れた。降り頻る雨がその悲痛さに拍車をかける。

 そんな凛々花を見て、静香は凛々花が言った「大好きだからこそ」という言葉の真意を察した。あまりにも強過ぎたがために孤立し、それを受け入れ、その果てに自らに触れる事を禁じた――その決断を子供時代にしていた、という事には驚きだが、それ以上にそれを実行出来てしまうほど好きだった事に驚いた。

 ――やはり触れるべきではなかった。

 後悔先に立たず。安易に踏み込んで良い領域ではなかった。

 だがしかし、踏み込んでしまった以上、考えるべきはどう責任を取るか、だ。

 そして今この瞬間、自分がどうすれば良いのかを、静香は心得ている。

 かつての静香もそうだった。凛々花ほどではないにしろ、静香も周りでは一番強く、負けた事など数えるほどしかなかった。しかし、それは慢心だったと、自分は井の中の蛙だと静香は成長する度に痛感してばかりだった。

 その経験はそっくりそのままこの状況に生かす事が出来る。

 どうなるかは博打。凛々花はそれほどまでに強い。オカルトじみた事を信じたくは無かったが、あんな芸当を見せられた以上信じる他無く、大会にもそういう方向からでしか説明出来ない戦い方をする札士は何人もいた。だが、そんな人達でも凛々花は優々と勝利を掴めてしまうかもしれない、という可能性はある。

 でも、この問題において重要なのはそこではない。

 重要なのは、凛々花に「自分も混ざって良い」と考えを改めさせる事だ。

 それをクリアさせる事が、この状況における責任の取り方。

「――高嶺さん。もう一度だけ花を咲かせてみる気は無い?」

「……嫌です。あんな絶望、一度味わえば十分ですから」

 すっきりしたのか、凛々花は冷静に言って立ち上がり、立ち去ろうとした。

 しかし、静香は腕を掴んでそれを阻止する。

「待って、高嶺さん。話はまだ――」

「離してください!」

 だが、取り付く島も無く、凛々花は静香の腕を振り払った。

 でも、それがまずかった。未だ怒り心頭であるため、力の制御が上手く出来ずに大仰に振り払ってしまった。結果、その反動によって雨で濡れた地面に足を取られ、凛々花の体が大きく傾き、そのまま倒れようとした。

「高嶺さん!」

 が、寸でのところで静香が凛々花に手を伸ばし、凛々花は伸ばされた手を咄嗟に掴んだ。が、雨で濡れた地面によって踏ん張りが利かず、結果的に静香が凛々花に覆い被さる形で昇降口の外へと転倒し、雨の中にその身を晒す事になった。

「いったー……」

 背中を激しく打ちつけ、凛々花は苦悶に顔を歪める。

「だ、大丈夫?」

 静香はそんな凛々花を心配した。凛々花が下なので静香は大事無かった。

「何とか……。鶴ヶ谷先輩は?」

「私は平気」

「そうですか。じゃあ、どいてくれます?」

「それより、話を聞いて」

 静香は改めて凛々花を真っ直ぐ見据えて言った。

「……鶴ヶ谷先輩。この流れでそれは結構ずるいですよ」

 凛々花は呆れながら言った。覆い被さる形であり、背中を打ちつけた事により、少しの間動けそうにない。どうあっても話を聞くしかない状況だ。

「分かっている。でも、こうなったのは貴女にも非がある」

「……鶴ヶ谷先輩って行動的な上に強引ですね」

 凛々花は諦めたように言い、ため息一つついてから言葉を重ねる。

「手短にお願いします。このままでは二人して風邪を引きかねないので」

「分かった。――高嶺さん、怖いのは分かる。嫌なのも分かる。貴女ほどではないにしろ、私も似たような悩みを持った事があるから」

「鶴ヶ谷先輩も……?」

 意外そうな顔だった。自分の苦しみなんて理解されない、そんな顔だった。

 脈有り、と見極め、静香は言葉を続ける。

「そう。でも、そんな私は井の中の蛙でしかなかった。成長して、色んな大会に出て、世界が広い事を知った。私以上に強い人がいる事を知った。だけど、見切りが早過ぎた貴女はそれを知らない。あんな芸当が出来るならばそれも仕方ないとは思うけど、ひょっとしたら全国、もしかしたら県内にも貴女が本気を出せる相手はいるかもしれない。それを知らないままでいるのは勿体無く、何よりそんなに好きなのにやらないなんて、それこそ花札に対して失礼極まりない」

 だから、と静香は言葉を区切り、二拍ほど置いてから口を開く。

「――貴女にとってそういう人がいるのか、私達と確かめに行こう」

 思いの丈は伝えた。

 後は良い方向に思考が傾いてくれるのを待つしかない。


 ――確かにそうかもしれない。

 凛々花は今更ながらその事に気付いた。

 だがしかし、そこで不安が過ぎる。

 ――確かめに行ってもそんな人がいなかったら?

 行くところまで行き、そんな人が現れなかったら――そう思うと怖くて静香の提案を聞き入れる事に迷いが生じた。元より「二度目」を経験したくないがために選んだ道。一度逃げ癖がついてしまった心は中々奮い立たない。

 でも、もし――。

 もしも、そんな人がいたとしたら――。

 そして、そんな人と戦えるのだとしたら――。

 ――それはきっと間違いなく楽しい。

 早々に絶望してしまったからこそ、単純にそう思えた。

 だからか――、

「――鶴ヶ谷先輩。私、やってみようと思います」

 そんな言葉が自然を出た。

 それを祝福するように、雨は何時の間にか止み、陽光が彼女達に降り注いだ。

 

「――良い返事」

 憑き物が落ちたような吹っ切れた顔をする凛々花に、静香は微笑んで見せ、胸中では良い方向に思考が傾いてくれた事に安堵し、凛々花の上からどいた。

 静香がどくと、凛々花は立ち上がり、静香を見て唐突に笑い出した。

「どうしたの、急に?」

「あ、いえ。冷静になってみると凄い状況だったな、と思いまして」

「あー、確かに」

 雨の中で寝転び、語り合っている――傍から見れば凄い光景である。

「時に、鶴ヶ谷先輩。入部するにはどうしたら良いのか分かります?」

 そう問われた静香は返答に困った。途中で入る事などやった事が無いので、いきなりそんな事を言われてもどうすればいいのかまるで分からなかった。

「うーん……。とりあえず、職員室に行ってみる?」

「やはりそこですよね。じゃ、ちょっと行ってきます」

 言うが早く、凛々花は校舎の奥へと歩みを向け、静香は慌てて追いかけた。

 

 所変わり、再び宿直室。

「じゃ、早速――」

「あ、ちょ、ちょっと待ってください!」

 扉の取っ手に自然と手を掛けた静香を凛々花は慌てて止めた。

 静香は不思議そうに凛々花を見る。

「何故止める?」

「いや、その……いざ本番となると、何だか緊張してきちゃって……」

 あはは、と凛々花は苦く笑って見せた。

 先ほどはやる気に満ちていたし、今もそれは変わらないが、こういう形式がかった事はあまり経験が無く、思い立った内にやればどうにかなるかなー、と思っていたが実際にはそうならず、緊張してしまっている。

「意外と臆病?」

「……かもしれません。でなければ――」

「――ああもう! まだるっこしいわね! さっさと入りなさいよ!」

 突如、内側から扉が開かれたかと思えば、真希の怒声が飛んだ。

「ごもっとも」

「で、ですよねー」

 正論を言われてたじろぐ二人。

「全くよ――って!? 二人ともずぶ濡れじゃない!? タオル、タオル!」

 納得した真希は、二人の姿を見てぎょっとし、室内に取って返した。

「女は度胸。さっさと入る」

 静香に入るように促され、凛々花は宿直室にぎこちない動きで入室する。

「さっき振りっす」

「同じく先ほど振りです」

 中に入るとこいこいに興じている加奈と深雪が手を止め、挨拶してきた。凛々花は軽く会釈を返す。すると、頭の上にタオルを乗せられ、頭を拭かれた。

「ああもう、こんなに濡れて。風邪引いたら事じゃない、全く……」

 真希は凛々花の頭や服を拭きながら文句を垂れた。

「す、すみません……」

 何だか申し訳無くて凛々花は謝った。

「礼には及ばないわ。同じ部員として当然の事をしているだけだもの」

「え? どうして――って、当たり前でしたね」

 つい先ほどまで宿直室の前で静香と共にさっさと入部届けを提出してしまえだの、でも緊張するしだの、と口論していた。中には丸聞こえだったに違いない。

「そういう事よ。というわけで、歓迎するわ! ようこそ、花札部へ!」

 タオルを大仰に取りつつ、真希が声高に宣言した。

「――真希。それは私の台詞ですよ?」

「ふふん♪ こういうのは早い者勝ちよ、早い者勝ち!」

「全く……貴女と言う人は……」

 はあ、とため息をつくと深雪は凛々花の方を向いて、お辞儀する。

「真希さんに美味しいところを持っていかれましたが――高嶺さん。私達花札部は貴女の入部を心より歓迎します。これからよろしくお願いします」

「ウチの事もよろしくっす! ひよっこだから色々教えてくださいっす!」

「加奈は特によろしくされる必要がある。ともあれ、よろしく」

「あたしの事もよろしく頼むわ。ばっちり盗ませてもらうからそのつもりで!」

 四人の歓迎の言葉を聞き、凛々花は慌ててお辞儀をする。

「ど、どうも! こ、これから先、よろしくお願いします!」

「初々しいわねー。一年前の誰かさんを思い出すわ。そう思わない、深雪?」

「そうですね。静香さんもあんな感じでした」

「そう? 私はもっと跳ね返りだった気がするけど?」

「静香お姉ちゃん、それ自分で言う事じゃないっすよ」

 そんな暖かい空気の中、凛々花は初心を思い出していた。

 自分も昔はこんな感じだった。難しい事を考えず、ただ我武者羅に、遮二無二に、純真無垢に花札を楽しんでいた。久しく忘れていた気持ち。

 だからこそ、凛々花はこう思った。

 ――こんな人達に出会えたなら、あの挫折も悪くなかったかもしれない。

 そう思ったら、自然と笑いたくなり、堪らず笑った。

「――皆。高嶺さんに笑われてる」

 めざとく見つけた静香が皆に伝えた。

 それで皆の視線が凛々花に集まる

「ま、これだけバカ騒ぎしていたら、そりゃ可笑しくもなるっすよね」

「今日くらい舞い上がっても許されるわよ。何と言ってもこれで大会に――そうだわ! 円陣組むわよ、円陣! 目指せ大会! みたいな感じで!」

「いきなり?」

「真希先輩、ホントにテンション高いっすねー」

「いいからやりますよ。集まってください」

「そうよ、そうよ! ほら、早く集まる!」

 最上級生である二人が一番乗り気だった。静香と加奈は互いに顔を見合わせた後、言われた通りに深雪と真希に近づいた。凛々花も恥ずかしさを堪えて集まる。

 全員が集合すると、それぞれ手前に手を出し、適当に重ねる。

「真希。これは流石に譲ってください」

「言われなくてもそうするわ。だから早く」

「分かりました。――では皆さん、ご唱和ください」

 一瞬の沈黙、そして――。

「目指すのは全国大会優勝です! 気合い入れて行きますよ! ファイト――」

「「「「「オー!!」」」」」

 宿直室に五人の少女の気合いが入った声が響き渡った。

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