紡ぎの文
ひとと共にいきられないことを知ったのは、いつのときだったでしょう。
どのくらい前か、もう正確なときは覚えておりませんが、あれはわたしがまだ、ほこりのように空気のなかを漂っているころでございました。
あのころのわたしは、いつもふうわりふうわりと、風の流れに逆らうことなく、打たれる雨を拒むことなくゆらいでいるだけのものにございました。
陽は暖かく花は匂い、鳥の囀りに虫の音色。なにに不満があるわけでもなくどこへ行きたいわけでもなく。ただただ、日を重ねることを不変としていたのでございます。
わたくしの存在は薄い靄のようでございましたので、ひとたちがわたくしに気付くことは殆どありませんでした。ときにはわたくしの気配を感じ取り、その場からすいと去ってゆくひともおりましたが、そんなことは稀でございました。
またわたくし自身、ひとと関わろうと思うこともありませんでしたので、不便は感じておりませんでした。
いつのころだったでしょう。
あるほがらかに緑葉の笑む日だったと存じます。わたくしはいつものように、風や水へ身を任せてゆうらりゆうらりと漂っておりました。
珍しく鳥の鳴かぬ、閑な日でございました。
わたくしがゆらゆらと川面を辿っておりますと、ひとつのなきごえが聞こえてまいりました。
薄い靄のようなわたくしが、ものを見たり聞いたりすることを不思議にお思いになるかもしれません。しかしわたくしは在ってからこの方、ひとと同じように見たり聞いたりすることができていました。そしてそれは、わたくしにとっては当たり前のことだったのでございます。
わたくしはそのなきごえにふと興味を覚えました。今までひとの世を流れ続け、なきごえなど幾度となく聞いております。それでもそのときの声に、わたくしはひとかけの好奇心が生じたのでございます。
珍しくわたくしは進む方向を決め、ふようりふようりとそのなきごえの方へと漂いました。
それは川縁から聞こえており、わたくしの緩慢な流れでもそうかからずに辿り着くことができました。
こえを上げていたのはひとりの小さな幼子でございました。それは確かに泣き声でしたし、実際に幼子のひとみからも雫がはたはたと舞っておりました。
わたくしはひどく驚愕いたしました。数え三つにもならない幼子が泣いている様子を見て、あれほど驚いたことは後にも先にもこのときだけでございます。
幼子は泣いておりました。
若々しく伸びた草を千切り食い、生に執着した眸に怒りにも似た炎を灯らせながら。
それからわたくしは、終始その幼子の周りを漂うようになりました。常のわたくしからすればまずないことでございます。
わたくしは強かに生きようとするその幼子に、どこか憧れすら抱いていたのでございましょう。それまでただ在るがままに流れていたわたくしにとっては、その幼子の衝撃は計り知れないものでございました。
幼子は生まれてこの方ひとりだったのか、それとも親のあった時期があったのか。判然としませんでしたが、ひとりでも逞しく生き抜こうとしておりました。
あるときなど、生水を飲みひどい腹痛に苦しんでおりました。わたくしは居ても立ってもいられず、それまでひとの世を漂ってきた知識をひっくり返し、腹痛に効く薬草を取りに参りました。
されど薄い靄のようなわたくしでは、薬草を見つけても、それを採ることも、煎じることも適いません。わたくしはこのとき初めて、我が身の在り方に憤りを覚えました。
薬草は目の前にある。煎じ方も識っている。これさえ採って帰れば、あの子供は助かるというのに。
手の届かない絶望と、吐瀉を続けていた子供の姿、遣り切れない怒りがわたくしのなかで狂い回りました。
手があれば。この薄靄の姿のままでいい。ただ、ひとの手を。それさえあればこの薬草を採って戻ることができる。
強く、余程強く思ったのでございましょう。その思念は、それまでのわたくしを全否定する形で現実となりました。
薄い靄としてしか存在し得なかったわたくしから、するりとひとの手が現れたのでございます。
わたくしは大層驚きましたが、今はそれどころではございません。数種類の薬草を引き抜き、手の生えた靄という不気味な姿のまま、幼子の居る荒ばら屋まで奔りました。
幼子はぐったりと倒れておりました。もう吐くものもなかったのでしょう、胃酸の酸い匂いがいたしました。
わたくしは大慌てで薬草をすり潰し、焦れながらも白湯を用意し幼子の口へと含ませました。最初は口の端からこぼれておりましたが、次第に幼子は薬湯を嚥下し始めました。
わたくしはひどく安堵し、薬湯を飲ませ終わると、そのまま寝息を立て始めた幼子を見やり荒ばら屋の外へと出たのでございます。
ひとまずは安心だ。されど何か食べさせなければ。
靄から手が生えた姿は人目に付く。
それを避けるためにわたくしは山へ入り、一匹の兎といくつかの山菜を採って戻りました。
そっと木板の隙間から幼子を見やると、まだ幼子は眠っているようでした。そこでわたくしは随分と便利になった手を使い、兎を捌き山菜を炊いていたのでございます。
もう少し、気付くのが早ければ。わたくしが幼子の成長を見ることにはならなかったのでございましょう。
ふと気付くと、目を覚ました幼子がじっとわたくしを見ておりました。
余りの驚きに、わたくしは暫し、止まってしまいました。
靄から手が生えている不気味な姿でございます。その靄すらひとに気付かれることは稀で、幼子から見れば宙に手だけが浮いている光景でございます。
冷や汗どころではございませんでした。ある種、幼子が生水に苦しめられていた先ほどよりも激しい混乱の中におりました。わたくしが生身のひとであったなら、屹度油汗が滝のように流れていたのでございましょう。
わたくしは兎に角幼子の前から消えなくてはと思い、穴の開いた鍋を器用に傾け使っておりました山菜煮に蓋をし、焼けた兎の肉を指さし幼子に食べ物だと教え、数ある板戸の隙間から逃亡を試みました。
わたくしに口があるのなら、もう生水は飲むなと伝えたかったところでございますが、現状ないものは仕方がないと隙間へ腕を半分通したところでございました。
ひしっと、腕が前へ進まなくなりました。
引いても押しても、という表現は適切ではないのでございましょうが、とにかく、どうやっても腕が動かなくなったのでございます。
しかもそれは片方の腕だけで、もう片方はやや上へ、やや下へと動きます。それでもわたくしの本体は靄のようなものでございましたので、片方動かなくなるとやはり大きくうごくことはできませんでした。
もう外はすぐなのに、と思い。なぜ動かないのかと振り返ります。
そしてわたしは、この幼子に逢ってからこの方、一体幾度驚愕に心の臓が飛び出しそうだと思ったことでございましょう。
もちろん、わたくしに心の臓はございませんが。
動かない腕の先を見やると、幼子が、わたくしの手を掴んでおりました。
わたくしを恐れない幼子に、わたくしの方が恐れを感じました。
人外のものに恐れなく触れるこの幼子は、ひととして生きるには屹度辛かろう。
そうしてわたくしは、決めたのでございます。
なればわたしと逢ったも縁。この幼子がひととして生きられるよう、わたしが育てるもまた。
それからは忙しくも楽しい日々が続きました。
まずわたくしには口がございませんでしたので、手の次に口を作りました。幼子は殆ど話せなかったので、ひとの言葉を教える為でございました。
次に幼子に乞われたのは眼でございました。手と口だけでは、わたくしが何を視ているのかわからぬと言うのです。そして耳、やはりわたくしが何を聞いているのかわからぬと言われ、どこへ行くのかわからぬと足を、疲れたからおぶさりたいと背を、ぶら下がるから肩をと、気づけばわたしの姿はひとと同じになっておりました。
そしてわたくしは、名のなかった幼子に、ひとつの名を付けていました。
初めて見つけたときの眸と草がひどく印象付けられておりましたので、蒼葉、とその幼子を呼びました。
生に執着していたあの眸が、青い炎のように見えたのでございます。
蒼葉はわたくしを「かか」と呼びました。わたくしの姿が、女子のものだったからでございましょう。
わたくしはそれまでひとの世を漂って参りましたので、蒼葉に教えることには事欠きませんでした。
森の中で食料を採り、読み書きは土の上で教えました。そして時折、蒼葉ひとりで町へと行かせました。
最初のころ、蒼葉がせがむので、何度か一緒に町へ下りたことがございました。されど元が薄い靄のわたくしでございます。姿形はひとのなりをしていても、色の薄く、髪の真白いわたくしは気味悪がられました。そしてそのようなわたくしと一緒に居る蒼葉も、子供に石を投げられました。
蒼葉は気にしないし平気だと笑っておりましたが、わたくしは蒼葉の額から流れる血を見てもう共に町へは下りるまいと決めたのでございます。
山で採れたものをそのまま町へ売りに行ったり、細工を作るなどして時折蒼葉を町へやりました。
生きていくだけなら、この山でも事足りましたが、わたくしと違い蒼葉はひとの子。いつかちゃんと町で生きていけるようにしてやりたかったのでございます。
蒼葉が十四になったころでしょうか、いつものように町から帰ってきた蒼葉が何やら挙動不審になっておりました。
火を頼めば鍋に吹きかけ、水をと言えばしばらくして魚の泳ぐ桶を持って来、飯ができたと言えば箸を逆さに持って食べ始めたのでございます。
その様子があまりにもおかしいので、わたくしは蒼葉にどうしたのかと訊ねました。
蒼葉はその時食べていた芋をのどに詰まらせ慌てて白湯を流し込みしばらく急き込んでから、顔を赤面させて黙り込んでしまいました。
眼も顔もわたくしを向いておりましたが、手先や足先はやはりきょどきょどと動いております。
わたくしはひとではありませんが、ひとの世のことやひとのことは識ってございます。蒼葉の行動と、その赤面を見れば、何を思っているかくらい想像がつきました。
好きな女子でもできたかと問えば、蒼葉はなぜわかったのかと口を開け閉めした後、耳まで赤くしながら白状したのでございます。
わたくしはひどく嬉しくございました。ひとならぬものに育てられた蒼葉が、ひととしての恋慕の情を、立派に培っていたのでございますから。
蒼葉の想い人は、町外れにある茶屋の娘でございました。取り立てて繁盛しているところではありませんでしたが、気立てのよい明るい娘だと聞いておりました。
わたくしに反対する理由などあるわけありませんでしたが、わたくしのようなものを母として慕う蒼葉が、その娘に受け入れられるかどうかが不安でございました。
わたくしが喜ぶ半面、懸念することもわかっていたのでしょう。
蒼葉は赤面しながらも明るく笑いました。
「かかは心配せんでええよ。おれの母は母者だけやから。おれのことも、かかのこともきっとわかってくれる娘や。」
そのときに流した涙を、わたくしは生涯忘れることはないでしょう。
そしてわたくしにとっては意外なことに、蒼葉の言葉通り茶屋の娘との縁談は何の支障もなく進んでいきました。縁談と言いましても、町民と山に住む蒼葉とのことでございます。娘と娘の爺さまとやっている茶屋に蒼葉が住むということで話がまとまりました。
わたくしはふたりが夫婦になることを心から喜びましたし、娘の爺さまも蒼葉に好感を抱いていてくださるということでございました。
蒼葉が町へ下りる際、わたくしも共に下りようと蒼葉に言われました。しかしわたくしが一緒に居ては、蒼葉だけでなく、折角蒼葉と夫婦になってくれる娘にも、その爺さまにも迷惑がかかります。町外れとはいえ、茶屋の商いにも支障をきたすでしょう。
わたくしはあの薄い靄しか入っていないひとの形をした姿で、蒼葉を抱きしめました。
蒼葉、わたしのようなものに育てられたのに、お前は立派に育ってくれた。わたしはお前がそうやって言ってくれるだけで十分だよ。
ささ殿と一緒に幸せにお成り。
蒼葉はわたしをぎゅっと抱き返すと、「行ってきます。」と山を下りて行きました。
わたくしはひとではございませんので、蒼葉が山を下りてからは物を食べることもなくなりました。それまでは、蒼葉に箸の持ち方や煮炊きの仕方を教えるために共に箸を動かしておりましたが、もうその必要もなくなったのでございます。
そう思うと、どこかものさびしいと感じるような気がいたしまして、わたくしは薄い靄のようなものだったのにと不思議とおかしくなったものでございます。
一度得たひとのすがたは、山にひとりいても変わることがございませんでした。
人里や町へ下りることもないのですから、ひとのすがたである必要はないといいますのに。
あのとき蒼葉に出会わなければ、わたくしは今も靄のように漂い流れていたのでございましょう。
わたくしは変わらず、色の薄い、白いひとのすがたで山におりました。
半年も経ったころだったように思います。板戸が叩かれたのでございます。
町へと下りた蒼葉はあれから一度も訪ねては参りませんでしたし、わたくしも知らせがないことが蒼葉の幸せと思っておりました。
なので、ひとのおとないなど思いもよらなかったのでございます。
わたくしは驚きましたが、一度叩かれた戸は、少ししてもう一度叩かれました。
そうなると開けないわけにも参りませんので、蒼葉が去ってからやや重くなった戸を開けるとひとりの娘が立っておりました。
わたくしを見た瞬間、娘は眼を見開きましたが、何がおかしいのかくつくつと笑い目じりに浮かんだ涙をぬぐうのでございます。
その様子に、わたくしは思わず呆れ返りました。
ひとならぬものを母と慕う蒼葉も蒼葉だが、その蒼葉と夫婦になったささ殿も大概変わり者か。
「はじめまして。おっかさん。」
後から聞けば、あのとき蒼葉は遠目にわたくしとささ殿の様子をうかがっていたそうでございます。なれば一緒に来ればいいものをと言えばわたくしとささ殿がどのように互いを見るかが楽しかったそうでございます。そのように育てた覚えはなかったように思いますが、ひとの子というものは親の思いとは少々外れた方向に育つようでございました。
わたくしとささ殿が話し始め少ししますと蒼葉もやって参りまして。
半年帰らなかったのは、茶屋の離れにわたくしが住む小屋を建てていたからだと言うのです。
そのようなことをせずともいいと言いましたのに、蒼葉はせっかく建てたのだからと言いますし、ささ殿も笑顔で来てくださいと繰り返します。
とうとう根負けいたしまして、わたくしは町外れに住むことになったのでございました。
それからのことを細かく申しますと大変長くなりますので省略いたしますが、大変楽しい日々でございました。
山にいたときから作っていた蒼葉の細工は、茶屋の傍らで売られなかなかの評判でございましたし、わたくしも人目につかぬようにはしていましたが、蒼葉やささ殿その爺さまとはよく会っておりました。
しばらくするとささ殿が身籠り、蒼葉が困惑しながらも喜んでおりました。
蒼葉がひとの親になったか。
嬉しそうに笑うわたくしに、いつかと同じくらい赤面した蒼葉が恥ずかしそうにささ殿の肩を抱いたのでございました。
ひとの一生とは短いものでございます。
その後も三人の子宝に恵まれ、蒼葉とささ殿は幸せな日々を送っておりました。
ささ殿の爺さまは四人目の幼子を見届けると、満足とばかりにその翌年、穏やかに眠られたのでございます。
蒼葉の子供たちが大きくなるころには、蒼葉も年をとっておりました。
わたくしのすがたは変わらず、しかしそれを気味悪がることもなく母と呼ぶ蒼葉に幸せだと思いながらもいつか来る別れにおびえていたのでございます。
「かか。」
虫の鳴かぬ、閑かな夜にございました。その年蒼葉は五十四になっておりました。
ささ殿は蒼葉が五十のときに先立ち、子供たちはとうに自立して、子供のひとりが継いだ茶屋の離れた小屋で一緒に月を眺めていたときでございました。
「かか。」
蒼葉も老いた。育てようと決めたときには、まだ三つにも満たない幼子だったというのに。
月の遠い、春先の風が頬を撫でてゆきます。あれもまた、薄い靄だったときのわたくしのようなものなのだろうか。
しばらく無言で月を仰いでいた蒼葉が、わたくしを見て穏やかに笑いました。
「かか、おれを育ててくれてありがとうな。」
年を重ねた柔和な笑みが、なぜか三つの幼子の笑みとかぶったのでございます。
わたくしはそのときなにも言えず、ただ老いた息子の頭をありったけの慈しみを込めてなでたのでございます。
蒼葉が逝ったのは、その三日後のことでございました。
随分と長くなってしまいました。こんなに長くては、蒼葉に長いと怒られるかもしれません。
わたくしとてこのように長々と書く気はなかったのだと申せば、ささ殿と一緒に呆れられそうでございます。
わたくしは蒼葉が逝ってから、小屋をさりました。蒼葉の子供たちはそれぞれ立派にやっておりましたし、わたくしがひとり住むにはあの小屋には思い出がありすぎました。
あれからいくつかの時代を過ぎ、ようやく、わたくしはあのろこの思いを振り返ることができるようになったのでございます。
今日ここにしたためましたのも、大切な記憶を、届けたかったからでございましょう。
ひとならぬものがひとと共に生きた、短く、幸せだったときの記録を。
今日の青空は透き通る蒼でございます。蒼葉の蒼は、空の色でもございました。
この空のように広く、みなに愛されるひとであってほしいと。
今はもうアスファルトの下になってしまった蒼葉の墓に、久方ぶりに足を運んだのはこの空がわたくしを連れてきたのでございましょうか。
ひとと共に生きられないことを知ったのは、あのときだったのでございましょう。
けれど、ひとと共に思いを紡ぐことができることを知ったのも、あのときだったのでございましょう。
わたくしはひとつ息を吐き、かつての息子たちの墓の上へ、長くなってしまった文を置きました。それはすぐに風に舞い上げられ、
『かか』
「蒼葉、」
遠く遠く澄んだ蒼い空へと、消えていったのでございます。
終