断罪された悪役令嬢が誰よりも長生きした件について~
百歳になった朝、私は縁側で薬草茶を飲んでいた。
庭先では、ミーナが祝いの花輪を抱えて右往左往している。さっきから三回同じ場所で転んだ。花輪はもう半分ほどしか残っていない。
「リリアーナ様、おめでとうございます! 百歳ですよ、百歳!」
「ありがとう。ミーナ、花びらが頭に乗っているわ」
村のみんなが朝から入れ替わり立ち替わり顔を出して、パンだの蜂蜜だのを置いていく。かつて読み書きを教えた子どもたちは孫を連れてやって来る。
ずいぶん長く生きたものだ。
お茶の湯気を眺めていたら、ふと、あの夜のことを思い出した。ゆっくり歩きたいと願った私が、一番ゆっくり歩いてしまったその始まりの夜を。
*
王太子殿下に指を差されたのは、卒業を祝う夜会の最中だった。
シャンデリアの光がやけに眩しくて、私はぼんやりそれを見上げていた。今日は蝋燭がたくさん灯っている。誰が火をつけて回ったのだろう。きっと何時間もかかったはずだ。
「リリアーナ・ヴェルノア! 聞いているのか!」
聞いていなかった。ごめんなさい、と素直に思う。
殿下の腕の中には、男爵令嬢のセシリアさんが震えながら収まっていた。いわく、私は彼女の教科書を破き、階段から突き落とそうとし、茶会で毒を盛ったのだという。
どれも初耳だった。教科書は破いていないし、階段は手すりを握って慎重に下りる派だし、毒どころか、お茶に砂糖を入れすぎて怒られたことしかない。
けれど、広間を見回して分かった。みんな、もう決めてしまっている。反論の言葉を探しかけてやめた。話の通じない相手に使う時間は、蜂蜜を瓶の底まですくう時間よりもったいない。
「婚約を破棄し、辺境への追放を命じる!」
……へんきょう。
その響きに、胸の奥がふわりと軽くなるのを感じた。
妃教育は朝から晩まであって昼寝の時間すらなかった。庭の花を眺めていたら「王太子妃は立ち止まらない」と叱られた。私はずっとゆっくり歩きたかったのだ。
「……承知いたしました」
私は深く礼をした。笑ってしまわないように少しだけ苦労した。
*
屋敷に帰ると侍女のミーナが玄関で待っていた。お茶の支度をして待っていてくれたらしく、ティーポットを大事そうに抱えている。
「おかえりなさいませ、お嬢様。夜会はいかがでしたか?」
「婚約を破棄されて、辺境に追放になったわ」
「そうですか、婚約を……」
ミーナは頷いて、それから首を傾げた。
「……はい?」
ティーポットが手から滑った。ミーナは宙で慌てて受け止めたけれど、中身は盛大にエプロンへこぼれた。
「あちっ!」
それでも彼女は、涙目のまま叫んだ。
「ひ、ひどいです! お嬢様がそんなことをなさるわけがないのに! 私、今から王宮に行って抗議してきます!」
「ミーナ、それは玄関の傘立てよ」
「傘立てにも抗議します!」
傘立てに向かって拳を振り上げる彼女を私は後ろからそっと抱えて止めた。エプロン越しに小さな震えが伝わってくる。
「大丈夫。私ねちょっと嬉しいの。これでやっと、ゆっくりできるもの」
ミーナはぽかんと口を開けてそれから涙をぼろぼろこぼした。
「お嬢様のそういうところ、大好きですけど、大嫌いです……!」
「ありがとう」
「褒めてません!」
それでも翌朝、ミーナは自分の荷物と私の荷物を取り違えて詰めながら、当たり前のように言った。
「私も、お供します」
空の荷造り箱には、なぜかティーポットだけが三つ入っていた。
私が誕生日ごとに送ったものだった。いちばん丁寧に布でくるんでいる。ミーナは自分の着替えを入れ忘れてもこれだけは忘れなかった。
*
馬車を乗り継いで十日。たどり着いた先は、地図の端っこに「たぶんこのあたり」と書かれていそうな村だった。
与えられた家は、村はずれにぽつんと建つ石造りの小さな屋敷だった。どこかの貴族が別荘として使っていたものらしいけれど、主を失って久しいのか屋根には穴が開いていてそこから空がよく見えた。庭だったらしい場所では枯れた草がそよそよと揺れている。
「お、お嬢様……ここ、人が住めるのでしょうか」
「風が入ってくるのなら、洗濯物はよく乾きそうね」
「そういう問題でしょうか……!」
ミーナは荷物を抱えたまま玄関の段差に爪先をひっかけて転んだ。ティーポットが三つとも無事だったのは、ほとんど奇跡だった。
*
最初の数日は、とにかく片づけだった。
屋敷では掃除も料理も使用人の仕事だった。私は、彼らの話を聞くのが好きだった。ミーナの母は洗濯女で「灰を溶かした水で洗うと汚れが落ちる」と教えてくれた。厨房の料理長はパンの生地を寝かせる時間によく料理について話してくれた。
本もたくさん読んだ。薬草の図鑑、農書、旅の記録。妃教育では役に立たないと言われた本ばかりだったけれどここでは全部が役に立った。
屋根の穴には板と藁を重ねて布を張った。庭の石を拾って並べ畑の形をつくった。出来あがった畝は少しだけ曲がっていた。
「お嬢様、畝がミミズみたいです」
「ミミズのほうが土も喜ぶかもしれないわ」
「喜ぶでしょうか……」
ミーナが水を汲みに行って桶を二つ井戸に落とした。引き上げるのに半日かかった。
*
五日目、村の人たちが様子を見にやって来た。
追放された貴族令嬢がどんな人なのかと遠巻きに見ていたらしい。先頭にいたのは、日に焼けた顔のおばあさんだった。
「あんた、本当に貴族かい? 手が土だらけじゃないか」
「はじめまして。リリアーナと申します。畑を始めようと思いまして」
「その畝じゃ水がたまるよ。貸してごらん」
おばあさんは鍬を取り上げてあっという間に畝を直してしまった。それを離れたところから見ていた子どもたちが、わっと集まってくる。
「お姉ちゃん、お姫様なの?」
「元、ね。今はただのお茶が好きな人よ」
私は裏庭に生えていたカモミールとミントを摘み、鍋で煮出して配った。使用人たちから聞いた「庶民の知恵」と図鑑の知識を合わせただけの、素朴な薬草茶だ。
子どもたちは、ふうふう吹きながら一口飲んで、目を丸くした。
「あまい!」
「ほっとするね!」
おばあさんも一口飲んで、鼻を鳴らした。
「……悪くないね。うちの孫咳が止まらなくてさ。これ、分けてもらえるかい?」
「もちろん。明日、乾燥させた分もお渡ししますね」
その夜、屋根の板の隙間から星が見えた。ミーナは毛布にくるまって小さく寝息を立てている。
ここでなら、ゆっくり生きていけそうだ。私は目を閉じた。
*
村に来て半月ほど経つと、子どもたちは毎朝のように家の前へ集まるようになった。
「リリアーナ姉ちゃん、今日も畑?」
「ええ。でも、お昼で終わりにするわ」
「じゃあさ、森に行こうよ! 山りんごが、もう赤くなってるんだ!」
先頭で跳ねているのは男の子のルカ。その後ろで妹のアンナが私のスカートの端をそっとつまんでいる。人見知りだった彼女がいつの間にか隣を歩いてくれるようになっていた。
森の道は、思ったより明るかった。
木漏れ日を見上げて歩いていたら低い枝に額をぶつけた。ルカが腹を抱えて笑い、アンナが「大丈夫?」と背伸びして額を撫でてくれる。
しばらく歩くと、道の先にひときわ大きな山りんごの木が見えた。枝いっぱいに赤い実がなっている。けれど低いところの実はもう摘ままれてしまったらしく、残っているのは手の届かない高い枝ばかりだった。
「お嬢様、私が取ってまいります!」
ミーナが意気込んで山りんごの木に挑んだ。、目をキラキラさせている。こういう目をしたミーナが無事に済んだ例は、あまりない。
手と足をかけぐいぐい登り、大人二人分のほどの高さだった。枝の上でぴたりと止まる。
「……お嬢様、降りられません」
「どうして登ったの?」
「登れたからです」
総出で下から支えてなんとか降ろした。ミーナの髪には葉っぱがいっぱいで、ルカが「山の神様みたい」と言いみんなで笑った。
子供たちのおかげで籠はすぐに山りんごでいっぱいになった。小さくて少し酸っぱそうだけれど、赤い皮がつやつやしている。野いちごも摘んだ。アンナは、自分の口と籠にだいたい半分ずつ入れていた。
帰り道、私はずっと台所のことを考えていた。
あの家の台所には、別荘だけあって立派なかまどが残っている。煙突の煤は払ってあるし、薪ももう十分に積んである。あのかまどならきっとおいしく焼けるはずだ。
王都の屋敷の料理長は、仕事の合間によく話してくれた。「酸っぱい果物は、蜂蜜と火を使えば立派な菓子になるんですよ、お嬢様」と。
家に着くとさっそく、かまどに火をいれた。
おばあさんに分けてもらった麦粉に、冷たいバターを細かく刻んで混ぜる。指先でさらさらになるまですり合わせ、水を少しだけ足してまとめたら、布をかけて寝かせた。
待っているあいだに、りんごを薄く切る。寝かせた生地を丸く伸ばし、りんごと野いちごを並べて、蜂蜜を垂らした。端を内側に折りたたむと、少し歪んだ素朴なパイの形になった。
ミーナが分量を間違えて、蜂蜜をスプーン三杯分多く入れた。
「……甘すぎるかしら」
「焼けば、きっと分かりません」
焼きあがったそれはとても甘かった。けれど、りんごの酸味と合わさって思ったよりも悪くなかった。
甘い匂いは、煙突から立ちのぼる煙に乗って、風とともに村中に広がったらしい。
気がつくと、家の前に人が集まっていた。子供たち、それにまだ遠巻きに見ているだけの大人たちだ。みんな煙突を見上げては、鼻をひくひくさせている。
「よろしければ、みなさんお茶にしませんか?」
大人たちは顔を見合わせて誰も動かなかった。先に動いたのは子どもたちだった。「やったあ!」と庭へ駆け込んでいくのを見て、一人、また一人と、おずおずと門をくぐってくる。
庭の隅には別荘だった頃の名残の古い石のテーブルが残っていた。ミーナが布巾で拭いて椅子代わりの丸太を運んでくる。丸太は三本目で足の上に落ちた。
「お嬢様、ティーポットを出してもよろしいでしょうか」
「ええ、お願い」
ミーナは大事そうに荷物の中から三つのティーポットを取り出した。そのまま全部をテーブルに並べる。薬草茶を三つのポットに分けて注ぐので庭にはたちまちミントとカモミールの香りが満ちた。
私は焼きたてのパイを切り分けて順番に配っていった。最後に門の前で腕を組んだままの人に、そっと差し出す。村はずれで鍛冶屋を営んでいる大柄なおじさんだった。
おじさんは熱いのを我慢してひと口かじりしばらく黙った。
「…………うまい」
その一言で、まわりの空気がふっとゆるんだ。
子どもたちは丸太に並んで座り足をぶらぶらさせながら、頬いっぱいにパイを詰め込んでいる。大人たちも、いつのまにか石のテーブルの周りに集まって世間話をはじめていた。
「僕が最初に食べたんだぞ!」とルカが威張り誰かが笑った。アンナは、自分の分を半分に割って私にそっと差し出してくれた。
ミーナは三切れ目に手を伸ばして、おばあさんに叱られていた。
翌朝、玄関の前に、卵が三つと、かぶが五つ、そして手のひらほどの大きさの干し肉が置かれていた。
誰からとも書いていない。けれど、ちゃんと分かった。
追放された貴族の令嬢は、少しずつ「リリアーナさん」になっていった。
*
きっかけは、アンナだった。
ある雨上がりの午後、彼女は私の家の前にしゃがみ込み、濡れた地面を木の枝でがりがり引っかいていた。
「アンナ、何を書いているの?」
「……お姉ちゃんの名前。でも、書き方が分からないの」
地面にはぐにゃぐにゃの線が並んでいた。ミミズが輪になって踊っているようにも見える。私は隣にしゃがんで枝を借りた。
「リ、リ、ア、ー、ナ。ここは、こう」
ゆっくり書いて見せるとアンナは真剣な顔で真似をした。三回目で「リ」がちゃんとした「リ」になった。
「できた!」
その声に遠くで遊んでいたルカたちが寄ってきた。
「何してんの?」
「字よ。名前の書き方を教えているの」
「いいな。俺のも書いて!」
気がつくとうちの庭には子どもが七人しゃがんでいた。
*
それから、午後のお茶の時間は、青空教室になった。
黒板はない。畑の端に拾ってきた平らな石を並べた。炭と水で字を書くと石の上に黒い線が浮かび、日向に置いておけばすっかり消える。何度でも書けて書き損じを恥ずかしがることもない。
ミーナも、なぜか教師役として参加した。
「では、みなさん。今日は私がお手本を……」
彼女は張り切って石に炭を走らせ、書き終えて、胸を張った。
「どうでしょう!」
「ミーナ姉ちゃん、それ、ちがうよ!」
「えっ」
私はそっと間違いの部分に指を伸ばした。「ミーナ」の「ー」だけが、なぜか三本続いていた。
「ミーナ、伸ばし棒は一本よ」
「長生きしそうな名前にしたかったんです」
「それは字の長さでは決まらないと思うわ」
子どもたちは、お腹を抱えて笑っていた。笑いながら、ちゃっかり石に書かれた「ミーナ」を全員が書き写していた。
字を覚えるのが一番早かったのは、意外にもルカだった。
最初はやんちゃで落ち着きがないと思っていた。けれど彼は気に入ったものがあると、とことん粘る。
「リリアーナ姉ちゃん、これ、何て読むの?」
ある日、彼が持ってきたのは父親が行商人から受け取った注文書だった。
「ここは『小麦十袋』って書いてあるわ」
「へえ……じゃあ、これ数が違うよ。前に渡された紙は八袋だった」
調べてみると本当に行商人の書き間違いだった。ルカの父は「字が読めるとこういう時に助かるな」と、照れくさそうに頭を掻いて教室に小さな木の机を二つ作ってくれた。
それからは、大人たちもこっそり参加するようになった。
おばあさんは「孫の名前くらい書けないと恥ずかしいからね」と言って夕方に一人でやって来た。鍛冶屋のおじさんは「自分の店の看板を直したい」と言った。ミーナは「私もお嬢様宛ての手紙が書けるようになりたいです」と言い出して全員の前で自分の名前の綴りを三回間違えた。
季節は、ゆっくりと巡った。
春は畝の端っこに菜の花が咲いた。夏は軒先にミントが伸びすぎてミーナがよく足をとられた。秋は山りんごが赤くなり、冬は雪の朝に子どもたちの手のひらが真っ赤になった。
ある冬の日、アンナが私の家の戸口に立っていた。小さな手には折りたたまれた紙が握られている。
「あのね、リリアーナ姉ちゃんに書いたの」
開くと少し曲がった字が並んでいた。
『リリアーナねえちゃんへ。いつも ありがとう。あったかい おちゃが すきです。アンナ』
読み終えた私はしばらく何も言えなかった。庭でミーナが何かにつまずく音がした。
「……ありがとうアンナ。大事にするわ」
その手紙は今でも棚の引き出しにしまってある。百歳になった今も。
*
村に来て五年が過ぎた。
屋根の穴はとうの昔に塞がり畑の畝もまっすぐになった。ミーナは相変わらず桶を井戸に落とすけれど、引き上げるのが前より早くなった。
その日、村に行商人がやって来た。
月に一度、荷車いっぱいに塩や布を積んでくる人だ。広場で店を広げるとおばあさんたちが集まって、品物よりも噂話を買っていく。
「聞いたかい。王都じゃ王太子殿下が結婚なさったそうだよ」
私は、そのとき広場の端で行商人から糸を買っていた。
「相手は男爵令嬢の……なんとか様。そりゃあ盛大な式でな、三日三晩街中に花が撒かれたんだと」
「へえ、そうなの」
私はそう言って糸の色を見比べた。
生成りと、淡い白。どちらがあのレースに合うだろう。
「ええと、リリアーナさんは気にならないのかい?」
「ええ。それより、こちらの糸もう少し細いものはありますか?」
行商人は少し拍子抜けした顔で荷車の奥から細い糸を出してくれた。
糸を買った理由は鍛冶屋のおじさんの娘、ネリだった。
来月、隣村の青年のところへ嫁ぐことが決まったのだ。おじさんは「どんなに立派な式にしてやりたくても、うちにはドレスを仕立てる金がねえ」と、ずっと肩を落としていた。
それを聞いたミーナが、荷物の底から一着のドレスを引っ張り出してきた。
「お嬢様、これを使えませんか」
追放の日、私がなぜか持ってきてしまった淡い色の夜会用ドレスだった。
断罪の夜に着ていたものではない。あの夜は、ほかの一着だった。これは卒業祝いにと父が仕立ててくれたのに結局一度も袖を通さなかった一着だ。今ではサイズが合わなくなり、年齢を重ねた私には着こなすのが難しい若い子向けのデザインのドレス。
「そうね。ちょうどいいかもしれない」
私が頷くとミーナは目を輝かせた。
「では、私が裁縫を!」
「待ってミーナ、針は私が持つわ」
「どうしてですか!」
「指が、四本しかなくなると困るでしょう」
「五本あります!」
実際、ミーナは過去に針で自分の指を七回刺している。
その日から、私の家は、小さな仕立て屋になった。
ドレスの飾りを外し大きすぎる袖を細くして裾を少し短くする。屋敷にいた頃、裁縫の腕は妃教育の中でも数少ない「褒められた」科目だった。
ネリが試着にやって来ると鏡の前でくるりと回って頬を赤くした。
「こんなに綺麗なドレス、いいんですか?」
「ええ。着てもらえるほうが、ドレスも嬉しいと思うわ」
ミーナは、ネリの髪に花を飾る係をやりたがった。三度挑戦して三度とも花が逆さまになった。四度目にアンナが横から手伝ってようやく様になった。
私は、針を持つ手を止めて、そっと目を細めた。
かつては、私が着るはずだったドレスだ。
けれど、今は、ネリの笑顔のほうが、ずっとよく似合っている。
*
結婚式の前の晩、私とミーナは夜遅くまで裾の糸を縫い留めていた。
「お嬢様」
「なあに」
「王都の式は、きっと、豪華だったんでしょうね」
「そうでしょうね」
「……悔しく、ないんですか?」
私は少し考えて、針を持ったまま顔を上げた。
「ミーナ。この裾、ちょっと左に曲がっているわ」
「えっ!」
「ほどいて縫い直しましょう」
「お嬢様、今話を逸らしませんでした?」
「あら、そうだったかしら」
ミーナは唇をとがらせて、それからくすくす笑った。
結局、答えは言わなかった。言わなくても、もう伝わっている気がしたから。
翌日、村の広場に花びらがたくさん舞った。
白い花嫁衣装のネリは父親の腕を取って歩いた。おじさんは、最初から最後まで泣いていた。私は、少し後ろの席からその背中を眺めていた。
王都の三日三晩の式よりも、ずっといい結婚式だと思った。
*
それから先の日々は、あまり数えていない。
春に菜の花が咲き、夏にミントが伸び、秋に山りんごが赤くなる。冬には雪が積もって、子どもたちの手のひらが真っ赤になる。それがくり返されるうちに気づけば十年、二十年が過ぎていた。
アンナは村の先生になった。ルカは立派な髭をたくわえて村長になった。鍛冶屋のおじさんも、あのおばあさんも、いつのまにか縁側の向こうで穏やかに眠るようになった。
その代わり、庭には新しい子どもたちが来る。かつての教え子の孫、そのまた子供。石の黒板は今も畑の端に並んでいる。
王都の噂はときどき風に乗って届いた。
王様が代替わりしたらしい。王家の中でずいぶん揉めているらしい。王妃様が亡くなったらしい。そのたびに私は「そう」と言って、お茶をひと口飲んだ。やがて、殿下もセシリアさんも噂の中で過去形で呼ばれるようになった。
ミーナは、ずっとそばにいてくれた。
背中は少し曲がり杖もつくようになったけれど、ドジだけは全く衰えなかった。つい先週も杖につまずいて私の薬草茶の鍋をひっくり返したばかりだ。
「お嬢様、すみません……」
「いいのよ。ミーナの淹れ直したお茶は、いつも少し濃くておいしいもの」
「それは褒めていますか?」
「ええ、とても」
縁側で二人並んでお茶を飲む。それが、私たちの毎日だった。
*
お祝いの朝が過ぎ、昼を回ったころ見慣れない馬車が村に入ってきた。
降りてきたのは品のいい身なりの青年だった。胸には懐かしい紋章が付いている。
「リリアーナ・ヴェルノア様でいらっしゃいますか」
「ええ。今は、ただのリリアーナですけれど」
青年は深く頭を下げた。
「私は、アルベルト王太子とセシリア妃の曾孫にあたる者です。曾祖父母が遺した、お渡ししなければならないものがあって参りました」
差し出されたのは古びた革表紙の日記帳だった。
「曾祖母の日記です。当時の夜会のこと、あなたに着せた罪が嘘だったことがすべて書いてあります。晩年、曾祖父母はずっと悔いておりました。本当に、申し訳ありませんでした」
彼の声は震えていた。きっとこの日のために何度も言葉を練習してきたのだろう。
「遠いところありがとう。まずはお茶でも飲んでいって」
私は日記を受け取って庭にあるベンチに座り最初のページを開いた。
『あの夜のことを、私は一生忘れない。リリアーナ様は何ひとつ悪くなかった。自分の幼さから取り返しのつかないことを』
そこまで読んだとき、庭の向こうから声がした。
「リリアーナさまー! 焼き芋、はじめるよー!」
子どもたちだった。畑の隅に落ち葉を集めて、サツマイモを抱えてみんなこちらに手を振っている。
「あら。もうそんな時間なのね」
私は日記に栞代わりの葉っぱを挟んで縁側に置いた。
「ごめんなさい、続きはあとで読ませてもらうわ。少しだけ待っていてくれる?」
青年はぽかんとしたまま頷いた。
*
焚き火がぱちぱちと音を立てている。
子どもたちは歓声を上げながら芋を灰の中に並べていた。私は少し離れたところからその様子を眺めていた。
「お嬢様、火が弱いです。もっと燃えるものを足しましょう!」
ミーナが張り切って、ベンチから何かをつかんで戻ってきた。
杖を持つ手とは反対の手に、革表紙の日記帳があった。
「ミーナ、それは……」
止める間もなかった。ミーナはそれをぽいと焚き火に投げ入れた。
古い紙はよく燃えた。炎がぱっと明るく大きくなって子どもたちが「わあ!」と声を上げた。
「これで芋がよく焼けますね!」
ミーナが誇らしげに胸を張った。
青年が後ろで固まっていた。
私は、すすけたミーナの手と赤々と燃える火、嬉しそうな子どもたちの顔を順番に見た。
それから、ゆっくり笑った。
「あらあら」
初めての短編です!
もしよろしければ評価や感想お願いします‼お待ちしております‼




