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第二十九話 大女神のコンプライアンス研修(第二章 完)

天界のオフィスへ帰還した俺は、休む間もなく一つの特大タスクを執行していた。


「――いいか、ルミナリア社長。今日こそお前のその綺麗に空っぽな頭と、カラカラに乾いた脳みそに、経営ガバナンスという概念を1ビット残らず叩き込む」


俺はCOOデスクから立ち上がり、指示棒の先端をプレジデントチェアの上へとピシッと突きつけた。


そこには、12億円の横領垂れ流しに加え、顧客(神代蓮)を独立サーバーへ隔離隠蔽していたという、特大の背任行為が発覚したルミナリアが、お気に入りの高級クッションを盾にするように抱えて縮こまっていた。金髪のロングヘアをボサボサに乱し、すでに涙目になっている。


「エルフィ、今回の不祥事におけるコンプライアンス違反のリスク事例をスキャンしろ」


「ハッ! 了解です、ユウキ主任!『最高経営責任者向け・コンプライアンス徹底研修』のカリキュラムを起動します!」


エルフィがビジネススーツの眼鏡を鋭く光らせ、プレジデントチェアを囲むようにして、空中に真っ赤な警告ログのホログラムを何十枚も展開した。いつものように俺の右側にピシッと直立不動で控え、ルミナリアに向けて極低温の視線を投げかけている。


「まず第一に、顧客の隠蔽にともなう『ブランドイメージの失墜および損害賠償リスク』だ。まともな仕様書も渡さず、バグが出たら独立サーバーにブチ込んで隠蔽する。企業なら、一発でSNSで大炎上して株価はストップ安、消費者庁から業務停止命令が下り、株主総会でお前の首は物理的に飛んでいるレベルの不祥事だぞ」


『う、うわぁぁぁん! しょうひ者ちょーってなによぅ! かぶぬし総会ってなによぅ! あたしはただ、あの時はパニックになっちゃって、あとからユウキに怒られるのが怖くて言えなかっただけなのに、なんでそんな難しそうな言葉でいじめるのよぉぉぉ!』


悪戯をやらかした子犬がクローゼットの奥に逃げ込むように、ルミナリアはクッションに顔を埋めて、責任転嫁全開の悲鳴を上げた。


俺の挙げた論理的なリスクなど、このポンコツトップには一切届いていない。頭が悪すぎて「怒られている」ということしか理解できないため、返ってくる言葉はすべて感情面の発狂ばかりだ。


「……大体、ログを遡ったらさらに恐ろしい事実が判明したぞ。お前、神代蓮のガチャを引いたの、俺を召喚する前日だな?」


『ひゃいっ!? な、なんでそれがバレてるの!』


「タイムスタンプを見れば一発で分かる。お前は俺を引く前日、仕様書も無しに【天地開闢】なんていう世界崩壊バグ付きのスーパーレアチートを適当に決済したんだ。そしたら世界サーバーが激重フリーズを起こしたから、パニックになって隔離コマンドを連打した。その直後に俺が召喚され、ガバガバな契約書を突いてCOOに就任したから、お前は怖くなって特大不祥事を独立サーバーに隠したまま黙り込んでいたわけだ。……自分のやらかしを入社してきたばかりの役員に内緒で隠蔽するなど、経営トップとして最悪の態度だぞ!」


『う、うわぁぁぁん! 隠すしかなかったんだもん! 契約書を交わしたあとのユウキは最初からすっごく怖かったから、「実は直前に特大バグ隠しました」なんて言えなかったのよぅ! あたしのせいじゃないわよぉ!』


逆ギレ全開でわめき散らすルミナリア。相変わらずカラカラに乾いた脳みそだ。


「だが、お前のその浅はかな隠蔽のせいで、神代蓮がどれだけの地獄を見たか分かっているのか」


俺は腕を組み、冷徹な声をさらに一段、低く響かせた。


「お前が作ったあの独立サーバーは、天界のメイン回線に負荷をかけないために、他のオブジェクトを一切入れない独立環境になっていた。その結果、サーバーの演算リソースが100%彼一人に集中してしまい、天界の一秒が隔離内の数百年〜数千年に匹敵するレベルの『時間加速』状態が発生した。天界のたった一日という時間は、あの異常な超高速処理の檻の中では、無から大地が作られ、人間が生まれ、文明が開化するのに十分すぎる数万年もの膨大な時間に化けていたんだよ。お前のズボラな放置設定のせいで、一人の人間が数万年の永遠とも言える孤独を耐え抜く羽目になったんだ」


『ええええっ!? たった一日放置しただけなのに、中でそんなに時間が経ってたのぉぉぉ!? 箱庭でハッピーな天地創造を楽しんでると思ってたのに!』


ルミナリアはユウキに時間同期バグの恐ろしいロジックを簡単かつ的確に突きつけられ、ようやく自分のやらかしの凶悪さを理解したのか、大アホな顔で涙目になりながら鼻水をたらしてガタガタと震え出した。


「うるさい。次に第二の不祥事、決済パケット改ざんによる12億円規模の横領被害だ。もしこれが金融機関なら、金融庁から一発で免許取り消し処分を喰らって、経営陣は全員背任罪で即座に刑務所にブチ込まれている。会社のサイバーセキュリティを放置するのは、社長として重大な過失なんだよ」


エルフィは俺の言葉に深く肯くと、手元のバインダーへ「社長の重大な過失。リスク認知能力の欠如。金融庁処分レベル。主任就任直前の不祥事隠蔽も確認」と、鋭い筆致で本日何回目か分からないメモを粛々と書き進めた。


『きんゆーちょーなんて知らないわよぉ! けーむ所なんて嫌ぁぁぁ! 12億円はユウキが合法的にむしり取ってくれたんだから、もうセーフじゃないのよぅ! あたしを誰だと思ってるの、神様よ!? なんで人間の作った法律のルールで、あたしがそんなに怒られなきゃならないのよぅぅ!』


「回収できたのは結果論だ! リスクマネジメントの観点から言えば、お前の杜撰な管理体制そのものが……」


『もう嫌ぁぁぁ! ユウキの言葉、漢字が多くて耳が痛い! あたしをアホアホって言いたいだけでしょ! 鬼! あくま!ブラックCOO!』


ジタバタとプレジデントチェアの上で暴れ、涙と鼻水を流しながら、幼児退行全開でギャーギャーと喚き散らす最高神。


(……ダメだ。これっぽっちも会話が成立していない)


俺は心底呆れ果てて、深く大きな溜息をついた。

いくら日本のサラリーマンとしての洗練されたロジックや、厳密なガバナンスのルールを並び立てたところで、このカラカラに乾いた脳みそには全て「ユウキが怒ってて怖い」という感情でしか変換されないのだ。アホに対する教育が、これほどまでに不毛でコストパフォーマンスの悪い作業だとは思わなかった。


「……ハッ。ユウキ主任、ルミナリア社長の脳内メモリが完全にキャパシティオーバーを起こしています。論理的な研修はこれ以上の進行が不可能と判断します」


エルフィが呆れ果てた目で、バインダーのメモをピシッと閉じた。


「……ああ、そうだな。これ以上の講義は時間の無駄だ。無能A、もうお前に難しい理屈は言わん。とにかく、これだけは覚えておけ。新規のガチャを独断で決済するな!顧客を勝手に隔離するな!ホウレンソウを怠るな!以上だ」


『ひゃいっ! わかりましたぁぁぁ! ガチャ引く前には絶対にエルフィちゃんにホウレンソウしますから、もうお説教はやめてぇぇぇ!』


プレジデントチェアの上でお気に入りの高級クッションを盾にするように前に突き出し涙目で平伏する最高神の喚き声をBGMに、俺はこめかみを指で押さえた。


会社を黒字化させ、最強の現場インフラ実働部隊を揃えたというのに、最も根本にある「経営トップの脆弱性」というバグだけは、未だに修正パッチの目処が立たないのだった。


(第二章 完)

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