境界線の美食屋(ガストロノミー)
追っ手を撒き、たどり着いたのは深い渓谷の隠れ岩。
村を捨て、夜を徹して駆け抜けた四人の体力は限界に達していた。特に、神装を解除した直後のリィネは、黄金の狐耳を力なく垂らして岩に背を預けている。
「……死ぬ。お腹が空きすぎて、尻尾が消えそう……」
「リィネ、情けない声を出すな。……と言いたいが、俺も腹の虫が限界だ」
ガストンが大剣を置き、生唾を飲み込む。
フィオナもまた、王女としての気品を保とうと背筋を伸ばしているが、そのお腹からは再び「ぐぅ……」と切実な音が響いていた。
「……シュウ様。わたくし、先ほどから石が美味しそうに見えてきましたわ」
「重症だな。……よし、待ってろ。今夜の献立は決まってる」
シュウは手際よく焚き火を熾すと、道中で仕留めておいた中級魔物『ロックバイソン』の肉を取り出した。
普通なら硬くて食えたものではない魔物肉。だが、シュウが【魔物喰い】の概念抽出を施しながらナイフを振るうと、肉質は瞬時に最高級のサシが入った霜降りへと変質していく。
ジュゥゥッ、と肉の焼ける暴力的なまでに香ばしい匂いが、夜の静寂を支配した。
「……何よ、この匂い。犯罪的だわ」
その時、岩陰から鋭い声が響いた。
現れたのは、淡い桃色の髪をなびかせた、気の強そうな美少女。その耳は、エルフ特有の長く鋭い形状――エレインだ。
彼女の隣には、眠そうな目をこすりながら、黒い猫耳をぴくぴくと動かす小柄な少女、ミーニャが寄り添っている。
「……くんくん。……美味しい匂い。ミーニャ、これ食べたい」
「ちょっと、ミーニャ! 馴れ馴れしくしないで。……あんたたち、こんな危険な森で呑気にBBQなんて、正気なの? 帝国兵がウロウロしてるっていうのに!」
エレインは腰の短剣に手をかけ、ツンとした態度でシュウを睨みつける。だが、その視線は肉の脂が弾ける様子を必死に追っていた。
「……食べたいなら、座れよ。敵じゃないなら、食わせる分くらいはある」
「はぁ!? 別に食べたくなんてないわよ! ……でも、まあ、あんたがどうしてもって言うなら、毒見くらいはしてあげてもいいけど……っ!」
エレインは顔を真っ赤にしながら、誘惑に負けて焚き火の輪に加わった。ミーニャは迷わずシュウの膝元に陣取り、猫耳を期待に震わせている。
「はい、召し上がれ」
シュウが差し出したのは、ロックバイソンの『剛力』と『岩盤防御』の概念を煮詰めた、特製ステーキだ。
一口食べた瞬間、全員の動きが止まった。
「……っ!? な、何これ……!? 口の中で肉が溶けて、魔力が……背骨を突き抜けるみたいに溢れてくる……!」
エレインが、今までのツンとした態度を忘れて頬を緩める。フィオナも、リィネも、ガストンも、夢中で肉を頬張った。
「……これ。ミーニャ、強くなった気がする。……にゃん」
ミーニャの猫耳がピンと立ち、彼女の体からしなやかな魔力が立ち上る。
【魔物喰い】による調理。それは単なる食事ではなく、食べた者の「器」そのものを拡張する儀式。
「……あんた、名前は?」
エレインが、肉の脂を指で拭いながら、上目遣いにシュウを見た。
「シュウだ」
「……シュウ。……ふん、料理だけは認めてあげるわ。でも、勘違いしないでよね! 次の街まで守ってあげるだけなんだから!」
こうして、一行に新たな二人が加わった。
王女、狐耳、怪力、ツンデレエルフ、そして猫耳。
シュウが振るう包丁一本が、世界の常識を、そして少女たちの運命を塗り替えていく。
「……おかわり、あるか?」
「ああ、いくらでもある。――俺が喰うほど、お前たちは強くなるんだからな」




