決行
こうと決めてからのフレアの行動は早かった。
そしてまた、リックベルト家の動きも。
「さすがはお父様とお母様だわ」
速達で届けられた手紙を見てフレアは微笑む。
元々フレアの荷物などほとんどなかったし、従えてきた従者もまだルキウスだけだったことも幸いした。
サミュエルが不在なのをいいことに、フレアはあっという間にウォルス家を出る手配をしたのだ。
「今日の午後にはリックベルト家から馬車が来るわ」
そう言ったフレアに執務室の書類をまとめていたルキウスが顔を上げる。
「それにしても、お父様も気が早いわね」
「よほど嬉しかったのでしょう」
心なしかルキウスの声も弾んでいるように聞こえた。
フレアがウォルス家へ持ち込んだ物は少ないが、書類は別だ。
婚約してから経営に参加してきたフレアの手元にはさまざまな書類がある。
その中でも、フレアの提案によって進めてきた事業に関する物をそのままウォルス家へ置いていくつもりはなかった。
(経営に関する知識を無償で提供はしないわ)
今まではサミュエルの婚約者、ひいてはいずれ結婚してウォルス侯爵夫人となることから当然のように協力してきた。
だが、このまま搾取され続けるつもりはない。
サミュエルが当たり前のように手にしていたものがどんなものだったのか、思いしればいいのだ。
「最近ではあの方はほとんど会議に参加していませんでしたからね」
議事録の束をまとめて鞄に入れながらルキウスが言う。
会議というのはフレアが定期的に開いていた会合だ。
家令と各地の代官を集めて相談をしながら、経費の削減方法や新しい事業の提案を求めるなど、情報交換をしてきた。
最初は一緒に参加していたサミュエルも、気づけば途中からはフレアに任せるばかりで顔を出すことすら減っていた。
「サミュエル様は社交が大事だそうよ。……それ以上にリリアン様のことが優先されるみたいだけれど」
(思えばあれほど軽んじられながら、私はなぜサミュエル様を好きで居続けたのかしら)
吹っ切ってしまえばそれさえもが不思議で、フレアは首を傾げた。
五年という決して短くはない月日を捧げてきたのに。
まるで目隠しをされて盲目的に信じ込んでいたかのようだった。
「あの女がそれほど大切だなんて、理解不能です」
フレアの言葉にルキウスの声音が低くなる。
そんな風に話しながら、二人はあっという間に書類を整理していった。
そこへ、青い顔をした家令が飛び込んでくる。
「フレア様! いったい何事でしょうか?」
今日の午後リックベルト家に戻ることをフレアは誰にも言っていない。
それでも、突然執務室の片づけを始めた二人を不審に思った使用人が家令に報告したのだろう。
「何事とはどういう意味かしら?」
おっとりとフレアは答えた。
「急に執務室の書類を整理し始めたと聞きましたが……」
そう言いながら家令が辺りに視線を走らせる。
執務机の周りは書類が散乱しているわけではなかったが、明らかに普通ではないことは見てとれただろう。
いつもであれば綺麗に整理整頓されている書類の一部が乱雑に積み重ねられていたりするのだから。
「見ての通り書類の整理をしていますわ」
家令はウォルス家で唯一フレアの重要さを理解している。しかしそのことを主人であるサミュエルにわからせることも、使用人たちの言動を諫めることもできていない。
それは結局フレアにすべてを押しつけていることと同じであり、搾取していることに変わりはないのだ。
(このままここに居られると都合が悪いわね……)
そう思ったフレアはおもむろに口を開いた。
「結婚式からもう数日経ちましたわ。そろそろサミュエル様にもミュラー邸から戻ってきてもらった方が良いのではないかしら?」
それはつまり、主人を野放しにするのではなく連れ戻せということ。
フレアの言葉に家令の眉がピクリと動く。
決して無能ではない彼は気づいただろう。いい加減フレアの堪忍袋の緒が切れそうだということに。
「旦那様には早急に帰ってきていただきます」
「そう。あなたの働きを期待しているわ」
あのサミュエルが家令に言われたからといって易々と戻ってくるわけがない。
それは想像するまでもない結果ではあるが、こう言っておけば彼は直接ミュラー邸までサミュエルを迎えに行くだろう。
フレアがウォルス家を出るに当たって立ちはだかるのは家令だけだから、彼さえいなければ容易くここから離れられる。
だからフレアは微笑んで言った。
これは最後通告なのだと、そう匂わせながら。
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