婚家の現状
もはや馴染んだものと言ってもいい諦観がフレアの心に広がった。
「サミュエル様。リリアン様が体調を崩したのであれば、看病をするのはカミラですわ」
「そのカミラの手が空いていないのだから仕方ないだろう。それとも何か? 君はカミラが平民だったからそんなことを言うのか?」
たしかに、リリアンの母であるカミラは元平民だ。男爵家の使用人をしていたところを見そめられて結婚し、ミュラー夫人になった。
ルアール国では平民であっても貴族と結婚すれば、その二人の間に生まれた子は貴族として扱われる。しかし平民の身分が変わることはない。
つまり、リリアンは貴族だが、カミラは平民のままということだ。
それだけ厳しく階級わけがされていることもあり、貴族は平民が婚姻によって家に入ることを好まない。
カミラが許されたのは相手が男爵家だったからだろう。
高位貴族であればあるほどそういった考えが顕著だが、そんな中でサミュエルは珍しく身分差を気にしない人だった。
(そんなところも、素敵だと思っていたのよね)
人を身分で差別しない。
それは素晴らしい考えだし、フレアもそう思う。
しかし社会に組み込まれて生きていくからには、自分の考えがどうであれある程度社会の決まりに迎合する必要がある。
だからフレアは声高にその考えを押し出すことはしない。
しかし同時に、自分のできる範囲では身分による差別はしないように心掛けてきた。
(それをサミュエル様もわかってくれていると思っていたのに……)
見当違いな批難を受け、フレアは胸が痛むのを感じる。
「平民だからではありません。カミラがリリアン様の母親だからですわ。看病は、普通なら家族がするものでしょう?」
「私にとってもリリーは家族のようなものだ!」
フレアの言葉にサミュエルが不快そうに言う。
(たとえ家族であったとしても、年頃の女性の寝室に入り浸るようなことはしないのよ)
フレアが当たり前だと思うことがサミュエルに通じない。そして通じないのは、すべてリリアンに関することだけだった。
「ごめんさない、フレア様。私が悪いんです。サミュエル様がそばにいてくれると安心するから……すごく体調が悪い時にはついつい頼ってしまうのです。本当に、ごめんなさい……」
そう言うと、リリアンははらはらと涙をこぼした。
そしてサミュエルにしっかりと涙を印象づけてから、おもむろに両手で顔を覆ってシクシクと泣き続ける。
「そんなに泣いては目が腫れてしまう。心配しなくても私はそばにいるから」
室内にリリアンの嗚咽が響く。
そんなリリアンの背に手を当て、サミュエルが優しく声をかけた。
(私は何を見せられているのかしら?)
まるで一枚の絵のように寄り添う二人を、蚊帳の外から眺めている観客のようだ。
いったい誰がサミュエルの妻なのか。
この場に居合わせる者がいれば混乱するだろう。誰がどう見ても、サミュエルとリリアンが夫婦に見えるのだから。
「フレア、君がここにいるとリリーが気にする。先に邸宅に帰っていてくれ」
リリアンをなだめながら言ったサミュエルの言葉に、フレアはとっさに答えることができなかった。
「サミュエル様はいつ頃お戻りに?」
詰まったように感じる喉から、フレアは無理やり言葉を押し出す。
「リリーの体調が落ち着いたら戻る。……今日はこちらにいるかもしれないな」
フレアの方を見ることもなくそう言ったサミュエルは、先ほどのやりとりが気に入らなかったのだろう。
今日という日がフレアにとってどれだけ大事なのか、わかっていながらそう言ったに違いない。
「……わかりましたわ」
もはや言い合う気力すら奪われて、フレアはそう答えると二人に背を向けて部屋から出ていった。
♢♢♢
夕方の陽が差し込む執務室で、フレアは痛む頭に手をやった。
マホガニー製の執務机はどっしりとしていて、いかにも男性が好みそうな存在感を放っている。
しかしウォルス家の執務室を使用するのはサミュエルではなくフレアだ。
机に合わせた大振りの執務椅子に腰掛けて、フレアは目の前に立つ従者に視線を向ける。
「どうやら私は歓迎されていないようよ」
ただでさえ昨日ミュラー邸で精神的に疲労したフレアは、疲れたようなため息をついた。
「そうですね。この家でまともな考えを持っているのは家令くらいみたいですから」
そう答えたのは、嫁入りに合わせてリックベルト家からついてきた従者だ。
黒髪に濃紺の瞳の従者は名をルキウスと言う。彼は双子の姉のルイーズと共にリックベルト家でフレア付きの使用人をしていた。
侍女であるルイーズはあえて少し遅れてこちらに来ることになっているので、現時点でこの場にはルキウスしかいない。
「ルイーズを置いてきて正解ですよ。今の状況を知ったらどうなることやら……」
双子はフレアと同じ年頃ということもあって、幼少の頃から一緒に過ごしてきた存在だ。だからルキウスの口調は従者が主人と話すにしては砕けている。
「そうね。暴れる姿が目に見えるようよ」
二人は見事に性格が反対だった。頭脳派でどちらかというと物静かなルキウスと、体を動かすことが得意で行動派のルイーズ。
性別が逆なのでは? と今までもよく言われていた。
フレア至上主義のルイーズがここにいたらさらにややこしいことになっていただろう。
物理的にでも精神的にでも、ルイーズは相手を完膚なきまでにやり込めるだろうから。
(そんなことになったらサミュエル様によって解雇されてしまうわ)
もちろん、使用人に対する管理や雇用の権限はウォルス家の女主人となるフレアにある。
しかし最終的に当主のサミュエルが否と言えば、彼の意思の方が優先されてしまうのだ。
「使用人たちは、私ではなくリリアン様に女主人になってもらいたかったみたいね」
結局、昨日サミュエルはミュラー邸から帰ってこなかった。
それがフレアに対する当てつけなのか、それとも本当にリリアンの体調が悪かったからかはわからない。
しかしそれによって侯爵邸内でのフレアの立場は難しいものとなった。
『初夜をすっぽかされた花嫁』という、前代未聞の醜聞が一夜にして使用人たちの間を駆け巡ったのだ。
フレアにしてみればその前に結婚式が中止になっていることから、すでにそんな醜聞はどうでもよくなっていたのだが。
そして今日、フレアはあちこちで囁き合う使用人たちの噂話を耳にした。
いや、もはや彼らは隠そうともせずにいたのだからフレアに聞かせたかったのかもしれない。
「ご主人様はリリアン様とご結婚されると思っていたのに」
「そうよそうよ。あれほどお似合いの二人はいないわ」
「きっとフレア様がお二人の間に無理矢理割り込んできたのよ」
「だからご主人様は昨日ミュラー邸からお帰りにならなかったのかしら?」
「きっとそうだわ!」
そう言って彼らは意味ありげな目でフレアを見るのだ。
「まったくもって教育がされていませんね。侯爵家の使用人とは思えないくらい低俗だ」
その時のことを思い出したのか、ルキウスが珍しくも感情的になる。日頃あまり気持ちを表に出さないルキウスだが、今は嫌悪感が隠せていない。
「フレア様がいなければどうなっていたのか、何も知らないくせに」
ルキウスの言葉に、フレアは少し前のサミュエルとのやり取りを思い出していた。
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