婚礼の日の裏切り
教会の窓から暖かな陽の光が差している。
花嫁の控室で、真っ白なウェディングドレスを身にまとったフレア・リックベルトは窓際に置かれた椅子に腰掛けていた。
艶やかなプラチナゴールドの髪の毛は綺麗にまとめられてベールに隠され、二十歳にしてはどちらかというと大人っぽい顔には薄く化粧が施されている。
綺麗にピンクの紅が引かれた唇を一瞬噛み締め、フレアはターコイズブルー色の瞳を窓の外に向けた。
控室が教会の端の部屋ということもあり、窓からは馬車停めに停められた多くの馬車が見える。
その中に見知った紋章を探すが、フレアはみつけることができなかった。
「サミュエル様はまだ戻っていらっしゃらないの?」
「申し訳ございません。今使いの者を確認に向かわせております」
いくぶんこわばった声で問いかければ、花婿の家門であるウォルス家の家令が青ざめながら答える。
フレアは準備を終えてもう三十分もここで無為の時間を過ごしていた。
何よりも気になるのは、招待客がすでに教会の中へと案内されていることだ。彼らは主役であるフレアとサミュエルが入場してくるのを今か今かと待っている。
「お客さまをいつまでもお待たせするわけにはいかないわ」
「……承知しております」
返す言葉もないのだろう。家令は深々と頭を下げた。
「私に頭を下げることよりも、お客さまにどうお伝えするかを考えておいた方が良いのではないかしら?」
それは半分皮肉のようなものだった。
婚礼の日という人生の大きな節目に、肝心の相手がこの場にいないだなんて、誰も想像すらできないだろう。
そう思いながらフレアは目を伏せる。
(なぜ、私はここでこんな思いをしているのかしら?)
何度考えても、その理由が理解できなかった。
(何度も……何度も、私はこれからも我慢をしていかなければならないの?)
花婿としてフレアと揃いの白い衣装に身を包んだサミュエルは、つい先ほどまでは同じ控室にいたのだ。
ダークブロンドの髪もエメラルドグリーンの瞳も太陽の光に輝いて、多くの人に美しいと言われるサミュエルはその衣装も相待って眩しいくらいだった。
この結婚に一抹の不安を抱えていたフレアも、自分に向けられる彼の笑顔を見て安心したのに。
領地から緊急で届いた知らせを聞いた途端、彼は控室を飛び出して行った。
いつ戻るとも、結婚式をどうするとも言わずに。
「使いの者が戻るまで待つことはできないわ」
大きなため息をついたフレアは、心なしか痛むこめかみに手を添えながらそう言った。
フレアの言葉に、ウォルス家の家令が弾かれたように顔を上げる。
「結婚式は中止します」
「そんな! 参列される皆さまには何とお伝えするおつもりで?」
「サミュエル様がいなくなったとでも伝えましょうか?」
「それは……」
もちろんそんなことを言えるわけがない。言えば最後、噂話好きの貴族たちは、フレアが結婚式直前に花婿に捨てられたと社交界で話題にするだろう。
「参列者の皆さまには、サミュエル様が急病のため結婚式を中止するとお伝えして」
「しかしそれですと……」
家令の顔からは、ウォルス家の責によって結婚式が中止になったと公にしたくない気持ちがうかがえた。
「では何と伝えるの? 私がすでにここにいることは、家族も招待客も知っているのよ?」
実際に、フレアの友人は控え室まで挨拶に来てくれている。ついさっきまで元気だったフレアが突然体調を崩したと言っても信じないだろう。
ましてや家族は、サミュエルのフレアに対する侮辱ともいえる行動を許さないに違いない。
「お待たせすればしただけ、さらに皆さまの興味を刺激してしまうわ」
「……かしこまりました」
フレアの言葉に、家令は苦渋の表情を浮かべながらも一礼した。
♢♢♢
フレア・リックベルトとサミュエル・ウォルスは、貴族の子息や令嬢が通う学園で出会った。
十六歳から十八歳の子女たちの集まる学園は、いわば小さな社交界。
勉学を学ぶことはもちろんのこと、そこで得たつき合いは卒業後に生きてくる。
きっかけは些細なことだった。
リックベルト伯爵家はルアール国で長い歴史を刻む由緒ある家柄であり、さらには国一番の商会を持っている。
そしてフレアは、その落ち着いた佇まいや美しさが話題に上るような容姿をしていた。
その結果、とある子爵令嬢の婚約者がフレアにのぼせ上がり、二人の仲が拗れてしまったという。
もちろん、フレアにとっては完全なるとばっちりだ。
ある時突然、件の子爵令嬢とその友人たちにつめ寄られ、ほとほと困っていた時に通りがかって助けてくれたのがサミュエルだった。
そんなサミュエルもまた、学園内の有名人の一人だ。
侯爵令息であり、なおかつ輝くような美貌のサミュエルの噂は知らない人がいないくらいだったのだから。
そんな出会いをした二人は、その後クラスや選択授業が同じになり、親しく言葉を交わすうちにつき合うようになる。
ちょうど十七の年からだから、二人のつき合いはもうそろそろ五年を迎えようとしていた。
五年という月日はそれなりに長い。
つき合い始めに学生だったサミュエルは在学中に両親を亡くし、卒業と同時に侯爵家を継ぐことが決まっていた。
ルアール国では学園卒業の時に婚約を交わし、二十歳から二十三歳くらいの間に結婚する者が多い。
フレアもまた同様にサミュエルからのプロポーズを受け、二十二歳になった今日、結婚の時を迎えるはずだった。
はず、だったのだ。
「サミュエル様は?」
結局結婚式を挙げることなく式場から一人で馬車に乗ったフレアは、今日から住むことになったウォルス邸の入り口で侍女頭に問いかけた。
「旦那様はミュラー邸にいらっしゃいます」
「……そう」
一瞬逡巡したフレアは、ただ待つばかりではむしろ良くないと判断すると、降りたばかりの馬車に再度乗り込んだ。
「ミュラー邸へ行ってちょうだい」
御者にそう告げれば、彼は何か言いたそうな顔をする。
しかし今日からウォルス侯爵夫人となるフレアに対して何を言うこともできないからか、黙って馬車を走らせ始めた。
ミュラー邸というのは、ウォルス領の隣に位置するミュラー男爵の家だ。
男爵領といっても領地はとても小さく、特にこれといった特産品もない。そのため男爵領は貧困にあえぎ、男爵である当主を亡くしてからは残された夫人と令嬢の面倒をウォルス家がみていた。
それは夫人がサミュエルの乳母であり、令嬢が幼馴染だったからでもある。
そしてその二人の存在を、フレアはサミュエルと婚約を交わすまで知らなかったのだ。
(何と声をかけるべきかしら?)
車窓から流れる景色を眺めながらフレアは考える。
新郎が結婚式をすっぽかす。
普通なら考えられないことだ。
ましてやサミュエルは一度式場まで到着しており、着替えも済ませていた。
つまり、彼自身はフレアと結婚式を挙げるつもりがあったということだ。
しかしこれまでに何度も、フレアは大事な予定を突然中止にされたことがあった。
普通のデートはもちろんのこと、婚約のための挨拶の時でさえ。
当日になって日にちの変更を申し入れてきたサミュエルとの婚約を、両親は破棄をしても良いと言った。ただ、フレアにはその決断ができなかったのだ。
サミュエルは一緒にいる時はいつもとても優しく、そしてフレアはサミュエルが好きだったから。
(そう、好きだったのよ)
あの美しいエメラルドグリーンの瞳で見つめられ、優しい言葉を囁かれる。
いつだって紳士的で、フレアを喜ばせることに心を砕き、会えない時には手紙やプレゼントを贈ってくれる。
言葉も行動も惜しまず、好意を伝えてくれる男性はいそうでいない。
唯一の欠点である突然の予定変更さえ我慢できれば、彼はとても良い伴侶になるのだろう。
予定変更の理由、それさえ納得できるのなら。
そんな物思いにふけるフレアを乗せた馬車が順調にミュラー邸へと到着した。
御者の手を借りて馬車を降りたフレアは、勝手知ったる邸宅の中へと入っていく。
資金に余裕のないミュラー邸は、最低限の使用人しか雇っていない。
来客もほとんどないため、玄関で待っていても迎えが出てくることがないのをフレアも知っていた。
サミュエルの婚約者になってから何度も訪れたことのある目的の部屋は、日当たりの良い二階の南側に位置している。
扉を軽くノックすれば中から応えがあり、フレアは扉を開いた。
こぢんまりとした部屋の中には一台のベッドと申し訳程度の応接セットが置かれている。
そのベッド脇に置かれた椅子に、サミュエルが座っていた。
「フレア!」
突然現れたフレアに驚いたサミュエルが立ち上がる。
その瞬間に、彼の手に繋がれていたほっそりとした手が離されたのをフレアは見た。
元々短編のつもりで書き始めた話です。
文字数的に短編に収めるのが難しく、連載になりました。
今のところ中編くらいの長さを予定しています。
設定は緩めのため、それを踏まえて楽しんでいただけると嬉しいです。
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