海風の後押し
もう去ってしまったのではと心配したが、シープは小屋の外で壁にもたれ掛かり上半身の肌を露わにしていた、その胸にサー・ガラハットの剣が貫いた穴が空いている。
その穴にイエロー・アンバーを砕いた粉を詰めて縫い合わせていた、死にはしないがダメージが無いわけではない、傷口から緑色の液体が血のように流出していた。
飛び出して目が合う、人形のままの顔、その身体は白く細い、その胸の膨らみにあるはずの乳首はない、ツルリとした質感は人とは違う、それが余計に痛々しい。
ズキンッと針が刺さった、加害者は私だ、私が更に心まで傷つけた。
「あのっ……私……」パクパクしているだけで御免なさいの言葉がでない。
シープの目が着替えた私を見た、その瞳の色がワントーン明るくなる。
「気が付いてくれたのね、良かった、似合っている」
見とれるように手を休めて体を向けた。
「ちょっ、ちょっと! まずは服を着てって、その前に傷の手当!」
「馬子にも衣装かな……」
似合うと褒められれば頬が緩む、照れくさそうに鼻頭を掻いた。
「メイド姿の貴方を遠くから見て似合いそうなものを買い込んだ、その中から厳選したの」
「は? 買い込んだって……これ一着じゃないの⁉」
「十通りは購入した、この組み合わせ一番だった、間違いなかったわ」
「十通り⁉ これ高そうなんだけどお金はどうしたの?」
「お金? もちろん盗んだりしてない、ちゃんと支払った」
「払った、いったい幾ら……まあ、それはいいか、それで残りはどうしたの?」
「残り?それ以外は全部処分した」
「捨て……た⁉」「ああ、荷物になるし、無駄でしょ」
「だっ、だって安くなかったよね、これ新品だし相当いい物に見えるんだけど」
「もちろん、アレックの子供に安物なんて用意出来ないわ」
話が通じない、シープの価値観がかなり怪しい。
「待て待て待って! じゃあこのワンセットを揃えるのにどの位お金を使ったの?」
「それは……」
取り出して見せた巾着袋は財布か? 明らかに軽い!
「全部は使ってない、稼ぐ手段はある、心配はいらない」
人形がどや顔で明るく笑う、これは駄目だ、どうやって育てられたか想像付いてきた。
「そうじゃなっ!!……」 謝ろうと思ってきたのに怒鳴ってどうする、我慢だ、このリルフ、この娘は文字通り箱入りだったに違いない、世間を知らない。
「あのね、聞いてシープさん、私がメイドとして働いた給与でこの服を買おうと思ったら半年は飲まず食わずでいなきゃいけないの、それだけの価値がある、貴女が捨てた服には私の働き五年分の価値があった、それが本当の無駄と言うのよ!」
「五年分! そんなに……」初めて驚いた顔を作った。
「そう、人にとってお金は時間と労力の代償、それを無駄に使うのは努力を嗤うような事なの、大切に考えて使わないと駄目よ、分かった⁉」
「そうか……知らなかった、気を付けるわ」
素直に頭を下げた。
「私こそゴメン、助けて貰ったのは私なのに酷い事言っちゃった、本当にごめんなさい」
シープよりも更に頭を下げた。
「かまわない、私はリルフで馬鹿だ、何にも知らない、私が来ても何か役に立てるか本当に迷った」
「貴女が来てくれたお蔭で私は生きている、シープさんは恩人!」
彼女の両手を握ると温度がないことにハッとさせられる、その皮膚感は人肌というよりラム革に近い。
その視線にシープが気付くと寂しそうに自分の手とフィーリーの手を見比べる。
「どんなに精緻に作ろうとしても温もりや質感は再現出来ない、人間は複雑で難しすぎる」
「そんなことない、貴女は人間と変わらないわ、生まれてから二十年ならお姉ちゃんかな」
「アレックはこの擬体を骨格ら作り始めた、其処へ培養したリルフ細胞を充填して皮膚で包んで外観を整えた、歩けるようになったのは十年前」
「あれれ、それじゃ年下なの?」
「この擬体は……貴女の母親、シノ・ククルがモデル、アレックの心の中にいる彼女の姿を写したもの、脚以外だけど」
「‼」 ああ、そうか、想像で描いた母の面影は間違っていなかった。
「父はどうして母を再現しようとしたの?」
「アレックは最後の時までシノさんに謝り続けていた、それは愛というものなのでしょう? これも再現出来ない物のひとつ、貴女なら理解できる?」
「分からない、母は一人で私を生んで亡くなった、父は近くにいなかった、どうして別れたのかは知らない、父は母を捨てたのだと恨みもしていたわ、でも違っていたのかも……」
「シノさんが如何に素晴らしい人だったか、アレックはそればっかり、そして一人で行かせた事を悔やんでいた」
「そうだったんだ……」
両親の間に愛はあった、私は忌子じゃなかった。
「これを……」
大事そうに手渡してくれたのは指輪だ、内側に文字がある、S to A 。
「これって結婚指輪⁉」
「アレックは私の背中で夕日に染まりながら息を引き取ったわ、でも私が失敗した、この街とは逆方向を見てしまっていた、だからアレックの魂をシノさんの元へ帰したい」
「それでここへ来たの⁉ あれっ、違うよね、襲撃を事前に知っていた訳だし……ねえ、どうして知っていたの?」
「それは殺し屋が教えてくれた、二か月前に私の処へもきた、別な殺し屋、ネロ・ビオッジさん、割といい人だった」
「は⁉ 殺し屋さんって貴方を殺しにやって来たのでしょう、なんでいい人な訳?」
「正確には私じゃなくてアレックが標的だった、でも死んでしまった後だった、私を見て驚いていたわ、その人が教えてくれたの、シノさんには娘がいて同じように狙われていると」
「シープさんは襲われなかったって事⁉」
「戦いにはならなかったわ、刺されはしたけれど」
「刺されたんだ……それは戦いじゃないの?」
自分を庇って貫かれた背中、惨劇の会場、サー・ガラハットの感情の無い冷たい視線、今思い出しても悪寒が這い上がってくる。
痛くはないのだろうか、怖くはないのだろうか、こうして相対するとあどけない子供のようだ、父親であるというアレクセイ・レオーネが創った擬体、軍事用の中には話す事が出来るリルフがいると聞いた事はあるが見た事などない。
母の姿をした人形の中に妹が入っているみたいだ、それでいて人を超越した脚力、殺し屋を退けたなら武器も使えるのかもしれない。
父は母の死を知った上で何のために再現しようとしたのだろう。
知りたい、そこに愛があったと信じたい。
もうお屋敷には帰れない、惨劇の犯人ではなくとも指名手配は免れない、囚われれば災いを齎した魔女として火炙り、貴族の死に関わった平民の定め。
それはシープも同じ。
「シープさん、この先はどうするの?」
「フィーリーを助けた後の事は……正直考えていない……」
駄目だな、何にも考えてない、当然だ、歩き出して十年、箱入り娘は世間知らずの足が早いだけのお嬢様だ、リーダーシップは私か取らないといけないらしい。
「それじゃあ、こうするのはどう? まずは母の墓に行ってアレックの指輪を帰す、次に国外脱出、そうね、フローラシオン共和国! 聖女様が降臨なされたそうよ、 そこを目指すのはどう?」
「私も行っていいの?」
「もちろん! こっちこそお願いします、シープさん、いえ、シープって呼んでいい?私の事もフィーリーって呼んで」
「了解した」
想像していた旅立とは随分違ったけれど、私たちの旅は遥か天空の頂きを越えた街へ向けて始まりを告げる、暖かく湿った海風が少女たちの背中をささやかに押していた。




