痛みの先に
初日の戦いはポムロール軍の惨敗、予備役兵の半数が重戦矢の餌食となって倒れた。
まだ息のある者もいたが収容されずに野に打ち捨てられたまま夜を迎えた、このままなら朝露に濡れる頃には屍と変わっていただろう。
「これは⁉」「おい、門を開けろ、負傷兵がいるぞ!」
「なに?」
城壁の上から覗くと大門の前に重症で動けずにいた兵士たちが整然と横たわっていた。
周囲を見ても負傷者以外には誰もいない、罠を警戒して慎重に大門の閂を外した。
ガコッ ギイイイッ 呻き声と共に血の匂いが舞い込んでくる。
「おい、大丈夫か⁉」「うう……」「生きているぞ!」
「!」 腹を貫いている重戦矢の両端が切られている、鉄製の矢をどうやって?
「急いで中へ運べ! 助かるかもしれん!」
その朝、大門の前に横たわっていた瀕死の兵士は二十五人、その中の半数以上が命を拾う事が出来た。
「どうやってここまで……誰が運んだ? まさか王国軍が⁉ いやあり得ん……」
「昨夜は曇りで月明りもなく見張りも物音は聞いたようですが屍を漁る野犬だと思っていたようで……」
「負傷兵から話は聞けたか?」
「いえ、いずれの負傷者も重症で意識が定かではなく内容の信憑性が低くて」
城壁内の指揮官たちが首を捻る中、兵士たちの間には様々な憶測が流れる。
顔だけが人間の鹿の魔物や、この忌地で死んだ女の霊だといったオカルトめいた話ばかりで要領を得ない。
「怪我人を助けるフィクシーの魔物か……」
指揮官は城壁から丘を見下げた、瀕死の兵士が戻ってくる、命が助かるのは良い事だとは素直に喜べない、負傷兵には医薬品や食料等の物資、何より人手間を食う、そして何の役にも立ちはしない、増えれば機能の低下は免れず不衛生な環境で疫病が発生すれば軍にとって致命的だ。
指揮官は本心から助かった命を祝福出来ない、今ここで少しの命を助けたことが将来多くの命を失う事になるかもしれない、鬼となって兵士に死んで来いと命じなければならない、それが与えられた職務と責任だ、いい人間ではいられない。
城壁内で手当てを受けている兵士たちを複雑な視線を落とし、この先の戦いを想像して心臓を悪魔に掴まれるようなプレッシャーに深い溜息を吐いた。
シープが助けた人形は重戦矢に胸を貫かれて動けずにいた、脊柱を鏃が大きく削り神経を傷つけていたが脳となる核は人間と同じように頭部にいる、内臓を持たないリルフは例え身体を分断されても脳核が無事なら死ぬ事はないが神経が切れれば身体は動かない。
シープの神経回路は送電網のように幾つもの系統で制御している、例え一本を切られてもバイパスする神経が筋膜に信号を伝える高度なシステムを有しているが、単純な機能しか持たない一般擬態のリルフでは一本の神経切断で動作不能となってしまう。
更にもう一人、意識があるポムロール軍兵士が苦悶の表情に脂汗を浮かべていた、右足の膝下に大きな裂傷があり、その傷は骨まで達していた。
苦しそうに呻く声を放置出来なかった。
シープが傷口を縛り、足を上げることで出血を抑えているが既に多くの血を失っている、時間はない、そう判断して外科医ドクター・エランの元に連れ帰った。
「貴様ら、何者だ!」
食いしばった歯の間から絞り出した声は掠れている。
「敵ではない、心配するな、お前はツいているぞ、私は医者だ」
言いながらエランは傷口を凝視した視線を外さない、切られたというよりも抉られたような傷、脹脛のヒラメ筋がアキレス腱に引かれて傷口が閉まらずにいた、既に開いた傷口から泥が侵入している、膝下は壊死を始めているのか赤黒く変色していた。
「まずは名乗ろう、私はドクター・エラン、君は?」
「おっ、俺はポムロール軍の予備役兵、ジョルダン二等兵だっ、ぐぐっ」
「私の見立てでは君の脚は助けられない、切断を進言する」
「!」
淀みなく明快、そこに憐憫の感情はない、どちらかと言えば嬉しそうだ。
「その脚の色は既に菌にやられている、切らねば壊疽が身体中に回り死に至る、君が選びたまえ」
「ここでやれるのか?」
「幸いここには一流の医者がいて鉄でさえ一瞬で切断できる女もいる、痛みはないだろう、痛いのはその後だが縫合はしてやれる、死なない確率の方が高い」
「そっ、そうか……モルヒネは持ってねぇか?」
「珍しく持っている、ツいてると言ってやりたいが、あまり期待はするな」
ゴクリと喉を鳴らしながら頷く、心が決まったようだ。
「シープ、膝下だ、関節は残せ、以後の生活が全く変わるからな」
「わっ、私がやるのですか!?」
「当然だ、私のメスでは時間がかかる、金属さえ両断する君の刀なら患者に最大限痛みを与えないはずだ」
言いながら切断箇所に線を描いていく。
色の変わらないシープの表情が凍り付く、人間に刃を向けたことはない、助ける為であっても怖いだろう。
「シープ、貴方ならやれるわ」
フィーリーがシープの手に自分の手を重ねた。
「⁉」「何だお前は?」
男はようやく違和感に気付いた、目の前の女は人間じゃない。
「わかった、やってみる」
シープの手が背中に伸びる、真っ白な刀身が高周波を唄う、イイイィィィィッン……
この日、男は片足を膝下から失い命を拾った。
高周波ソードの切断は一瞬、男は一切の痛みを感じることなく自分の脚と永遠に別れた、本当の痛みはその後だ。
ドクター・エランによる縫合術、縫われると血管にも痛覚があると知った、あるだけのモルヒネ煙草を咥えても喉が悲鳴を吐き出そうとする、手足が逃げ出そうと暴れる、自我の命令を本能が、身体が拒否していた。
痛みと脂汗の量が比例する、縫合術が終わった後には脱水しかけていた。
「ここまでだな、本来なら義足様に傷口の先端を絞るところだが……これ以上の出血は駄目だ、太い血管は止血したが細い物はどうしようもない、完全な止血は不可能だ」
男の放心状態は激痛に耐え抜いただけではなく失血状態にあるためだ、これ以上一滴も失わせたくはないが圧迫止血しか方法はない、しかし締め過ぎれば傷口の壊疽が広がってしまう、一時間に一度は緩めて血を通わさなければならない、が、自然造血のスピードはとても間に合わない、痛みに耐え抜いた見返りは男に届くか? ガシャッ ガシャッ 戦場の神は男を見捨てなかった、重戦矢に貫かれていたリルフ擬体が這って近づいてきた。
「なんだ?」
擬体の口からゴムチューブのような器官が伸ばすと液体が流れ出てくる、リルフはそれを男の傷口へと落とした、人間と親和性の高いリルフ細胞は傷口を塞ぎ皮膚の役割を果たす。
「なんと、これなら完全な止血になるのでは! リルフ細胞にこんな使い方があったのか」
「……」シープが悲し気に唇を噛んだ、ガシャリと人形が崩れ落ちた。
「あれ、その子どうしたの?」フィーリーが抱き起すと既に人形は本当の人形になっていた。
「ねえ、ちょっと、どうしたの、しっかりして⁉」
ゆすってもリルフ人形は関節を揺らすだけだ。
「フィーリー、その子はもう死んだわ」
シープが揺する手を止めさせた。
「えっ!」
「その液体は核を守る自由細胞、通常なら耐えられるけれど重症を負った今は……」
「この子は自分の命を捨ててこの人を助けたの?」
「そう、このリルフのオリジンだったのね、人の命が自分の生存よりも優先される、この子は使命に従った」
全員が押し黙った後、男が嗚咽を漏らし始めた、冷たい人形の手を額に当てて咽び泣いた。
「この子の事を想ってくれるなら貴方は死なないで、自分の生涯を全うして、それがこの子の望み」
男は人形の手を濡らして頷いた。
その光景を複雑な思いでフィーリーは見ていた、命の価値、人間は特別で素晴らしいとシープは言う、本当にそうか!? 戦争という同種殺し、複雑であれば価値があるのか? むしろ無垢で純粋なリルフこそ素晴らしい存在なのではないか? さらに鉱石を主食にするリルフは生きるために他の生命を奪わない、人の代わりにリルフが地に満ちたなら……違う、たらればの疑問は無意味だ、この世界の支配者は間違いなく人間で自分もまた人間。
食べるためには少なくない命を奪わないと生きられない、どんな善良な人間であっても同じ、奪う命の種類が違うだけ、神にそう創られた、努力では変えられない。
呪われた運命の前に出来る事は少ない、私に何が出来る? 僅かな時間と力を何に使えばいい? シープが切除、ドクター・エランが縫合し、リルフが止血して男を救った。
痛みだ……皆それぞれの力で神の運命に抗っている、私は痛みを消して抗う! 誰かを救う! シープのように、シノ・ククルのように!
痛みと向き合う事は痛みを知る事、thorn、ソーン・シティとは茨の街、自分の前に示されたオリジンは棘の道、踏み抜いた痛みの道を辿り、棘を折る、そんな道だ。
神に抗うのが悪魔なら私は魔女になる! 霧の魔女、聖女キリアのように。
その夜、サガル神山から青銀の光がソーン・シティの方角に向けて尾を曳いた。
1st fin




