フィクシーの丘
巨大なラライダムの擁壁はメインとなるポムロール擁壁とオーバーフロー用に設けられたフィクシー擁壁の二つがある。
擁壁から流れる水は川となり各地区へと注がれていく、しかし、フィクシー擁壁側の川は枯れている、意図的に排水を止めて数十年になるからだ。
以前は水と肥沃な土地に恵まれていたフィクシー地区は数十年前に疫病で廃村となっている、この時からダムは閉ざされ川は枯れ、フィクシーの丘は忌地と呼ばれるようになった。
山が遠く、川が枯れたことで丘は乾燥して樹木は育たなくなり下草ばかりが繁茂している、それでも井戸を掘れば水は出るだろうが疫病により死亡した住民が埋葬された墓がいたるところにあり気味が悪いと住み着く者はいない、廃村は崩れかけた教会の高い鐘楼だけがかつての栄華を映していた。
枯れ川を挟んだ双丘のそれぞれに国王軍とポムロール軍の陣地が築かれていた、本来は他国との戦争時にダムを守るための要塞だが一カ月前に国王軍が集結を始めた、明らかに内戦の準備だ、実は内戦を企て独立を狙っていたのはポムロール側であり画策していたブロンテの女侯爵ファニー・サラ・ネルソンは慌てなかった、もとより国王側に情報を流しフィクシーに軍を向けさせたのも独立作戦の一つだったからだ。
「上手く説得出来ましたね、侯爵様」
黒髪オールバックの執事レナード・ロッソが優雅に紅茶を注ぐ、サラ侯爵は珈琲よりもお茶の方が好みだ。
「ありがとうレナード、良い香りね、どこ産の物かしら」
「東洋の島国の物です、アリサンと呼ばれる半発酵茶、良い状態の物が手に入りましたので」
カップの中には薄く透明な金色が揺れて、複雑で爽やかな香気が立ち上がる。
「喉元に剣を付きつければ誰でも払おうとします、それは意味のない土地でも同じ、国王もポムロール内の貴族達もこうもあっさりレールに乗って頂けるとは少々拍子抜けでした」
コクリと小さく喉を鳴らし、サラ侯爵はカップに付いた紅を拭き取る。
「さすがはサラ様、見事な采配ぶりでした、いよいよ出兵ですね」
「ええ、既にフォクシーの丘には三百の正規兵と千の予備役兵が集結出来ています、後は開戦の合図を待つばかり、現地に動き、一滴の血が独立戦争の始まりです」
立ち上がると広い執務室に置かれたフィクシーのジオラマモデルの前で腕を組む。
「この内戦は水の利権とポムロール地区の独立が重なって起きた、我々は国王を討ち取る必要はなく独立を納得させる条件を勝ち取ればいいだけ、兵員数では負けていても入口である丘の防御に徹すればいい私たちの方が有利となる、春の種蒔きに水を止めてしまえば国王側は干上がり早々に講和となるでしょう、そちらの方が真の戦いです」
サラ侯爵は内戦を始める前から終戦後を考えていた、完全なる独立は難しくとも最低限自治政府を立ち上げ国王同等の力を持つこと、その先にポムロールに王都を移転させる事を狙っている。
「フィクシーは忌地とはいえ少々勿体ない土地にも思えます、占領後は何かに利用できないでしょうか?」
「フィクシー、疫病による忌地……昔は十七の村があって万の住民が暮らしていたようね、それが黒呪病で一年かからずに住人は全滅、伝承では神獣の森を開墾したせいで呪われたといわれているわね、当然信じないけれど新規事業となると難しいわね……何かある?」
その問いに執事レナードがニヤリと笑う。
「忌地であることがメリットとなる産業もございます、例えば麻薬等は高効率の収益が見込めます、もちろん我々が直接運営することは出来ませんが、やりようはあります」
「いいわね、ラウド・ツェッペリ伯爵が開発しているリルフ、口のない人形なら裏切られる心配もない、兵器としては当てにしていないけれど単純作業の労働力としては使えるかもしれないわね、ラウド伯爵への投資がようやく役に立つと良いけれど」
「私の方で原案を作成してみますので後日ご検討ください」
「優秀な執事で助かるわ、植物から生成する麻薬はイエローアンバーから作る覚醒剤よりも製造コストが高いのがネックだけれど、リルフ人形なら機械化出来るのと同じ、麻薬による内腐作戦は剣や槍よりも強力な武器になるわ」
植物であるケシの栽培は天候にも左右され安定した生産が難しい、しかし生産量が減っても人件費は変わらない、残業に文句を言わず酒も飲まないリルフ人形は理想的な労働力といえた。
「フィクシーの現場指揮はクー・リネ男爵でしたね、内戦の口火を切るには気が弱いように思いますが何故彼を?」
「彼のお父様からの進言です、是非一番槍はリネ家に任せてほしいと懇願されまして、老い先短いご隠居様の夢なのでしょう、らしくもなく情に絆されてしまいました」
「良い事だと思います、ポムロールの王なれば地区内の家柄を守る手助けもまた一つのお役目、それでこそ信頼が集まります」
フッと意味深な微笑を残してサラ侯爵は窓の外へと視線を向けた、リネ家は一人息子、跡取りが戦士すれば息のかかった養子を送る段取りは出来ている、どちらに転んでも利益はある。
「エドワード王、フローラ王妃を国母とした事を必ず後悔させてあげる」
サガル神山から黒い雲が駆け下りてくる、もうすぐフィクシーの丘を飲み込むだろう。
国王軍フォクシーの丘陣地、分厚く切り出された不揃いの石が高く積まれた石壁が敵の侵入を拒絶している、城壁上の通路は弓兵が五列待機できる広さがあり、大砲も数門設置されている、駐屯する兵員は二千、更に増員のための宿舎を建設中だ、完成すれば倍以上の五千人を収容出来るようになりポムロール地区侵攻時の拠点となる。
現在駐屯する兵員二千は全員が正規兵だ、ポムロール側の予備役とは違う、いわばプロの兵士、その半分が弓兵部隊という極端な布陣には理由がある。
両軍を隔てる距離は千メートル以上あり、かつ急傾斜の斜面、隠れる遮蔽物もなく遠距離射程の武器は必至と指揮官ヴォッセラー少将は考えた。
ポムロール側の城壁も高く強固であり急斜面の立地は攻城兵器の持ち込みは困難だ、梯子程度では自軍の損失が大きい、その為に新型の大型ボウガンと矢を準備していた。
フィクシーの戦いは長射程の戦いだ。
「大砲を移動出来れば早いのだがな」
「敵陣地の斜面を登るのは馬や牛を使っても不可能です、それはポムロールも同じ、小さな銃弾を幾ら打ち込んでも石壁は崩せません、もっと大きな火力が必要です」
注進したのはロマ連邦陸軍フィクシー駐屯地指令のジョバンニ・ロッソ、白髪が目立つ退役間近の軍人、階級は準少尉だ、本来なら少将と立ち並べる階級ではないが二人は旧知の仲、幼馴染だった。
「敬語はよせジョバンニ、誰も居ない」
「そうだな、逆に失礼というものか」
幼少の頃、ジョバンニ指令はヴォッセラー少将の邸宅に出入りしていた清掃員だったが二人は階級を越えて気が合う友人、互いに軍属となり住む世界を違えても交流は続いていた。
「この砦で何年になる?」「ちょうど十年だ」
少将が準少尉のグラスに琥珀の液体を注ぐ、スモーキーなピート香が鼻を擽る。
「流石は少将、何年物だ?」
「二十五年物だ、勘違いするなよ、これは再会を祝して特別だ、普段はノンエイジしか口にはしないからな」
「何を勿体ぶる、少将がノンエイジでは下士官は飲むべき酒が無くなるではないか」
「ジョバンニ、貴様がいてくれて助かった、いかに精鋭部隊を派兵しても地の利を知る者がいなければ戦いには勝つことは出来ない」
「しかし、この砦に兵を集めただけでポムロールの反逆軍が浮足立つとは……この作戦は隣国の入れ知恵か?」
「ああ、我が国王リアム様は経験が足りない、隣国の王と友好関係を結べたのは幸運だった」
「果たして本当にそうなのか、エドワード王に真の狙いがあるのではないか」
「分からん、今は単に助言だけだ、何かの要求がある訳ではない、それはそうだ、ロマ帝国にあってラインハウゼンにないものなどないのだからな、唯一のネックだった聖教会の改革も成功させちまった、これは聖女な降臨したことが大きいかも知れないが好機を見逃さないのが指導者というものだ、エドワード王の器だ」
ウィスキーを片手に語り合う二人は歳を重ねても変わらないものがある。
カンカンカンッ 物見櫓の鐘が鳴る、敵軍見ゆの合図。
「来たな!」
「重戦矢隊の出番だ!」




