戦争の風
隣国ラインハウゼン共和国に比較するとロマ連邦は貧しく寒い土地だ、しかし背後にラライダムという巨大な水瓶とニースという港町を持つポムロール地方だけは豊かで栄えていた、水と肥えた土地は麦やトウモロコシ、牧草も通年青く家畜もよく育つ、交易のハブ基地として物流も盛んであり、その税収はロマ連邦全体を支えていた。
ポムロール地方の一つ、ブロンテ領はラライダムの水に関する全権を持っている、それは下流域の生殺与奪を握っているといっても過言ではない、侯爵であっても発言権は国王よりも強いと言われる貴族だ。
女侯爵 ファニー・サラ・ネルソン、聖女キリア暗殺に傭兵団ルポマルノ(海の狼)を送り込んだ張本人、その理由はルポマルノ首領トールソンが語ったとおり新生聖教会が邪魔だからだ、聖女が降臨して新たな教皇が就任した聖教会は集金マシーンではなくなってしまった、時に疫病は権力者に莫大な利益を齎していた、何も知らない庶民に病の真実を隠して祈祷や薬を与えて帰依と金銭を要求する、庶民に知恵と力はいらない、それが魔女狩りだ。
見えない税金のシステムは崩壊した、後ろで手を引いた奴は分かっている。
「あの国王、只のボンボンだと思っていたら羊の皮を被っていたようね」
国王の印が押された手紙をテーブルの上に放った。
「増税のお知らせよ」
「またですか! 昨年穀物の税を上げたばかりなのに、今度は何の企みを?」
侯爵邸にはポムロール地区の各貴族が集まっていた、その数は十六人、ただしニースの領主トマソ・デ・ロンシャン男爵だけは欠席している。
「ラライダムに警備のための軍を派遣すると言ってきている、要はダムの管理権を寄こせという事ね」
「何ですと⁉ 我々からダムを奪うつもりか!」
最古参のル・バン男爵がテーブルに拳をドカンッと振り下ろした。
「さらに国王軍がフィクシーの丘に集結しています」
サラ侯爵は顎の下で左右の指を絡ませ上目遣いに中空を睨む、集まった貴族たちの中では最も若い三十代半ば、そして唯一の女性、しかし長テーブルの上座に一人座する威厳は誰もが疑わない、ポムロール地区の王は彼女だ。
「!」 一同の顔が驚愕に引き攣った。
「我々に弓を向けるとは国王は血迷ったのか⁉ そっちがその気ならやってやろうじゃないか!」
武闘派は多い、その急先鋒、巨体に銀の髭を長く編んだランクロ子爵が椅子を蹴とばし立ち上がる。
「待て待て、いかに兵士が集まろうとフィクシーの丘など無意味な場所だ、ラライダムとは関係あるまい、単なる脅しだ、放って置けばよい」
逆説を唱えるのはネナン子爵、この中では最も年嵩であり、ニース領主トマソ男爵同様に国王とのパイプを持つ穏健派だ。
「ふざけるな! これを黙っていたらダムの管理権限を失うぞ!」
「そうだ!!」
「いや、大体国王はダム警備の兵士を貸して下さると申しているのだろう、権限の剥奪とは何処にも書かれてはいないではないか!」
「そうじゃ、内戦にでもなったらどうする積もりじゃ、勝ち目があるのか⁉」
「五月蠅い! 腰抜けは引っ込んでいろ!」
「おい! 腰抜けとは聞き捨てならんぞ!」
内戦勃発の議論は今までにも散々議論されてきた熾火、武闘派と穏健派はテーブルを挟んで喧々諤々の言い争いを始める、その勢力は武闘派が有利に聞こえる。
目を閉じて喧騒を聞いていたサラ公爵が後ろに立っていた側近の執事に手を上げて合図すると、黒髪をオールバックに纏めた細身の男が視線で答えた。
「お静まり下さい! 侯爵、ファニー・サラ・ネルソンが皆様に申し上げる、心を沈めて傾注せよ!!」
細身に似合わずドスの効いた良く通るテノール寄りのハイバリトンボイスが全ての喧騒を断ち切り静寂と全員の視線をサラ公爵に集めた。
「皆さん……」 絡ませた指を解いてゆっくりと立ち上がる。
「この土地と水は我らの先代たちが血を流し守り継いできた場所、これからもそれは変わらない! 変わってはいけない! これは誇りと血で織られた誓い、何人にも収奪することは出来ない、それが国王であっても同じ、ポムロールに王は一人!」
「そうだ! 王は一人!」 「王は一人!」 「王は一人!」
全員がテーブルを叩き、足を踏み鳴らした、ガンガンッと怒号のように窓を震わせた。
スッとサラ侯爵の手がオーケストラ指揮者のように上がる、怒号の演奏が止まる。
「忌地であるフィクシーの丘に兵を集めた国王の意図など関係ありません、この土地と水は我々の物、それを守るのは我々でなければならない、間もなく時は満ちる……」
ゴクリッと誰かの喉が鳴った。
「戦争の季節がやってきます……皆さん、戦いに備えよ!」
オオッ!! 貴族たちの歓声が再び窓を震わせた。
ポムロール地区、ある村の片隅、農機具専門の鍛冶屋を営む男は、まだ若いが近隣の村々でも評判の腕を持っていた。
今朝、工房を訪ねてきたのは客ではない、実家の父母と長兄だった。
来るなり母親は床に額を付けて息子に許しを請うた。
「許しておくれパプロ!」
「やめてくれ、母さんが謝る事じゃない」
早朝から鉄を叩いていた工房主パブロはハンマーを下ろすと母親の元へ駆け寄った。
「いいんだよ、俺も初めからそのつもりだから」
泣き崩れた母親は顔を上げることが出来なかった。
「すまないパブロ、せめてもの償いだ、食ってくれ」
兄が担いできたのは肉と酒だ、どれも普段は口に出来ない高級品、幾ら金を使ったのかと心配になる。
「兄さん、どうせ俺一人だ、こんなには食べられない、気持ちだけ貰っておくから皆で食べてくれ、子供たちも食べ盛りじゃないか」
「パブロ、お前は……」
「気にしないでくれ、別に死ぬと決まった訳じゃない、まだ発注を受けたままの仕事が山ほど残っているんだ、帰ってからの方が大変だよ」
兄弟とはいえ体格の面では弟パブロの方が一回り大きい、金槌を握る厚い手が兄の肩を叩いた。
内戦に向けての召集令状、この村への割り当ては十人、いずれも健康で体の効く若い男が条件、出兵出来なければ莫大な税を払わなければならない。
出兵先は決まっている、忌地フィクシーの丘だ、その昔村全体が疫病により死に絶えた街、今も弔われない躯が散乱し、夜には怨霊たちが徘徊する不気味な音が聞こえるという。
何故国王もポムロールもあんな不吉な土地を欲しがるのか、意味が分からなかった。
どの家庭も家長や大黒柱となる男を死地に送りたくはない、当然白羽の矢が立つのは次男以降の独身だ、パブロはこの条件に当てはまる。
パブロが領主による出兵や強制労働に向かうのは初めてではない、災害やダムの補修、領地を荒らす魔獣討伐、さらには自警団による市中警備なんかにも駆り出される。
しかし、戦争への出兵は初めてだ、しかも敵は国王軍、内戦だ、ポムロール地区は他に比べれば裕福だが兵隊の数は比べるまでもなく三分の一にも満たない、真っ向からぶつかって勝てるはずはない。
お前も早く結婚しろ、そうすれば召集の選から外れる事が出来る、母さんたちを安心させてやれ、兄は会う度にそう訴えた。
皆が結婚して子供をもうけたなら誰が出兵の任を受けるのか、より悲しみが増えるだけだ、誰かの泣き顔を見るくらいなら一人でいた方がいい。
「心配するな兄さん、酒は貰うよ、肉はいらない、これ以上大きくなったら甲冑が着れなくなっちまう」
ガハハと豪快に笑っても優しい顔には似合わない、その笑顔を見た兄の顔はより苦痛に歪む、時として見送る側の方がつらい時もある。
「なんで内戦なんて考えになっちまうのかな、同じ言葉を話すんだ、人間なら話し合えばいいのにな」
パブロは独り言のように呟いた。
「バカな話だ……」
庶民は内戦の原因に気付いている、根本にあるのはラライダムの利権であることは間違いない、国王とすれば命の水を部下が握っているようなものだ、支配下に置きたがるのは当然だ、問題は三十代半ばで今だ独身のファニー・サラ・ネルソン侯爵だ、今の国王が皇太子だった時代に婚約者筆頭と言われていた、家柄、能力、美貌、どれをとっても他の令嬢たちに遅れるところはない、当然本人も親たちもそのつもりだった。
しかし! 隣国の皇太子エドワード・ラインハウゼンは地方の男爵令嬢に恋をして無理矢理に婚約してしまった、一国の皇太子が成り上がりの男爵の娘と婚約など在り得ない事だ。
普通なら認められるはずはない所が違った、当時クーデターを企てていたランドルトン公爵を二人で討ち取り内戦を未然に防いだのだ。
民衆は新たなヒーローとヒロインを喚起して迎え祝福した。
侯爵令嬢だったサラは突然に皇太子妃、そして将来の王妃の梯子を外され絶望の淵に落とされた、豊かな隣国の国母となるために積み重ねた努力は全て無に帰した。
サラ自身、皇太子エドワードに好感を持っていたのも事実、それが片田舎の貴族とは言え胸も腰も無い薄っぺらな男爵令嬢に思いを寄せて無理矢理に言い寄った事が許せなかった。
頑なに屋敷の扉を開く事を拒んだ男爵令嬢を待って皇太子は土砂降りの中、一昼夜立ちっぱなしで令嬢の赦しを待ったという逸話は有名になっている。
それほどあの女が良かったのか、侯爵令嬢サラのプライドは嫉妬の炎に焼かれた。
( あのロリコン野郎! )
婚約披露のパレードを見たサラ侯爵の唇から一筋の血が流れていたという。
「結局俺たちの命は貴族様方の気分次第ってわけだ」
パブロは鉄を焼くための炉の火を早々に消すと出兵のための準備にとりかかった。




