聖堂の道
顔色の良くなった病人たちの真ん中に聖女キリアがいた、注がれるままにグラスを空にする、見事な飲みっぷりだ。
「相変わらずの底無しだな」 ボルツが呆れた。
「これだけの人数の病を喰ったら! ゴクンッ それは飲まずにはいられないだわさ!」
いくら飲んでも聖女キリアが酔う事はない、取り込んだ病気、毒、アルコールは全て瘟鬼の餌だ。
「キリア、こいつらの酒も飲んでやってくれるかい、僕の甥と例のリルフ擬体の姉妹だ、こっちは本物の人間」
「どうも」「こんにちは」
「およっ、ボルツが人を紹介するなんて珍しいわね」
その黒い聖女は胡坐を直すと空になったグラスを差し出した。
「えっぐっ えっぐっ ひっ、ひっ …… 辛かったね、フィーリー 、あっ、マスカラ取れた!」
話を聞き終えた聖女キリアはこっちが引くくらい号泣していた、周りの側近たちは慣れているのか聖女キリアに対する扱いが雑だ、ローペンと紹介された鷲鼻の男だけが甲斐甲斐しく世話を焼いている。
「それでソーン・シティに行きたいのね、いいわよ、いいわよ、任せておいて、こう見えても私は聖女だからね、お姉さんだと思って頼るだわさ」
赤い爪の細く長い指が薄い胸を叩いた。
「引籠りのキリア様では人生経験が足りません、ここはマルコスが適任ですね」
「むっ、俺か? いいだろう、家へ来るか?」
シルバーバック、群れを守る巨大な雄、その名が示すとおりソーン・シティのマフィア連合を纏めるボスだ。
「もっとも家で女の働き口といえば娼館になる、お勧めはしない」
「娼館? 娼婦って事……」
「娼館の仕事は娼婦だけとは限らん、掃除、洗濯、経理、メイドと変わらん、なんなら営業なんていうのもあるぜ」
内ポケットから煙草を取り出し咥えると聖女がすかさず火を点けた、巨大な肺が軽く吸い込むと一瞬で半分を吸いきる、残りを聖女に渡す、伏目に浅く咥える仕草がミステリアスだ、話している時との落差が激しい。
「もう、マルコスも若い子を脅さないで、何かやりたいことはないの? どうせ自由になったのなら新しい事を始めてみればいいよ」
自由? ギャップで話が入ってこない。
「分かりません……色々突然過ぎて何かやりたい事っていわれても……」
今を生きる事で精一杯だった、キャサリンお嬢様の癇癪を買わずに夕食のスープが食べられるようにするだけ、膝を抱えて寂しい夜に眠る少女を演じていた、将来を考える事から逃げていた。
短くなった煙草をキリアの唇から取り戻すとマルコスは点いていた火を指で直接摘まんで消してしまう。
「まあ時間が無いわけじゃないだろうが……目的を探しているうちに時間は走って行っちまう、それこそあの擬体リルフ、シープ・レオーネのようにな」
マルコスが振った視線の先に懐かしくさえある顔があった。
「シープ!!」
「フィーリー!!」
聖堂の道を二人は駆け出していた。
「ガラハットが死んだ?」 シープは殺せないだろうと思っていたネロが勘違いの声を上げた。
「殺したの?」 フィーリーの問いにシープはやはり首を横に振った。
「彼には友達がいたの、この子を守るために戦い命を落とした」
疲れたのかユキヒョウの子猫は寝てしまっていた、その寝顔は間違いなく天使だ。
「戦ったって誰と?」
「大きな雄のヒグマ、ユキヒョウを狙っていたのだと思う、私が出会ったのは偶然、ニースへの近道だと思っていたら通り過ぎていた」
「ヒグマ⁉ シープ、まさか剣で遣り合ったのか!」
「少しだけ、後は坂道に誘って駆けっこ勝負なら負けない、最後は向こうが疲れて音を上げたわ」
「また、そんな無茶をする、見過ごす事も出来ただろう……まあ、それが出来ないのがお前か」
「ごめん、ネロ」
「この子のお母さんは?」
「母親の方は既に死んでいたわ、ガラハットの方は子猫を守りながら必死に戦ってたいたけれど、既に致命傷を受けていて……助けられなかった」
信じられなかった、私を串刺しにしようとした剣の先にあった冷たい目を思い出すと背中が寒くなる、あのガラハットが自分の命を投げうって子猫を助けたなんて想像出来なかった。
「私には少し分かる気がするの、彼は人ではなくリルフだった、人が食べるための狩りで呵責を感じないのと同様だったのかもしれない、もちろんそれは間違いだけれどヒグマやオオカミと同じ、ただ少し知能が高いだけの別種の生き物」
シープは寂しそうだった、立場が違えば理解しあえる存在だったのかもしれない。
「だから、お願い、この子猫を生かしてあげたい、せめて自分で餌が取れるようになるまで、許してあげて」
「許すも許さないもないわ、こんな天使みたいな生き物を放っておけるはずないじゃん」
「本当に⁉ この子猫はフィーリーを殺そうとしたガラハットの友達の子、恨みはないの?」
「まさか! この子猫は普通にユキヒョウの子供よ、そんな気持ちはこの可愛らしい髭一本たりともないわ」
「俺はユキヒョウには詳しいぞ、見せてくれ」
ネロたち山の民はムトゥスと同様にユキヒョウを神獣と呼び崇めている、それほど神秘的で希少な獣なのだ。
そっと抱き抱えてお腹を見る。
「雄だな、生後半月ってとこだ、母親の乳を飲んでいないと人間の病気が移っちまう事もあるから無暗に触らない方がいいぜ」
「そうなんだ、この触りたい衝動を抑えるのは拷問だわ」
「ネロ、詳しいなら暫くこの子の面倒見てよ」
「別にいいぜ、実は前にも拾ったユキヒョウの子供を育てた事があるんだ、半年もすれば成獣になって山に返せるよ」
「へぇ、半年か、大人になるのが早いんだね、君は」
寝ている子猫の鼻を突くと丸い肉球がグーパーを繰り返す、殺人級の可愛さだ。
「ほんとに、私なんて立つのに十年以上かかったのに、ホントに凄いや」
「きっとガラハットも子供だったのかもしれない、善悪や愛を知る前に力だけを手に入れてしまったから……子供って残酷だもの」
いくら知能が高くなっても誰かを思いやれるようになるには経験が必要だ、もちろん才能もあるだろう、自分が辛い目に遭ったならその気持ちを誰かに投影出来るようになり、誰かに愛されたならその幸せを分かち合いたいと願うようになるものだ。
多くの獣は愛や優しさを学び成長することが出来ない、生物的に優れているだけでは人間には遠く及ばないと思う理由だ、シープを創造し育てたアレクセイ・レオーネ、父はやはり優しい人間だったのだ、無垢のリルフは創造主の愛をそのまま映している。
母の姿を写した擬体、そして父の心を写した擬体、それがシープだ。
二人の血を分けて産まれたのが自分ならばそれは誇っていい事だと気付いた、愛おしそうにユキヒョウの子供を抱くシープの姿に幼い自分を抱いている母の姿が重なった。
「ああっ」
愛している と二人の声が身体の中から聞こえた、そうだ、父と母の愛は初めから私と共に居たのだ。
不意に涙が零れ、その一滴が落ちる前にシープに抱き止められた、驚きと心配の顔がそこにあった。
「私も……愛している」
小さく呟いた言葉は二人に届いただろうか。




