振動
「やめなさい!!」
火刑を囲む聖教会騎士団に向かって厳しい声を向けたのはマンティコア・ファーム、剣のマヤだ。
「!?」 白いフードが一斉に振り向いた、浅黒い肌が多くまだ新しい白とのコントラストが際立っている。
「何者だ⁉ 我々は聖教会騎士団、審問により異端者を火刑に処す浄化作業の儀式中である、余計な指図はご遠慮願おう」
先頭にいたリーダーが覚えたての口上を言い放つ、ちょっと得意げだ。
「貴様たちは何の権利があって人の命を弄ぶのか? その男が何をしたというのだ、罪状を申してみよ!」
槍のアグニが切先を黒い影だけとなった男を指した。
「罪状だと、貴様ら下賤の者に宣誓する義理は無いが教えてやろう、この男は音楽により民衆を堕落せしめ神への信仰を妨げた罪により裁かれたのだ、神の火により浄化された魂は正しく輪廻へと還すことが出来る、そう、これは救済である!」
人殺しの言い訳を覚えた男は焼死体を前に誇らしげだ、付け焼刃のセリフもここまで出来れば上出来だろう。
「待って! 待ってください、誰が裁いたの? この中に神様がいるの?」
疑念と戸惑いを引き摺った視線にまだ迷いがある、決断まであと半歩。
「聖教会騎士団とは神の使徒、我々の意志は神の意志、我々は神の代行者なのだよ、お嬢さん、分かったらとっとと消えな、さもなきゃ全員並べて火刑にしちまうぞ」
最後はゴロツキの素が顔を覗かせた。
「分かるかシルキー、聖教会とは自己利益の為に他者を踏みつける、神は人を導いたりしない、ただ遠くから見守っている存在だ、聖教会という組織の中に神など存在しない」
「命を奪う行為は食物連鎖の中でのみその自由を許される、神を騙り命を弄ぶ者を修正しなければならない、人としてだ! 神に変わってなどとは言わん、死ななくていいはずの命を救うために我々と共に罪人となってくれ」
「お前の力が必要だ、手を貸してくれ! シルキー」
「下がって耳を塞いでください!」
「!」
ババッ マヤとアグニが後ろに飛び退き両手で耳を塞ぐ。
ズズズゥウウウッッ 低い振動 音源はシルキーが口に咥えている細く短い笛?
「なんの真似だ? 別れの歌か……あっ、あれ⁉」
直ぐに異常が現れ始めた、偽騎士団の兵士たちが酩酊したようにふらつき始める。
「ちょっ……なんだ、これは⁉」
グラグラと身体が揺れて立っていられない、ガシャッ 大多数が膝をついてしまった。
「おえっ、気持ち悪い、なんで急に⁉」
ヴヴヴヴッ 音のない振動が続いている、音源はシルキーが創り出した第二の発声器官、超低周波発生装置! 空の神獣ムトゥスが使う音響兵器を小型化し、指定方向性を持たせたものだ、細く小さな笛はスピーカーの役割を果たし狙った対象に超低周波の弾丸を撃ちこむ! その効果は人間の平衡感覚を司る三半規管を一時的に麻痺させてしまう。
文字通り音速の音波を至近距離で躱す手段は人間にはない。
神獣の音響攻撃は高空から大出力による範囲攻撃が可能だが人間の肺を活用しているシルキーでは射程に限界がある、例えれば神獣は大砲、シルキーはマシンガンだ。
酷い眩暈と立ち眩み、遠近感覚や全身の運動感覚を麻痺させてしまう、剣を振るどころか立つことさえ困難になる。
バタバタッと兵士が昏倒していく、戦う以前の問題。
ヴンッ 振動が止まる、後ろにいた二人が立ち上がる。
「よくやったシルキー、後は任せて」
「交代だ、目を閉じて耳を塞いでおけ」
マヤとアグニが刃を光らせた、酩酊状態の兵士に止めを刺すつもりだ、まだシルキーに直接殺すことはさせない、ステップを踏んで開放していく計画だ。
「まっ、待ってくれ、俺たちは雇われただけで、本当は!」
ドスッ 「ぎゃっ!!」 「黙れ、余計なことは言わずに死ね!」
二人がフラフラ状態の兵士を刺殺するのは虫を潰すよりも容易い、事前の脚本通りシルキーが持つ特殊攻撃を人に向かって使用させた、第一段階の成果としては十分、直接殺させるのは次のステップだ。
兵士の悲鳴が終わるまで背中を向けてしゃがみ込んでいるシルキーの背中は震えていた。
その日の夜、サバリーニ伯爵領へ向かう宿屋で三人はテーブルを囲んだ、嗜好品から縁遠い三人は酒も煙草も飲まない、夕食には肉や魚、野菜が並び冒険者や傭兵から見ればランチと勘違いされそうだ。
「今日は辛かっただろうが良くやったな」
アグニが心労を気遣った、俯いた顔が葛藤に悩まされている。
「いえ、私は何も……」
「そう暗い顔をするな、シルキーは間違った事はしていない、ほら、あそこに異人がいるだろう」
マヤが指さしたテーブルに旅の途中だろう異人の親子がいた。
「聖教会は異人、異教徒とみるや難癖をつけて火刑にする、今日我々が手を汚したことで運命が変わる命がある、それが誰なのかを知る事は出来ないが我々は誰かを救ったのだ、見過ごせばあの子供が磔にされていたかもしれない、誰かがやらなければならないのだ」
「はい、分かります」
諭すアグニの口調はゆっくりと穏やかだ、シルキーの目に尊敬がある。
養殖培養されたリルフ核の中でも特異な存在、特に知能が高く音響攻撃というスキルまで備えていた、それはビーカーの中から自我の発現が見られ音楽により高度な発達を見せた、選ばれた人間は異人ではなく音楽と運動に秀でた少女、貧しい農家の六人兄弟の長女は自ら口減らしに身を売った。
買ったのは名前だけの奴隷商、ラウド・ツェッペリ伯爵のリユース・ヒューマン研究所、奴隷といっても発育の悪い身体は娼婦には向かない、商家のメイドか工場の下働き程度だと甘く考えていた、リルフを移植されれば脳を食われて自我を失う、少女は奴隷として買われ名前と自我を失い、リユース・ヒューマンとして名前を得た、もう六人兄弟の長女だった少女はいない。
自分が身体を乗っ取り殺してしまった、既に罪人だ、返せるものなら身体を返したい、いくら願っても少女は返事をしてはくれない。
「シルキー、熊や狼は恐ろしいかい? 空なら鷹や鷲、海なら鮫に鯱、ファンタジーならドラゴンはどうだろう」
「いいえ、この身体にとって脅威だとは思いますが恐ろしいとは感じません、私は人間の感情、怒りや悲しみ、痛みや絶望の感情の方が恐ろしく感じます」
「とことん優しいんだな、シルキーは」
「そうだね、人食い熊、人食い狼を人間は恐ろしいという、人を食べるからだ、でも視点を逆にすれば肉食獣が肉を食べるのは普通だ、 何故人間だけが特別なんだとなる」
「人間は食う以外の目的でも他の命を奪う、地上で最も罪深い生き物だ、儂はこう考えている」
「その答えをアグニ様はお持ちなのですか?」
シルキーの目には疑念がある。
「シルキーにとっての答えになるかは分からんが、こんな老いぼれにも命を滅する理由は必要だ、人間は神を模して創られたという、それは世界を神に代わり統治するためだ、しかし人間にそんな意識を持つ者は少ない、皆、日々の暮らしと自分の事だけで精一杯じゃ、それが悪い訳じゃないが不十分だ、全員がそうしていてはやがて道を見失い世界は悪い方向へと転がる、大事なのは何が正しいか常に考え失敗を恐れずに行動する事だと思っている、人間は神ではない、だから失敗する、しかし失敗を恐れて何もしないのはもっと悪い」
「アグニは哲学家だねぇ、私には難しい事は分からないけどさ、人間が他の生き物と違うのは生きる目的を考えられるって事だと思うのさ、私達マンティコアの一族は正直特殊だし善良な市民とは言い難い、でもね、私個人は常に良い人間でありたいと努めているつもりさ、自分を滅せず世界に利益を落とせるように、ちとカッコ付け過ぎかな」
「なんだマヤこそ哲学的じゃないか、君も歳をとったな」
「まぁ! 失礼ね、女性に歳の話はするものじゃなくてよ!」
以外にもマンティコアの一族に自殺者は少ない、殺し屋を運命付けられた一族には精神を守る理論が確立されている、程度の差はあるが自分も他人も愛せないサイコパスな素質を持つ人間は二十五人に一人と言われる、しかし、そこからサイコキラーにまで及ぶ人間は数万、数十万に一人ではないだろうか? 遺伝的な要因によりその発生を高めたとしてもそんな組織は瞬時に瓦解するだろう。
マンティコアにも正義があり意義がある。
「自分を滅せず世界に利益を……」
「人間に移植されたのは君の本意ではないかもしれない、でも生きて魂がある事には変わりはない、ならどう生きるか、何を成すべきか考えよう、我々が手を貸そう」
アグニが孫のようなシルキーに手を差し出した。
「先生……」
リルフは素直にその手を握り返した、それはマンティコアの描いたシナリオだったのだろうか、また一つリユース・ヒューマンの核に記憶が刻まれた。




