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子猫

 ガバババッ 灌木を薙ぎ倒し、石榑を吹き飛ばしながらヒグマが駆け上がってくる、そのスピードは衰えない、若い雄はスピードだけでなく持久力も優れている。

 バヒュッ バヒュッ ジャッ シープの跳躍はそれを上回る、下りの速力となれば重力の影響を受けて脚力差は小さくなるが登りでは体重が裏目に出る、ヒグマにとっては不利な状況だ。

 あっという間に尾根を一つ越える頃にヒグマの足は力を失った、立ち止まり口を開けて酸素を貪っている。

 尾根から見下ろすと恨めし気な視線で見上げてきた、今、白骨剣を使えば狩ることが出来るかもしれない、スッと切先を上げてヒグマの視線に合わせる、目は逸らさない、私の方が強い、参ったか! 気迫を込めて尾根から降りていくとヒグマが頭を垂れてスゴスゴと道を逸れて森へと引き換えしていった。

 出来るなら殺したくはない、ヒグマにとっては生きるための狩りは罪ではない、狙った獲物に運がなかった、恐れを知る知能があるなら手を出してはいけない相手だったと覚えただろう。

 もう立ち去っただろうと戻った場所にガラハットはいた、座り込んだ前に白い獣が倒れていた。

 「何をしているの……」

 その姿に人を食ったいつもの気配がない、目に光る物が見えた。

 「ありがとう、助かったよ……」

 「!?」 涙だ、笑いながらフィーリーを殺そうとしたリユース・ヒューマンが泣いていた。

 その足元に横たわり息絶えていた獣は大型の猫? 銀の毛並みにグレーの模様が美しいユキヒョウだ、背中から胸にかけての大きな傷が致命傷だろう、さっきのヒグマに違いない。

 「おかしいかい? リユース・ヒューマンが泣けるとは僕も知らなかった」

 「知り合いだったの?」

 「ああ、このユキヒョウもリユース、中にいるのはリルフだ、人間でいえば友達というのかな、山に残っていればよかったのに……僕を追ってきてしまったんだな」

 「獣のリルフ? 人間だけじゃないのね、何のために⁉」

 「僕たちの創造主はラウド伯爵、獣のリルフは人間に至るまでの試作品、実験だよ、データが取り終われば捨てられる、こいつもその一頭だった」

 そっとビロードのように艶やかな毛を撫でている手が別人のようだ。

 「こいつはさ、人のように手が使えない、そうすると知的リベルが人間のようには上がらない、そして餌を狩ることも苦手になる、捨てられて生き残れる奴は少ない、それでもこいつは必死に生きた……この子のためだ」

 「あっ、子供がいたの」

 ミャーウッ ガラハットの服の中から子猫が顔を出した。

 「親が子供を想う気持ちは頭がすげ変わっても変わらないようだ、リルフに子供なんて感覚はないのにね」

 子猫が甘えてガラハットの指を甘噛みしている、ガウガウと可愛い唸り声が聞こえてくる、神が創ったベビースキーマの頂点。

 「意外だわ、貴方にそんな感覚があるなんて、元の人間は殺戮狂だと聞いたわ、貴方もその影響を濃く受け継いでいると思っていた」

 必要以上には近づかない、油断は出来ない。

 「よほど慌てていたんだ、育て方も分からない子供を産んで助けたくて僕を頼ってきた、標高の高い山なら外敵も少ないけれど餌もない、頼れる仲間もいない、きっと辛かったよな、僕が居てやればよかった」

 もう責める気にはなれない、友達の死を悲しんで涙を流しているのは無垢なリルフの魂だ、殺戮狂は影を薄くしたに違いない。

 「さっきのヒグマを恨む? 追って殺したいなら手を貸すわ」

 「ふふっ、人間性に目覚めた訳ではないけれど人が野の獣や魚を狩るように獣だって生きるために狩りをする、復讐や遊興じゃない、命は等しく平等なら僕に復讐する権利はないさ、それに……」

 「ごぶっ」 大量の吐血! 「!?」 ドサッと子猫をかばって肩から地面に落ちた、思わずかけより抱き起すと苦し気に呻いた。

 「まともに突進を食らってしまってね……幾つかの内臓器官が破裂したようだ、この身体はもう死んでいる」

 「!」 服を捲ると胸の骨折が見た目で分かるほどに変形している、子猫をかばったのか。

 「貴方は……」

 「君に助けられた時、リルフ核に有った何かが割れた気がした、最後にリルフに戻れた気がするよ、僕は何に支配されていたんだろうな……リユース・ヒューマンは擬体となった人間の感性や記憶を強く受ける、引き継いでしまうと言ってもいいだろう、いつの間にか私もガラハット卿に侵食されていたようだ、今更頼めた義理ではないがこの子の面倒を見てやってくれないか、名前はまだないんだ、君が名付けてくれ」

 羽ほどの重さしかないだろう子猫を震えながらシープの胸へと移した。

 「分かったわ、 この子を必ず守ると約束する!」

 「ありがとう、君ならそう言ってくれると思っていた、純粋にリルフ細胞だけで擬体を作成された君の方が正解だな、ねぇ、君は知っている? 僕たちリルフっていったい何なのだろう、何処から来て何のために産まれたのかな」

 「私の創造主は命を差別しなかった、リルフ種だからじゃない、ひとつの命、魂としてどう生きるかだと教えてくれた、自分のオリジンは自分で決めるもの、考える事の出来る自我を持ったなら、どんな命にもその権利があると……ごめん、答えになってないね」

 「そうか、君と話せて良かった、これ、少ないけれどプレゼントだ」

 小さな袋を胸から取り出すとシープの足元へと放る、カチャッと中から音がした、広い上げた中身は青の琥珀石、ブルーアンバー。

 「ありがとう、大切に使うわ」

 「ふふっ、僕にまで礼を言うのか、君っていうリルフは……」

 唐突に瞳から光が消えた、ガラハットの身体はとうに死んでいたのだろう、僅かに残ったリルフ細胞が子猫を守るためだけに身体を突き動かしていた。

 「……」

 そっと光を失った目を閉じると薄く微笑んでいるように見える、リユース・ヒューマンと純擬体のどちらが優れているかなんてどうでもいい、こんな複雑で微妙な表情を自分は作れない、やはり人間は素晴らしい、死顔を見てそんな事を想うのは不敬だろうか。

 望んでガラハット卿の身体に宿された訳ではなく自我が芽生えた時にはそうなっていた、生まれたての自我が創造主を疑えないのは罪じゃない、きっと自分でも従っていただろう。

 ナーウッ ナーウッ 死を認識出来ない子猫が母猫に甘えるように泣く。

 「ごめんね、私の肌は冷たいよね……」

 二人の遺体を浅く埋葬してヒグマに掘り返されないように伐採した丸太を重ねる、二人の魂が無事に輪廻の環に帰れるよう天に向かって祈った。


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