ダンス・オーダー
待ち望んでいた理想の旅立ちとはどんな形だったのだろう、具体的に描いたことは無い。
トリッシュのように白馬の王子様を夢見た事……無いと言えば嘘だ、少女が密かに鳥籠から救い出してくれる誰かを妄想するのは罪にはならない、でもそんな夢を見ていた自分を思うと恥ずかしく火が点きそうだ、強がりだろうと歩き出すなら自分の脚でと決めている、抱っこされたままなんて真平御免だ。
「私ね、臨時のアルバイトなの、初めてで要領が分からなくて、ちょっと聞いてもいいかな」
明るく屈託のない声、一癖ありそうな傭兵団の兵士とは色が違う、影がない。
「催事の段取りなら私などよりメイド長様にお聞きいただいた方が良いと思いますが、ほら、あの少し年嵩の……」
振り向いてマギー少尉と話しているメイド長を顎でしゃくった。
「ううん、違うのよ、貴女に聞きたいの」
「?」
近くで見るとその顔に見覚えがある、どこだったろう?
「その顔立ちからしてご両親は東洋系の方なのかな? この辺では珍しいでしょ、私もそうだからひょっとしたらと思って……」
「はい、そうみたいですけど詳しくは知らないんです、母とは死に別れていますし父の話は聞いた事がないので……」
「そうだったの!? 立ち入った事を聞いて御免なさい、じゃあ、今は一人で?」
やけに踏み込んでくる、流石に警戒心が首を擡げ始める。
「この屋敷に住込みんでいます……あの、もういいですか、忙しいので」
少し冷たく言い放つと返事を待つことはせずに小走り距離を取る、途中で少しだけ振り返ると女は立ち尽くす様に動かず見送っていた、感じた事のない視線を背に受けてまた鼓動が高鳴るのを感じる、気持ち悪いと警戒した女の顔は少し泣いているようにさえ見えた。
「変な人……」
正面に向き直るとトリッシュがモップを持って手招きしている、掃除しなきゃいけない部屋はまだまだある、急がないと夕食の時間までに終わらない、定刻に間に合わないと具のないスープしか食堂には残っていない、食べることも戦いだから。
掃除の間に、またキャサリンお嬢様が新しい犬型リルフを遊ばせて泥だらけにする、仕事が増える、掃除に忙殺されてそれきり黒髪シープの事は忘れ去られた。
翌日は快晴、いよいよ本番の舞踏会、賓客が早くから屋敷に到着してくる、華やかなはずの令嬢たちはどこか殺気立っていてこの催しが文字通り戦いなのだと再認識させられる、その激流の中での些細な間違いは命取りになりかねない。
最大限の配慮をしながら務めをこなさなければならない、経験の浅いメイド達は社交界の上下関係に疎い、失敗の糸口はあちこちに散らばっている。
指揮するのは伯爵家ギャルソン・マスターのギブソン執事、彼の頭の中には参加者たちの要望から趣味趣向、貴族たちの力関係までがインプットされ、サブリーニ伯爵家にとって有益なマッチングの絵図が描かれてある、大事なのはタイミング、ターゲットとなる二人をナチュラルに出会わせる、好印象を抱かせるように仕向けるのだ。
フィーリーたちはギブソンの駒となり演出を助ける裏方だ。
騎士たちが円卓に整列、迎撃態勢が完了、大扉の袖から令嬢たちの出撃準備が整ったことをメイド長が視線のサインでマスターに知らせる。
最初の仕事は開戦の合図、大扉を解放して令嬢を迎え入れる。
ガチャンッ ギギギギッ バアァンッ
社交界に咲く大輪達が荒波の中に漕ぎ出していく、お目当ての騎士に向い我先になんてことは絶対にしない、あくまで膝を付いて誘いの手を差し伸べるのは男性でなければならない。
令嬢は文字通り壁の花となり蜜の匂いに誘われた蜂の値踏みをする、吸わせるかどうかは彼女たち次第だ。
円卓にオードブルが並び楽団が静かに弦楽器を奏で始める、踊るためにではない、囁く声を邪魔せず、そしてライバル達に盗み聞きされぬようあくまで控えめな演奏。
ここからがフィーリー達にとっても本番。
パチンッ 頭上で指鳴らしの合図、騎士からグラスのオーダーだ、直ぐにメイドが金色のグラスを盆に乗せてデリバリー、屈んだメイドの耳に騎士は意中の令嬢の名を囁く、メイドは一度ギャルソン・マスターにその意向を伝える、統括者はその知識と経験を元にして、ダンスを踊ることが許されるか否か成功の可能性を伝える、当然だが人気不人気は有る、同じ令嬢に男が殺到しないように傅く順番も伝えなければならない、騎士も令嬢もプライドは聖なる山サガル神山の頂ほどに高い、無用な恥の代償は主催者が支払う事になる。
始まってすぐに優雅な社交ダンスが始まった、ステップを踏めるだけでは最低限、騎士はその耳元で恋文の如きセリフを囁き求愛する、その技術と個性で令嬢を口説く。
ダンスの花が咲き始めるとマッチングされない騎士や令嬢からもオーダーが入り始め、いよいよメイドやギャルソン達は目まぐるしくなってくる。
パチンッ パチンッ パチンッ あちこちで指が鳴る、ダンスまでいっても成就するのは日に数組、二巡目、三巡目とオーダーが続いていく。
シャンパンを用意しているバーカウンターでトリッシュと一緒になる、手を動かしながら唇だけを動かすような小声で聞いてみる。
「何人こなした?」
「二十人以降は数えてない!」
「私も同じくらい、キャサリンお嬢様の所へは?」
「オーダーゼロだよ、不味いよ、会が終わったら大噴火しちゃう!」
「マスターお願い! 上手く回して、私達の為に!」
二人で大広間の天井絵に祈った、見下ろしていた天使は笑っただろうか。
「フィーリー、ちょっと来てくれ!」
「!」 ギャルソン・マスターからの呼び出し、祈りが通じた!? 驚きに顔を見合わせる、トリッシュが親指を立て、フィーリーはウィンクで応えた。
「はい、ただいま参ります!」
張り切ってマスターの前に立つと眉根の皺が深い、いい話じゃなさそうだ、一気に不安になる、天使の絵の中には死神が身を潜めていた。
「マスター……あの……何か?」
何か失敗しただろうか、今日の行動を振り返るが思い当たる節はない、マスターが苦々しそうに口を開いた。
「君はあの騎士様とどんな関係なのかね?」
真ん中の円卓に一人座っている美成年をインクで汚れたペンで示した、二十歳前半、栗色の巻き毛、まだ幼さを残す少年ともいえる雰囲気、その制服から階級は少尉、年齢を考慮すれば爵位は少なくとも伯爵以上の跡継ぎか? ただし男性的な強さがない、これは好き嫌いが分かれる、フィーリーも令嬢からのオーダーを数人分は届けているが立ち上がらないのを不審に思っていた。
キャサリンお嬢様の好みである事は間違いない。
「どんな関係!? とんでもない、私のような一介のハウスメイドが貴族騎士様と顔見知りなどあり得ません!」
「彼はサー・ガラハット、ランスロット公爵家の三男だ」
「ラ、ランスロット公爵家!!」
公爵は王家の近縁、爵位の最上級、三男とはいえメイドが口を利けるような存在ではない。
「そのような方が私に何を……」
粗相をしていたなら池に落とされるでは済まない、命に係わる、背筋が冷えて血が引いていく。
「フィーリー、君を指名している……ダンスの相手に」
ギャルソン・マスター、ギブソンは目をきつく閉じて腕を組みなおした。
「は?」「どういう……こと……」
理解が追い付かない、指名? 誰が? 誰に?
「だから! サー・ガラハット卿はハウスメイドのフィーリー・ククルとのダンスを所望しているのだよ!!」
「ええええ!?!?」 「シッ! 静かに!!」 「むぐっ」
衝撃で思わず声を上げてしまった、立ち上がったマスターの掌が口を塞ぐ。
「こんなことは儂も初めてだ……当然令嬢たちの前で君とランスロット卿のダンスなど問題外、それこそ君は明日まで生きられない、どう納めたら良いか見当がつかん、しかし卿をあまりお待たせするわけにもいかん」
「ひっ」
未だオーダーゼロのキャサリンお嬢様の前でそんなことをすれば本当に八つ裂きにされる! 本当に目の前が暗くなっていく、視界が狭窄する。
「そこでだ、よく聞け! フィーリー、シャンパンのおかわりを装って話を聞いてくるのだ、いいか、きっと勘違いだ、誰かと間違っているに違いない!」
「そっ、そんな! 私が行くのですか!? 無理、無理、無理! 話なんて出来ません! 誰か他の方に! おっ、お願いします!」
「馬鹿者! 卿はフィーリー・ククルとはっきりと仰っているのだ、代役など立てようものならどんな怒りを買うか分からん、ご当主様に迷惑をかける事態になれば私たちは終わりだ! お前が逝く、いや行くしかないのだ!」
「そんなぁ!」
絶望が膝を笑わせる。
「フィーリー、失礼が無ければきっと平気だ、ひょっとするとお前の働きぶりを見てスカウトしたいのかもしれん、落ち着いていつも通りやるのだ!」
マスターの励ましは自分の為だったろうがフィーリーにとっては一縷の望みになった。
「わっ、分かりました、やっ……てみます」
メイド服の襟を直して迷惑な美少年の元へ目立たぬように泥沼の様に重い空気の中を泳いでいった。




