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外科医

 茨の街ソーン・シティ、各地のマフィアが本部を構える治外法権の街、抗争中の組織同士でも此処での殺しはご法度だ、その禁を破れば組織はこの街から出ていかなければならない。

 反社組織の協会とも呼べるものが存在する、トップに君臨し仕切っているのがシルバーバックと呼ばれる大男だ。

ここでいう反社は貴族や聖教会を指している、理不尽な制度に対しての反抗であり詐欺や麻薬で庶民を食い物にしているのとは違う。

 多くは傭兵稼業や娼館運営、一般薬の密売が商売だ。

 その中には医療も含まれソーン・シティには外科医、内科医、整体師が営業している、聖教会の権限が及ばない街だからこそ可能だった。

 十年前までシノ・ククルはこの街にいた、患者であり看護師だった、師事していた外科医ドクター・エランは今も健在だ。

 今夜も一人エランは過去の患者カルテを肴にラム酒を呑んでいる。

 別に勉強のためにカルテを読むわけではない、単なる趣味だと彼は言う、それは人に興味のない男が患者を忘れないために行う儀式だと近い者は知っていた。

 シノ・ククルはドクター・エランにとっても忘れられない一人だったに違いない。

 「今日は彼女の命日だったか」

 エランはグラスを三つ用意するとラムを注ぐ、琥珀色が月の明りに揺れる。

 「シノ・ククルか、惜しい弟子を失くした」

 グラスを掲げたのは整体師ローペン、エランよりもずいぶんと若い。

 「才能のある娘だった、生きていれば私以上の外科医になっただろう、何しろ私は人間に興味がない」

 二人で三つ目のグラスに音を鳴らした。

 「もう少し早くキリアに出会えていれば彼女も救えたかもしれん、擬体師の亭主も亡くなったようだ、手紙が来た」

 「アレクセイ・レオーネか、奴も天才だったな、あまり才能に溢れると早死にする、先生も気を付けた方が良いぜ」

 「何を言う、私の領域までくると運命さえ切り取ることが可能になる、まだまだ死ぬつもりはないよ」

 「彼女の功績は大きい、病院という概念をこの国に定着させて数百、数千の命を救った、聖女に匹敵する働きだった」

 「確かに、キリアよりも聖女らしい」

 「それは彼女のカルテかい?」

 「そうだ、膝の骨に憑く肉腫、若い女性に多い、こいつは体液に乗って身体の中で移る、見つけたら切らねばならない、関節は残してやりたがったがそれも叶わなかった、俺は未熟だ」

 「生を拾っただけマシだ、肉腫に憑かれた者は二十歳を越えられない、ドクターがシノに時間を作ってやったんだ、いい仕事をしたと思うぜ」

 「……」

 人の生死に無関心なドクター・エランが琥珀を見つめたまま目を閉じている、悔やんでも過去は変えられない。

 「ローペン、俺は暫く休む、旅に出ようと思う」

 「旅? 十年引籠ったのにどういう風の吹き回しだ? 」

 「ラウド・ツェッペリ伯爵を覚えているか?」

 「もちろんだとも、あの変態貴族の顔を思い出すだけで虫唾が走る、戦争でも金の為でもなく人を串刺しに出来る奴は悪人だらけのソーン・シティにもいない、本物の悪魔が憑いている、アレクセイのリルフ擬体とは違う、奴は人造人間を作り神にでもなりたいのだろう」

 カルテの下から一通の封筒を開いてローペンの前に置いた。

 「招待状だ……その悪魔から」

 「何だって! どうして⁉」

 ローペンが勢い余って腰を浮かせる、膝裏が椅子を打ちガタッと音を立てた。

 「シノに……子供がいたらしい」

 「子供? シノとアレクセイの子か⁉」

 「そうだろうな、自分の死期を悟ってラウド卿に狙われる事も見越し孤児として修道院に隠していたようだ、頭のいい娘だ、私にまで隠していたのが今になって見つかってしまった」

 「それでなんと?」

 「その子を使って芸術を見せると」

 「!!」

 ラウド卿の言う芸術はどんなものか、想像に容易い、擬体制作でアレクセイに先を越されたのを恨んでいる、これは復讐だ。

 「その子は今何処に? 俺も行こう!」

 「分からない、そこまで塩を書いてはいない、あくまで完成品を見せて自己承認のネタにしたいのだ」

 「闇雲に旅に出ても見つからないぞ、当てはあるのか?」

 「ロマ連邦サバリーニ伯爵領だ、そこにシノ・ククルの墓がある」

 「隣国か……北部の貴族連合の動静が怪しい、間もなく内戦になる、時間がないぞ」

 「間に合うかは分からん、が、引籠りの初老を引っ張り出すには十分な理由だ」

 「分かった、さっそくキリア達にも相談してみる、聖教会から手を回せるかもしれん」

 「聖教会を味方に出来るとは時代は変わったな、まさか霧の魔女が聖女に立つとは神様も粋な事をする」

 「神様じゃなくて神獣の仕業だけどな、あれ以来姿を見せない、今頃青銀の翼はどの空を駆けているのやら、人間には想像もつかないよ」

 「神の見る景色などに興味はないが聖教会を改革してくれたのは好ましい、シノの娘を探すのを手伝ってくれると更にうれしいがね」

 「その娘の名前は分かるのか?」

 「ああ、それは書いてあった、本名だろう、フィーリオ・ディ・チェリージオだ」

 「長いな、どういう意味だ?」

 「シノは東洋人とのハーフだった、祖国の花の名前だそうだ、向こうの言葉に治すと サクラ という、この辺では見ない花だ」

 「なるほど、シノらしい、アレクセイは知っていただろうか」

 「擬体バカは制作材料を探し回ってろくに帰らなかったようだ、従軍した彼女とはすれ違ったままだった、アレクセイがシノの死を知ったのは随分後の事、子供の事など聞いてはいないだろう」

 「まったく男は愚か者ばかりだな、アレクセイが何かを成していても、生きているならぶん殴ってやる」

 「ほう、力を持て余しているようなら一戦付き合って貰おうか、少し解しておかないとな」

 「初老だろうと手加減はしないぜ、ドクター!」

 「甘く見ていると足元を掬われるよ、ひとつアイデアがあってね、試させて貰おうか」

 「ドクターのお手並み拝見、お付き合いしましょう」

 道場へと消えるふたりをグラスに注がれたラム酒が揺らぐ、その淡い光が誰かの願いを映していた。


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