擬体の始まり
両親の事は殆ど知らない、孤児院時代、シスター達がシノ・ククルという母の事を私に伝えようする話題も避けてきた、聞きたくなかった。
知ったところで私の境遇が変わるわけではない、周りの子も同じ、むしろもっと酷い子ばかり、娼婦や薬中患者、犯罪者だらけ、金のために子供を売るような人間ばかりで疫病で死んだなんていうのは天使に近い。
聞けば自分が得体のしれない怪物から生まれた人間で、いつか自分も怪物になるのではないかと怖かった。
どうせ会う事の出来ない母なら妄想の中に生きる優しい存在だけの方がいい。
絵の中の母は手を差し伸べてはくれないが傷つける事も裏切る事もしない。
修道院を出る頃に母の伝手でサバリーニ伯爵家のメイド職を得た、なんの教養も後ろ盾もない少女を伯爵家が住み込みで雇う事など通常在り得ない、生前に母は伯爵が率いる騎馬隊に医師として従軍し、多くの兵士を救ったらしい、その兵士たちが伯爵に請願してくれたのだという、同じ境遇の子たちからは少なからず嫉妬と恨みを買った、そんな幸運を持っている者などそうはいない、行く場所のない無力な少女達が辿り着く場所は想像に容易い。
命を狙われる側に立って初めて両親の事を知らなければと追い詰められた、例えマッドサイエンティストであってもこの騒動の原因はそこにある。
「アレックの、父の事、どんな人だったのか教えてくれる? もう焼きもちでキレたりしないから」
母の姿をしたリルフに今度は素直に頭を下げられた、人形の顔は表情を変えない、でも分かってきた、その緑の瞳が色を変えて揺れている。
「ありがとうフィーリー、アレックもきっと喜ぶわ」
焚火が照らし出した瞳には命と魂が確かに住んでいた。
シープの自我が生まれたのは二十年前、そこはアレックの研究所、培養瓶の中だった。
初めて視覚を通してリルフの自我に刻まれたのは中年の男の姿、創造主であることを理解した、そこには金属のテーブルの上に寝かされた人間の骨格がある、自分の身体となるフレーム。
話しかける言葉を理解出来るようになったのは擬体に移って五年後、指を動かせるようになってからだ、その声は常に優しかった、リルフのままでは知る事の出来ない感情、それが擬体の中に満ちていくことが心地よかった、創造主の喜ぶ顔と声が聞きたかった。
そんな事を繰り返して更に五年後に自力で立ち、声帯を作り出した。
「そのころになっても顔はなかったの、アレックはシノさんの顔を再現することなど考えていなかったわ、男性でも女性でもない中性的な存在として形作ろうとした、シノ・ククルの模倣を始めたのは私」
「シープがどうして会った事のない母の顔を創れたの?」
「油絵があった、アレックはいつも壁のシノさんと話していたわ、夜はお酒を傾けながら泣いたり笑ったり、幼稚な私の頭でもその絵の中の人が大事なのだと分かった、アレックが愛している形、シノの形になれば愛される存在になれる、単純な理由」
父も私と同じだった、そしてシープまでもが母であるシノ・ククルを二次元にまで追い求めていた、死んでからも尚思ってもらえるのは幸せ者だ。
「その頃には感情も持っていたんだな」
常に小さな棘のあるネロの声がシープに向けられる時は少しはにかむ、好意を持っているのが分かった。
「アレックが留守の間に擬体を女型に近づけた、顔もシノさんがモデルとなっていることが分かったと思う、自分の意図とは違う擬体の変化を見たアレックの顔は複雑だった、私の予想……期待とは違う反応だった」
「そもそも何故母は父の元を去ったの、喧嘩したとか、ひょっとして浮気?」
「浮気とは何? 知らない言葉だわ」
「その事はいいだろ、それからどうした?」
何故ネロが仕切るの⁉ しかしシープの世間知らずがまた一つ知れた、知力や体力が人間以上であっても日常生活を山奥でアレックという創造主のみとしか接触していない隠匿生活では社会生活の常識を得ることは難しい、シープについて再評価が必要だ。
「きっとアレックは私の気持ちを理解してくれたのだと思う、こう頭に手を置いて、凄いな、良く出来たなって褒めてくれた、それから私とアレックの目標はシノ・ククルを再現するとに変わったの」
「変わった? じゃあ最初は何だったの」
「それは……人間の為の医療だと聞いたわ」
「医療? 擬体をか?」
「そう、シノ・ククルの片足は義足だった」
「!?」「それってリルフ細胞で創った擬体が人間に使用できるという事?」
「リルフ細胞と人間の細胞は親和性が高いらしい、リルフの小核は人間の神経とも繋がれる、アレックはシノの脚を造ろうとしていたの」
「へえっ、そんな事が可能なのか⁉ それが本当なら親父の運命も変わっていたかもな」
「待って、じゃあ義足だけ作ればよかったんじゃ、何故全身作る必要があるの」
「そうね、そうすればシノ・ククルは死なずに済んだかもしれない」
「じゃあどうして?」
「リルフを擬体に移して細胞を増やすと遠くなく自我が生まれる、小核を残せば義足としての能力は維持できるけど……」
「あっ!」
「そう、切り離されたリルフ本体は死んでしまう、アレックはリルフ擬体を使う事を強く勧めたそうよ、でもシノ・ククルはそれを許さなかった、他者の命を踏み台にした脚はいらない、木製の脚で十分生きて仕事はできるからと、彼女の病気は骨の癌だったみたい、もしリルフ細胞を繋いでいればそれも治せたかもしれないのに」
「母の気持ちは分かる気がする、例えば人間を殺して片足を奪おうとは思わないもの、母はリルフを人間同様に考えたのね」
「人間は、いや生物は他の生き物の命を喰って生きるものだ、それを罪だというなら全ての生物は死ななきゃならない」
猟師であったネロにも信仰の倫理がある。
食べるために命を奪う事ならいいのか? それ以外に利用する事はいけないのか? 高等な知性を持っているから? なら高等な知性の線引きは? 植物に命はない? 倫理の迷路に際限はない。
「アレックは国の機関で擬体の研究をしていた、そこでライバルだったのがラウド・ツェッペリ伯爵、二人の擬体に対する考え方は百八十度違った、伯爵は制作に時間のかかる擬体よりも別なアプローチでリルフを活用しようとしていたらしい」
「それはどんな方法なの?」
「私には分からない、ネロは知らない?」
「確かに俺はラウド伯爵と直接話してこの仕事を受けた、奴が言ったアレクセイ・レオーネは戦争用の兵士としてリルフ擬体を制作する狂った科学者だと言ったからだ、そして自分の研究は人を助ける為の物だとな、だが実際に来てみれば目標は既に死んでいて、居たのは人畜無害のリルフだけ、とんだガセだったぜ」
また脱線する、ネロの話はシープに寄っていく。
「そうではなく伯爵リルフの話よ! 知っているの?」
「ぬっ、はっきりとは分からん、が、恐らくは……危険なものだな」
「知らないのね!」
「まあ、当面の敵はサー・ガラハット卿だけだ、奴だけ遣り過ごしてソーン・シティに入れれば俺に伝手がある、どうだ乗るか?」
ソーン・シティに当たりを付けていたのは此方も同じだが伝手はない。
「伝手って何、マフィアに売ろうなんていのじゃないわよね!」
「ちっ、違うに決まってんだろ! 親父の戦友だった人がいる、その人はチェバン人だけど今は聖教会で聖女の護衛をやっているんだ、真面な仕事を融通してくれるさ」
やっぱりネロは子供だ、そんなに甘い話はない、その名の通りソーン・シティは茨の街、マフィアの巣窟であり非合法であるが故に権力は及ばないけれど誰かが守ってくれる事などあり得ない、シープが現れたような奇跡は何度も起こらない、現実は鞭の痛みよりも厳しい。
「叔父さんは戦争時代に一騎当千の兵士だった、俺は弟子入りさせて貰おうと思っている、手紙を送ったら来てもいいと返事があった、今回の仕事を手土産にと思っていたんだがまあ仕方ねえ、お前も公爵家のメイドだったんだ、その経験を活かせる場所があるさ」
「そんな上手い事行かないよ、世の中は狡猾で嫌味で隙あらば人の懐を狙う奴で溢れているのよ、正直な田舎者なんて恰好の鴨だわ、隅で大人しくしていないと直ぐに狩られちゃう」
「何だよ、随分と悲観的だな、良い奴だっているさ、俺だってお前らを食い物にしようなんて考えてないのは本当だからな、親父に誓う!」
嘘はついていないと思わせる純粋な少年の目だ、暗殺者だと名乗ってはいるがきっと人を殺してはいない、私はそんな風に正面から人を見る事は出来ない、それは長い経験がそうさせた、弱者が搾取されないように見極めるため術。
「アレックは私に言ったわ、旅に出ろ、お前の脚は特別製、誰にも負けない足、走り続けた先にきっと答えがある、生きる意味を探せと……アレックは人間でもない人形の私を娘だと呼んでくれた、断じて狂った科学者などではありません、最後までシノ・ククルを愛し続けた優しく誠実な人間であり、血縁であるフィーリーはそのことを誇ってもよいのだと思いま……」
ドボーンッ 海に何かが落ちた⁉




