第12話 花言葉は「はじまり」
青い光の粒が、夜風に乗って揺らめいている。
満開の星花。
その幻想的な輝きの中で、隣に立つエリオット侯爵の横顔は、祭りの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
彼の瞳には、ただ真っ直ぐに花の色が映っている。
――綺麗。
花も、そしてこの人も。
ドレスの裾を握る手に、じわりと汗が滲む。
夢のような時間は、もうすぐ終わる。祭りが終われば、彼は雲の上の侯爵様に戻り、私は路地裏の花屋に戻る。
魔法が解けるのが怖くて、私は震える声で沈黙を破った。
「……奇跡みたいですね。あんなにボロボロだったのに」
私の言葉に、彼はゆっくりとこちらを向いた。
「奇跡ではない」
低い声が、音楽のように響く。
どきりとして見上げると、彼は花壇の縁に視線を落としていた。
「君が諦めなかったからだ。……土を替え、嵐の中で支え続けた。その『信じる心』に応えて、花が咲いたんだ」
信じる心。
その言葉に、私は息を飲んだ。
「……星花の花言葉、ご存知だったんですか?」
意外だった。園芸書など読みそうにない彼が、そんなロマンチックな知識を持っているなんて。
エリオット様は、ふいと顔を背けた。耳の端が、ランタンの灯りよりも赤く染まっている。
「……店に通う前に、少し調べた。……会話の、糸口になるかと思って」
心臓が跳ね上がった。
あの無言で怖い顔をしていた日々。あれは威圧していたのではなく、何を話せばいいか分からず、必死に花言葉を思い出そうとしていたということ?
なんて、不器用で、愛おしい人なんだろう。
「ふふっ……」
こみ上げる笑いを抑えきれず、私は吹き出してしまった。
彼はムッとしたように眉を寄せる。
「笑うな」
「すみません。でも、嬉しくて。……私、最初はあなたが怖かったんです。店を潰しに来たのかと思ってました」
正直に告白すると、彼は目を見開き、それから深く溜息をついた。
「……そう見えていたのか。それは、すまなかった」
彼は困ったように頭を掻き、そして、改めて私に向き直った。
そのアイスブルーの瞳が、今度は逃げずに私を捕らえる。
「ルチア」
名前を呼ばれただけで、背筋が痺れる。
「俺は、花のことなど何も知らなかった。……だが、君が楽しそうに話すのを見るのは悪くない。……いや、好きだ」
直球すぎる言葉が、私の思考回路を焼き切る。
好き? 花の話が? それとも――?
「だから」
彼は一歩、私に近づいた。
ドレスと、彼のベルベットの靴先が触れ合う距離。
「明日も、行っていいか」
それは、問いかけというより、誓いに近かった。
祭りの夜だけの気まぐれではない。
日常に戻っても、あの小さな店で、また私に会いたいと言ってくれている。
私は、溢れそうになる涙を堪えて、精一杯の笑顔を作った。
「……はい。いつでも、お待ちしています。おすすめのお花、たくさん用意しておきますから」
彼が、ほっとしたように表情を緩める。
その顔は「氷の侯爵」ではなく、ただの恋する青年のそれだった。
帰り道。
私たちは自然と手を繋いで歩いていた。
祭りの余韻が残る通りを抜け、静かな路地裏へ。
慣れ親しんだ『ひだまり亭』の看板が見えてくると、なんだかホッとするような、名残惜しいような気持ちになる。
店の鍵を開け、中に入る。
暗い店内に、月の光が差し込んでいた。
「あ……」
私は思わず声を上げた。
カウンターの隅。
彼にプレゼントしたはずが、「育て方が分からないから預かってくれ」と置いていかれた、あの丸いサボテン。
その頂点に、鮮やかな赤い花が一輪、ぽつりと咲いていた。
「咲いてる……」
駆け寄って覗き込む。
サボテンの花は、めったに咲かない。環境が変わり、強い日差しと水、そして愛情が揃った時にだけ顔を見せる気まぐれな花だ。
「……俺に似ていると言ったな」
背後で、エリオット様が呟いた。
彼は私の肩越しに、その小さな赤い花を見つめている。
棘だらけの無骨な体から、不釣り合いなほど鮮やかな花を咲かせる姿。
「はい。……とても、綺麗です」
私は彼を見上げて言った。
花のことなのか、彼のことなのか、自分でも分からない。
でも、彼は伝わったかのように、優しく目を細めた。
「花言葉は?」
彼が尋ねる。
私は少し考えて、母から教わった言葉を思い出した。
「サボテンの花言葉は……『燃える心』、そして『枯れない愛』です」
言った瞬間、顔から火が出るかと思った。
なんて情熱的な言葉を、こんな静かな夜に言ってしまったのか。
しかし、彼は笑わなかった。
真剣な顔でその言葉を噛み締め、そして私の頭に、ぽん、と大きな手を乗せた。
「……覚えておく」
その手の温かさが、私の全身に染み渡る。
明日はきっと、今日よりも忙しくなる。
店の掃除もしなきゃいけないし、星花のケアも残っている。
でも、不安はなかった。
カラン、コロン。
風が吹いて、ドアベルが微かに鳴る。
それはまるで、新しい日々の始まりを告げる合図のようだった。
「おやすみなさい、エリオット様。……また、明日」
「ああ。……また明日」
彼が店を出て行く。
その背中はもう、孤独には見えなかった。
私は胸の前で手を組み、咲いたばかりのサボテンの花に、そっと口づけを落とした。
ここから始まるのだ。
花と、言葉と、不器用な恋を育てる毎日が。
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