大嘗祭のスサブリ舞
四道将軍のひとり大彦命は、ついに陸奥への進出を果たし、拠点にタイラ(後の会津)を選び館を構えた。
蝦夷の子、エヒコは父を大彦命に討たれるも、しかし母と共に命を安堵され、エヒコは大彦命の養子となった。大彦命の実子ワカサと共に、タイラの領内を治めるべく田を拓き、また大彦命のもとでヤマトの政を学ぶエヒコ。稲刈りも終わりに近づく中、大嘗祭の準備にとりかかるワカサは突拍子もないことを言い出すのだった。
タイラの地は、西国ヤマトに屈した。
ここは四方を山に囲まれた地、タイラ。長くそこに住む人々は、獣を狩って糧とし、その毛皮を纏い、山々の恵みを季節ごとに食し、クルミの実を村々に蓄えて冬の備えとして生きてきた。タイラは豊かな土地だ。枯れ草を軽く払うと出てくる真っ黒な土は植物を強く大きく育てる。
雪深いタイラの地の冬に、一度は命の音が無くなろうと、春にはやはり木々が芽吹き鳥が歌い、猪が子を連れて野を駆ける。
そんなタイラの地に、西より来たる軍があった。その将オオヒコは、タイラの地に住む者共を西国ヤマトに従えんとし、タイラは反抗したものの、土地の長、クナセが戦場に斃れて後、ヤマトに恭順を誓ったのだった。
ヤマトはこのタイラに田を拓き、コメを作らせた。クルミの豊凶如何で容易に人の命が潰えるタイラの営みは、コメの実りによって変わりつつある。
「エヒコ!どうだ?ニイヅの田は?」
クナセの遺児、エヒコがコメの刈り取りをしていると、声を掛ける者がある。
「ワカサ!ああ、良いぞ!雷のよく鳴る年だったからな、一反二石(注₁)に届くだろう、租税を納めても皆が十分食うだけある。」
ワカサはオオヒコの実の子である。クナセが討たれて後、まだ齢6つであったエヒコはオオヒコの養子となった。同い年であるエヒコとワカサは、血のつながらぬ兄弟になったのだ。
エヒコは石包丁で重く頭を垂れる稲の穂を刈り取っていく。遠くに見えるエヒコの母は唐棒で集めた穂を叩き、籾を外し壺に収めている。時に応じてそれを臼で搗き、籾殻を剥がしてからたっぷりの水で煮るとコメは粥になり、春までの大切な糧食になるのだ。クルミの実を砕いて乗せても良いし、塩漬けにした猪の脂とフキノトウを混ぜて炊くと春を祝うご馳走にもなる。ヤマトから来た人々は籾摺りの終わったコメを水に漬けよく水を吸わせて、しばし茹でたあと湯と分けて鉢で根気よく潰し、粘り気のある塊にしたものをコメの穫れた祝い事に作る。餅という名前らしい。
「ワカサ、今年はどうすんだ、餅」
「大嘗祭で使うやつか?今年は早めに作ることにした。去年は雪降ってみんなひどい思いしたからな」
「それがいい、あんな寒い中舞うんじゃ巫女様も楽打ち(注₂)もかわいそうだしな」
大嘗祭はタイラではひと月ほど繰り上げて行う。ヤマトに従う土地の中で最も早いそれは、北国タイラで元々行われていた冬を告げる行事と一体になり、雪で寸断される村々は、春までの一時の別れを惜しんだりする。
「舞で思い出したんだけどさ、エヒコの舞、やんねーの?」
「え、俺の?」
「あったろ、スサブリ舞だっけ」
「あー……あるけど、良いのかよ?あれやって」
タイラに伝わる舞、ヤマトでは荒々しいという意味を込めてスサブリ舞と呼ぶ。
命を奪う冬の前に、それと戦う決意を示すもので、熊の毛皮を鎧として身につけ、激しく舞い踊る様は、勇壮と言う者もいるし、野蛮と蔑む者もいる。だがタイラの土着の人々そのものを体現するスサブリ舞は、ヤマトの人間からしてみれば決して好ましい舞ではないはずなのだ。
「父上に奏上してくるよ。良いだろ?」
「あっまて!ワカサ!……行っちまったかぁ……」
エヒコは、養父であるオオヒコがスサブリ舞を良しと言うはずもないだろうなあと胸の中で呟く。
実の父、クナセよりずっと前の太祖の時代から、タイラの地の政は、強き者が舵をとれと言われてきた。クナセが敗れたとき、タイラの地はその理に従い、ヤマトの支配を受け入れたのだ。今更タイラの色を出して何とするかと、そう言われるに決まっている。
決まっている、はずだった。
「エヒコ、お前の舞は巫女の舞のあとに続けて行う。楽打ちの者たちもすでにタイラに入っている。今のうちにスサブリ舞と楽打ちを合わせて、大嘗祭で舞うとき見栄えのするよう慣らしておけ」
稲刈りが終わり、籾をすべて蔵に収めたのち、エヒコが舘に報告を上げに行くとオオヒコから何でもないふうにそんなことを言われ、エヒコは腰を抜かさんばかりに驚愕した。
「養父上!?よろしいのですか!?」
「何を驚く。ヤマトはこのタイラの民を帝の威光のもとに治めるが、タイラの民は別にすべてヤマトの様にしなくてもよい。タイラに伝わるものが好ましければ、ヤマトがこの後も伝えていく。当然のことだろう」
オオヒコはうろたえるエヒコが面白いのか時折笑い混じりにそう言った。いつの間にか隣に来ていたワカサも笑いをこらえているのが分かる。
「……畏まりました。スサブリ舞、大嘗祭にて奉ずること、身に余る誉れにございます」
「うむ、うむ。ヤマトからの巫女様方には姫君もおられる。お前の舞、ヤマトの人々にも見事と言わせてみせよ、エヒコ」
「ぎ、御意……!」
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「おまえさあ、すげえよ、ワカサ……」
ワカサのほんの思いつきを種にオオヒコからの無茶振りを食らったエヒコは、館から出るなり、共に楽打ちを迎えに行くと付いてきたワカサにポツリと漏らす。
ああ、将軍たるオオヒコさまに意見をしてかつ通してしまうあたり、ワカサはやっぱりとんでもない奴だ。実子の提案だとしても従えたばかりのタイラでスサブリ舞を許すオオヒコさまもオオヒコさまだけれども。
「父上も言ってたろ、タイラに伝わる好ましいものはヤマトでも伝えるべきだし、それによ」
ワカサが少しだけ遠い目をする。
「父上がクナセを倒したって聞いて、んでヤマトの都からタイラに来いって言われたとき、正直俺は怖かったよ。」
「怖かった?蝦夷(注₃)がってことか?」
「いや、そっちじゃねえんだ。戦はどう始まってどう終わろうが必ず怨みを残すもんなんだ。カミツケの連中は最後のひとりまでヤマトに従わなかったし、呪いを使ってヤマトの都の人間も殺したとかなんとか。」
青く澄む秋の空に似合わず、ワカサの話はおどろおどろしい。エヒコも聞いたことはある。タイラよりも前にヤマトに敗れたカミツケの地は、先住の民の怨念尽きることなく、土地そのものが毒気を撒き散らし今もなお田を拓くこと叶わぬのだと。
「カミツケくんだりに比べりゃタイラはずっとやさしいよ。やさしいって、この土地と人がな。情に走らず理に倒れず。怨みが無いことも無いだろうに父上とヤマトの民とタイラの民とで実にうまいことやってらあ。お前もそのひとりさ。」
「……まあそりゃ、生きてかないとだからな。生きてくなら強さが要るし、強さに欠ければ死ぬ。俺の本当の父上がオオヒコさまに敗れたのは、強さに欠けたからだ。そこにいつまでも怨みを持っても仕方ねえのさ」
父、クナセの亡骸を葬ったとき、オオヒコもまたその葬儀に参列した。戦いの勇猛さを称え死後の安寧を願い、ヤマトの民も動員してタイラ式の墓に一部ヤマト式の装飾を施してくれた。クナセは敵ながら、ヤマトを守護する祖霊としての神格を賜ったのだ。
ワカサは空を見上げながら息を吸って、また語りだす。
「俺が言いたいのはまさにそこさ。ひとまず生きるために、お前とお前のお母上がタイラの人間に訴えかけてくれて、タイラの民もそれを納得してくれた。だからさ」
ワカサはエヒコに向き直る。
「俺もタイラのために力を尽くそうと思うんだ。タイラの色がヤマトのそれにかき消されないように。ヤマトの属領として書に文字が刻まれても、その血にタイラの魂が絶えぬように。」
「……んだよ、お前、珍しいこと言いやがって」
エヒコもまた空を見上げる。思いがけず胸に熱いものがこみ上げてくる。ワカサの前で泣くまいとするエヒコの様子は、いささか可笑しく、しかし健気であった。
その後、エヒコのスサブリ舞に見惚れたヤマトの姫がひとり、エヒコと結ばれるのだが、それはまた、別の話である。
(注₁) 面積における収穫量を指す。一反おおよそ991平方メートルで、一石は150kgほど。二石なので300kg程度穫れる計算。品種や肥料の概念がないこの時代において、豊作の年と呼んでさしつかえない。
(注₂)がくうち。いわゆる雅楽師の中でも舞の奉納に際し打楽器を中心にしてリズムを整える演奏を請け負う役目を指す。都の正統な言葉ではない、いわゆる方言である。しかし通りの良さから、オオヒコやワカサといったヤマトの民もよく使う。
(注₃)えみし。当時の東日本で暮らしていた縄文の文化を色濃く残す先住民。ヤマトに滅ぼされたり、ヤマトに恭順を誓うなどして吸収されていくこととなる。作中ではエヒコとその母が蝦夷である。
高校時代の物語プロットを、小説家になろう秋の文芸展に出すべく少しひねったもの。実は「星は僕らを憎んでる」にも共通のプロットを使用している。
歴史ものとしては史実に拠っておらず、精度は低い。あくまで奥州の歴史の中にあったかも知れないという体の娯楽作品である。自分の中ではなかなか好きな作品になった。




