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スヴァルツが隣に居ない……
それだけで身体が冷えて凍えそうになる。でも、この男が私を抱きしめると何故か色々な感情が涌き出て来るの。
恐怖、悲しみ、憎しみ、憐れみ……そして。
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スヴァルツの所へ帰してくれると男とは約束してもらい、安心してしまったのかまた眠ってしまった。
誰かが優しく私の頭を撫でている。その手が温かく目を開けると、先ほどの男が私の頭を膝に乗せていた。離れなければならないのに、男は私が目覚めたと気付き、優しく頭を撫でたがとても悲しそうに笑うのは何故?
「あなたは誰なの?」
他に三人の男がいるのに、この男以外は興味すら無い。ただ目の前の男だけが気になってしまう。
「聖女。ルーンと呼んでくれないだろうか?」
ほら、また泣きそうに笑う。
「ルーンね。私はローザと呼んで」
私の言葉に一瞬、碧色の瞳がゆらゆら揺れ、再び私を抱きしめた。
「ローザと呼んで良いのか?」
震えているのはルーン?それとも私?
「いいわ。でも他の男は私へ近付かないようにして。お願い」
「分かった」
フッと離れると外套で私を包み、私はソファで横になりルーンは男達の方へ行く。
何か話し声は聞こえるけど、今は眠い……
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「聖女をこのままエストレア国へ連れ帰るべきです」
ローザをソファへ寝かせ、ダイニングテーブルへ行くとネシアが話し出した。
「今から魔物の森へ向かうにはムリがある。しかし、聖女ローザは必ず闇王の元へ帰さなければ」
私は彼女と約束した。それを違えるつもりは無い。しかし、次のアレクの言葉に心が揺れてしまう。
「少し下ると街が見えた。多分エストレア国内には戻っていると思います。それに…」
「それに、何だ?」
「はい。空に太陽があり、眼下に広がる小麦畑が金色に輝いていました。
きっと聖女がエストレア国へ帰ってきたからだと思います」
魔物の森へ向かう道中。どの街も村も作物が枯れはじめていたのに?
「ルーン殿下!貴方が聖女と婚姻してしまえば!!」
ネシアが興奮し口を開くが、
「ダメだ!ローザは闇王を愛している!私では無い!」
ガタンと椅子が倒れる音がしたけども、私は自身が思うより強く立ち上がり反論していたようだ。
「愛しているかは問題では御座いません。現に聖女が居るだけで太陽が戻り作物が実った。我々が聖女を連れ出した訳では無いのです!」
ネシアも退く気持ちが無く。私へ語尾を強めいい放つ。
「兄上、どちらにせよ。一度王宮へ戻らなければ、魔物の森へ向かう事は出来ません。
聖女様は、兄上には心を開いている様子ですし、ネシアの言葉は別にしてもここに聖女様1人を残す訳にはいけません」
ステルの言葉に頷き、ローザと共に王宮へ帰る手筈を三人へ任せた。
ほどなくして、数人の騎士達と三人が小屋に戻って来る。
「ここは王都から近い場所で、馬車を今すぐ準備致します」
アレクからの報告に頷き、ローザを見れば、どうやら目覚めたようだ。
「嫌だろうが、一度王宮へ行き準備が整い次第。ローザを闇王殿の元へ帰してやろう」
しかし、私の顔を見て固まり。じっと見つめてから、
「ルナール。まさか…」
呟くように言って口元を片手で塞ぎ何かを考えるように俯くと、再び私の顔を見上げた。
「ルナールは初代エストレアの王だ。私はルーン。どうした?ローザ大丈夫か?」
言い聞かせるようにゆっくり話すとローザは肩を落として、そう。とだけ言うと、ソファから立ち上がる。
「ここはエストレア国なのね」
消え入りそうだったローザの姿は、今は堂々とした雰囲気に変わり、まるで人格が誰かと入れ替わったように思えた。
「あなた様は、ローザでは無い?」
思わず口を突いた言葉に、ローザは作られたかのような笑みを浮かべたまま、こくりと縦に首を動かした。
「ルーンと仰ったわね。他の人間は気付いていないわ。貴方が知っているローザと私は同じだけど違う。
ねぇ、これは二人だけの秘密にして貰えないかしら?」
ハキハキと話すローザに戸惑いながらも了承すると、ふわりと笑った。その笑顔は紛れもなく私が惹かれたローザの姿。
「ルナールの魂を持って産まれた王子」
スルッと頬を撫でられたが、何の事を言われているかが分からない。
動かない私の耳元へ顔を寄せると、ローザが囁く。
「私はスヴァルツの所へ帰るわ。ルナール……貴方ならこの意味が分かるわね。私と貴方は共に生きられないのよ」
ドクンと胸に痛みが走る。私以外の誰かがローザを離したく無いと叫んだ。
「……ローザ。君は…」
小屋の外では、皆が王都へ向かう為に準備をするガヤガヤした音が響く。小屋の中は静かで私の心臓の音がやけに大きく耳へ届いた。
「ルナール……あなた覚えて無いの?そう、だからなのね。
私が傍に居るだけで、貴方は狂ってしまう。でも、私は貴方を愛せないの。今なら間に合うわ、ここから私は1人でスヴァルツの元へ向かう事にするから、貴方は私を忘れて」
外套を羽織り裏口へ向かう為に、私へ背を向けたローザを私は後ろから抱きしめた。
「私はローザ…あなたを忘れられない。何故だ?何故、私ではダメなんだ!行かないでくれ……」
私の中の誰かと私の心がリンクする。ローザと共に生きたい!離れたくない!
「ダメよ。ルナール……今はルーンね。二度と貴方とは会わないわ、さよならルーン」
クルリと向きを変え、私の唇へ軽く触れるだけのキスを残して、腕が緩んだすきに走り去るローザ。我に返り追いかけたが、跡形も無く消えていた。
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「ローザ。君はいつの時代のローザだ?」
小屋を出て暫くすると現れたのはスヴァルツ。ローザを見てすぐに胸へ引き寄せ、腕の中から顔を上げたローザは両手でスヴァルツ顔を包んだ。
「貴方は記憶を引き継いできたのね。いつの間に翼まで持ったの?」
初代スヴァルツは、異形では無かった。元々高い魔力を持っていた王家一族で、ただの人間。
「君を探すためには、より強くなければならなかったからな」
淡々と話しているが、あの森で暮らすには魔力だけ高くても厳しかったのだろう。自分たちを信じて一緒に来た者達の為に王家が異形の血を入れるのは、苦渋の決断だったはず。
「スヴァルツの腕の中なら、もう私は大丈夫ね。又眠るわ。目覚めたら貴方のローザになってるはずよ、そうだわ。ルーンと言った男はルナールの魂を引き継いでいたの。
スヴァルツ。彼は騙されていただけ、だから見逃してあげて。きっと貴方よりルナールと早く会っていたら私はルナールを愛していたかも知れない……
お願いね。スヴァルツ、ずーっと愛しているわ」
そう言って、ローザは糸が切れた操り人形のようにガクリと力が抜け眠りについた。その身体を抱き上げるとスヴァルツは静かにその場から居なくなった。