金色のトラ
「あ、あの、竹山先生。よろしいでしょうか?」
耳に大きなピアスをぶら下げ、丈の短い服からヘソを出している金髪の女子学生が私に声を掛けた。ヘソにもピアスが光っている。
「あの、書道実技の単位のことなんですけど、作品再提出とか、もう一度チャンスをもらえないでしょうか?」
ああ、こいつか。私がこの大学で教えるようになって二〇年になるが、書道の実技で単位を落とした生徒はこいつが第一号だ。
「まず言っておくが、私は竹山ではなくて竹脇だ」
「す、すみません。で、あの、私、教員免許を取るのに絶対にこの単位を落とせないんです。なんとか救済をお願いしたいんです」
こいつが教員免許を取るとは驚きだ。おもしろい作品を書く才能はありそうだが、教員には不向きだ。
「そうは言ってもだなあ、仮名の臨書をするのに、太筆にたっぷりと墨を付けて、懐紙からこぼれんばかりの勢いで丸っこい字体で和歌を書き上げた人はさすがに初めて見たんだよ。授業で言ったこと聞いていたのかね? というか、テキストの手本のように写せばいいだけなんだ。まわりの人が何をしているのか見ればわかるだろう」
「いえ、あの、手本の横の釈文ってところなら読めるし、ここを書いてもいいのかなって」
「ほぉ、それは斬新、いやむしろ画期的な発想だね」
「えっ、じゃあ、再提出を認めてもらえるんですか?」
「私がいつそんなことを言った」
なかば呆れ気味に彼女に目をやると、左手に持った黒い紙袋で金色のトラの紋様がキラリと光っている。あ、あれは私が愛してやまない虎屋のマークではないか。もしかして彼女、私の好物が虎屋の羊羹だと聞いて持って来たのか。羊羹と交換で単位を認定するのは問題になるが、彼女がたまたま羊羹を持って来たので、私が高級煎茶を準備して二人で食べたのであれば問題ないだろう。ああ、あの上品な甘さ、口から涎があふれ出そうだ。
「ええっ、じゃあもうダメなんですか、先生」
彼女は今にも泣き出しそうな顔で、教員室から出て行こうとした。ま、待て、虎屋の羊羹。
「い、いや、まあ座ってお茶でも飲んで行きなさい。ゆっくり話をしよう」
私はとっておきの高級玉露を二杯淹れた。金色のトラはソファに無造作に置かれている。
「お茶菓子がなくてすまん。羊羹でもあればよいのだが」
催促するように言ってみたが彼女に動きはない。
「で、単位のことだが、仮名の臨書の課題を再提出できるのかね?」
彼女は後でお礼に羊羹を差し出すかもしれないと、私はろくに会話もしないうちから救済を提案した。
「えっ、許していただけるんですか。だったら、今すぐ作品を書いて持って来ます」
そのまま紙袋を持ってソファから立ち上がった彼女に、私は思わず口走った。
「待て。その金色のトラの紙袋、君も虎屋が好きなのか?」
「えっ? これトラなんですか? 実家にあった袋なんですけど、金色のネコってかわいいって思って、学校へお菓子を持っていくのに使ってるんです。私の髪色と同じでオシャレでしょ」
しまった、私としたことが、羊羹に目がくらんで安請け合いをしてしまったと後悔した。それどころか書道実習室の毛氈の下敷にお菓子の粉がこぼれていたのはこいつのしわざだったのかと怒りがこみあげてきたが、もう後の祭りだ。