苺プロジェクト
翌日の午後3時、私は伯爵令息トリスタン様の執務室にいた。
男と部屋で2人きりになるなとお母様に昨日釘を刺されたばかりだが、心配ない。
トリスタン様の隣には事務官と思わしき男が1人、部屋の隅にはトリスタン様付きの従者が2人控えている。
でもトリスタン様なら、2人きりのほうがお母様はお喜びになるだろう。『ただの警ら隊員』ではなく、領主様のご令息ですから。
これまでどうにかして娘を気に入ってもらいたいと躍起になったが全く相手にされず、親子共々自尊心が傷付き、近頃ではあえて距離を取っていた相手だ。
そのトリスタン様に招かれ、「じっくり話をしたい」と所望されているなんて、これまででは考えられないシチュエーションだ。
でもこれは婚活の延長線上ではなく、あくまでも『商談』。
トリスタン様に売り込むのは私ではなく、私のアイディアだ。
「よく来てくれたね。ありがとう。紹介するよ。ベンジャミン・ユーイング、農業を管轄する者だ。一緒に君の話を聞いて、専門家としての意見を仰ぎたいと思っている。良いかな?」
「勿論。願ってもないことです。よろしくお願いいたします、ユーイング様。クレア・プリシラ・デイヴィーと申します」
「クレア嬢、存じ上げております。私のことはベンとお呼び下さい」
ベンは背が低くころっとした体型で、人の良さそうな朗らかな笑みを見せた。丸っこい顔と素朴さが、まるでジャガイモのようだ。
トリスタン様は昨日私が謁見時にプレゼンした内容を正確に覚えてらして、それをベンに説明済だったので、話は早かった。
謁見では物を渡す行為が禁じられていたため、資料を渡すことが出来なかったが、今日はお渡しできるよう準備もしている。
それに目を通しながら、トリスタン様がベンに確認した。
「ではこのようにガラス張りの小屋で花壇を腰の高さに作る。最初は試験的に、小屋1軒からだな――場所や予算はすぐに押さえられそうか?」
「はい、大丈夫です。設備投資は公金からで、栽培は苺農家に委託するか、それも全て私どもの管理下で行うか、いずれに致しましょう」
「あの、」と口を挟んだ。
「その小屋で栽培する苺は、やはりリズノール産の苺の中でも特別に美味しい、王室献上品のあの苺が良いと思います。ですから、あの苺を作っている農家に委託してはいかがでしょう」
「そう仰ると、グーチさんのところかぁ」
ホクホクしていたベンの顔が曇った。
「何か問題が」とトリスタン様が尋ねた。
「ええあの、グーチさんは昔気質と言いますか、苺作りに特別なこだわりがあって、それであの美味しい苺が作ることができているので、それは勿論良いことなんですけど、その分、苺のことで人に口を出されるのは嫌いでして……。私達が提案する新しい苺栽培の方法など、きっと否定されるでしょう」
ええー。せっかく、より沢山、より美味しい苺の作り方を提案しようってのに、聞く耳持たない系の頑固おじいちゃんってことー?
まあ、いそう。そういう人って。
「でも、領主様のお名前で依頼すれば、断ることなど出来ませんでしょう?」と意地悪く聞いてみた。
「そうですね。しかし内心では渋々と引き受けて、苺の世話に真心を尽くせなければ、美味しいものは育ちません。作物が育つには愛情が何よりの糧なのですから」
ベンがきりっとした表情で、いいこと言った風のことを言い、私もトリスタン様も、確かにと納得してしまった。
しかしここですんなり引くわけにはいかない。私にも私なりのこだわりがあるのだ。
「分かりました。では私が、そのグーチ殿に掛け合って、口説き落とします」
えっとトリスタン様が驚きの声を上げた。
「君が?」
「はい。発案者は私ですから。こちらにはこちらの情熱がございます。その情熱を持って、口説き落としてみせますわ。どうかご許可を」