三,「ツカサ・一」
少女・影見 ツカサ〈かげみ つかさ〉は少年・小泉 光〈こいずみ ひかり〉宅の廊下にてスヤスヤと静かな寝息を起てて眠っている。
光は唖然としてしまう。
なぜ、こんなところで、自分の家の廊下の壁を背もたれにして、少女は眠っているのだろう?
そもそも、なぜここにいるのだろう?
彼女は出会った時と変わらず、喪服のように黒い。黒に限りなく近い紫のスカーフのセーラー服を着ていた。
そんか姿で眠っている。
光は目のやり場に困っていた。
彼女の寝姿はとても綺麗な姿勢だ。だが、綺麗すぎて、何となくスカートから伸びる。黒いストッキングの細い足が強調されてしまっているように感じるのだ。
(・・・・・・・・あぁ)
「!!?」
「無意識」でもそういう目で見てしまうと、そういう
「邪念」は付いてきてしまうものだ。
光は頭を振って邪念を振り払い。
呪文のように沈まれを繰り返した。
だが、邪念は再び湧いてくるものだ。
このままでは身体に悪い。
光は元来、女性に話し掛けるのは苦手なのだが(例外はあることにはある)そんなことも言っていられない。
意を決して、少女を起こす事を光は決めた。
「し、失礼します」
とりあえず見ないようにそっと腰の辺りにシーツを被せた。
「も、もしも〜し」
次に光は小声でツカサを起こそうと試みる。
・・・・・・・・・・・・
起きない。
「もしもーし」
もう少し、声のトーンを上げてみる。
・・・・・・・・・・・・
やはり、起きない。
「おーい」
・・・・・・・・・・・・
「朝ですよー」
・・・・・・・・・・・・
全く、起きる様子がない。
静かで穏やかな寝息が規則正しいリズムで続く。
(・・・・・・・・どうしよう)
光は自信の手を見る。 こうなったら起こす段階は次のレベルに移行するしかない。
(い、いくぞ)
光は人差し指を起てて、その指をツカサへとそっと近づける。
次に移行するのは
ーー
「触って起こす」
しかし、ちょっと緊張するのでとりあえず人差し指で
「えい」
光は触った。
「う・・・・わ」
プニッとした感覚が指に伝わる。
指は頬に当たった。
(や、柔らかい)
二、三回、プニプニと押してみた。
「ん、ん」
「!!?」
短くも可愛らしい声が挙がる。思わず光は指を引っ込めた。
・・・・・・・・
が、起きる様子はない。
光はなぜかほっとして自分の人差し指を眺める。
(あんなに細いのに、ほっぺはこんなに柔らかい)
感触を思い出す。
何だかいけない事をしているような変な気分になる。
(もう一回だけ)
一度成功すると人間、調子に乗ってしまうものなのか?
光はもう一度人差し指をツカサに向けた。
今度は先程よりも躊躇なく。
「とう」
強めに差し込んだ。
プニッとした感覚が再び指に集まり
「・・・・・・・・なにしてんだあんた」
凛とした声の振動も指先に伝わる。
ーー・・・・・・・・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
黒い瞳が横目で見つめる。
「うわ! ごめんなさい!!」
光は思わず居間まで飛び退いた。
「・・・・どこだここは」
だが、少女はそれを無視して男らしく頭をボリボリと掻いて辺りを見回す。
「あの、ここは僕の、家で・・・・・・・・」
とりあえず、恐る恐る質問に応えた。
「・・・・・・・・」
しばし沈黙し、やがてツカサは拳を下に叩きこんだ。
「あの野郎。面倒になって俺を放って行ったのかよ!!」
瞳の中に怒りの色が見える。
なにやら、どこの誰かは解らないがツカサをここに置いていった人物がいるらしい。
頭をクシャクシャ!と乱して、イライラを募らせて辺りを見回す。
光はただ縮こまってそれを見つめる。
「む」
「あ」
イライラとビクビクの視線が合ってしまった。
「・・・・・・・・」
ツカサがジトッと光を見る。
先程のほっぺをプニッとしたことを怒っているのだろうか。
「あ、あの」
光は何か言わねばと声を出したが、何も考えていなかった。
口を開けたまま視線が泳ぐ。
ツカサは黙ったままだ。 空気が重い。
(なにか、何かないか!)
と、焦っていると
ーーグルルル
と、何か低いうめき声のような音が
「・・・・・・・・」
とりあえず、光の言う事は決まった。
「朝御飯。食べますか?」
光は出来上がった朝御飯を居間のテーブルに並べる。その間、ツカサはきちんとした姿勢で座り、それを眺めていた。
ジッと朝御飯を除き込むツカサ。
(なんだろうか・・・・この緊張感は)
光は自分の料理をなんだか値札されてるような感じて
「あ、あまり期待はしないでくれるかな・・・・その、あまりものから作ったもんで」
大した事が無いことを強調した。
実際、光にとって大したことのないレパートリーなので、言うとおりに期待はしないでほしいようだ。
ツカサはそれを聞いているのかいないのか
「これは、何だ?」
不思議そうな顔で朝御飯のメニューのひとつを指差した。
それはツカサにとっては初めてみる、いや、ひとつひとつに区切れば馴染み深いのだろうが、この二つが合わさるメニューを見たことが無かったのだ。
だが、光にとってはこの季節には馴染み深いメニューだった。
そのメニューの名は。
「えっと、
「にゅうめん」だけど?」
「にゅうめん?」
初めて聞く言葉が耳をくすぐる。
「・・・・・・・・味噌汁にそうめんが入っているように見えるんだが?」
「見たとおりに味噌汁の中にそうめんが入ってるんだけど?」
「それがにゅうめん?」
「いや、どうかな? 醤油や鰹だしをベースにする所もあるらしいけど、うちでにゅうめんといったらこれかな?」
「そっか、初めて見たぜ」
ツカサはお椀を持ち上げてマジマジと見る。まるで好奇心の旺盛な子供のように。
(なんか以外に子供っぽい所もあるんだな。それに)
自然に会話が交わせている。相手は女の子なのに光は普通に話せている。
「なぁ、これもう食ってもいいか?」
もしかしたらそれはこの男の人のような喋り方と少しだけ垣間見える無邪気さのせいかも知れない。
始めてみたギャップに自然と光の顔はほころび、笑顔となる。
「どうぞ」
「おし、いただきます」
ツカサはお椀を置き、箸を合わせて綺麗ないただきますをした。それに合わせて光も
「いただきます」
ツカサはにゅうめんを一啜りツルンと口に入れ、クミクミと口を動かし、コクンと呑み込んだ。
「どう?」
「ああ、悪かないな。このにゅうめんてやつは」
上目遣いで軽く笑みを浮かべる。この表情を見るに気に入ったらしい。
「そっか、よかった」
光もそれを聞いて安堵してにゅうめんを啜った。
「この玉子焼きはなんだ?」
「シーチキン入りの炒り玉子醤油味」
「おい、この大根の千切り味が無いぞ?」
「あ、ごめん。それはこの鰹節とポン酢を掛けないとーー」
ひとつひとつのメニューにツカサは反応して飽きる事が無かった。
思いがけずに光の朝御飯は楽しいものとなった。
「あ〜、茶がうめえ」
食後に渋めのお茶を出してみた。
ツカサはこれも気に入ったようで満足な表情になっていた。
そんな表情を見ていると光は昨日の出来事が嘘であって欲しいと思った。
だが、心の中では解っていた。あれは
「えっと、影見さんって呼べばいいかな?」
本当の出来事だと。
「俺、言ったか? 名前?」
ツカサは表情を変えて湯飲みを置いた。
光も湯飲みを置いて頷く。
「うん、昨日の夜に」
「そっか、覚えてるか」
そう言ってツカサは指を二本動かす。その指は光を眠らせたあの指だった。
ーーそうだ、あの後の記憶は何も無い。
「ま、当たり前か。俺がここにいるんだもんな。こっちに固定されるよなそりゃ」
「・・・・あの後、どうなったの? あの化け物とおまわりさん」
「殺した。俺が」
「!!?」
ーー殺した。
平然と言ったツカサのこの言葉は、ショックだった。
「なんて顔してやがる」
「ごめん」
ツカサは頬杖を付いて外を眺める。
「あれはな、殺さなきゃいけないんだよ」
ツカサはゆっくりと光に語る。まるで茶飲み話のように、光を襲った化け物達の話を。
「あいつらは
「カゲ」わかりやすく言えば
「妖怪」みたいなもんだと思えばいい。もっとも、妖怪のほうがまだいいかもな。カゲは人間の敵でしかないからな」
ツカサはお茶を啜って間を置く。
「詳しい事は普通の奴には解んないだろうが。奴らは人の心を喰う。喰った人間の中に入り込み人の世界に溶け込みまた喰う。これの繰り返しだ」
背筋が寒くなった。昨日の出来事が無ければ光も現実の事だと思わなかっただろう。
だが、今は確かな現実として受け止めた。
ツカサの話は続く。
「あいつらに心を喰われればそいつはもう殺すしかない」
「・・・・その・・カゲって奴を追い出せば助かるんじゃ」
ツカサは頭を振る。
「言っただろ? 心を喰われると。それはそいつじゃ無くなるって事だ。確かに肉体は生きている。だけど、そこにそいつはいない。心が喰われるってのは、深い部分を殺されるのさ」
「・・・・・・・・」
「だから、そいつはそいつではなく。カゲだ。開放させるには殺すしかない」
「じゃあ、僕があの時、食べられたら・・・・」
「おまえを殺した」
ゾクリとした。先程まで一緒に食事をしていた相手にそんな事を言われたのだ。光でなくてもゾクリとするだろう。
「だから、俺みたいなのがいるんだよ。カゲのうちに殺せる汚れモノの俺達
「カゲカタナ」がな」
そこまで言って、ツカサは頬杖を解いて伸びをした。
「悪い。アホみたいに話をしすぎた。これ以上、お前を巻き込むと親父にどやされる」
そう言って薄く笑ったその顔は食事をしたときの笑顔に近かった。
「さて、俺、行くわ。朝飯ありがとう」
「あの、影見さん」
去ろうとするツカサを呼び止める。
ツカサが振り向いて笑う。
「ツカサでいい。そっちの名前はちと重い」
「また、会えるかな」
「・・・・・・・・」
一瞬の沈黙の後
「わかんね」
短くそれだけ言って。ツカサは去っていった。
「うぉ〜い、ひかりちゃ〜ん。放課後ですよ〜」
「え、ああ、そうなんだ」
友人・夏目 陽介〈なつめ ようすけ〉に言われて初めて光は放課後になったことに気付いた。
「どうしちゃったの? 今日はいつにも増して上の空ちゃんだの〜」
「いや・・・・うん。そうかもね」
一応、学校には来てみた光だったが、ツカサから聞かされた
「カゲ」の話が頭に離れず学校での出来事などまるで覚えていなかった。
いや、きっと覚えていないのはカゲの件だけではないだろう。むしろ、頭の中に入り込んでいたのは・・・・・・・・。
「はは〜ん。これは妄想の翼が作り出した女を再び妄想してたのだな」
夏目がアホっぽい表情で的を付いてきた。
「別に」
「またまた、そんなこと言ってもお兄さんは騙されませんよ。このムッツリめ!」
どういう意味だろう。たまに夏目が何を言いたいのか光はよく解らなくなるときがある。
悪い人間で無いことは確実だが・・・・・・・・。
「はい、そんな光ちゃんにはこれを進呈しちゃおう!」
夏目がなにやら紙切れを掌に乗せてくる。
「なにこれ?」
「楽しいコンパの招待券だよ。やったね!」
「ごめん、女の子と話すの苦手だから」
掌に紙切れを乗せ返し、丁重にお断りを入れた。
「ガーン! ショックだわぁん」
本当にショックなのかわかりにくいリアクションでよろめきつつ夏目は自らのシャツを噛んだ。
「妄想の女となら話せるくせにん!」
「・・・・だから、妄想じゃないって」
ーーいい加減疲れてきた。
「考え直してコンパに行かないか〜い」
教室を出ても、夏目はしつこかった。
「だから、行かないって」
「人数足らないのだ〜と言ったら同情して来てくれない?」
(しつこいのはそれか)
「行かない」
ーー合コンなんていけるはずがない。女の子との出会いなんて僕は求めていない。 僕は・・・・。
校門を出る。
(このまま家に帰ろう。もうしばらくは誰もいない家に)
「光ちゃん。もう一回考えてみよ!」
「・・・・おい」
後ろからの夏目の声と被って、光の真横から凛とした声が響いた。
コツコツと綺麗なリズムの足音が近づいてくる。
まさかと感じつつ横を向く
「おっす」
そこには喪服のようなセーラー服と硯の墨のような黒髪のポニーテール。大きな黒目がちの瞳の
「黒い少女」
「つ、ツカサさん!?」
影見 ツカサがそこにいた。
「ど、どうして!」
光は驚いて目を見開いた。今朝別れたばかりで最悪もう会えないと思っていただけに。
「いや、ちょっと事情が変わってな」
ボリボリと頭を掻いて
「もうしばらくお前の側におらんにゃならんらしい」
バツが悪そうに応えた。
「え、ええ!?」
また会えた嬉しさはあるのだが、それはどういうことなのだろうか?
もう一度ツカサに聞こうとしたとき、後ろから、何やらブツブツと声が聞こえてきた。
「僕、女の子と話すの苦手なんだ」
夏目だ。なにやら声色を使って誰かの物真似をしているらしいが
「な、なんだよ」
「べっつにぃ〜、妄想の翼かと思ったらとんだ裏切りの翼だったってことさ!」
ツンとそっぽを向いた。がたいの良い男がやるととても気持ちの悪い行動だ。
「そうだよなぁ。合コン必要ないよなぁ〜。光ちゃんは実は年上からモテるんだわなぁ〜」
「な、なにいってんだよ!」
光は夏目を黙らせようと彼の口を押さえようと
「そうだ!」
するまえに夏目が前へと乗り出した。
なにか悪い予感しかしない。
「お姉さんも一緒にどう! そしたら光ちゃんも来る筈だし、女の子は美味しいものが無料ですよ!」
やはり、嫌な予感は当たる。光は慌てて夏目を今度こそ黙らせようと
「・・・・・・・・なめてんのか?」
「・・・・・・・・ごめんなさい」
代わりにツカサが黙らせた。
「おい、とっとと帰るぞ。んな訳のわかんない所に行くよりもお前の飯を食うほうが何百倍もいい」
「結構恐いね光ちゃんの彼女。将来は確実に主導権握られちゃうね」
「いや、彼女じゃ! けど」
夏目の勘違いな耳打ちに反論しつつも光は
「ツカサさんになら主導権握られてもいいかもね」
ツカサの後ろ姿を見つめながら、正直にそう答えていた。
「なにしてる。置いてくぞ」
凛とした横顔が光を呼ぶ。