4話
ついに499本塁打のまま最終戦に臨んだ。
この試合に勝てば、ドラゴンパピーズは最下位を脱出して終われる。負けはもちろん、引き分けでも勝率の差で最下位が決まる。
最終戦の相手は、優勝を決めた東京ギガース。
雨で流れた地方球場の代替として、本拠地のチューブドームの試合となった。先攻のギガースは3番京極がツーベースでチャンスを作るが、4番近衛が内野フライに倒れてチェンジとなった。
そして、ドラゴンパピーズの攻撃。
クライマックスシリーズもあるためか、ギガースの先発は今季初となる高卒新人投手だった。
ギガースは終盤、ローテーション投手が何人か調子を落としていた。
そのため、使えるのであればここで試したかったのだろう。
(まあ、いいか)
相手にとって、不足ありだが構わない。
やる事はやるだけだ。
とはいえ、油断はできない。
二軍で5連勝中だったらしく、それを買われての先発なのだろう。
150キロを超えるストレートが投げ込まれてくる。
しかし、制球が定まらず、ピッチャーゴロと三振でツーアウトをとったものの3番を歩かせてしまった。
「4番、ファースト、牛久保」
ウグイス嬢の見事な発音に送られ、牛久保が打席に入る。
初球、150キロのストレート。
それを見送る。
(150キロか)
牛久保が入団した当時は150キロなどエースクラスのピッチャーの証といえた。
140キロ台後半であっても、速球投手と呼ばれた。
しかし、今では150キロピッチャーなど当たり前のようにいる。
この新人投手も、150キロ投げられるというだけではプロで生き残れないと分かっているのだろう。
二球目はキレのあるスライダーだった。
見送った。
ツーストライク。
次は外角に外れる。
四球目。
(甘い!)
再びスライダー。
しかし、それをうまく打つ。
快音を残して打球はセンター前だ。
(よし!)
しかし、センターの京極が見事なキャッチ。
アウトとなった。
外野スタンドから「ああっ」と嘆息がまとまって聞こえる。
(次だ次)
しかし、すぐに切り替えた牛久保はファーストミットを受け取って守りに
ついた。
2回は共にランナーが出るもゼロ。
3回表
相手の将来の4番候補と言われる3番の京極がバックスクリーンに特大の41号ホームランを打ち、1点を先制した。
(見事な当たりだな)
京極は桐生と同様に今のリーグを代表する長距離砲だ。
ただ、桐生と違って足も肩も良く、昨年はベストナインと同時にゴールデングラブ賞も獲得している。
メジャーも注目の逸材だ。
今シーズン、打点は同僚の近衛に劣り、ホームランもタイガーキャッツの桐生に劣るが首位打者をほぼ確定させている。
(俺も負けない飛距離のホームランを、と思わなくはないが)
チェンジになり、ベンチに戻る。
ドラゴンパピーズも反撃に出る。
ワンアウトでランナーが二、三塁。
その状態でバッターボックスに向かう。
(外野フライでも1点か)
ヒット狙い? ホームラン狙い?
そんな事はどうでも良かったはずだ。
若い頃、ヒット狙いのバッティングをするようになったのだって、別にヒット狙いのアベレージヒッターを目指したからじゃない。
途中からホームラン狙いの長距離砲になった? それだってその方が自分にあっていると思ったからしただけだ。
誰かに頼まれたからじゃない。
レギュラーになりたいから、4番を打ちたいから。
それだけだ。
そして、勝ちたい。
一つでも上の順位に行きたい。
最下位で終わるのは嫌だ。
いや、仮に完全な消化試合だとしても負けで終わる気はない。
勝ちたいのだ。
なら、ここは無理にホームランに拘る必要はない。
ライト前へと流し打つ。
ライト前にポトリと落ちる。
三塁ランナーが生還した。
「うまいですね」
一塁手の近衛が話しかけて来た。
「お前のところの4番が豪快なホームランを打ったからな、こっちはこっちでロートルらしいケチなヒットでも狙うさ」
その言葉に近衛は、少しばかり不快そうな色が表情に浮かぶ。
3番京極のホームランの後、近衛は4番の自分もと思ったのかホームラン狙いの大振りをして三振に倒れているのだ。
そんなつもりはなかったのだが、皮肉と受け取られてもおかしくないだろう。
そんな中、5番の豊田のライトへの犠飛で三塁ランナーが生還。
ドラゴンパピーズの1点リードとなる。
しかし、五回表。
京極のフェンス直撃のツーベースの後、今度は近衛のホームラン。
文句なしの一発で、ギガースは逆転する。
その裏。
1点を追いかける展開。
ツーアウトながら、三塁のチャンス。
牛久保は2球目のフォークをうまくミートしてセンター前に落とした。ランナーは生還する。
同点である。
「やっぱりヒット狙いですか?」
一塁の守備についていたギガースの近衛が再び話しかけて来た。
「ああ、打点稼ぎたかったからな」
そんな風に返す。
近衛は「そうですか」と答えただけだった。
「ま、お前の打点には届きそうにないけどな」
近衛は2位の同僚である京極とタイガーキャッツの桐生に差をつけて打点王をほぼ確定させている。
「来年はこうは行かんぞ」
その言葉に近衛は一瞬、驚いたように目を見開いたものの、すぐに不敵な笑みを浮かべて返す。
「そうですね。来年のライバルはウチの京極や桐生じゃなくて牛久保さんになるかもしれませんね。なら、来年は打点王の方は諦めて首位打者とホームラン王取りますよ」
「残念だったな3つとも俺がとる」
そんな会話を交わしている間にも後続は倒れ、この回は同点止まり。
七回表、京極の42号となるスリーランで、ギガースの3点となる。
その裏。
新人投手を捕らえ、1点を取って2点差にしたところで相手は降板。
リリーフしたピッチャーも打ち込み、一死三塁という状態でバッターは牛久保。
二打席連続でヒットを打っているためか、ボールが先行する。
(警戒されてる、か。結構な事だ)
ここ最近、マークが甘すぎるぐらいだった。
なめられている――そう思われるのが屈辱だった牛久保にとって、むしろ願ってもない。
打ちづらくなっても、警戒している相手を警戒された上で打ち砕く。
それが全盛期の牛久保であり、恐怖の4番と呼ばれた男だった。
(外角、低め)
今度は入っている。
そう考えた牛久保はバットを出した。
センターへと痛烈な辺り。
右中間抜けるか、と思われたがセンターの京極がファインプレー。
アウトとなった。
ライトに陣取ったドラゴンパピーズのファンから「ああっ」という声が聞こえる。
しかし、その間にランナーは生還するがランナーはいなくなった。
(これで後、1点だ)
続く豊田もセンター京極へのフライに倒れてしまい、ドラゴンパピーズの選手が守りについた。
八回裏は、先頭打者が四球で出たものの後続が倒れてゼロ。
ドラゴンパピーズの中継ぎ陣もギガース強力打線にそれ以上の追加点を与えず、試合は1点ビハインドで9回裏を迎えた。
打順は1番から。
1番のヒットの後、2番が送り、3番の内野ゴロでランナーは三塁へと進塁した。
ツーアウトでランナーは三塁。
(シングルでも同点の場面か)
スタンドが湧く。
(サヨナラホームランでも期待してるのか?)
最終戦で500号。
それも逆転サヨナラ。
これで最下位脱出のオマケまでつくなど、最高の形だ。
だが、一発など狙う気はない。
とりあえずは同点だ。
三塁ランナーを返す事に集中する。
相手は、同点だがギガースは守護神がいた。
先発した高卒新人投手と同様に150キロを超えるストレートを投げる事ができ、なおかつ新人投手にはなかった落差のあるフォークボールがある。
ランナー三塁の場面でフォークは投げにくい。
だがそれでも、度胸のあるこの守護神は投げてくる事がある。
しかし、今日はギガースにとっては消化試合だ。
パスボールでもして同点にしてしまい、そのまま後味の悪い負け方をすれば、嫌な気分のままクライマックスに向かう事になるだろう。
それは避けたいはずだ。
牛久保はそう考えた。
となれば、ストレートだ。
そのストレートをコンパクトにセンター前に。
読み通り、初球にストレートが来た。
球は予想以上に速いが、何とかミートした。
打球は、勢いがある。センター前の真横へと向かう。
センター前へのヒットか、と思われたがギガースのセンターの京極は俊足であり、守備の名手でもある。
ここで、牛久保の脳裏に第一打席でのファインプレーが頭を過る。京極もそうだったのだろう。
それを再現するためか、ダイレクトで捕ろうと手を伸ばして走る。
だが、今度は捕れなかった。
それどころか、そのまま打球は無人のところへと転がっていく。
三塁ランナーが帰って同点となる。
「よし!」
一塁を蹴って二塁へと向かう。
打球はまだ帰ってこない。
二塁へと到達。
(いける!)
今年初のスリーベースだ。
そう思ったが、どうやらボールを追いかけたギガースの右翼手は予想以上にもたついているようだ。
これはもしかしたら、と思いながら駆けた。
三塁前。三塁コーチは躊躇しているようだ。
ようやく打球が内野へと戻って来た。
「いったる!」
だが、三塁コーチを無視して、それでも本塁へと向かう。
タイミングは微妙。
だが、ボールが逸れている。
ギガースの捕手へとボールが来る。
タッチに来る――が、それよりも早くベースに触れた、ように見えた。
(タッチが先だったか?)
ベースに指先が触れた状態のまま、じっと判定を待つ。
「セーフ!!」
判定はセーフだ。
これでサヨナラ。
「……あ」
京極は無理に捕ろうとしたがゆえの事だが、エラーがあったわけではない。
つまり、これは正真正銘のホームラン。
ランニングホームランだ。
「やりましたね、牛さん」
ネクストにいた豊田が真っ先に駆けてくる。
「全く。僕がヒーローになろうとしてたのに、サヨナラホームランで500本塁打なんてできすぎですよ」
「いや、本当にできすぎなら、文句なしの場外ホームランで終わっていただろう。まあ、ここはドームだがな」
そう返しながらも、悪い気はしなかった。
最終打席が、同点のヒット狙いでいった結果が逆転サヨナラランニングホームラン。
とんでもない形での500本塁打の達成となった。
「やっぱり野球の神様っているんですね。牛さん」
「だったら、野球の神様もこんな年寄りにハッスルさせすぎだろ」
そういって、汚れたユニフォームを乱雑に拭う。
さて、どうすべきか。
最下位も脱出でき、500本塁打も達成した。
結果的には最高の形で終えた。
いや、最高ではない。
「来年こそは優勝したいな」
「え?」
不意に言われて豊田は困惑した様子だったが、
「そうですね。来年は、開幕から僕と一緒にホームランを打ちまくって二人でホームラン王とりましょうよ」
「そうだな」
そう言って、笑みを浮かべる。
(もう1年、やってみるか)
空気を読まないでやってみて、うまくいったのだ。
なら、もう一度読まないで行けばもっとうまくいくかもしれない。
お疲れ様、と言われて最高の形で終えるのもまた一つの形。そして、今ならそうできる。
しかし、自分がやりたい事は、また別だ。
また空気を読まずにいくのも悪くない。
かつての自分は、周りの事など考えず好き勝手やっていた。だが、それが結果に繋がり、チームにも好影響を与える事ができた。
だが、今は逆にチームの事を考えすぎて卑屈になり、何をするにしてもマイナス方向に考えるようになってしまっていた。
それがプレイにも表れ、萎縮して成績も悪化していった。
まさに悪循環であり、結果として置き場のなくなったレジェンドとなった。
500本打ったんだからもういいだろうと、球団がもういらないと言いだすならそれはそれでいい。
その時は、空気を読まずに意地でも残ってやる。それがどうしても嫌だというのならば、ライバル球団のギガースやタイガーキャッツに移籍して代打でも何でもしてやろう。
その方が自分にはあっているか――牛久保はそう思い、ベンチから飛び出してきた選手達へと向かっていった。