3話
ギガースの優勝も決まって数日。
その後も、牛久保はヒットこそ打ったがホームランは出ない。
広島に移動して、広島キャップとの試合になるがそこでも牛久保のバットからは快音は聞こえなかった。
試合は8対8の乱打戦。
スタメン野手は牛久保を除いて全員安打という状況だった。
広島キャップは優勝どころか、クライマックス進出も絶望。
そのため、ベテランを大量に登録抹消し、若手を一軍に昇格させた。
そんな中、名前も聞いた事がないような若手投手がマウンドにいた。
だが、そんな実績のない若手投手相手にすら打てない。
野手も若手主体のスタメンだというのに、ドラゴンパピーズ投手陣は打たれた。
8回裏に1点を取られ、1点負け越しという状態で9回表を迎えた。
ツーアウトでランナーは三塁二塁。
ここで牛久保の打順である。
外野は前で守る。
まるで、警戒するのはポテンヒットぐらいだと言わんばかりだ。
(頭を越えるようなのを打ってやろうか)
いや、フェンスの上だ。
そう思うが、ここ数日、いやこの1年の成績が頭に浮かんできてしまう。
(何を血迷っているんだ。ここはヒットでいいだろう)
外野が前に出ていようが間を抜けば、問題ない。
二人返して逆転だ。
そう思ってバッターボックスに入るが、やはりホームランの魅力が頭を過ってしまった。
相手は投手は相当にへばっている。
この乱打戦で、広島キャップに残っているピッチャーはこの若手投手のみでもう残っているのは今日は投げないローテーション投手のみ。
交代はできない。
(これが最後のチャンスかもしれない)
こんな投手すら打てないようでは、最後までホームランは打てないだろう。
そう思うと、バットを長く持ち直す。
相手投手が萎縮する。
そうだ、こっちは2000本ヒットを打って500本塁打も目前まで迫った大ベテランだ。
びびれ、びびれ。
そんな気持ちが伝わったのか、すっぽ抜けらしい球が真ん中に入って来る。
(よし!)
フルスイング。
「お」
つい、そんな声が出てしまうほどのいい当たりだった。
しかし、フェンス手前で失速していく。
レフトにいるドラゴンパピーズのファンからああ、と失望の声が聞こえる。
左翼手が捕球。
レフトフライとなった。
「惜しかったですね」
「ああ」
ネクストにた豊田が駆け寄ってくる。
本当に惜しい。
こんなチャンスを逃してしまうとは……。
まだ試合開始前だというのに、ホテル前を歩いていた。
何となく、長く眠る事ができずに起きてしまったのだ。朝食も摂る事なく、部屋の外を歩いていたらいつの間にか球場に到着した。
すると、不意に話しかけられた。
「牛久保さん、お久しぶりです」
牛久保よりかは幾分か年下の男だ。
私服であるため、すぐには分からない。
だが、顔に見覚えはある。
確か同じ選手だ。名前は確か――、
「ああ」
曖昧に返すと、相手も勝手に話し出す。
「今年、キャップに来てからは一度も対戦する事なく終わってしまいましたね。去年までいたギガースの時は、何度か対戦できたんですが……」
「ああ……」
その言葉で、ようやく目の前の男とかつての記憶がガッチリとかみ合った。
6つ年下の投手の鳴海だ。
彼は今年で15年目。
最も、彼は大卒、それも当時あった逆指名で入団した選手だ。
1年目はそこそこ活躍し、新人王の候補にもなったが、緩やかに成績は低下していき、ついにはトレード要員となった。
トレードで別リーグの福岡ホープスに移籍したが、その後に東京ギガースに再びトレードされ、ギガースを自由契約になったところを広島キャップに拾われた。
今シーズンは確か登板数は確か2、3回ほど。そのいずれも打たれて即座に二軍に降格していた記憶があった。
「今日はどうしたんだ?」
一軍登録はされていないはずなので、まだ二軍のはずだ。
「いよいよ今年までって事みたいですので、まだプロ野球選手のうちに最後にお世話になった先輩にあって置こうと思って」
「……まさか」
その言葉で牛久保も察した。
すでに30後半の外様。今年の成績を考えれば、クビを言い渡されても不思議ではない。
ドラフトの目玉だった選手が花道を歩いての引退ではなく、成績不振によるクビ。
「いえ。いよいよ見たいです」
鳴海もベテラン。
多くの先輩達がクビにされるところを見ているはずだし、彼自身も昨年ギガースを解雇されている。
「ここ最近は調子が良かったんですよ。だけれど、ちっとも一軍には呼んでくれない」
「お前のトコの監督も来年にリベンジしたいと思ってるだろうからな」
キャップはドラゴンパピーズと最下位争いを繰り広げている。
といっても、優勝どころかクライマックス進出すら絶望的になった時点で若手主体に切り替えていたが。
今のキャップの監督は二年契約であり、すぐに結果を求められるギガースやタイガーキャッツとは違い、最下位だとしても来年はやれるだろう。
となればベテランを切り捨て、若手に経験を積ませて来年を見据えていてもおかしくない。
「けど、そこにお前にいて欲しいと思っているだろう。何とっても、実績のあるお前がいれば優勝も可能だ」
「そう言って頂けると嬉しいですがね」
鳴海も照れくさそうに笑う。
「優勝――ですか、結局、僕がそれを味わえたのは牛久保さんと一緒に味わえた一度だけでしたね」
「そうだったか?」
今年のキャップはともかく、ドラゴンパピーズからトレードされた後に所属したギガースもホープスも強豪チームだ。
ここ数年、何度も優勝している。
「去年ギガースが優勝した時も、ホープス時代に優勝した時も、僕は一軍にはいませんでしたから」
鳴海は力なく答える。
ずっと一軍にいる牛久保には理解しづらいが、一軍と二軍を行ったりきたりしている選手であればそういう事もあるだろう。
「ああ、そうだったな」
「一番活躍できたのもやっぱり、1年目に優勝した時ですよ」
鳴海が入って来た年は確かに優勝している。
鳴海もローテーション投手としてそれに貢献した。最も、それ以上に好成績を残した選手がいたため、新人王はとれなかったが。
「1年目に10勝して――現役を引退する頃には150勝ぐらいしていたいと思っていましたけど、その半分もいきませんでした」
結局、その1年目の10勝がキャリアハイとなった。
その後も中継ぎになったり抑えをしたりしていた時期もあったが、先発としては1年目を除けばシーズン最高は7勝。
通算で69勝。
「それでも十分だろ」
何だかんだいって、未だに大学野球のスターとして、ゴールデンルーキーとして扱われた記憶が忘れられないのだろう。
一軍登板すらできずに消えていく選手も多い事を考えれば十分すぎる成績だった。
「本当は区切りよく70勝で終わりたかったんですけどね」
「69勝でも立派だろうよ」
「でも先輩は2000本安打やって499本塁打ですよ? 投手と野手の違いはあるにせよ、僕なんかよりすごいですよ。未だに4番で出続けてるわけですし」
「……ああ」
おそらく悪気はないのだろうが嫌味に聞こえた。
鳴海は中途半端な実績しか残せなかったから、今年はほとんど二軍だった。一方、自分はレジェンドと呼ばわりされる成績だからこそ、未だに4番として試合に出れる。
球団も鳴海のようにクビを言い渡されない。
レジェンドだから。
そう考えるとやはり、無理にでもホームランでも狙った方がいいのか。
それで、一本打って早く引退してやった方がチームの為なのかもしれない。
再び弱気の虫が騒ぎ出す。
「それに、あの時の優勝決定戦でスクイズ決めた時だってすごかったじゃないですか」
「……そうだったか?」
その当時の記憶がかなり朧だった。
だが、蘇った。
優勝のかかった試合、ワンアウト三塁という場面で、自分はスクイズをしたのだ。
相手ピッチャーは調子がよく、ランナーが三塁にいるのもその試合はじめてだった。
このままでは、負ける――そう確信した監督は自分にスクイズのサインを出した。
「しかし、当時既に4番打ってた俺にスクイズとはな。当時の事はよく覚えてないけど、相当に怒り狂ってたんじゃないか?」
だとしたら後輩に迷惑をかけたかもしれない。
今でこそ大人しくしているつもりだが、当時はバットもグローブを粗末に扱うし、敵だけでなく味方にも暴言を吐くなどとても尊敬できるような選手ではなかったはずだ。
「何言っているんですか?」
さも不思議そうに、鳴海に言われる。
「当時、僕が聞いた時に打つよりも勝つのが楽しいって言っていたじゃないですか」
「そんな事言ってたか?」
「言ってましたよ? だから、優勝した時はあんなに喜んでたんじゃないですか?」
当時の自分はそんな事を言っていたのか?
何とか、当時の記憶を脳内で再生しようとする。
目の前の男にもっと詳しく聞こうと思ったが、元々は球場の方に用事があったのか、
「じゃ、改めて挨拶に行きますので」
とだけ言って去ってしまった。
残された牛久保は、やむをえず一人でホテルの部屋に戻った。
ホテルの部屋に入ると、ドラゴンパピーズが優勝した際の動画を探した。
本当は名古屋に戻ってから球団に頼んで記録を見せてもらっても良かったのだが、今は一刻も早く当時の自分を見たかった。
世の中にはご親切にも、こういった動画を残してくれる物好きがいる。
案の定、ドラゴンパピーズが優勝した瞬間のものがあった。
動画を再生する。
当時は今とは比べものにならないほどのホームランバッターであり、日本を代表するスラッガーだったが、無理にホームランを狙っていないのがその動画からも分かる。
(そういえばそうだった)
あの時は、チームが勝つ事だけを考えて、ヒット狙いのバッティングが多かった。
そのため、優勝したにも関わらず、ホームランは25本と前後の年で40本打っていた事を考えるとかなり少なめだ。
打率は良く、打点も良かったが、個人タイトルはとれなかった。
しかし、勝利打点は1位。
それも、2位以下に大きく差をつけだ。
何より、
――楽しんでいる。
自分の成績を気にしているんじゃない。自分が打った時だけ楽しんでいるんじゃない。
チームが勝つ瞬間のみを楽しみにしている。チームに点が入るたびに一喜一憂し、負ければ悲しむ。
それが当時の牛久保という選手だった。
だが、今年はどうだ?
自分の成績ばっか気にしており、最下位に沈もうとしているチームを情けなく思う事はあっても、自分のバットでその危機から救おうとは思った事はなくなっていた。
(ああ、そうか)
当時、チームが勝つ事が楽しかったのだ。
野球に限った話じゃない。何事も、勝負なんてものは勝てるから楽しい。負けたら楽しくない。
当たり前の話を、牛久保は改めて痛感した。
翌日の広島キャップとの二戦目。
何かが劇的に変わったわけではない。
だが、チームに勝って欲しいと願って打席にたった。
凡退でも、せめてランナーは進めようと、一球でも多く球数を投げさせようとした。
そのせいか、牛久保は5打席で3安打。打点は3と活躍してチームも5対1で勝利した。
これで最終戦で勝利さえすれば、最下位脱出してシーズンを終える事ができる。
(それでいい)
最下位になるよりも、一つでも上の順位で終わりたい。
勝って終わりたい。負けるよりも勝利だ。
牛久保は改めて思った。