2話
大阪タイガーキャッツの本拠地である、マンモス球場のライトスタンドに陣取った大阪タイガーキャッツのファンが騒ぐ。
アウェイはどこでもきついが、ここは特にきついと言われる。
関西のファンは熱心だ。アウェイのチームに厳しい野次がとぶ。応援対象であるタイガーキャッツの選手であっても、活躍しない存在は戦犯として罵られる。
近年、低迷していたタイガーキャッツだがこの年は首位のギガースと優勝争いを演じ、終盤までもつれ込んだ。
だが、ギガースがここで突き放し、ついにはマジック1となっている。
チューブドームでの胴上げこそ防がれたものの、残り試合数を考えれば優勝はほぼ確定。
今日はギガースの試合がないため、マジック対象であるタイガーキャッツが破れればその瞬間に優勝が決まる。
現実的に考えて、ここから奇跡の逆転優勝などありえないし、タイガーキャッツのファンもほとんどは信じていないだろう。
それでも、タイガーキャッツが負けての優勝という形にはしたくないのか、今日は特に野次が厳しい。
「何やってんねん!」
「ボケ! 死ねや!」
「なーにが、竜の子や! このベリ前チームが!」
厳しいヤジが守備につくたび、打席に向かうたびに飛び交う。
「お前らは消化試合同然やろが! こっちは優勝争いしとんのやで!」
「老いぼれ、何、ハッスルしとるねん! 歳を考えろやっ」
第三打席にヘッドスライディングを決め、内野安打で三本目のヒットを打った際にはそんな事を言われた。
この試合、相変わらず貧打のドラゴンパピーズだが、この試合は3点を奪っているし、投手陣は悪くない。
先発は6回裏に2点を失い、満塁のピンチを招いて交代したが、中継ぎ陣が良く投げている。
そんな中、牛久保は30試合ぶりとなる猛打賞を達成したのだが、ホームランは出ていなかった。
しかもこの3本のヒットはタイムリーが2本、残りの1本も逆転となる次打者のタイムリースリーベースでホームを踏んだ。
タイガーキャッツは今シーズン、16勝しているエースピッチャーが投げており、少ないチャンスを活かしているものの調子は悪くない。
故に、ホームランを狙わずシングルでも良いと思って振っている。
だが、それがタイガーキャッツのファンは気に食わないらしい。
「時代遅れの老いぼれ! チマチマヒットなんざ打っとらんで、とっとと1本打って引退せいっ」
その言葉に少なからずショックを受ける。
その野次を飛ばしたファンにとっては、タイムリーを打たれた腹いせの言葉だったのかもしれない。
だが、その言葉は口にしないだけでドラゴンパピーズの選手こそが言いたい言葉なのかもしれないと思ったからだ。
(ホームランしか期待されていない、か)
思えば、若い頃は当時の監督に「三振かホームランの打者はいらん」と遠まわしに言われ、ヒット狙いのバッティングもできるようにした。
結果、首位打者を獲得して見事に当時の監督を見返し、そこからは長打狙いに打撃フォームを改造した。
一軍半だった時と違い、既に十分な実績があり人気選手となった以上、監督も文句は言いづらかったのだろう。
打率こそ下がったものの、ホームランの激増した牛久保を4番で使い続けた。
その結果が、通算499本の本塁打だ。
既に2000本安打を達成し、成績が急降下している今、最後に500本のホームランを打って引退して欲しいのだろう。
ドラゴンパピーズの5番を打つ豊田が、ファーストへのフライに倒れる。
「牛さん、ナイスバッティングです」
後輩選手の持ってきたグラブを受け取りながら、豊田が言う。
それも皮肉に聞こえた。
何せ、完璧とは言い難い内野安打なのだ。
(いや、ネガティブになりすぎか。豊田はそんな嫌味をいう奴じゃない)
牛久保はそう思いながら、別の後輩選手が持ってきたファーストミットを受け取る。
「ああ、お前みたいな当たりが打てればいいんだがな」
逆にこっちが皮肉で返したように聞こえてしまったか――言ってしまってから後悔したが、豊田は特に気にした様子はない。
豊田は次代の4番候補であり、この試合でもホームランを打っている。
今シーズン、チーム唯一であり最多の20本塁打を達成している。最高で45本打った事のある全盛期の牛久保の半分以下だが、今年の9本しか打っていない牛久保の倍以上である。
アマチュア時代のスターでもある。
この若きスラッガーが、牛久保の後釜となる事をファンも望んでいるだろう。
「今シーズンは20本だろ? 俺の倍以上だ」
「いやあ、まだまだ全然っすよ。前半の調子なら40本は無理でも、30本は行けそうだと思ったんすけどね」
実際、前半戦終了時に15本を打ち、オールスターにも選ばれていたが、後半戦になって調子は大幅に落ちていた。
そんな風に言う豊田に今は頼もしいと思うよりも妬ましいという思いも強い。
(30本か。今の俺じゃあ夢の数字だな)
3年前まではそんな事は思わなかった。
3年前のシーズンは32本のホームランを打ち、全盛期と比べれば落ちつつあったとはいえ、まだまだやれると思っていた。
一昨年にも25本打ち、2年契約を交わした。
40を過ぎているが、まだ2年ぐらいはやれると球団も、そして牛久保自身も思っていたが、翌年、すなわち昨年になって急速に成績が落ちた。
怪我で出場試合は100に満たなかったとはいえ、打率2割4分、本塁打8だった。10年間続けていた連続二桁本塁打の記録も途絶えた。
今年はほぼフルで出ているが、打率は低いし本塁打も1本多いだけの9と低迷しており、全盛期からすれば信じられない成績だ。
これが単なる一選手ならともかく、牛久保は億単位の年俸を貰っているのだ。
球団の負担も大きい。当然、他の選手に支払う年俸に影響が出てくる。
おそらく、この豊田も大幅に上がるだろう。
そんな中、タイガーキャッツ4番の桐生がバッターボックスに入る。
内野手と外野手の違いこそあるものの、牛久保と同じく右投右打だ。だが、牛久保以上に守れず走れず肩もない。
自分も守りのうまい選手ではなかったが、若い頃は今の桐生よりもまだマシだった。
しかし、桐生の打撃は超一流だ。
今シーズン、牛久保の全盛期に打ったキャリアハイの45本を上回る46本塁打を放ち、ホームラン王がほぼ確定。打率も首位打者こそ難しいが、3割は超えたままシーズンを終える事ができるだろう。
打つだけの選手なため、メジャーは難しいかもしれないが、紛れもなく今のプロ野球界の誇るスター選手だろう。
ライトを守る豊田をチラリと見る。
(バカ、もっと後ろで守れ)
そう念じるように思うが、豊田に通じた様子はない。
桐生はレフトにも大きいのを放つが、それ以上にライトへも強い打球を放つ。
右バッターでありながら、ライトスタンドに叩き込んだホームランも多い。
そして、桐生が初球を叩いた。
予想通り、ライトへの大きな当たり。
だが、豊田が牛久保の考えたようにもう少し後ろで守ってくれていれば捕れたかもしれない。
しかし勝負の世界にタラレバはない。
ライトの豊田の後ろへと打球は転々としていく。長打コースだ。
鈍足の桐生が走る。
豊田がようやく打球に追いついた。
二塁手へと投げられたのだろう送球だが、それが逸れた。牛久保がそれを追いかける。
牛久保が捕球したのを見た桐生は、三塁で止まった。
悪送球気味ではあったが、エラーにはなっていないようだ。
記録はスリーベースだ。
外野の豊田を見るが、自分のミスとは思っていないようでのんびりとした顔つきのままだ。
続く5番バッター。
長打もある外国人選手であり、スクイズの可能性は低い。
その5番が打った。
ファーストへのゴロ。前進守備はとっていなかったが、三塁ランナーは鈍足の桐生だ。
(刺せる!)
本塁前に来ていた桐生だが、刺せるタイミングだと思った。
しかし、牛久保の送球は大きく外れた。
ランナーは生還してしまった。
白けた空気が漂う――事もなかった。
チームメイト達も、牛久保を咎めないし呆れた様子すらない。
それが逆に悔しかった。
「やったで!」
「同点や、同点!」
「よう走ったで桐生!」
タイガーキャッツファンの歓喜の声が、桐生を包んでいる。
鈍足の桐生がスリーベースに続いて、見事な走塁で同点にしたのだ。
俊足の選手がやった場合よりも、むしろ盛り上がっている。
(あれも今の俺には無理だな)
全盛期はそれなりに足もあったが、今はだいぶ衰えている。
桐生は鈍足ではあるが、若さがあるからこそあんなハッスルプレイができる。
牛久保の、今の40を過ぎた肉体じゃとても無理だ。
虚しさを感じながら、後続を打ち取るのをファーストから見つめた。
三振とセンターフライ、そしてレフトへのファールフライに終わったため、牛久保の守備機会はなかった。
そして、迎えた9回表。
9回表は、9番のピッチャーのところで送った代打が四球で歩いた。1、2番は凡退したものの3番がツーベースを打ち、ツーアウトで三塁、二塁という状態で牛久保に打席が回った。
(勝負か)
今日は3安打しているとはいえ、それでも次打者の豊田の方が怖いのだろう。
複雑な思いになる。
若い頃なら、例えノーヒットだろうがこんな状況では敬遠だった。
むなしく思いながら、初球を見送る。
第二球。
失投だったのか、何の力もないボールがど真ん中に入って来る。
(もらった!)
そう思ったが、実際は軽くあわせただけだった。
センター前へとポトリと打球は落ちる。
ランナーは二人帰ってきて2点の勝ち越しだ。
「ナイスバッティングです」
一塁に到達した牛久保に、どこか複雑そうな様子の一塁コーチが言う。
彼も牛久保より年下の選手であり、実績も下という事もありコーチだが下手に出る。
「ああ」
牛久保はそれだけ答える。
(間違ってないだろう。今はホームランよりヒットが欲しい場面だ)
ドラゴンパピーズの抑えは、30セーブを達成しているクローザーだ。ホームランで3点もいらない。
結果、二人が生還したが1点でもいい場面だ。
しかし、こんな消化試合で勝つよりも、とっとと牛久保に500本打って貰って来年は引退して欲しいのではないか――そんな風に考えているのではないかと勘繰ってしまう。
「またかいな! せこいバッティングすなっ」
「オンドレ、ホントにホームラン王とったんかいな!」
「もしかしてその時とは、別人とちゃうやろな!」
そんな野次が聞こえたが、無視した。
だが、腫れものにさわるような同情混じりのチームメイト達からの視線よりも、タイガーキャッツファンの罵声の方がまだマシな気もした。
ここで吉田監督が出てきて、審判に代走を告げた。
結局、試合は9回裏をドラゴンパピーズの抑え投手がしっかりと0で抑え、5対3で勝利に終わる。
最後は、牛久保に代わって一塁の守備についていた控え内野手がタイガーキャッツの最終打者の打ったファーストへのフライを捕り、試合は終わった。
この瞬間、ギガースの優勝が決まった。
タイガーキャッツのファンは大騒ぎだった。
もちろん、悪い意味で。
これが昭和の時代であれば、グラウンド内に入ってきて大暴れしていたかもしれない。
「死ねや、死ね!」
「アホ、ボケ!」
「夜道は覚悟しとけや!」
そんな罵声が牛久保の背中にぶつけられた。