1話
この作品は4話で完結を予定しています。
決して長い話ではありませんが、楽しんでいただければ幸いです。
「4番ファースト、牛久保」
チューブドームの場内アナウンスが響き渡り、牛久保任がゆっくりとバッターボックスに向かう。
8回裏ノーアウトでランナーは一、二塁。
ここで4番の牛久保なのだ。
(少しは期待してくれても良いだろうに)
微妙なざわめき。
牛久保はエスパーでもないが、観客たちの考えている事は分かる。
――ここで牛久保か。
――代打は無理か。
――正直、送りバントでもして欲しい。ゲッツーは勘弁。
そんな風に思っているのだろう。
「……」
そんな空気を感じ取りながらもマウンドのピッチャー、そしてスコアボードを見つめる。
牛久保の所属する中都ドラゴンパピーズが、首位の東京ギガースを本拠地のチューブドームで迎え撃っている。
ドラゴンパピーズは後10試合を残しながらも、優勝の可能性どころかクライマックス進出の可能性すらない。
それに対し、ギガースはマジック1の状態だ。
アウェイであるはずのレフトスタンドのギガースファンの方が盛り上がっている。
だが、この試合は珍しく豪華打線を抱えるギガース相手に善戦し、こちらのドラゴンパピーズのエースが好投して1点に抑えている。
こちらは7回まで0に抑えられていたが、この回に初めてチャンスを作ったのだ。
もっと盛り上がってもいい。
(俺のバットで助かった試合がどれだけあると思っている)
内心で毒づきながら、これまでのプロ野球人生を回想する。
プロ生活25年。
甲子園で活躍し、ドラフト1位で中都ドラゴンパピーズへと入団した。
既に2000本安打を達成し、通算本塁打は499。
まさにチームの至宝といってもいい。
だが、そのプロ野球人生は必ずしも順調だったとは言い難い。
牛久保の入団した当時は逆指名制度があり、大学や社会人の選手が優先的にされる傾向があった。
実際、当時六大学のスターだった選手をという声が、球団内部にあったらしい。
それでも、当時の監督は長打の魅力的な牛久保を一位で指名するよう、球団に掛け合ってくれたらしい。
しかし、その監督も翌年に成績不振の責任をとらされ、解任。
さらにその翌年には、今のチューブドームへと本拠地を移す事に決まった。チューブドームは広さこそ、そこまではないが、フェンスが高く、ホームランが出にくい。
典型的な長距離砲である牛久保には不利な球場であり、実際に当時の監督は「チューブドームに大砲は不要」とホームラン王の獲得経験もあった主砲をトレードで放出した。
(それでも、俺は残れた)
素振りを繰り返しながら、牛久保は思う。
決して悪くないスイングだとは思う。
10年前であれば、これだけで投手は萎縮し、捕手も警戒してくれた。
極端に衰えた、とは自分では思わない。
(だが、野球ははっきりと数字が残る)
野球は、素人の目にも結果が数字という形ではっきりとわかるスポーツだ。
いかに凄まじいスイングを披露しようとも、今の成績を知っているはずのギガースバッテリーがビビるはずがない。
(昔なら、な)
どうしても過去の栄光を思い出して牛久保は苦笑してしまう。
二軍で打撃三部門でトップを走っていた3年目のシーズン、とうとう一軍に呼ばれた。
当時の一塁手はメジャーで実績のあった外国人選手が守っていたが、日本野球に適応できず打撃不振の上に素行不良という典型的なダメ外国人であり、問題も起こして早々と解雇が決まっていた。
実績があるせいか、その外国人選手にかなり期待をしていたらしく、レギュラ一塁手がトレードで出されただけでなく、その一塁手のサブだったベテラン選手も獲得資金捻出のために解雇している。
ここまで計算できないのは予想外だったのだろう。
その後釜に試験的という形で入る事ができた。
そこから必死に頑張った。
牛久保は守備ははっきり言って良くない。ゆえに打撃でレギュラークラス以上に頑張るしかなかった。
当時の監督は、打率の低いホームランバッターなど外国人で十分と考えていた節がある。そのため、ホームラン狙いだけでなく、単打が欲しい場面でも狙って打てるように必死に練習した。
3割は無理だったが、3割近い打率を維持し、レギュラーに定着したのは6月だったからにも関わらず、18本のホームランを打ち、存在感を示した。
幸いな事に、球団も当初は変わりとなる外国人選手を探そうとしていたようだが思わぬ牛久保の活躍をみて、それを取りやめた。
翌年から、不動のレギュラーとなれたわけではない。
レギュラーから外されたり、調子を落として二軍に落とされたりもした。1年通じてほぼ4番で器用されるようになったのは、26のシーズンになってからだった。
そこからホームラン王も3回、打点王2回、首位打者1回獲得した。オールスターやベストナインにも何度か選ばれたし、スーパースターといえるだけの存在になった。
勿論、自分以上の実績のあるレジェンドクラスの選手もいるが、今年43とチーム最年長になったドラゴンパピーズにはいない。
その自分が打席に入るのだ。
打撃成績が落ちているとはいえ、もう少し期待して欲しいものだ。
(得点圏打率はそこまで下がってない)
そう呟く。
確かに打率は今年、規定打席到達者でワースト3。一時は最下位になっていた時期すらあり、首位打者の獲得経験すらある牛久保からすれば寂しいものだ。
しかし、勝負強さは未だ健在であり、ホームランは8だが、打点は50を超えている。
じっとベンチを眺める。
今の監督の吉田は牛久保の1つ下。
それも、翌年のドラフト1位で入って来た選手だ。
高校時代、2年生エースだった吉田と何度か対戦した事もあるし、プロに入ってからは投手と野手の違いこそあったものの、何度かアドバイスもしたし世話をしてきた。
そのためか、今でも無意識のうちに後輩のように扱ってしまう。
(さて、相手は期待のニューカマーか)
ギガースのマウンドにいるのは、若きエース候補の千葉だ。
甲子園優勝経験もあり、今シーズンはここまで12勝5敗。首位を走るギガースでもローテの軸といえる存在だ。
(全く凄まじいものだ)
ギガースのように実力主義のスターだらけのチームでは、甲子園や六大学のスターであろうがレギュラーは保証されない。
そんな中、結果を残したのがこの千葉だ。
今は8回。そろそろ疲れの見えてくるころだというのに、未だに150キロ以上のストレートを投げ続けている。
(だが、打ってみせる)
ストレートには元々強い牛久保だ。
若いころ苦労したのも、一軍の変化球が打てなかったからだ。プロのピッチャーがストレートしか投げたらダメだというルールでもあるのならば、ルーキー時代から4番を打っていた自信がある。
「ストライク!」
初球。
外角ギリギリに152キロのストレート。
(打てない球じゃない)
それを見ても怯まなかった。
(内角には投げてこないだろう)
ストレート、それもインコースには滅法強い。
千葉は速いだけでなく制球の良いピッチャーだ。コントロールミスも期待できない。
外角のストレート狙いだ。
そう思った第二球。
読みが外れ、カーブだ。
慌てて合わせようとするが、うまくいかない。
(しまった!)
ボテボテの打球が二塁手の前に転がる。
ギガースの二塁手が素早くとる。
だが、打球に勢いがなかった事が幸いした。
二塁は無理。一塁手へと送球。
結果的には送りバントと同じ形になった。
「……」
不本意な結果になり、牛久保は憮然としてベンチに戻る。
「よしよし!」
「行けるぞ!」
そんな風に沸くベンチに腹が立つ。
「ナイス進塁打だ、牛」
そんな風に言ってくる打撃コーチにもだ。
この打撃コーチは吉田と違い、年上だが実績は牛久保よりも遥かに下。だが、それでも今のが狙った進塁打なのか結果的にそうなったものなのかは分かるはずだ。
チームのレジェントに気を使っているのだろう。
「はい」
一応は打撃コーチの肩書を持つ男に、最低限の礼儀としてそれだけを言うとベンチに戻った。
「牛さん。少し良いですか?」
監督の吉田が話しかけて来た。
年が下とはいえ、今は立場が上の監督なのだから、多少は言葉遣いを変えてもいいとは思うのだが、純朴なこの後輩は今でも丁重に話しかける。
「何だ?」
だが、そう言われながらも話の内容は予想できる。
「次の回から交代です」
「……そうか」
既に8回。
この回、今はワンアウトで5番の豊田だ。5番と6番が凡退すれば、最終回は7番から。4番の牛久保まで回る可能性は低い。
若い頃から守備は得意ではなかったが、年齢と共にさらに衰えた。
故に、こういう展開になれば若手内野手に入れ替えるのは当然なのだが、この青年監督はわざわざ牛久保に聞いてくる。
丁重、礼儀正しい、先輩の顔を立てる。そういった事は場合によっては長所であるはずなのだが、勝負の世界では裏目に出てしまう事も多い。
事実、チームは5位と低迷しており監督としての力量不足とファンやマスコミに責められる事も多い。
逆にギガースの監督は勝利至上と言われ、勝利の為なら実績のあるベテランでも平気で変えてくる。
実際、牛久保と同じくベテランであり三冠王の経験すらある4番近衛にまだ6回の時点で代走を送った。今日のこちらの投手の調子からして唯一のチャンスだと思ったのだろう。
そして、実際にその代走の選手が盗塁を決め、送りバントと外野フライで見事に1点を奪った。
一方、牛久保もその裏に四球で出塁したものの、吉田は代走を送らず、次打者の内野ゴロで二塁封殺となった。微妙な当たりであり、俊足の選手であればセーフだったかもしれない。
「よし!」
ベンチから歓声が起きた。
次を打つ5番豊田が内野安打を打ったのだ。ギガースの二塁手はよく捕ったが、豊田の足が速かった。
ランナーは一人生還。
これで、同点だ。
「よし!」
「同点だ!」
ベンチも沸き上がる。
なおもランナーは一塁、三塁。
仮にこの回、6番と7番が凡退した場合でも、延長となれば10回裏、あるいは9回裏に満塁の状態で4番の牛久保に回る可能性もある。
ちらりと、監督の吉田を見る。
(そうなればもう一打席――)
そう考えた時、思考を中断するような歓声があがった。
ホームランかと思えるほどの大きな当たりだったが、ギガースのセンターがうまく捕球する。しかし、犠牲フライとなり勝ち越しに成功した。
(回ってこないか、やっぱり)
チューブドームはドラゴンパピーズのホームのため、リードした状態で9回裏を迎える事はない。
無論、ギガースに逆転されれば別だが、リードした状態で最終回の守備に牛久保を守らせる事はないだろう。
(全盛期なら違ったかもしれんが)
全盛期も守備は良くなったが、打撃は一流だったという自負がある。
だが今は、守備は並以下。打撃は辛うじて二流といった程度だろう。
ならば、次の1点を防ぐ可能性を少しでも減らすために守備のうまい選手を使いたいだろう。
それが理解できてしまうだけに、吉田を恨む気にもなれない。
むしろ、とっとと500本打って引退してくれと思うだろう。
(このチームに俺の置き場はもうないのかもな)
そんな風に苦笑している間にも、試合は進んだ。
結局、この試合は、ドラゴンパピーズの勝利に終わり、ギガースの目の前の胴上げを阻止した。
普段は、牛久保に対して「あと一本ですね」と留守番電話の録音メッセージのように同じ言葉を再生し続けるマスコミも、今日ばかりは目の前の胴上げ阻止の話題ばかりであり、内心で少しほっとしつつも、どこか寂しい思いを抱えて牛久保は帰った。