07 なんかベロニカが可愛く見えるなあ
水族館をぬけて、俺たちは五階へと差し掛かった。
この階はしーんと静まり返っている。今度はなんのデートスポットだ。
パーテーションで区切られた空間に、額縁が浮いている。
「美術館?」
入り口にポスターがある。
『ゴッホ、モネ、ミケランジェロなど多数の芸術家の真作を展示!』
「ウソだろ」
こんなところに真作があってたまるか。なんだその雑な芸術家選出は。有名どころを並べりゃいいと思ってるだろ。
「でもほら、見て」
ベロニカが指し示した先にあるのは、ゴッホのひまわりだ。額ごとふよふよと浮かんでいる。
「贋作だろ。本物は美術館の警備の中だ」
「そうともいえないよ。……あのね、あたしたちがいた世界とこちらの世界とでは、細かいところが違ってる。パラレルワールドだから」
彼女はひまわりに近づいていく。俺もつられて近づく。
「ゴッホはどちらの世界にもいる。ひまわりもどちらの世界にもある。だけど、この世界のひまわりは7点中5点が行方不明になってしまったの」
また、大人びた雰囲気に戻ったベロニカが、絵を見上げながら、柔らかい声で解説していく。
「失われたひまわり。それがもし、魔術結社の手に渡っていて、この池袋に来ていたとしたら……」
それは、ロマンと呼べるかもしれない。
荒々しい絵具のかたまり。これが真作なのだろうか?
つい、俺も絵に見入ってしまう。
「なーんてね!」
ベロニカがおどけた顔で舌を出した。
「は?」
「ウソだよ、ぜーんぶ。グレイ、信じたの?」
くすくすと笑う彼女に、かつがれたのだとわかった。
「ふふふ、グレイったら、信じちゃって、かーわいー」
無邪気な笑み。怒る気すら起きない。
「こんなとこにゴッホがあるわけないじゃん? ほらほら、どんどん見てって、最後におみやげ買おーよ! ミュージアムショップがあるでしょ、たぶん!」
そう言って、絵に目もくれずずかずかと歩いて行ってしまう。
俺はひとつため息をついて、ひきずられるままについていった。
ミュージアムショップは一階上の六階だった。カフェも併設されている。
そこで『モネの睡蓮クッキー』なる土産物を買って、ベロニカはご機嫌だった。
「ねーねー、これもよくない? ドガの踊り子オルゴールだって!」
ひらひらとショップ内を歩き回るベロニカに引っ張られ、俺はそろそろ疲れてきていた。美術館はパーテーションで迷路みたいに区切られていて、死ぬほど歩かされたというのもある。
「ベロニカ、ベロニカ」
「んー? なに?」
「ちょっと休憩しよう」
さいわい隣はカフェだ。
「えー、もうちょっと見ようよ」
「……ケーキおごるから」
「アップルパイがいい!」
単純で助かった。
二人で、と店員さんに声をかけ、ソファに腰を下ろす。あー、なんか座ったら一気に疲れがきた。へにゃへにゃとソファにもたれかかる。
俺はコーヒー、ベロニカは紅茶とアップルパイ。頼むと、先に飲み物が来た。
コーヒーはブラックで飲む派なので、なにも入れずに口に運ぶ。なかなかいい豆を使っている。芳醇な香りが鼻をくすぐる。
「あちっ」
隣のベロニカは猫舌らしい。ふうふう冷ましながらちびちび飲んでいる。
その様子はそれこそ猫みたいで、ああ、なんかベロニカが可愛く見えるなあ、と思った。ベロニカの横顔は彫像のように整っている。その顔が熱さに歪むたび、幼い本性が垣間見えて、ああ、かわいいな、と素直に認めた。
暗転。
次に目が覚めたとき、見えたのはローファーを履いた足元だった。
「…………は!?」
跳ね起きようとして、失敗する。え、なんだこれ。
デートして、コーヒー飲んで、そこから記憶がない。待て待て待て、なにがあった、なんだこれは。
俺は今、床に横向きに寝っ転がっている。視界にあるのは美少女ポスターの足元。女子高生イラストのローファーが視界を占拠していて、自分が壁に向いているのだとわかる。
起き上がろうと腕をつっぱろうとして、体がまったく動かないことに気づく。
腕も足もぴくりとも動かない。
(やべー……)
これはおそらく一服盛られたな。
それも睡眠薬とかではない、ガチの毒薬だ。魔法少女でなければ一発であの世行きだったやつだ。ギリで生きていることに感謝せねばなるまい。肝臓が強くて助かった。
(ベロニカは!?)
体が一ミリも動かせないので、必死に眼球だけ動かして周りを見ようとする。しかし、壁に向かって寝かされた状態では天井がちょっと見えるだけだ。
と、俺は自分の右手に圧迫感を覚えた。
俺は今右脇腹を下にして寝ている。だから右腕は体の下にあるが、そこから背中向きに伸ばされて、手は視界の外側だ。
その右手を握っている感触がある。
(ベロニカ……!)
恋人つなぎだ。
そう、俺たちはタピオカ屋からずっと、恋人つなぎのまま歩いてきたのだ。ベロニカに引っ張られてたり、カフェで向かい合わずに隣に座っていたのもそのせいだ。
ラブラブデートを演出する恋人つなぎが、ここで役立つとは!
右手は一定の間隔で、ぎゅっと握られてはゆるく離される。長く握られ、短く握られる。
(ベロニカは起きてるんだ……。これは、たぶんモールス信号……)
モールス信号、魔法少女養成校で習わされたときはいつ使うんだこれと憤ったものだが、役に立つときがくるとは。
『起きたら反応せよ 起きたか 反応 起きろ 起きろ』
(待ってくれ、体が動かないんだ!)
意思を指先にこめる。どうにか、どうにか一回握り返して、起きていることを伝えたい。
『このまま焼くぞ 起きろ』
待て待て待て、焼かれては困る! 動け指、動け。
一生懸命指に力を入れているが、まったく動く気配がない。
……そこにばかり集中していて、近づく足音に気づかなかった。
がっ、と鈍い打撃音。うぐ、とうめく声。
背中側で何が起こったか、振動と声ですぐわかった。近づいてきた人物がベロニカの腹を蹴ったのだ。
「ははは、いいザマ!」
ヒステリックな女の笑い声。敵だ。
ベロニカの手に力がこもる。
『焼いていいか こいつ』
俺の死が迫る。
「魔法少女、乗り込んできてこのザマとはね。テトロドトキシンは美味しかったかしら?」
テト……! フグの猛毒じゃねーか。よく生きてたな、俺たち。
「さて、前置きはこのくらいにして。あなたたちに、お話があるのよ」
女はそばにあったパイプ椅子に座ったらしかった。
「あなたたち、魔術結社にねがえりなさい」
…………は? なんて言った、こいつ?
「あなたたち、魔法少女よね? まあ毒飲んで生きてるんだから、魔法少女なのはわかってる。あなたたちは、災害を起こしたくはない? 世界を壊してしまいたくない?」
たたみかけるように話す女の声が不快だ。耳を塞ぎたい。
「魔法少女なら、世界を呪っているはずでしょう? 自分を呪い、世界を呪い、そして魔法少女になったのだから」
言うな。それ以上言うな。
「あなたたち魔法少女は、あちらの世界から自殺して逃げてきたのだものね」
自殺。
魔法少女は、自殺者だ。
前世で自殺したものだけが、魔法少女として転生する。
自殺の理由はさまざまだ。当然触れられたくない過去だから、みんな語らない。
けど、自殺したということは、みんな、あの絶望を感じたということだ。
世界から除け者にされたような疎外感。自分の生きる価値を見失う底無しの不安。
それが、世界への攻撃に転じたとして。
誰が責められるというのだろう。
魔術結社側に寝返る魔法少女は、実は多い。
元いた世界を破壊するという恨みを原動力に、重複災害を起こすのだ。
世界が重複すれば、大災害になる。大勢が死ぬ。それを心底から願ってしまう魔法少女の気持ちは、痛いほどわかる。
あんな世界めちゃくちゃになってしまえ。自分を追いつめ裏切った世界など、滅びてしまえ。
……その気持ちを、誰が責められるだろう。
そして、ベロニカは、どう思うのだろう。
ベロニカだって自殺者だ。だとすれば、あの絶望にも親しみがあるはずだ。
この誘いに、乗るのだろうか。
自殺して、転生させられて、前線で働かされて、そんな魔法少女を『楽しい』などと言った、この狂人は。
「あなたたちがこちらに寝返るなら、二人とも助けてあげるわ。寝返らないのなら、そうね、サメの餌にでもしようかしら」
敵は楽しそうに話している。サメの餌はぞっとしないが、だからといってこんなやつの言いなりになるなんてごめんだ。指先に力を込める。
「……ぁ」
ベロニカの声だ!
「……ぁなた、は」
まだ毒が抜け切っていないのだろう、しゃがれた小さな声だが、たしかにベロニカが喋っている。
「かわいそう」
「……何を言ってるの、こいつ」
敵の冷たい声。しかしベロニカは必死にか細い声を上げる。
「かわいそうだ、って、言ってるの。あんた、は、なにもわかってない」
デート編長くなりすぎでは……。作者の意図を超えております。
次回は明日9/26(土)13:30頃を予定しています。