06 恋人のふりをして潜入しなさい
「2人1組で、恋人のふりをして潜入しなさい」
ひっくり返るほど驚いた。もちろん静かな会議中にどんがらがっしゃんとやるわけにはいかないが、心の中はぐちゃぐちゃの大騒ぎだった。
(恋人のふり!? あの狂人と!?)
無理だ。不可能だ。
絶望しかけたところに、光明が見える。
「全員が潜入するわけではないわ。後方支援班、偽装工作班、突入班などにわかれて……」
それだ!と希望にすがる。突入班がいい。何も考えずに飛び込めばいい班が。
「班分けはこちらに印刷してあるわ。あとで確認してちょうだい」
会議が終わるのももどかしく、司令の散会の合図を聞いてすぐ、俺は班分け表に飛びついた。
『潜入班:ベロニカ、グレイ、……』
現実は厳しかった。
俺たちはアニメイト本店の前にいた。営業はとうに放棄され、少女アニメの大きな看板が吹きっさらしで放置されている。
魔術結社『遺構蒐集』の末端組織が、このアニメイト本店内にいるというのが、情報班からの報告だった。ここが改造され、一大デートスポットとして人を集めているらしい。集められた人が消えていく、というのが情報班からの報告だ。だから、俺たちはデートを装って潜入する。
しかし、と俺はみずからの姿をかえりみる。
濃いグリーンのタンクトップにピスタチオグリーンのカーディガンをゆるく羽織り、ブラウンのガウチョパンツとサンダル、小さな肩掛けバッグ。
お出かけ用の服装だ。いつもだったらTシャツジーンズなのだが。おしゃれっぽいお店でマネキン買いした。そしてタンクトップなせいで、ささやかながら、みずからの胸部がなだらかに隆起しているのが目立つ。
うーん、と内心で唸ってしまう。慣れたつもりでも、やはり胸があるという事実は、奇妙に感じる。スカートを履かなかったのがささやかな抵抗だ。
だが、それよりも問題なのは、隣にいるベロニカだ。
濃紺のマキシ丈ワンピースに、白のハイヒール。ただそれだけなのだが、ワンピースがベルトできゅっと締まって、スタイルの良さが引き立っていて、そこにヒール分の身長も相まって、映画スターのようにかっこいいのだ。ノースリーブからすらりとのびる二の腕がまぶしい。
そして、当然のことながらメイクもしていた。くっきりアイラインに、きりりと角度をつけた眉、輪郭をはっきりとった濃い目のリップ。強いメイク。それが美しい目鼻立ちをさらに際立たせていた。
俺だって軽くメイクはしてきた。やり方がわからなかったので、ネットで初心者向けのやり方を調べて、一通り買い込んで、一週間猛特訓した。ビューラーでまぶたを挟んだのは一度や二度ではない。化粧品ってあんなに高いんだって初めて知った。
だが、そんな俺の努力も、ベロニカと並んでしまっては月とすっぽん、映画女優と田舎のモサい大学生といったところだ。
この2人が恋人だなんて、誰が思ってくれるだろう。
憂鬱だった。まさか転生してきてルックスに引け目を感じる日が来るとは思わなかった。俺だって一般的にみて美少女にはなっているはずなんだ、魔法少女なんだから。鏡を見て、あまりの美少女っぷりにときどき見惚れてしまうこともある。
だが、ベロニカはその上だ。オーラが違う。
そんな俺の視線を感じたのか、ベロニカはこちらを見てにっこりと笑んだ。メイクと相まって妖艶な雰囲気をかもしだす。
「行かないの?」
するりと手をとられて握り込まれる。手を繋いでいる、ベロニカと。今日のベロニカは妙に大人びている。いつもの幼い雰囲気は息をひそめ、いたずらっぽく笑う仕草さえ色っぽい。
ときどき、ベロニカはこういう日がある。妙に子供じみたり、妙に大人びたり。気分にムラがあるのか、一貫しない。それは月の満ち欠けに似ていた。
「……行こう」
握られた手を握り返す。柔らかい手のひらが、手のひらを包む。
「あ、ちょっと待って」
急に手を離された。そして、また繋ぐ。
「こっちの方が恋人っぽいよね」
その手は、いわゆる恋人つなぎの形になっていた。
口から心臓が飛び出しそうなのをかろうじてこらえた。手汗が出ていないだろうか。胸キュンみたいなドキドキより、爆発物と手錠で繋がれたみたいなドキドキがある。
こいつ、恋人つなぎのまま大火力をぶっぱなすとかやりかねない。そうしたら俺は消し炭だ。
あまりの美しさに気を取られていたが、こいつは狂人だ。信用ならない。
初対面の頃こそ俺から仲良くなろうとしたが、あのゴミ捨て場の夜から、俺はこいつを避け続けてきた。こいつが狂っているからだ。魔法少女を楽しむだなんて、狂人。そんな狂人と恋人つなぎでラブラブデート。
今日こそ殉職の日かもしれない。
店の前に停まっているキッチンカーに近づく。
「いらっしゃいませ」
明るい声が響く。メニューを見るに、タピオカ屋のようだ。
「えっと、タピオカふたつ」
「はい、ティーは何にいたしましょう」
ん? タピオカ屋ってタピオカしか売ってないんじゃないのか?
あわててメニューをちゃんと見ると、ミルクティー、ウーロンミルクティー、ほうじ茶ミルク、とお茶だけでもさまざま。さらに砂糖の量や氷の量まで細分化されている。タピオカ自体も種類が選べるらしい。
「黒糖ミルクブラックティー、黒糖タピオカ、甘め、氷少なめ、ストローは刺して」
ベロニカはすらすらと注文する。手慣れてるな。
「……同じので」
……なにかに負けた気がする。
恋人つなぎの手を離さないまま、反対の手でタピオカを受け取った。ストローは刺さってるのでそのままちゅうちゅうと飲む。
「ん、うまい!」
タピオカ、実は初めて飲んだ。紅茶が香りたかく、そこにもちもち甘いタピオカが噛みごたえがあって美味しい。
「美味しい〜!」
ベロニカもお気に召したらしい。ごくごくと飲んでいる。
「あー、でも同じのにしちゃわないほうがよかったね」
「え、拙かったか?」
ひょこりと、彼女が俺の顔を覗き込む。
「だって、違うのにしてたら、一口ずつ交換できたじゃん?」
……それは、間接キスなのでは。同じのにしてよかった。ほんとうによかった。俺は俺のタピオカを死守することに決めた。
片手にタピオカ、片手にベロニカで、アニメイトに踏み込む。一階は広いスペースに椅子とテーブルを持ち込み、タピオカを座って飲めるようになっていた。そこここにカップルの姿がある。
そういえば、この世界では同性婚が認可されている。だからカップルといっても、女の子同士の姿や男同士の姿がある。ちなみに魔法少女同士の恋愛もOKだ。オフィスラブの一種として捉えられている。
だからといってベロニカと恋愛関係にだけはならないが。
一階はカップルたちだらけで、特に異常もない。二階へ階段で上がる。
そこには信じがたい光景が広がっていた。
「……バカだろ」
そこは水族館だった。
フロアの奥半分がまるまる水槽になっている。本来書籍が並んでいたはずの棚も水没し、水槽をいろどるオブジェのように扱われている。
そこに悠々と、サメが泳いでいた。
小魚の群れをバクバク捕食しながら、ほしいままに水槽を泳いでいる。かなり狭いが。
「これ設計したやつバカだろ……」
「えー、楽しいじゃん。ほら、ムロアジがどんどん喰われてるよ!」
さっきまでの大人びたオーラはどこへやら、目をキラキラさせて水槽を眺めている。ベロニカはこの出し物が気に入ったようだが、普通の感性ではない。
というか、ここをデートスポットとして売り出そうとしてるはずの魔術結社、なにを考えてサメの捕食を見世物にしたんだ。わからん。
ベロニカはわくわくと水槽に近寄り、もっとよく見ようとガラスに貼りつこうとした。
そこで、動きを止めて、首を傾げる。
「……どうした、ベロニカ」
「これ、ガラスじゃないね」
こんこん、とタピオカを持った手の背で透明な板を叩く。
「魔導障壁を、魔法少女の手を介さずに魔術的展開させて、空間固定してる。たぶんどっかで発魔機が回ってるはず」
たしかによく見ると、魔導障壁に特有の偏光が見える。
「魔術的ってことは、魔術結社の関与は決定的だな」
「うん。わかってたことだけど、ここは連中の巣の中ってわけだ」
好戦的な笑みを浮かべる。
「ふふ、楽しいね、グレイ?」
こっちはなんにも楽しくねーよ。そう言いそうになったが、さすがに言わずにおいた。
「んじゃ、壊しとこっか?」
「バカ、今俺らは潜入中なんだよ!!」
あわてて声を潜めながら叱責する。まじで壊しかねないから怖い。
冗談だってばー、とむくれるベロニカ。心臓に悪いからやめてほしい。
二階はカップルの姿もほとんどない。異常もないので、三階へと上がる。
三階、四階は同じ水族館だった。案内板を見ると、昔は書籍フロアだった場所が、水族館に変えられたらしい。
三階はうってかわって海の小動物の個物展示、四階は大きな水槽でさまざまな魚の生態系の展示。普通の水族館っぽくて、なんだか拍子抜けなくらいだ。
しかしこれだけの水を入れるなら、建物の強度が気になるところだ。これも魔術的に強化しているのだろう。
タピオカを飲み終わったので、そこらにあるゴミ箱に捨てる。ちゃんとゴミ箱が設置してあるあたり、気配りはできてるんだよな、魔術結社。
書籍フロアをぬけて、次はおそらく水族館ではない施設だ。さて、鬼が出るか蛇が出るか。俺たちは五階に向けて階段を登った。
爆発物デート編長くなったので分けます。
誤字報告いただいてました。ありがとうございます。妥当だと思う部分は直しましたが、一部表現の範囲の部分は直しませんでした。ご了承ください。
次回更新は明日9月25日(金)13:30を予定しています。