05 穏便にできないのかよ!?
ベロニカとどう接すればいいのだろう。
黙々と考えながら走る。走れば精神統一できるかと思ったのに、雑念は増えるばかりだ。
雑居ビルの角を曲がる。わざわざ狭い路地裏を狙って入り込む。悪事は裏道で起こるからだ。
街灯もなく月明かりも届かない、街の谷間だ。
そそりたつ壁が圧迫感を押し付けてくる。ゴミを満載した青いポリバケツがいくつも並んでいる。その上に生ゴミのパンパンに詰まったゴミ袋を山と積んであって、生臭い臭気が路地裏に漂っている。
できるだけ息を止めながら、俺はその横を走り抜けた。
「うわあああああああああああ」
どこか棒読みの女の叫び声が聞こえた。上から。
上?
振り仰ぐ。ビルとビルのあいだ、細く切り取られた短冊状の夜空。そこを背景に、少女が落ちてくる。魔法少女だ。
金のボタンが煌めくのが見える。
「ベロニカ!?」
まごうことなくベロニカだった。真上から落ちて、ゴミの山に突っ込む。
「うぎゃ!」
ベロニカは頭からゴミに突き刺さった。破れたビニール袋から腐った生ゴミが飛び散る。
「ちょ、なにしてんの!?」
あわててゴミ袋をどかす。腐臭が手につくが、我慢する。ゴミの中から、ベロニカの美しい顔が現れる。逆さまの顔は、臭気に顰められていたが、それでも月光に照らされて美しかった。
眉の柔らかいカーブ。ぱちりと大きな瞳。まっすぐ伸びた鼻梁。そして、にやりと笑った、唇。
その唇が開いて、ぽんと明るい言葉が飛び出す。
「あれ、グレイじゃん! なにしてんの?」
「ジョギングだよ! そっちこそなにしてんの!? 今勤務時間外だろ!?」
「サービス残業!」
「非番に残業もくそもあるか!!!」
俺が非番ならベロニカだって非番だ。
彼女はゴミ山の上から跳ね起きて、路地裏にとん、と着地する。
「まーいーじゃん、固いことはさ。トラブルだよ」
「トラブル?」
「そ。引ったくりからの逃走、抵抗!」
「そのくらいなら変身しなくても」
「相手はヤク決めてる、身体能力拡張剤! んでビルの屋上を駆け抜けてる! 鬼ごっこだね。じゃあね、追わなきゃ!」
嵐のように慌ただしくまくしたてて、そのままビルに飛び上がって消えてしまった。
俺は逡巡する。今は勤務時間外だ、ここで変身したら始末書を提出する必要に迫られる。面倒くさいことこの上ない。
だが、俺はベロニカの笑顔が、なんとなく脳裏に焼き付いてしまっていた。
「あぁ〜〜、もう!」
ピアスに指を乗せる。
「《クロックイン》!」
この変身ワード、恥ずかしいんだが。出勤!って叫びながら変身する魔法少女、恥ずくない?
そんな俺の内心に構わず、変身アイテムのピアスは俺の身体をつくり変えていく。
ボブカットの髪の色が緑に変わる。きゅっとくびれたコルセットが腹を締め上げて、最後にリボンになってふわりと広がる。ふりふりのミニスカートに包まれ、ニーハイが脚を締め付ける。最後にパンと手を叩くと、繊細なレースに覆われた白い手袋が現れる。
魔法少女、推参。といったところだ。
決めポーズを決める規則が無くてよかった。変身するたびにそう思う。
しかし、とみずからの体を見下ろして眺める。たいがい慣れてしまったが、それでもやはり俺の体ではないように感じてしまう。
最初こそミニスカートは脚がすうすうして落ち着かなかったが、だんだんと慣れた。細い手足が折れないかとヒヤヒヤしたが、酷使しても簡単には折れないとわかった。うーん、どんどんこの体に慣れてきてしまっている自分が怖い。
地面を蹴って、三角飛びで屋上まであがる。四方を見回すと、西の方、遠くに金の反射光がちらりと見えた。
屋上と屋上のはざまをぴょんぴょんと飛びこして、西へと走る。魔法少女の走力をフルに使ってもなかなか近づかない。あちらもかなり速い。
それでも、振り切ろうとジグザグ進むやつを、ジグザグ追うベロニカを、遠くからまっすぐ追う俺はだんだんと近くなってきた。大きな広告看板を蹴って、隣の給水塔へ。ビアガーデンをつっきったあたりで、ようやくベロニカに追いつく。
「あれ? どしたの、グレイ?」
走りながらきょとんとした顔でこちらを見るベロニカ。
「一応あんたとバディだからだ! 放置できるか!」
「別にあたしは一人でも解決できるってば!」
「そうじゃねえんだよあんたがまたトラブルを引き起こすのが怖いんだよ」
また盛大にぶっぱなされたら困る。
「トラブルなんて起こさないっつーの。信用ないなー」
「ねーよ」
夜の街を駆ける。前を走る影は、かなりガタイのいい男のものだ。あれだけゴツくてこのスピードとは、反則級だ。
魔法少女のコスチュームが二つ、月光にひらめく。
「ねー、これ池袋出ちゃわない?」
「まずいな。司令に連絡……」
「は? ミコトに連絡するのは絶対ダメ」
「なんでだよ!」
「怒られるじゃん!」
当たり前だ。
だが、ベロニカはほんとうに嫌らしい。べ、と舌まで出して拒否する。
「池袋出ちゃう前にとっつかまえるよ! グレイ、挟み撃ち!」
言うが早いか、ベロニカは屋上から降りて、下道に行ってしまった。なんであの人は、言い返すより先に行ってしまうんだ。
できるだけ池袋を出ないように、行く先を誘導しつつ、追う。
三つのビルの屋上を超えたあたりで、先を行く犯人の体が跳ねた。
「え?」
犯人が真上に飛び上がったのではない、と判断するのに時間がかかった。
さっきまで犯人のいた場所に、自由の女神みたいなポーズのベロニカが現れる。
屋上と屋上のあいだを飛んだ犯人を、真下からアッパーカットで打ったのだ。
犯人は風に煽られる紙くずのように、くるくると闇夜に舞った。そして池袋のどこかに落ちていく。
「成敗!」
「成敗じゃねーよ!」
無事屋上に着地したベロニカが、ポーズを決める。成敗ポーズらしい。アホか。
「犯人、たぶんもう動けないよ」
「だろうな! あれだけのアッパーカットじゃあな!」
「池袋からは出さずにすんだね」
そうじゃねえんだよなあ、と頭を抱える。犯人、落ちた先で誰かを下敷きにしてなければいいんだが。どうしてこいつは被害を増やしかねない真似をするのか。
「もうちょっと穏便にできないのかよ!?」
池袋は魔境だとは聞いていた。だからといって、魔法少女のほうがこんなにも規格外だとは思わなかった。
耐えかねた苦情に、しかし、ベロニカは動じない。
「え、だってさあ」
ベロニカは、にっこりと笑う。それはもう、美しく。婉然と笑う少女は、魔に魅入られるほど美しい。
「せっかく魔法少女なんだから、楽しまなきゃ損だよ!」
「損!?」
唖然としてしまう。楽しむ。楽しむってなんだ。
ベロニカは心の底から言っているらしかった。本気だ。寒気が二の腕を走る。
俺は、ベロニカとどう接しようかなんて考えていたことを恥じた。これは、ダメだ。
こいつは、狂人だ。
狂人とわかりあおうなんて、到底不可能だ。
小首をかしげながら微笑む彼女と、絶対に越えられない隔たりを感じる。
俺は魔法少女を楽しめない。
こいつは魔法少女を楽しんでる。
だから、俺たちは、絶対にわかり合えない。
目の前にいるのに、どこまでも遠い。
絶望に近い何かが心の中をのたうちまわる。
俺は、この日、帰ってから一回吐いた。
「集まったわね?」
数日後、俺たちはサンシャイン60ビル15階のオフィスに集まっていた。
この数日、俺たち二人にトラブルは起こらなかった。起こさなかった、と言い換えてもいい。俺は、ベロニカと徹底的に他人行儀を貫き通すことにしたのだ。周りからは不自然に見えない程度に関わり、しかし本人にはさりげなく拒絶してることが伝わる程度に。
ベロニカは不満げで、何度か意味もなく話しかけてきたが、適当にあしらうとそれで終わった。
これでいいのだ。たかだかメンター制度、一年もしないうちに解消されるだろうし、それまでつかず離れずの関係を維持すればいい。
狂人につきあってはいられない。
それが俺の偽らざる本音だった。
オフィスは広いが、並べられたパイプ椅子でかなり混み合っている。相当な数の魔法少女に招集がかかったらしかった。殺風景なはずの廃ビルのオフィスに、色彩豊かな少女たちがひしめいているのはなかなかの見ものだ。
ちょこんと前に立つ谷崎司令が、声を張り上げた。
「それでは、これから、魔術結社の一斉摘発におけるミーティングを始める。今回は160名の魔法少女を動員する大規模摘発よ。気を引き締めてかかって」
よく通る声だ。
「それから、この作戦では、潜入捜査をしてもらう」
潜入捜査とは、ロマンのある話だ。
ちょっと少年心がわくわくしたところに、司令の冷徹な一言が刺さる。
「2人1組で、恋人のふりをして潜入しなさい」
ラブコメ展開に入ってしまうのか……!?と驚いたので保険でガールズラブタグを入れました。
次回更新は明日9月24日(木)13:30頃を予定しています。