03 足手まといにだけは、ならないでよね!
池袋サンシャインシティ。昔は観光客が多く出入りする一大商業施設だった。今は見る影もなく、サンシャイン60ビルに至っては無残にも半壊している。
上部が崩壊したビルにあっても下部が使えるなら使う、という雑草精神に基づき、魔法少女カナリヤ同盟の池袋支部は、ここサンシャイン60ビルの35階、放棄されたオフィスフロアに設置されていた。
その支部長室で、俺は池袋支部支部長と向き合っていた。
「グレイ。魔法少女になったのは三年前。魔法少女養成校をギリギリの成績で卒業、川崎支部に配属……。グレイっていうのは、コーデリア・グレイ?」
「探偵ではないです。ただのグレイです」
転生してきた魔法少女は自分で名前をつける。前世の名前を使う奇人はまずいない。俺の場合、ただ死ぬ寸前に見た景色が灰色だったから、グレイ。安直だ。
支部長の席に陣取って、俺に関する書類をめくっているのは、なぜか幼い少女だ。中学生だろうか。黒髪を二つに高く括り、前髪がまっすぐに切りそろえられている。あどけないはずの顔は、しかし、厳しい表情にいろどられていて、彼女が責任ある立場にいることを証明している。
「グレイ。まず自己紹介をするわね。わたしは尊・アーノルド・谷崎。この池袋支部支部長及び総司令。よろしく」
「谷崎司令は、その、魔法少女ですか?」
「魔法少女だったら、とっとと前線に出てるわ」
そういう少女の顔は不服に彩られている。ほんとうに前線に出たいのだろう。
魔法少女はパラレル日本、つまり俺たちが通常生きていた世界で死んだものが、こちらに転生してきた姿だ。老若男女、前世がどんな人物であろうと、魔法少女という形に画一化されて転生する。たいてい前世で辛い思いをしているので、魔法少女のあいだで前世の話はNGだ。
そんなややこしい存在に憧れるとは、谷崎司令はずいぶん奇矯な人物のようだ。
「ご存知のとおり、池袋は魔境よ」
「魔境……ですか」
「魔境。山手線絶対防衛ライン上の砦だから敵襲も多いし、乗り入れ路線も多いから水際防衛も大事。さらに埼玉がわからの侵攻、立教大学キャンパス迷宮、池袋西口公園に残された魔女遺構……。火種はあげたらキリがないわ」
「なぜそんなところに俺が配属されたんでしょう?」
魔法少女のくせに、俺はまだ魔法がヘタクソだ。基礎魔法はぎりぎり習得できたが、応用は全滅。パーソナルマジックももちろん持っていない。川崎支部でも拳と蹴りでどうにかしてきた。
「単純な人手不足よ」
谷崎司令はあっさりと言ってのけた。
「ついこの間、過激派団体の大規模抗争があって、それを止めるために35名の魔法少女が殉職した。池袋支部所属の魔法少女は1500人強、それでも人手が足りないのに、35名も一気に減ったことで、さらに抑止力が落ちて、騒動を起こすバカが右肩上がり、殉職者も右肩上がり……。ほんと、バカばっかりでイヤんなるわ」
幼い少女の口から殉職者などという物騒なワードが出てくるのは違和感がすごい。
谷崎司令は、普通に中学生であったなら、花盛りであったはずの青春を、崩れかけたビルの中で摩耗させている。
「……谷崎司令は、なぜ支部長に?」
「……あなた、なかなか不躾な人間ね。あなたはなぜ魔法少女になったか、聞かれたいの?」
聞かれたくない。
魔法少女になったときのこと……(どうして、)前世の記憶……(どうして俺が)そして俺が死んだときのこと……(こんなことに!)……。
嫌な記憶が頭をめぐりそうになって、俺は必死に記憶にフタをしようとする。考えるな、考えるな。
そこに谷崎司令の追い討ちがくる。
「ついでにもう一つ聞いておくわ。というより、全員に聞いている質問なのだけれど。
……あなた、なぜ世界を守るの?」
ぐらりと、視界が歪む。
守る。世界を守る。
この世界には縁もゆかりもない。
魔法少女として転生し、魔法少女として戦わされ、魔法少女としておそらく死ぬ。
こんな滅びかけでくそったれの世界、そのまま滅びてしまえと思う。寝て起きて、朝を迎えるたび、滅びてくれと念じている自分がいる。
だけど、ただひとつだけ、重複災害だけは、起こされては困るのだ。
重複災害は世界と世界を重複させる。二つの世界が交じり、拒絶しあい、お互いに甚大な被害が出る。
あちらの世界にも、大災害がおこる。
俺が遺してきてしまった世界。
遺してきてしまった人。
脳裏に、幼い少年の姿がうつる。
「……あちらに、弟を遺してきました」
だから、重複させるわけにはいかない。弟を守るために別世界にいる俺ができることは、ただこちらの世界を守ることだけ。だから、守る。それだけ。
「そう。弟、ね」
谷崎司令は含みを持たせた言いまわしをしたが、そこに特に意味はなさそうだった。
「わたしは、弟はいないわ」
「……一人っ子、ですか」
「違う。八男九女、その末っ子。だから、弟が大事っていうあなたの気持ちはわからない」
けれど、と司令は笑う。
「気持ちがわからなくても、同じ方向は向ける。一緒に世界を守りましょう、グレイ。」
差し出された手は小さい。この手に、この肩に、池袋の生命がかかっている。
俺にできることは少ない。だが、この手を取って、共に戦うことはできる。そのための魔法少女だ。
俺は、その手を取った。
繋いだ手からは、温かいぬくもりが伝わってきた。
「さて、グレイ。あなたは研修生として、指導者についてもらうわ。メンターとなる魔法少女と、これから会ってもらう。しばらくはその人があなたの相棒よ」
そう言って谷崎司令は内線電話をかけた。
「……えぇ、そう…………新入りの……ちょっと、それは話が違う……なんてことを!」
どうも雲行きが怪しい。
「わかったわ、すぐ行かせる。そこで待機。待機よ!」
がちゃんと電話を切った司令は、苦虫を噛み潰したような顔だ。
「グレイ、今すぐこのビルの上に向かって。展望台60階まで。そこでメンターが待ってる」
なにかよくわからないが、行けというなら行くしかあるまい。俺は支部長室を辞去し、階段を昇った。エレベーターなんて機能してるわけがない。とんとんと三段飛ばしで昇っても息が切れないのが魔法少女のいいところ。
展望台への重い鉄扉を押し開ける。
耳をつんざく轟音が、俺を包み込んだ。
「ヘリコプター!?」
バラバラバラとヘリのローターが回る音がうるさい。かなり近いところをヘリが旋回している。それも二機。しかも、そのヘリの下部には、ごつい機銃がくっついている。
機銃が前触れなくいきなり回った。
展望台のガラスは最初から砕けている。だから弾丸はなんの障害もなく飛び込んできて、床や壁をえぐった。あわてて鉄扉を閉めるが、その鉄扉もどんどん穴が空く。とてつもない破壊音が耳を聾する。
と、始まりとおなじく唐突に銃撃が終わった。俺はもはや鉄屑となった扉を砕いて、展望台を覗き込む。
そこに、彼女がいた。
深いブルーのリボンをはためかせ、立っている。
ミニスカートのフリルは二段、腰の大きなリボンと頭に乗ったベレー帽の小さなリボンが、同じ深いブルーで統一されている。
長い黒髪は青みがかって、一つに高く結い上げられている。そこにもブルーのリボン。
高いヒールがすらりとした脚を包んでニーハイブーツに繋がっている。それも濃紺。太腿のふちの部分だけ金糸の刺繍に彩られているのが、スカートの裾から覗いている。
白を基調としながら濃紺で締め、ポイントに金を入れる。
月のようだ、と思った。
闇夜に浮かぶ金の細い三日月。
魔法少女だ。月の魔法少女。
と、月の魔法少女がいきなり振り返った。俺の姿を認め、轟音に負けないように叫ぶ。
「あんたがグレイ!?」
「そ、そうです!!!」
すると彼女はくるりと前を向いて、こう叫んだ。
「足手まといにだけは、ならないでよね!!!」
そして、勢いよく地面を蹴り、宙に飛び出した!
当然彼女は重力にしたがって落ちていく。俺はあわてて展望台を駆けて下を覗き込む。
十階ほど下だろうか、宙に魔導障壁を浮かせてその上に立つ姿が見える。
ヘリコプターはまだこのビルのまわりを旋回中だ。そのヘリが真上になるタイミングで、彼女は魔法を発動させた。
「……《尽く烏有に帰す》!」
目が見えなくなったかと思うほどの光量が放たれた。
炎が逆巻く渦となってほとばしり、彼女の真上に勢いよく奔る。ヘリコプター二機を飲み込み、それでも飽き足らず天を摩する勢いで進む。
一瞬遅れて熱波が襲いくる。ぶわりと身を炙る爆風に、立っているのもつらい。
ヘリコプターは燃え尽きただろう、それでもまだ炎が焔々と渦巻いている。
ここにきてようやく、俺は彼女がわざわざ一度下に降りた理由がわかった。これを横向きに放たれたりしたら、真下の街は横一文字に焼かれてしまう。だが、真上に放つぶんには真下に落ちる。
俺は熱風に耐えかねて床に伏せ、その姿勢でふちまで匍匐前進する。そして下を覗く。
下には、炎の受け皿として、魔導障壁を大きく展開させた彼女がいた。落ちてきた炎を素手で握ると、炎がじゅっと悲鳴を上げて消えていく。ヘリを燃やし尽くした残骸が、尾を引いて、受け皿に向かって落ちていく。
俺は少し迷い、思い切って、そのまま飛び降りた。自由落下で内臓がひゅっと浮く。小さな障壁を足場にして衝撃を減らしながら、とんとんと、受け皿にたどり着く。
降りてきた俺を見て、彼女は意外そうな顔をした。
「降りてくるとは思わなかった。あんた、いかにもへっぴり腰の新人ってかんじだったし」
散々な言われようだ。
「消火の手伝いくらいはできるかな、と思いまして。一応水魔法も、基礎はできますし……」
俺の掌から水の塊が湧き出る。それを浮遊させて、そこら辺の燃えているヘリのかけらにぶつけていく。
「それに、まだ名前を聞いてないなー、と……」
すると、彼女は片眉を吊り上げて笑った。
「たかだか名前を聞くために、60階からフリーフォール? なかなか度胸の座ったやつじゃない」
フリーフォールってほどじゃない。障壁があるし。
「いいよ、教えたげる。あたしの名前はベロニカ。ヴェじゃなくて、ベ。しばらくはあんたのメンター。よろしく」
ベロニカ。俺も名乗ることにする。
「俺はグレイといいます。ベロニカさん、指導よろしく……」
「待った」
手のひらをこちらに向ける。
「敬語もさん付けも無しにして。嫌いなの」
「……じゃあ、ベロニカ。よろしく」
待ったの形で突き出されていた手を握り、握手の形にする。ベロニカは驚いたふうだったが、とくにふりほどきもせずに、おとなしく握られたままにしていた。
繋いだ手は、皮膚が焼けるほど熱かった。
ブクマ&評価をいくつかいただいていたようで、とても光栄です。
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次回は明日9/22(火)13:30更新を予定しています。





