五話目 花束を君へ
夜。強い雨が降った。
雨を見ると苦いような甘いような不思議な気持ちになる。
今日はなんだか苦いのが多い。
「はぁ……」
ため息をこぼして、残りの仕事にとりかかる。
忙しなくペンを紙に走らせ、便箋に入れた。
父が倒れてからもうすぐ一年。
順調に回復している。
半年経ったら、帰ってこれるだろうとまで言われていた。
仕事はなんとか軌道に乗っている。
顧客の信用も回復しつつあった。
イルザと出会ってから、もうすぐ半年。
関係は進展するどころか、こじれてしまっている。
「はぁ……」
嘆息して窓を見た。
雨音響くこんな夜は彼女を思い出してしまう。
心が冷えてしまうから、トマトのパン粥を食べて、猫みたいにすました顔を見たくなる。
(イルザ……何をしているのかな……)
引き寄せられるように窓辺に立つ。
冷えた窓におでこを付けると、熱が窓に移り、白い円が広がっていく。
「……会いたいな……」
今日、好きを越えた思いの花束ができた。
赤、オレンジ、ピンク。
ポップな色の花束にリボンをかけて、彼女に渡したい。
「ねぇ、イルザ。俺はね……君をとっても愛しているんだよ」
伝えられない言葉を窓に向けて言うと、思いは白い円となって、やがて消えていった。
──半年後。
彼女との攻防はまだ続いていたが、前ほどの焦燥感はなくなっていた。
彼女が料理人にならなくていい。
お願いだからと頼まれてしまった。
それだと、彼女に好きと言えなくて困るといっても、彼女は首を横に降った。
「考える時間をください。だから……」
くちごもる彼女にライラルは真剣な顔になる。
「それって、いつか言ってもいいってこと?」
彼女は真っ赤になって叫んだ。
「と、ともかく考える時間を私にください!」
受け止めてくれるかは分からない。
でも、ライラルにとって嬉しいことにかわりなくて。
「うん。ありがとう」
くしゃっと顔をほころばせて喜んだ。
いつまでも待っているつもりだったが、思いが咲き乱れて、三日……いや、二つ日に一回には「愛している」を口にしたくなった。
その度に彼女に口をふさがれるという攻防が続いた。
パッドへの地獄のしごきは変わらず続いている。
「いや、ちょっと待って!! イルザさんは待ってくれっていったんだろ!? それって兄貴はこのままでいいってことじゃないのか!」
「違うよ」
「へ?」
「イルザはタタタンタン食堂でずっと働く気でいる。ということは、将来的には俺は食堂で働く」
「なんで!」
「経営とかの助けになろうかと思っている。だから、周辺の食堂は全てチェックしたし、観光客の動向も見ている」
ライラルは真剣だった。パッドは言葉を失っていた。
「少しでも経営の助けになれば、イルザの役に立てる。好きをいうきっかけも──」
「あのさぁ……」
パッドが言葉を遮ったので、ライラルはムッとした。
「イルザさんが兄貴の嫁になって、ここにくる選択肢はないの?」
ライラルはポカンと口を開いた。
開いたまま固まっていたので、パッドは心配になってライラルの顔の前で、手をひらひらと動かした。
「嫁? イルザが? 俺の?」
「お、おぅ……そうなるのを兄貴は望んでいるんだろ?」
望んでいるかいないかでいえば、すごく望んでいる。
それ以外の選択肢が見えてこないくらいに。
ライラルは真剣に考えた。
彼女が嫁。
嫁といえば結婚。
結婚といえば、結婚式。
結婚式といえば──
「式の予約をしないと」
「ちょっと待てええええ!」
焦って言うとパッドが全力でとめた。
「頼むから落ち着いてくれよ! 色々と飛ばしすぎだろ! なんで、イルザさんのことになると、そんなにポンコツなんだよ! 」
「でも、結婚する予定なら早めに準備を……」
「いやいやいやいや! まだ待つ段階だろ! 早まるな!」
「そうか……」
体を揺さぶられてライラルは思いとどまる。
確かに向こうの両親へ挨拶も行っていないし、自分の親への報告もまだだ。
なにより、プロポーズの言葉もまだ伝えていない。
「ねぇ、パッド。プロポーズってさ。バラを百本、渡すとかがいいのかな?」
「は……?」
「彼女はオレンジ色が好きだって言っていたんだよね。一色がいいのかな……」
「あ、兄貴?」
こういうのはその道のプロに聞くのが一番だろう。
ライラルは花屋に行くことにした。
最近、教会の近くに花屋ができたはずだ。
「ちょっと出かけてくる」
「は? え? ちょっと……!」
パッドの叫び声が聞こえたが、その前に駆け出していた。
***
教会の近くにできた花屋は店先に小さな花冠のブローチが売っていた。
ガラスでできた花たちがキラキラ輝いている。
それに目を奪われていると、お店の人が出てきた。
「あら。あなた、ミルハーンさんところの」
名前を呼ばれて驚きつつ、挨拶をする。
「こんにちは。あの、このブローチは」
「あぁ、それは小説の話を形にしたものよ。ほら、ラストシーンで教会の鐘が鳴るところ」
「この島を舞台にした話ですよね?」
「えぇ。カップルに人気があるのよ」
「へぇ……」
オレンジ色のブローチを見つけて手に取った。
自分の思いを表したようにキラキラ輝くオレンジ色。
「これを一つください」
「オレンジね。今、包むわね」
「お願いします。あと、オレンジ色の花が好きな子に花束を贈りたいんですけど」
お店の人はまぁ、と言い、くすくす笑いだした。
「オレンジ色ね。小ぶりのブーケなんかどうかしら?」
お店の人が花を何本か手にとってブーケにして束ねてくれた。
赤やピンクがまじった花束は彼女のイメージにぴったりだ。
「可愛いですね」
「でしょ? これにしていく?」
「はい。……あぁ、でも今日は買わないので……その、予約してもいいですか?」
お店の人はくすくす笑い、わかったわと言ってくれた。
「ブローチもとっておくわね」
「お願いします」
彼女へのプレゼントが決まって、心が踊った。
(父さんたちが帰ってきたら、話をしてイルザにプロポーズしよう)
一週間後には、療養を終えた父親が帰ってくる。
そうしたら、結婚したい人がいると二人に伝えよう。
反対されたら根気強く説得して、家を出ることを認めてもらおう。
そうすれば、きっと──
明るい未来を想像して、ライラルは口の両端を持ち上げた。
それから一週間は、そわそわしてしまって食堂へは行けなかった。
仕事も重なり、父親の退院手続きや、ロンハル卿へお礼の挨拶をして丸一日拘束されたりと、行く機会も失われていた。
無事に両親が島に戻ってきて落ち着いた頃、ライラルは彼女のことを話した。
「結婚したい人がいるだと……」
「まぁ、そうなの」
父親は驚愕し、母親は嬉しそうに笑った。
「うん。その人は食堂の一人娘なんだ。お店をずっとやっていきたいって言っている。だから、俺は彼女と一緒になったら家を出たいと思っている」
「家を出るだと……」
「あらあら、そうなの」
「うん。家はパッドが継いでほしい。パッドなら大丈夫だ。もう一人前だよ」
パッドは今までの日々を思い出して泣いていた。
「二人の期待には答えられないけど……いいかな?」
父親はしかめっ面で、黙ってしまう。
ライラルは真剣な顔で答えを待った。
「わかった……」
重い口を開いて、父親が言う。
「お前には苦労をかけた。お前がそう言うなら俺は反対しない」
「父さん……」
「親御さんに挨拶にいかないとな。母さん、スーツを出してくれ」
立ち上がった父親に、母親がにっこり微笑む。
「あなた、落ち着きましょうね。ねぇ、ライラル。そのイルザさんに結婚の了承はもらったの?」
「いや、まだだけど……」
「そう。なら、伝えてご覧なさい。それと、彼女の親御さんにもしっかりご挨拶をしなさいね」
「はい」
突っ立ったままの父親に母親が微笑む。
「あなた、ご挨拶はそれからにしましょうね」
うぬ、と言って父親は椅子に座った。
***
ライラルは食堂へ向かって走っていった。手にはオレンジ色の花束を持って、ズボンのポケットにはブローチが入っている。
早く、もっと早く。
思いは足を動かして、どんどん駆けていった。
猫もびっくりして道をゆずってくれる。
「ごめん!」
慌てている猫にあやまって、ライラルは駆け抜け食堂の扉を開いた。
──リリリンっ
乱れた鈴の音が鳴る。
ライラルは息を切らせながら彼女を探した。
(──え?)
彼女はすぐに見つかった。
ライラルを見てびっくりしている。
そして、彼女の横には知らない若い男がいた。
エプロン姿からして店の人っぽい。
その人は怪訝そうに自分を見ていた。
「ライラルさん……?」
イルザが近づいてくる。
不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
昼時ではないから、なんでこの時間に……と思っているのだろう。
「イルザ……その人は……」
嫌な未来が見えてしまい、声が震えた。
彼女は言いづらそうに彼を紹介する。
「アッシュさん……昨日から料理人として厨房に入ってもらっています……」
ライラルの目が見開いた。
彼女が言っていた言葉を思い出す。
──将来は料理人と添い遂げたいと思っています。
(あぁ、そういうことか……)
芽吹いた花が一斉に散っていくような気がした。
鮮やかな花弁をすべて落として。
また芽吹くのを拒むように。
茎をへし折り、根っこから花がもぎ取られる感覚がした。